21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

~明日の労動運動を考える~21世紀の労動運動研究会 第1回講座「若者の労動と貧困」(講師:渡辺寛人氏)

若者の貧困と労働問題に取り組むPOSSE

「〈第18期〉21世紀の労働運動研究会」が、5月24日(金)、須坂市勤労者研修センター(須坂市)で開かれ、第1回講座として「若者の労働と貧困」というテーマでNPO法人POSSEの渡辺寛人氏に講演いただきました。須高地区の若手組合員を中心に、オンラインと会場参加あわせて約50人が集いました。

渡辺寛人氏には事務局長を務めるPOSSEでの若者の労働・貧困問題への取り組みを中心に、ブラック企業や非正規雇用の広がる無秩序な労働市場、多様な背景をもつ人が共闘する非正規春闘のたたかい、家族から逃走する若者たちなどについて詳しくお話いただきました。「ふつう」の暮らしが困難になっている日本社会の現状を変えていくにはどうしたらいいのかを考える機会になりました。講演後、長電労組の飯川書記長は「私たちには既存の労働組合というしっかりとした母体がある。まずはそこから労働組合運動を形骸化することなく、しっかりと運動をすすめていこう」と呼びかけられました。

講演する渡辺寛人氏(須坂市・勤労者研修センター)

現場からの報告

講演と合わせて、「現場からの報告」として私鉄県連・長野電鉄労働組合からは、運転手不足(25人不足)のため長野市内路線バスの日曜日運休など公共交通の厳しい現状が報告されました。またアトリオン製菓労働組合からは、明治産業からアトリオンに会社名称が変わり経営陣も変わったこと、次世代を担う若手執行委員の育成の取り組みなどについて報告していただきました。

【講演概要】

現場と研究の両輪で活動。活動に関わったきっかけは2008年のリーマンショックと「年越し派遣村」。テント村ができ、炊き出しが行われ、ボランティアに参加してPOSSEのメンバーと出会った。2000年代の非正規雇用問題の中心は若者だった。就職氷河期のため大学を出ても就職ができないひとがたくさん出て、派遣労働や契約社員やアルバイトという形で、若者中心に増えていったのが2000年代。企業は正社員雇用を減らす、政府も派遣法の規制緩和をすすめ非正規雇用の活用を促した結果だった。しかし当時の非正規問題の語られ方は、「若者はダメになった」という若者バッシングが強かった時代。「フリーターやニートという言葉もその頃から使われるようになった。ニートの本来の意味は教育や職業訓練を受けられていない若者という英国発の概念だったが、日本では働かないダメなやつみたいな使われ方だった。若者がダメになったから非正規雇用が増え格差貧困が拡がったという論調が強かったのが2000年代。

渡辺氏が編集長を務める雑誌『POSSE』最新号(Vol.56)では「春闘」が特集されている

雑誌「POSSE」(堀之内出版ウェブサイト)

https://info1103.stores.jp/?category_id=560eae663cd482ff5d0013d8

■若者が若者自身の手で若者バッシングに対抗

活動の中心は労働相談、生活相談など。年間4000件くらいメールや電話で相談が寄せられる。活動のコンセプトは、相談を受けながら、相談を受けたことで、職場・業界・社会システムの問題に繋がっていることが多いことがわかる。労働・生活相談を受けながら、なぜこのようなことが起こるのかを調査研究して社会に発信して世論を動かしていく、社会の側を変えていくことで、今の労働環境をよくしていこうと活動している。社会をどうやったら変えていけるか模索しながら活動している。

NPO法人POSSEとは?

POSSEは、2006年に若者の労働・貧困問題に取り組むNPOとして発足。英語で「仲間」のこと。ブラック企業と闘い、労働環境を改善するため、働く仲間が力を合わせるという意味を込めた。メンバーは20代を中心とした若者で、労働・生活相談、労働法教育、調査研究、雑誌発行、社会発信などに取り組んでいる。2014年からは、「総合サポートユニオン」を立ち上げ労働組合運動を展開。2019年にはPOSSE外国人労働サポートセンターを立ち上げ、外国人労働者の支援も開始。

NPO法人POSSE
https://www.npoposse.jp/

総合サポートユニオン
https://sougou-u.jp/

POSSE外国人労働サポートセンター
https://foreignworkersupport.wixsite.com/mysite

■「ブラック企業」という言葉のインパクト

リーマンショック以降、大卒正社員からの相談が増えてくる。世の中では、正社員勝ち組、非正規負け組という風潮だったが・・・正社員が自分から辞めて、生活苦に陥っているという相談が増えた。これまでの「終身雇用」「年功賃金」などの日本型雇用のない世界が見えてきた。正社員の責任だけは重いが保障はないという「あたらしい正社員」のようなものが出てきた。若者の労働環境の変化を問題提起したのが「ブラック企業」という言葉だった。POSSE代表の今野晴貴の著書『ブラック企業』がベストセラー、流行語大賞などでメディアや世間でも使われるようになった。自己責任論を転換していく契機になった。

■自己責任論ではない思考ができるようになった

賃金未払いやパワハラなどがあっても、相談者は自分が悪いと思っている。自己責任を内面化しているひとが多かったが、「うちの会社ブラックかもな」という問いの立て方自体が、最初から自己責任論ではない思考ができる考え方。しかしそれだけで会社がよくなるわけではないので、具体的な交渉、賃上げ、労働条件の改善を求めて行動していくために総合サポートユニオン、ブラックバイトユニオンという労働組合を設立した。2018年頃からストライキを武器に自分たちの労働条件を自分たちで改善していくことに取り組んでいる。2018年の東京駅の自販機のベンダー(補充員)のストライキが契機に。東京駅で働く20人くらいの補充スタッフの内10人が労働組合に加入。「ストライキやります。補充しません」というアクションがネットも含めて広く支持された。

■POSSEの近年の取り組み

大人食堂の取り組み。子どもの貧困は親の貧困なので、それを無視できない。コロナ禍の変化では、若い人、女性が多くボランティアに参加するようになった。今は20代前半のひとが中心になっている。

■ブラック企業

80年代、特に90年代以降に出てきた新興産業は、サービス産業(IT、飲食、小売り、福祉系)。震源地はIT産業だった。

■ブラック企業の手口~選別型の事例

ブラック企業問題を告発していくことになる最初のきっかけだった。正社員なのに自分から辞めてしまう。雇用保険は自己都合退職だとペナルティで、すぐにはお金がもらえず、貯金もたいしてない状況だと生活に困窮してしまう。そういう状況に陥ってからPOSSEに相談してくるケースが多い。組織的に行っていたことは、その会社の総務の方からもセクハラの相談がきたことでわかった。

■「予選落ち」と告げられ自殺

2000年代、2010年代にトライアル雇用(試用期間なども)が増えた。この会社は、すぐには正社員で採用せず、半年間の自称「予選制度」を設けていた。小さい頃から気象予報士になりたくて、国家資格を取得して、ウェザーニュースに就職。半年間の予選を勝ち抜くために、多い時に月200時間の残業をする。月80時間で過労死ラインが超えると言われているので、3倍近い残業をしてがんばったが「予選落ち」を告げられ、翌日に練炭自殺してしまう。遺族が会社を訴えて事件になっていった。

■働けなくなったら使い捨てる~使い捨て型の事例

選別はしないが、低賃金・長時間労働で使い捨てていく手口。固定残業代という仕組みが非常に特徴的。あらかじめ月の残業代を給料のなかに組み込んで手当として支払う制度。賃金を水増しして人を集める。スライドは日本海庄やのケース。当時の同社のHPにあった「月給19万6400円」は、日本銀行の初任給より高かったが、入社後に80時間の固定残業代が組み込まれていることを告知された。

■最近の労働相談で増えている「いじめ」の問題

東京都の個別労働紛争の相談内容も、この10年で「いじめ・いやがらせ」が最も多くなってきている。なぜこのような理不尽な加害行為をして会社の方も放置しているのか。労働条件が低いまま、業務量が増え、責任が重くなることで、ストレスがたまりやすい職場になってきている。本来は経営側の責任なので、労働組合から労働環境を改善するように求めていくことが健全だが、労働組合が機能していない職場も多い。そのストレスが、職場の同僚、ちょっと器用ではないひとに向かってしまう。本来同じ労働者なので団結して経営側に労働環境を改善していくべきだが。目先の利益を優先する経営になっていることと、近年の人手不足の中で人が育たないということが追い打ちをかけている。

■従来の正社員とブラック企業の違い

終身雇用・年功賃金などの福利厚生などの保障は強かったが、全国転勤あたりまえ、残業命令拒否できないなど昔から日本の働き方は広範な指揮命令権があった。今は保障がないのに企業の命令が強いままの企業が拡がっていて、それを「ブラック企業」と私たちは呼んでいる。しかし従来からの正社員も賃金が上がらず保障がない労働市場の方に引っ張られている状況がある。

■非正規雇用、貧困の広がり

正社員もきついが、非正規雇用も大変な状況。ブラック企業を一度経験してしまうと、正社員で働くことがトラウマになってしまう人もいる。正社員をドロップアウトすると家族が支えるしかない。最近、中高年のひきこもりも言われているが、学校時代から不登校になって、ひきこもりという人もいるが、労働を経験してドロップアウトしてひきこもりになる人もかなり多い。

2000年代は若者中心だったが、現在は若者だけではなく全世代にわたって広がっていて働く人の40%が非正規雇用労働者となっている。主婦パートのように誰かが稼いでくれているのなら直ちに問題にはならないが、今の問題は、自分で稼いで自分で自立しないといけない非正規雇用労働者が増加していること。日本の最低賃金制度では、東京都は1,113円で、長野県は948円となっているが、どうしてこんなに低いのかというと、養ってくれる夫がいる主婦パートを基準にして設計されているから。1人で食っていくには足りていない水準が日本の最低賃金。近年あがりつつあるが1500円くらいは必要と推計されているのでまだまだ不十分。東京の最賃でも全然足りない。国際比較すると韓国の方が最賃が高い。

■コロナで顕在化したサービス業の非正規女性

ブラック企業の多い新興産業もサービス産業が多かったが、特に2000年代以降の日本の産業構造を見ていくとサービス経済が中心になってきている(高度経済成長期は建設・製造業が牽引して経済成長していたが)。サービス産業は、正社員が少なく、非正規雇用が多い部門。とりわけ医療福祉部門がこの20年で倍増している。サービス経済化が進み必要になった雇用者数のほとんどを女性が進出することでまかなっている。その多くが非正規雇用労働者。それまで家庭にいられた女性たちが労働市場に吸収されている状況。

サービス経済化、ケアワーク化を女性が中心に担ってきている。そこにコロナ禍が襲い、宿泊・飲食サービス業などで、非正規の人を中心に休業補償がされない、シフトに入れないなどの被害が大きかった。その多くが女性で、また女性は家庭のケアの責任も負わされているので、労働市場で排除されながら家庭の責任も負わされるという状況が生まれた。コロナ禍の被害は女性を中心に現れてきた。

■年功賃金の縮小

なぜ女性が働かなきゃいけないかというと、男性の賃金がこの20年で非常に低下している。年功賃金を受け取れる男性正社員の数が減少している。逆にこの20年で年収300万円未満の割合が増加している。

■あがらない女性の賃金

男性の賃金は下がっているが、女性の賃金はまったく上がっていない。女性が何らかの形で男性に依存しないと生きていけないような状況。この20年は男性の賃金が下がっていき、女性の賃金は変わらない。また物価高騰・インフレによって生活にかかるコストはむしろ高くなっている状況。

■専業主婦モデルが成り立たない

結果、共働き世帯が増加し、専業主婦モデルが成り立たなくなっている。働ける子どもはアルバイトなどをする。みんなが働いてなんとか「ふつう」の生活を維持しようという「多就業家族モデル」に移行している。しかし相変わらず女性に家事や家庭のケアの負担が押し付けられていることが多い。家族の中でケアを担う人がいなくなることからヤングケアラーというような子どもがケアの担い手になっていることが社会問題になっている。

■男性の賃金が下がり「ふつう」の生活が困難に

一昔前の「ふつう」の生活をしようとすればするほど苦しい状況になっている。

■若者の貧困の実態

労働市場で包摂されていればいいが、労働問題が発生すると労働市場から出ていくことになる。日本の場合、失業補償、雇用保険とか生活保護とかが全然機能していない。働けなくなった場合、家族が生活の面倒をみることになる。ひきこもりという形で、失業が隠されてしまう。ひきこもりと言われているが、失業問題だ。支える家族の負担も増え、働くようにというプレッシャーから家族関係が険悪になり、家族から逃げ出した人からの相談が最近多い。ネットカフェや友人・知人宅に居候するなど、路上には出てこないが、安定した住まいも仕事もない状況に陥っている。若者の貧困が深刻化しているが不可視化されている。

■失業できる社会にしていくこと

きちんと失業補償の制度を作っていくことが必要で、失業できる社会にしていくことも重要。若者が自立できるための住宅手当もないし、家賃の安い公的住宅も非常に不十分。生活保護など公的な社会保障で生活を成り立たせるようにしないと家族が壊れてしまう。

■家族から逃げ出す若者

ジェンダー差があり、女性の方が労働自立のハードルが高く、家族への依存度が高いが、親・夫/パートナーへの依存も困難になっている。生活保護くらいしかないので生活保護を使って「自立」しようという支援をPOSSEではしている。

おそらく地方と都市部で「生活保護」の課題は変わってくると思うが、若者の労働をカバーしながら、家族が共倒れするまえに生活保護を活用して支援していく。しかし生活保護のハードルは高い。本来、生活保護は誰でも申請できるが、行政の現場では「水際作戦」といって「若いんだからハローワークに行ってください」「若いんだから家族を頼れるんじゃないの」「お父さんどうした」「家族と一緒に来てください」などと言って申請させずに追い返すことが横行している。

東京などでは無料定額宿泊所という貧困ビジネスと呼ばれる施設が多くある。ホームレス状態で申請にいくと「施設に入れ」と言われる。最低生活費13万円の内、10万円くらい施設にピンハネされたり、ベニヤ板の間仕切りの部屋だったり南京虫がわいていたりするなど劣悪な環境の施設で生活することを行政に強いられている。そうではなく地域でアパートを借りて生活できるようにPOSSEでは支援している。

■若者の労働と貧困に取り組む

これまでの労働組合に組織されていない、非年功型のブラック企業などの正社員、家計自立して自分で生きていかないといけない非正規雇用労働者、地域のなかで必要なサービスを提供しているのに非常に不安定な状況で働かされている非正規公務員(会計年度職員)など、エッセンシャルな仕事を担っている人達の扱いが非常に悪い。

非正規雇用では、主婦パートを前提にした最低賃金規制があるだけで、企業ごとの賃金の基準や賃金を上げる論理などが存在せず、経営者の属人的な恣意的な判断になっている。非常に無秩序な状況が広がっている。5年~10年働いている熟練のパート・アルバイトより最近雇った人の方が賃金が高いというような無秩序な労働市場になっている。円安・インフレの影響で支出ばかり上がっているが、賃上げの流れから取り残されている。

■このままでは社会が壊れてしまう

ちゃんと働いたらふつうに生活できるだけの賃金が得られるようにしないといけない。どういう論理で要求していくのか。非正規の人は、かつてのような年功賃金はもう要求できないので、きちんと仕事の内容に対する評価をして、責任の重い仕事をしていたら、それに応じた賃金要求をしていく。また、生活賃金(リビングウェイジ)という考え方があって、働いたら一人前の生活が成り立つだけの賃金を払いなさい。それが少し前の試算では時給1500円だったが、1500円でもきついと言われている。日本社会で、ふつうに暮らしていくのにどれくらいの賃金が必要か明らかにしていく作業をして、それに基づいて要求していくことが必要。

群馬県の桐生市のケースでは、介護の仕事をしている人が時給1100~1000円で、スーパーのレジ打ちの仕事が時給1300円~1200円という状況がある。生活のことを考えると介護をやめたほうがいいことになる。人材不足のなかで小売り・飲食は賃上げしているが、介護などのケアの仕事の賃金は公定価格、介護報酬などの政策で決まるので低いままに留め置かれている。これを放置していたら介護するひとがいなくなる。仕事の内容をきちんと評価して賃金をあげていかないと社会が壊れる。働いて生活が成り立つことをどうやって実現していけるかが課題。

■非正規春闘のたたかい

賃上げされていないという人が8割。非正規春闘に取り組んでいる。2024年の成果は現在まとめている。

■ABCマートのパート春闘支援

POSSEはABCマートのパートの春闘を支援した。ABCマートはインフレ・物価高騰のなかで賃下げした。それに怒った女性のパートの人から組合に相談がきた。ストライキなども行うたたかいをして、パート5000人の6%の賃上げを勝ち取った。今の物価上昇ではそれでも足りないが。非正規の労働者をきちんと組織して労働条件を改善していくことが重要な状況。

■いろんな背景を持つ人の「共闘」が生まれている

労働運動というとどうしても男性・正社員が中心になって、歴史的にも男性・正社員の企業別労働組合を中心に組織され、おじさん中心のイメージが一般的には非常に強い。しかし非正規春闘ではいろいろな属性・背景をもった人達が中心になってたたかう運動になっている。

■労働組合が注目されている時代

非正規労働者の低処遇は恣意的で、差別的な理由で正当化されてきたが、社会にとって必要不可欠な労働をしている人達。今回の非正規春闘もまだまだ運動として広がりは不十分で、当事者の組織も充分広がっていないが、これまでの労働運動で排除されてきたような人達が繋がって、非正規の賃金・労働条件を改善していくことに結集して声をあげているところに非常に大きな意味がある。

今こそ労働運動がどんなふうに存在感を発揮して新しい社会をつくっていくのかを問われている時代。この20~30年でいちばん労働組合が注目されている時代になってきている。POSSEでもいろいろ取り組んでいきたい。皆さんも働きながらで大変だと思うが、組合活動に意義がある時代になってきている状況なので、交流しながら一緒に運動を広げていけたら。

■質疑応答

Q POSSEではどういった発信をしていますか?

SNSでも発信しているが、代表の今野がYahoo!オーサーとして、Yahoo!ニュースや様ざまなメディアで労働問題など発信している。労働問題はどれだけみんなに関心を持ってもらえるかが重要と思っているので、介護など社会のインフラを担っている方々の労働の在り方がこれでいいのかということを多くの人に関心を持ってもらえるように意識して発信している。

Q 東京に行けばなんとかなると考え、地方から東京に出てくる若者が多い。その前に地方でなにかサポートができたらと考えている。アドバイスをください。

家族から逃げ出す若い子が非常に多い。アルバイトをしても家から出て自立できず家族と暮らさざるを得ない。そこでは虐待や家族との不和などいろいろあって、東京に出て来る理由が仕事を求めてではなく、家族から逃げるためという理由になっている。最近はオンラインライブ配信などで繋がって、その人を頼って居候しているというようなケースが多い印象がある。地方で、親元を離れて自立生活できるようにしていくことが必要だが、そういう方と繋がることは容易ではない。しかし相談窓口を設けて支援に繋げるモデルケースなどができたらまた変わっていくと思うがなかなか難しいだろう。

Q 定時制高校の教員から相談を受けて動いているが、子ども食堂や支援センターなどと連携して動いていくことも大事では?

若者ということで18才以上の支援が中心だが、18才未満は親との関係も複雑なので児相が介入するなどないと親から引き離すのは大変。距離をとることが大事だと考えるが、どういう体制を地域でつくれるか。若者の貧困、家族の崩壊のなかで非常に重要な課題だと思う。

7月20日・松本市で2回講座を開催

次回の講座では鶴丸周一郎氏から「コミュニティユニオンの現在とこれから」というテーマで、若者、女性、非正規労働者、外国人労働者からの労働相談と組織化について講演いただきます。

~明日の労動運動を考える~21世紀の労動運動研究会
第2回講座「コミュニティユニオンの現在とこれから」

講師:鶴丸 周一郎 氏(名古屋ふれあいユニオン運営委員長)
日時:7月20日土曜日 13時30分~
会場:松本市勤労者福祉センター 2-1
   松本市中央4-7-26(電話 0263-35-6286)

◆Zoomからも参加できます。

ミーティングID 816 6355 7440 パスコード 777222

 

渡辺一枝さん主催の今野寿美雄さんと行く福島被災地ツアー

2024年4月5日(金)、6日(土)、7日(日)の三日間、渡辺一枝さん主催の福島被災地ツアーが行われた。私を含め女性4人での参加。そこには、原発事故から13年が経ち、知らないうちに大きく変容していっている福島があった。住んでいた住民をほったらかしにして国家プロジェクトが進められている被災地の現状に、どうにも頭が付いていかないという感じだ。

 

浪江町津島の帰還困難区域

まず最初に向かったのは、浪江町津島の帰還困難区域。ナビゲーターの今野寿美雄さんのご実家を見学させてもらう。今野さんは原発技術者で、311当時は原子力関連の電気設備や機器の点検作業にあたっていた。被災後は「子ども脱被ばく裁判(親子裁判)」の原告団長でもあり 他の原発関係訴訟の支援もしている。

帰還困難区域に入ると、車中で0.82マイクロシーベルト。

今野さんのご実家の中。

 

 

 

 

 

 

 

 

帰還困難区域に入る前に、スクリーニング場で防護服等に着替える。フクイチの5号機内を見学した時ほどではないものの、まあまあの物々しい雰囲気に緊張する。全員が着替え終わるといざ出発。数値が0.3マイクロシーベルトを超えると音が鳴るように設定してある線量計が車内で鳴り始めた。(※この辺りの事故前の放射線量は0.04マイクロシーベルト)その音以外は、緑が美しい平和そのものの野山の風景がそこにあった。そのギャップに戸惑いながらも車は進んでいく。ご実家の中での線量計の数値は1.46マイクロシーベルト。内部は、野生動物が入ったそうで荒らされていた。先祖代々の遺影が飾られてあり神棚も立派で、大きなおうちだったことがわかる。ここに残されたものは、汚染がひどいため持っていけなかったもの。それでも位牌だけは持ち帰ったそう。今野さんの長兄が継いで牧場を経営していたので、住宅の隣には牛舎があった。牛はすべて遠くの牧場に引き取ってもらったそう。

カレンダーは2011年3月

牧場を経営していたご実家の敷地には大きな牛舎があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今野さんのご実家での滞在1時間で浴びた積算線量は0.7マイクロシーベルト。毎時3.8マイクロシーベルト(μSv)浴びると年間被ばく線量20ミリシーベルト(mSv)に相当するそうだから、この1時間ですでに一年の五分の一を浴びたことになる。放射線・原子力利用を行う操業者は、事業所境界の住民に対して年間1ミリシーベルト(mSv)を超えることがないように操業責任を課しているのだから、相当な線量を浴びたことになる。13年経ってもいまだにこんなに線量が高いことにただただ驚くばかりだ。当時は、すぐ近くの浪江高校津島分校が避難所となっていて、15日朝まで学校には8,000人が避難していた。その後、線量が高いことが分かり全町避難となった。高校を過ぎたところで、線量は0.29マイクロシーベルト。フロント部分に「除染土壌(大熊)」のプレートをつけたダンプカーが走っている。大熊町の中間貯蔵施設に搬入しているという。また、2015年に設立された広野町のふたば未来学園は、「双葉郡の学校教育の復興を目指して創設された中高一貫の県立校。令和2年度より文部科学省「地域との協働による高等学校教育改革推進事業(グローカル型)」の指定を受け、地域企業との連携や国際交流を取り入れた教育・学習を実践してきました。」とあるが、今野さんに聞くとここは 廃炉の人員育成の学校だそう。有名人の講師を呼んだり寮も完備されている。イノベーションコースト構想の一環なのだろうか。

このフレコンバックの山は、汚染が高い帰還困難区域のもの

4キロに渡る太陽光発電システム。

車中から見る耕作不可の土地には、4キロに渡る太陽光発電システムが広がっていた。大和エネルギー(株)による電気畑という。これも関東に行く電気で、ここはもう自然には返せない場所となってしまった。

 

浪江町役場と復興住宅

浪江町役場のすぐ隣には真新しい全10戸の復興住宅ができていた。8戸が入居していて、うち2戸がもとからの町民、残りの6戸は主に都市部からの移住者だという。浪江町の人口は、事故前2万1000人だったのが現在2000人(1000人がお年寄り、1000人がいずれかの企業などの従業員)。住む人がいなければ行政が成り立たないのは確かだが、何も知らずに子どもを連れて移住してきた母親は、近隣の線量の高さに驚いたそう。葬祭場は新しくなったが、双葉町の自動車教習所は子どもがいないので、大型免許や重機の免許をとる大人のみの利用となっている。

浪江町役場

町役場となりの全10戸の復興住宅

近くにできた「ふくしまいこいの村なみえ」という施設は、大浴場やカラオケルームを備えた宿泊施設。コテージタイプの宿泊棟はかつて仮設住宅として使用されていたものを移設。中庭では、BBQが楽しめるほか、集会所では雨天時のコミュニティスペースとして活用できる。企業の社員研修などに使われているが、公園の汚染がひどいとのことだった。

ふくしまいこいの村なみえ

バリケード通りの線量は、0.13マイクロシーベルト。

 

しばらく行くと、オリンピックの聖火ランナーで話題になった双葉駅が見えてきた。その向かいには、13億円をかけて作られた双葉町役場。そこにはイノベーション構想の一つ、水素で走る移動販売車が停まっていた。ただ、この立派すぎる施設をどれだけの町民が利用するのだろう。お金のかけ方がまったく解せないと感じてしまう。

双葉駅とコミュニティセンター

駅の向かいにある双葉町役場。水素で走る移動販売車が停まっていた

 

双葉町産業交流館と東日本大震災・原子力災害伝承館

しばらくして車は、双葉町産業交流館に到着。屋上にのぼって、フクイチや中間貯蔵施設など周辺一帯をを⽬視する。屋上からは、津波ですっかり流されてしまった請戸地区も確認できる。断層が3メートルずれて、70センチの地盤沈下が起きたため、小高地区の山を削ってその土をかさ上げした。山を削っての環境破壊、自然をないがしろにする人間の傲慢さがここにも垣間見える。請戸小学校の一角に置かれた複数のカエルの石像。カエルの視線の先には福島第一原発。「こいつらが原発を〝監視〟している」これは避難した人が抗議の思いを込めてここに置いた「帰れないカエル」だ。請戸港には500件の家と田んぼがあった。以前の姿を知る今野さんにとって、更地だらけの光景はどう映るんだろう。

双葉町産業交流館

屋上から周辺を目視する参加者

フクイチが遠くに見える

中間貯蔵施設についての説明書き

建設費用53億円の双葉町の東⽇本⼤震災・原⼦⼒災害伝承館は、高校の修学旅行にも訪れる。

東日本大震災・原子力災害伝承館

原発を監視する帰れないカエルたち

 

福島イノベーションコースト構想関連施設

アメリカのハンフォードをならったとされる福島イノベーションコースト構想関連施設の全体が見える丘にのぼった。福島イノベーションコースト構想とは、官産学連携3,000人規模のエフレイ(Frei)が主導する国家プロジェクトだという。ここはその実証地。いつの間にこんなプロジェクトが動いていたのか・・・、日本人はみんな知っているのか・・・。浪江の町が大きく変わる・・・。国は、原発事故をなかったことにして歴史の上書きをするつもりなのか。

海光(かいこう)の丘からの眺め

浪江町にできた広大な施設

東北復興のためとアイリスオーヤマが浪江町の土地を買い取り、米を生産したり、東北電力がかつて原発設置を計画していた町沿岸部の土地のうち約24ヘクタールを活用し、浪江町の主力産業だった酪農の復興に向けて100億円をかけて、大規模な牧場を整備。

他に福島ロボットテストフィールドというドローンの滑走路ができたり、太陽光パネルを水素に変換する施設や、60台の燃料電池車。隈研吾設計で浪江駅(0.193マイクロシーベルト)が新設されたが、近隣に住んでいる人はほとんどいない。家が建っていても住んでいないのが現状だという。中間貯蔵施設は植樹をして木で見えなくする計画。大熊町役場と復興住宅が並ぶ大熊コンパクトタウンは35億円をかけて作られた。多額のお金が動き、そこに企業が群がっていると聞いた。

 

南相馬市小高の「おれたちの伝承館」

ここは民営で、今野さんもかなり関わってできた大切な場所だという。ジャンルはさまざまで、被災した当事者たちの声が作品にあらわれている。そこにいると作品を通して思いが伝わってくるのだ。先ほどまで見学してきた「東日本大震災・原子力災害伝承館」やイノベーションコースト構想などに、どこかで違和感を感じていた自分だったが、ようやく共感できるこの場所で本来の自分を取り戻したような気がした。

                 

 

大熊コンパクトタウンと学び舎ゆめの森

⼤熊町役場と周辺の復興住宅がコンパクトにまとめられた町には、建設費用45億3900万円かけて作られた小学校「学び舎ゆめの森」という立派な建物が目を引く。しかし2023年度の生徒数は26名、職員はその数倍。図書室には50万冊の本とブックコンサルタントが常駐している。

 

夜ノ森桜まつり

ちょうどこの日は、富岡町に春を告げるイベント「夜ノ森桜まつり」が13年ぶりに開催された。富岡町夜の森地区にある「夜の森公園」をメイン会場によさこい踊りなどが披露される。このお祭りがなくなったことは、浜通りに住んでいたものにはかなり残念でならなかったがようやく再開と嬉しく思ったが、あいにくの雨の中のお祭りとなった。

 

富岡町アーカイブミュージアム

1階が常設展示室とタウンギャラリー、2階が収蔵エリアの町営の施設。受付で配布されるリーフレットには、「ふるさとを想い、まもり、つなげる、拠点施設です。みなさまへお伝えしたいのは、富岡町という『土地』と私どもが経験した10年間の出来事です。(2021年7月11日に開設)2011年3月11日までは、そこには『あたりまえの日常』が溢れていました。しかし、東日本大震災の影響で生じた原発事故は、富岡町で暮らすという『あたりまえの日常』を、突然奪いました。3月12日、町民は、違う土地で暮らす覚悟ができないまま、ふるさとを離れました— 当館は、富岡町の『特徴』と、この地域で生じた自然災害・原発災害の『特徴』を展示しています」と記されている。

双葉町に在る「東日本大震災・原子力災害伝承館」は県営でここは町営と、どちらも行政が設置した公営の施設だが、リーフレットの文言からも分かるように、展示の姿勢が全く異なっている。被災前のこの町の暮らしを丁寧に伝えながら、原発災害の様子もしっかりと伝えている。これこそが本来の姿だと感じる。

 

東京電力廃炉資料館

東京電力の施設。見学は1時間と限定されていて、事前に入館時刻と人数を伝えて申し込む。外観はアインシュタイン、キュリー夫人、エジソンの生家をモデルにしたという建物で、事故前は原発の有用性をアピールする「エネルギー館」だった。
事故後に「原子力事故の記憶と記録を残し、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓を社内外に伝承することは、当社が果たすべき責任の一つです」として廃炉資料館としたのだが、見学時間が1時間と限定されて、職員の説明を聞きながら館内を回るのでどこかをじっくり立ち止まって見たり、もう一度戻って見直したりということができない。流れ作業のように「見せられる」施設という感じだ。

 

Jヴィレッジ駅

 

宝鏡寺「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ 伝言館」

館長だった早川篤雄氏が2022年末に亡くなった後、原子力損害賠償群馬訴訟原告・ALPS処理汚染水放出差止訴訟原告事務局の丹治杉江さんが責任者となって、訪問者を受け入れている。
東京電力福島第二原子力発電所建設計画が持ち上がった1970年代から、当時高校教師だった早川さんは教師仲間や住民たちと原発設置反対運動に取り組み、1975年には「福島第二原発設置許可処分取消」を求めて福島地裁に提訴した。この裁判は地裁、高裁で敗訴し、最高裁では原告の上告棄却で敗訴したが、早川さんは、この原発計画が持ち上がった時からの新聞記事・その他の資料を保存していた。
2011年の原発事故の翌年2012年からは「福島原発避難者訴訟」の原告団長として闘ってきたが、事故から10年目の2021年の節目の日に、この伝言館を開設した。館内には早川さんが保存してきたたくさんの資料が展示されている。丹治さんは群馬訴訟の原告として闘ってきた自身の信念に重ねて、早川さんの遺志を継ぐべく伝言館の灯を消すまいと頑張っている。
丹治さんから館内の案内と熱い言葉をたくさん聴いたことにより同じ思いを共有でき、また自分を取り戻すことができた。

 

いわき市湯本温泉「古滝屋」旅館

 伝言館を後にして一路、古滝屋へ向かった。いわき市出身の自分には老舗のなじみ深い旅館。ここのご主人がずっと原発事故以来、活動をしてきたということに感動した。地元でこのような活動をすることの大変さは計り知れないことと思う。ましてや旅館を経営しているのだから。お会いしてお話するのがとても楽しみだった。館内に設置された「原子力災害考証館」の見学は明日に回して、まずは広々とした温泉で気持ちよく汗を流した。その後の夕食は、当館館主の里見喜生(よしお)さんも同席しての和やかな会食となった。

 

原子力災害考証館

朝食後に9階の考証館へ。
古滝屋旅館館主の里見さんは3・11後、各地から集まるボランティアの受け入れや、自宅が被災して寝る場所を失った受験生に宿を提供するなど自らもボランティアとして活動していながら、原発事故に思いを馳せてきた。そして旅館の宴会場だった20畳の大広間を、原子力災害について私たち一人ひとりが考える場にすることを決めた。それがこの「原子力災害考証館」だ。
畳敷の広間の中央に、畳を外した一段低いコーナーを作り、そこには浜辺に打ち寄せられた流木と砂にまみれた小さなスニーカー、水色のランドセルが展示されている。津波で行方不明になった、大熊町の木村紀夫さんの次女、汐凪さんの遺品だ。正面の壁の大きな写真パネルは、ボランティアたちが汐凪さんの遺体を捜索している様子が写っている。
右の壁面には写真家で「おれ伝」館長の中筋純さんが2013年と2020年に同じ場所を撮影した、浪江町の商店街だった通りの写真が上下2段で展示されている。2013年撮影の上段の写真では店の看板を掲げた商店が写っているが、2020年の下段の写真では歯が欠けたように店の姿がいくつも消えている。解体されたからだ。上段に写っている店の一軒は、歌人の三原由起子さんの実家だ。
写真の下の棚に立て置かれた色紙には、「わが店に売られしおもちゃのショベルカー大きくなりてわが店壊す」、由起子さんの歌が書かれていた。本が置かれたコーナーにある由起子さんの歌集『土地に呼ばれる』を開けば、「建物が壊されてゆく商店街なかったことにされているだけ」が心を打つ。
「物」が語りかけ、「ことば」が見せる情景を前にしてこの13年に思いを馳せた。

 

 

コミュタン福島

いわきから三春への道は、雲一つないような青空だった。目的地に向かう道筋の右車窓から見る三春の滝桜は濃い紅色に枝垂れて、今日か明日には花開くようだ。三春は、梅・桜・桃の花がいちどきに咲く地という事から名付けられたという。道中で目にした枝垂れ桜は満開の木もたくさんあって、眼福を味わいながら、目的地に着いた。
コミュタン福島は「ふくしまの今を知り、放射線について学び、未来を描く」ことを目的に福島県が設置した施設。そして、はっきり謳ってはいないが、来館者は子どもたちを対象にしているように思える。
館内は6つのエリアに分かれている。1、「福島の3.11から」復興へ向かうふくしまの歩みを知ろう! 2、「未来創造エリア」ふくしまの今を知り、ふくしまの未来をともに描こう! 3、「環境回復エリア」放射線や環境創造センターの研究について学ぼう! 4、「環境創造エリア」原子力に変わる新しいエネルギーや、自然環境について学ぼう! 5、「環境創造シアター」大迫力の映像と音響空間!全球型ドームシアター 6、「触れる地球」宇宙から見たリアルタイムの地球の姿を体感 とあり、5の全球型シアター以外の各エリアは手で触れたり操作したりできるゲーム感覚で参加できる。
5の全球型シアターは360度全方位の映像と音響で、浮遊感覚を味わいながらの映像鑑賞となる。国立科学博物館とここにしかない装置だそうだ。
例えは悪いかもしれないが、ここは「学習型ディズニーランド」で、飽きさせずに夢中にさせる屋内遊技場という感じだ。原発事故が何をもたらしたかということや核の危険性やそれを扱う際の倫理観よりも、「放射能は自然界にも普通にあって、原発事故で放出された放射能は怖くはないよ」ということを伝える施設のように思える。
館内には、来館した子どもたちが寄せた感想のメッセージカードが展示されている。学校の授業の一環としてこの施設の見学が組み込まれているのだ。学校と名前を入力すると、子どもが書いたメッセージが見れる仕組みになっている。感想はどれも優等生的な内容で、放射能は怖くないと知らず知らずのうちに教育されているかと恐ろしくなった。

 

さよなら志賀原発全国集会in金沢に1100人が参加

能登半島地震は最後の警告、今すぐ廃炉に
長野県からもバス2台で34人が参加
 

北陸電力志賀原発(石川県志賀町)の廃炉を訴える「さよなら!志賀原発 全国集会in金沢」が6月30日、金沢市のいしかわ四高記念公園で開かれました。午後1時からのオープニングイベント(オサムノグチバンド、9条おんがくたい、和田廣治)に続き、午後2時から全体集会が始まりました。当日は朝から雨風でしたが、全国から1,100人が集まり、会場は熱気に包まれました。

最初に発言したのは志賀原発訴訟弁護団長の岩淵正明さん。岩淵さんは今回の能登半島地震で、東京電力福島第一原発事故のような大惨事を懸念。道路が寸断され集落が孤立したことなどに触れ、「避難計画など絵に描いた餅であり、住民の避難は不可能だ」と鋭く指摘しました。
続いてルポライターの鎌田 慧さん。鎌田さんは原発はカネとウソと買収でやってきたと述べ、「政治を変えないとこのバカげた原発政策は変わらない」と訴えました。
次はこの全国集会を共催した「さようなら原発1000万人アクション」の藤本泰成さん。藤本さんは「安倍~岸田政権が防衛費に43兆円もの税金を注ぎ込みながら、地震で人々が危機に瀕したら雀の涙しかカネを払わない。福島原発の被害を私たち自身が証明し、裁判に訴えないと何もしてくれなかった。一人一人の命の尊厳を一顧だにしない、原発の過酷事故を起しても誰も責任を取らない、そのような無責任な体制がまた、原発回帰を生んでいるのではないですか」と指摘しました。そして珠洲原発を作らせなかった、自らの命を自ら守った珠洲の人たちに心からの感謝の言葉を伝え、会場は大きな拍手に包まれました。
続いて福島から駆けつけた武藤類子さんが、女川から来た日野正美さんが、柏崎から来た星野幸彦さんが、そして東海第二原発原告団の大石光伸さん、島根原発訴訟の後藤譲さん、関西の「老朽原発を動かすな実行委員会」の仲間が連帯のあいさつと決意を述べました。
その後、能登から志田弘子さんが「のとじょ」の仲間とともに壇上に上がり、「あがらえぬ自然の力に小さな半島は歪み、引き裂かれ、息を呑む光景に成り果てました」、「能登は素朴な暮らしを紡ぎ、海山の豊かな恵みを分かち合い、感謝の手を合わせ続けた命の半島です」、「重い荷を背負わせた子どもたちに、わびる思いで私たちが渡せるものは命の未来につなげる希望なのだ、それをなんとか探したいと本日ここに来ました!」と力強く訴えました。
最後に登壇した全国集会実行委員会共同代表の北野 進さんは「今日の集会の熱気を受けて、全国の仲間と一緒に原発のない未来に向けて一生懸命取り組み、まずは全国に先駆けて志賀原発を止めていく」決意を表明しました。また全国の仲間に対して、「次の機会にはぜひ能登にも足を運んで、私たちの想像をはるかに超えた地球の大きな力、そしてそんなところに原発を作った(作ろうとした)人間の愚かさを実感してほしい」と呼びかけました。

その後参加者は原発のない社会の実現を訴えながら、金沢市内をパレードしました。

※記事は志賀原発を廃炉に!訴訟原告団ホームページから引用

集会は雨の中開かれた。

全国から1100人の参加者が

金沢市内をパレードして志賀原発廃炉をアピール

パレードでは多くの市民が手を振ってくれた

パレードの終了後に主催者が出迎え

長野県からの参加者で記念撮影

長野朝鮮初中級学校の公開授業に地域の方や保護者が参観

松本市にある長野朝鮮初中級学校では6月15日、オープンスクール(公開授業)が行われました。地域の方々や保護者など多くの人が学校を訪れ、児童・生徒が学習する様子を参観しました。

日本で朝鮮・韓国人として生まれた子どもたちが、大人になっても在日コリアンとしてのアイデンティティーを保持していくために、自国の言葉、歴史、文化を学んでいく場として朝鮮学校は必要不可欠です。

長野朝鮮初中級学校には、初級部(小学校)、中級部(中学校)、そして幼稚園があり、約40人の児童、生徒、園児が学んでいます。日本社会の少子化の流れが在日朝鮮・韓国人社会にも押し寄せ、1学年の人数が2人から5人という少人数で運営されています。

子どもたちがまじめに明るく学んでいる姿が印象的でした。また、先生たちも情熱をもって、工夫されて授業をすすめている点もすばらしいと感じました。

授業参観が終わった後、体育館で子どもたちが歌や踊りを発表するミニ公演も行われました。

日本語の授業

日本語以外の授業はすべて朝鮮語で

幼稚園児の体操

朗読の発表も

黒板には大きくハングル文字

理科の授業

理科室で顕微鏡を使って

2人のクラスでは向かい合って児童が相談

幼稚園児の折り紙工作でスイカづくり

日本語授業で熱中症について調べたことをプレゼン

幼稚園児の歌の発表

初級部低学年の歌の発表

初級部高学年の児童

中級部舞踊部が民族衣装を着て発表

中級部の生徒は松代大本営象山地下壕で現地学習も

6月1日、長野朝鮮初中級学校中級部(中学校)の生徒が長野市の松代大本営象山地下壕を訪問して現地学習をしました。

生徒14人はまず、「もうひとつの歴史館・松代」の展示場で大本営工事が行われた理由や朝鮮人労働者の生活や労働実態について説明を受けました。

その後、松代大本営追悼碑を守る会のスタッフから、朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑の前での説明を聞きました。追悼碑を建設した目的は「侵略戦争、朝鮮植民地支配の侵略・加害の歴史を忘却することなく継承していくためのモニュメント」というスタッフの話に生徒たちはうなずいていました。

象山地下壕の内部では、工事に使用した削岩機のロット(先端部分)やランタンのススで書かれた落書き(写真)などを見学しました。

地下壕を出た後には追悼碑の前で、生徒たちが事前学習した内容を模造紙に書いて発表しました。

象山地下壕の中で説明を聞く生徒たち

事前学習の成果を発表する生徒たち