21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

「ながのあったかねこの会」さん主催で、お話させていただきました。

6月20日(日)13:00~長野市リサイクルプラザにて、県労組会議書記・草野が、福島原発事故の自主避難者としての経験や活動についてお話させていただきました。

主催は、2011年3月から東日本大震災被災地や県北部地震で被災した下水内郡栄村に、木曽郡南木曽町吾妻地区に伝わる防寒具「ねこ」を送り支援してきた「ながのあったかねこの会」の皆さんです。

主な講演内容は、震災当時の様子、原発事故により家族で千葉へ一時避難した時のこと、放射能の影響について不安を感じ自主避難を決めるまで、長野での新しい生活、2018年に参加した原発周辺のバスツアーがきっかけとなり、脱原発運動を始めようと決意。中村敦夫さんの朗読劇「線量計が鳴る」長野市公演に至るまで。

「ながのあったかねこの会」では、2019年まで毎年南相馬などの被災地へ猫半纏を持参して赴き、交流を続けて来られました。昨年は、残念ながらコロナ禍で福島へ行くことができず、今年も厳しい状況ということもあって、このような催しを企画されたそうです。

新型コロナウィルス感染防止対策を行った上で、参加人数を絞って開催されました。コロナ禍にもかかわらず、定員の35名の方が参加してくださり、エネルギーについて考える貴重な機会をもつことができました。

会のお名前通り、最初から最後まで、あたたかい真心いっぱいの素敵な時間となりました。

 

☞ここをクリック! ねこの会講演アンケート

(以下、アンケートから一部抜粋)

・長野で「線量計が鳴る」を観させていただきましたが、やはり多くの人達にもっと観て欲しいと思います。

・本当のことを知らされていないという現実を知った気がします。人まかせでなく、知ることの大切さを感じました。

・被災者のお話を聞いたのが初めてでした。この10年での生活改めて大変だったんだと思いました。

・映画「モルゲン」の最後に言っていた、各地にある小さな活動が大きく集まって社会を動かすようになれば良いと思いました。

・原発が無ければ、今の生活がなくなってしまうように思う気持ちがありましたが、違っていたことに気づきました。身近なところから、できるところから考えてみます。

 

2011.4.28 信濃毎日新聞朝刊記事より

「あったかねこの会」主催者代表・吉池教子(のりこ)さん

密を避けて、定員を絞って開催されました。

3.11当時~「線量計が鳴る」長野市公演~現在の活動についてお話しました。

喜多事務局長とねこの会の皆さんと。

☞ 20210620講演チラシ

信州安保法制違憲訴訟 第13回口頭弁論を傍聴して

原告団長である又坂常人信州大学名誉教授、戦争体験者・新海 寛さん、新潟大学学生・大橋直紀さん、母としての立場から金井奈津子さん、元国鉄・JR職員の後藤正次さん、教員としての立場から竹内忍さんの6名の方が証人として立ち、証人尋問が行われた。

裁判の傍聴なんてほぼ未経験に近い私にとって、見るもの一つ一つがテレビの世界。こんな風に裁判て行われているんだ・・・と、まずはそこからだった。

この貴重な機会をいただくことになったのは、女性裁判官の評判を聞いたことからだった。多くの裁判官が国よりの判決を下す中、珍しく原告側に配慮した裁判をすすめているとのこと。そんな裁判官に率直に興味を抱いたし、裁判なんて遠い世界のものと感じていた私が、身近に思えた瞬間だった。「私も見たいです。もし傍聴できるならさせてください。」と願い出た。

それぞれの証言は、当事者性が強く、ひとりひとりの言葉が胸に響いた。中でも、新海さんの戦争体験の生の声は、衝撃的だった。戦争体験者の話を直接聴いたのは初めてだったが、今後あらためて当時の話をきちんと聴いておかなければと思った。そして、大学生の大橋さんのお話。「生きづらい人の助けになる」という夢を叶えるために法学部に入り、勉強していた彼が、憲法がこんな簡単に解釈によって捻じ曲げられてしまうことにショックを受け、勉強に身が入らなくなってしまったという。これからの若者が未来に希望を持てない国なんて、この国は終わってしまう・・・。この判決一つで、希望を抱いて歩いていけるか、絶望で前に進めなくなるかがかかっているのだ。最後の竹内さんの証言では、大人である私達ができることはなんだろうと考えさせられた。立場とか職業とかそんなもの一切超えて、一人の人間として、向き合わなければいけない時期に入ってきている、本当にそう思う。

新型コロナに翻弄される今、全世界の誰もが他人事ではなくなってきている。それぞれが自分事として真剣に立ち向かう時期に来ているということなのだろうか。

「平和の灯」

広島の平和記念公園から分火した、「平和の灯」が松本市役所の庁舎前に灯されています。

戦後70年にあたる2015年に、「一人ひとりが命を大切にし、永久に平和であることを願い、平和を創る取り組みを広げるための市民の平和のシンボル」として置かれました。

松本市には「平和推進課」という部署もできました。

戦後75年の8月25日、反核平和の火・リレーが出発しました。1982年にはじまり、毎年広島で採火していましたが、今年は松本市の「平和の灯」からの採火となりました。県内の多くの青年、女性がトーチをもって走り77市町村に要請行動を行ってきましたが、今年はやむなく要請行動のみです。

「核兵器禁止条約」に批准した国は44か国になり、発効にはあと6か国が必要です。

日本が批准して、世界の平和を願う人々とつながることが、永久の平和を創ります。

平和の灯

2019年の反核平和の火リレーで走るランナー

炎暑の花

人も草木もしおれそうな厳しい暑さの中、白、桃色、紫などむくげの花が色あざやかに咲いています。「無窮花(ムグンファ)木」ともいわれ、7月から10月まで咲き続けます。

古くから朝鮮半島の人々に愛されている花で、松代大本営の朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑の前にもむくげの花が咲いています。

松代大本営追悼碑を守る会が1997年に犠牲者の故郷のむくげとレンギョウを植えて慰霊をしています。追悼碑建立25周年を迎え、8月10日に犠牲者を追悼しました。

【アフターコロナの時代に「分断」と「対立」を乗り越える価値観を】

今後も新型コロナウイルスの感染拡大による罹患者や死者の増加が一番心配ですが、一方コロナ危機は、ここ30年間の新自由主義下における人々の意識の変化をむき出しで見せつけています。競争社会での敗北者・脱落者や、同調圧力に反発する人々は、「自己責任」論で切って捨てられ、口汚い誹謗中傷が露骨に浴びせられています。特にインターネットでの匿名の世界では、ヘイトな罵詈雑言が大量に飛び交っています。社会が余裕を無くしているのか、人々の心がすさんでいるのか。アフターコロナの時代には、分断と対立を乗り越える価値観が社会に広がるようにしたいものです。

WEBサイト制作を開始

長野県平和・人権・環境労働組合会議では、ご案内の専用WEBサイトを製作開始しました。

皆様にご案内できるサイトつくりを目指して。