21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

2024 フクシマ連帯キャラバンに参加して

 

全港湾などの若い世代の組合員が中心となって活動

長野県原水禁 草野麻理子

今年で13年になる東日本大震災と福島原発事故。3月16日の「原発のない福島を!県民大集会」と20日の「さようなら原発全国集会」に合わせて、今回で8回目となる「フクシマ連帯キャラバン」が開催された。私は、そのうちの17、18日に参加した。

いわき市小名浜のホテルで集合

16日、福島市での集会を終えたキャラバン隊は、宿泊先のいわき市小名浜で夕食懇親会を行い交流を深め、私を含めた二名が翌17日朝、ホテルで合流した。

参加者総勢72人がキャラバン数台でいわき駅前の会議室での学習会に向けて出発。同乗したキャラバンには、部落解放同盟や兵庫県からの参加者らがいて、昨日の様子などを聞いたりこちらの活動を話しながらの道中となった。

学習会では、これまでのキャラバン隊について全港湾東北小名浜支部の矢内誠也さんからお話していただいた。課題として、2011年の福島原発事故を知らない世代にどうつなげていくか、また、能登地震による志賀原発のトラブル、避難経路は土砂崩れで通行不可、日本海側には福井の原発銀座もあり地震も多い地域であること、汚染水の海洋放出がもう既に計4回も行われ、1回あたり7800トンという量であること、作業員のトラブルも散見され、13年経っても廃炉作業が進んでいないことや燃料デブリが1グラムたりとも取り出せていないことを、地元に戻ったら拡げてほしいと話した。

これまでのキャラバンの活動を話す全港湾東北小名浜支部の矢内誠也さん

いわき駅前ラトブにて学習会

いわき市内郷の白土屋菓子店の超特大ジャンボシュークリームがふるまわれた

 

昼食後、一路被災地へ。

この企画は、一人ひとりが必ず福島原発事故を風化させないこと、被害を受けた地域の現状を自分の目で見て、「原発って必要なの?本当の復興とは何か?」を肌で感じ、これからも続く脱原発運動に活かしていくためのフィールドワークという趣旨を聞き、被災地へ向かう車内で身が引き締まる思いだった。

13年が経ち、風化してしまった家

一か所に集められたフレコンバッグ。一部ビニールシートで隠されていた。

人が戻らない中で立派すぎる双葉町役場。隣接する施設も有。

 

震災遺構・請戸小学校

津波の高さを明示している校舎の様子

津波による大きな被害があった請戸小学校が震災遺構として整備され、外観~内部を見学。当時の状況に思いを馳せた。小学校の周りは何もなく、ここだけがポツンと残っているのが印象的。たくさんの住宅や建物があったというのに・・・。小学校の児童と職員は全員無事だったことがせめてもの救いだった。

唯一の鉄筋コンクリート造だったことで、残った。

校舎の全体像。津波により窓ガラスが割れているのがわかる。

津波の影響で折れ曲がったプールの手すり。

慰霊碑(大平山霊園)

 

東日本大震災・原子力伝承館を見学

 

津島訴訟原告団・武藤晴男さんの自宅を見学

津島訴訟原告団の武藤さん、今野千代さん(診療所の元看護師)、馬場さんの案内で、津島小学校、診療所、ご自宅を見学した。避難所となった津島小学校は、津島の人口1,400人のところ、8,000~10,000人が4日間ここに滞在したそう。

武藤さんと今野チヨさんとキャラバン隊の渡辺団長

グランドは隙間がないぐらい車が停まっていて、一番の被害者は子どもだった。何もわからず連れてこられたという感じ。水洗トイレが詰まってしまって、大変困った。畜産農家がバキュームカーで吸い上げようとしたがホースが入らず、結局、青空トイレで済ませた。その後は原発事故避難となり、想定外が連続して起こった。

当時、線量が高いことも知らずにここ津島小学校に避難してきた。

置いてきぼりの軽自動車

モニタリングポストの数字は0.378を示している

当時、浪江町町議だった馬場さん

 

 

<今野千代さん談>

3月11日当日は先生(医師)と事務受付と後輩看護師2人で昼食にカレーを食べた。地震が起きて大変だったため22:00にようやく帰宅。翌12日一斉避難し、診療所に人がたくさん並んでいると聞き、急いで診療所へ。しかし、そんなにたくさんの薬は置いていないので、製薬会社に電話するも電話が通じない。13日になって、福島市から薬を持ってくることになった。チヨさんは原発事故のことをその時まったく知らなかった。浪江の開業医もかけつけた。15日に避難指示が出たが、患者さんを置いていけず、先生とチヨさんともう一人の3人が残った。14日、持病を抱えた避難者の700~800人が診療所の前に並んだが、お薬手帳もなく、何を処方すればいいかもわからず困った。

レントゲン室があったため、線量をガラスバッチで確認したところ、3~4日間で800ベクレル以上(建物内)。事故前は毎回測ると0だった。

自宅は築65年。除染は宅地から20メートルまでと決まっている。ここでの線量は1.3マイクロシーベルト。畑は竹藪と化し、除染はされていない。武藤さんは2つのお願いがあると話す。

①13年経った今になっても、こういうものだと伝えてほしい。

②10万筆の署名活動にご協力を。

屋内の様子

動物の荒らされた中の様子

この後、キャラバン隊は原告団との意見交換、茨城県で東海第二原発の周囲30キロ圏内にある15自治体へ避難計画及び老朽原発20年延長問題を記した要請書を首長へ直接提出する要請行動を行ったあと、東京代々木公園での「さようなら原発」全国集会へ向かった。

県労組会議のロゴマークをつくりました

組織と運動を表現するダブルロゴマークを採用しました

県労組会議のロゴマークをつくりました。組織本体を表すロゴマークと、平和運動などを表現するロゴマークのダブルロゴマークです。必要に応じて2種類のロゴマークを使うこととなります。

ロゴマークの色として、緑が環境、ピンクが人権、黄色が平和のカラーイメージが組み合わさることで、憲法の3原則「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」を表しています。

また、組織本体ロゴは、人と人が組み合わさって地域をつくる運動を表現。運動ロゴは、平和の象徴である鳩をイメージしています。

いろんな場面で使用して広げていきたいと思います。

組織を表現する本体ロゴマーク

平和運動などを表す運動ロゴマーク

 

 

 

「未来は女の一票で!」「金権マッチョ自民にNO!」

女性だけの行動-長野駅前で第2回フェミブリッジ・アクション

信州市民連合の女性のみなさんが中心となって3月17日、長野駅前で13時から14時までの間、第2回フェミブリッジアクションが行われました。女性議員や市民団体関係者など女性だけで約20人が参加しました。

街頭宣伝では、日音協県支部の音楽サークル「ジグソーパズル」の2人が「花はどこへ行った」「翼をください」の2曲を歌い、参加者にもマイクがまわされ一緒に合唱しました。

司会進行は、松澤佳子・信州市民連合共同代表と中村雅代・小布施町議会議員、主催者あいさつは、堰免久美・信州市民連合共同代表が行いました。

参加してアピールしていただいた議員は以下の通りです。

和田明子・県議会議員、竹村直子・県議会議員、丸山寿子・県議会議員、野々村博美・長野市議会議員、原洋子・長野市議会議員、清水みき枝・小諸市議会議員、中村雅代・小布施町議会議員。

アクション終了後、参加者で記念撮影

参加者はプラカードをもって市民にアピール

堰免久美・信州市民連合共同代表

和田明子・県議会議員

竹村直子・県議会議員

丸山寿子・県議会議員

野々村博美・長野市議会議員

原洋子・長野市議会議員

清水みき枝・小諸市議会議

中村雅代・小布施町議会議員

日音協サークル「ジグソーパズル」

 

福島第一原発事故から13年 県内各地で脱原発集会・パレード

今年1月1日に発生した震度7の能登半島地震によって、北陸電力・志賀原発敷地内外で施設被害が発生し、1・2号機の変圧器2機が破損し、電源の2系統が使えなくなるという事態が発生しました。かろうじて残る1系統の電源で燃料プールを冷却しなければならなくなり、一歩間違えば重大事故の可能性すらありました。また、モニタリングポストも18ヵ所が故障し、測定できなくなりました。放射性物質の敷地外の漏洩監視という重要な機能が失われることは深刻な問題で、これも「想定外」でした。

今回の地震は、複数の断層が連動した可能性があり、これも「想定外」です。それにより能登半島各地で道路の寸断、土砂崩れ、隆起・陥没などが発生し、救援活動に大きな障害をきたしています。放射能漏れなどが起きなかったことは幸いでしたが、万が一起きた場合は、避難や救援がさらに困難になることは明らかで、避難計画を根本から見直すべきです。

地震大国の日本列島に原発は必要ありません。一刻も早く脱原発社会にかじを切らないと、福島第一原発の大事故の悲劇が繰り返される危険性が高まっていきます。

今年3月11日は、東日本大震災・福島第一原発の大事故から13年にあたります。県内でも各地で集会やデモ行進、学習会が行われました。ここでは、長野市、松本市、塩尻市、伊那市での集会やデモの取り組みについて報告します。

◆長野市 福島県浪江町からの避難者からの訴えも

3・10脱原発長野行動実行委員会が主催する「3・10脱原発長野行動」が、3月10日、ながの表参道セントラルスクゥエア(長野市)を会場にして開催されました。県内の脱原発運動にかかわる市民を中心に約240人が参加しました。集会後には長野駅前まで脱原発などを訴えるデモを行いました。

東京電力福島第一原発事故から13年が経過しても、なお廃炉の道筋は見通せず、緊急事態宣言は発令されたままです。集会では、脱原発共同学習会の細野正昭さんから柏崎刈羽原発運転差止訴訟について報告をいただきました。原発避難当事者の瀬尾誠さんからは、福島県浪江町から避難してからの思い、原告としてたたかう避難者への補償を求める裁判について訴えていただきました。

長野の集会には約240人が参加

東日本大震災、能登半島地震の犠牲者に黙とう

浪江町からの避難者瀬尾誠さんが訴え

参加者は長野駅前までのパレードを行った

 

◆松本市 集会前に能登半島地震と原発の学習会を実施

3月10日午後1時30分から松本市内の花時計公園で、脱原発信州ネットワーク・松本が主催して脱原発松本集会「つながろうフクシマ・広げよう脱原発・とめよう再稼働 サラバ原発長野県大行進in松本」を開きました。集会には約200人が参加。冒頭に能登半島地震犠牲者と東日本大震災・原発事故犠牲者に黙とうをしました。小出裕章さん(元京都大学原子炉研究所助教)、中垣たか子さん(北陸電力と共に脱原発をすすめる株主の会)、武本和幸さん(刈羽村議、原子力資料情報室理事)が発言。小出さんは「原子力緊急事態宣言は未だ解除できていない。誰も責任を取らずに13年がたった」などと話しました。その後、参加者全員で集会宣言を確認。デモ行進には約150人が参加しました。

午前中には松本市駅前会館で、中垣たか子さん(北陸電力と共に脱原発をすすめる株主の会)、武本和幸さん(刈羽村議、原子力資料情報室理事)を招いて能登半島地震と原発について学習会を行い約100人が参加しました。

集会には約200人が参加

松本市街地で脱原発をアピールするパレード

 

◆塩尻市 40人が原発再稼働反対をデモ行進でアピール

3月9日、脱原発、再稼働反対!大行進2024in塩尻集会を駅前で開きました。寒い中、約40人の方が参加され、駅前から市内を、原発はいらない、とシュプレヒコールをしながら行進しました。

集会・デモ行進には約40人が参加

デモ参加者は思い思いのプラカードを掲げた

 

◆伊那市 集会後に能登半島地震と志賀原発について学習

3月10日、フクシマを忘れない上伊那アクションをいなっせ北側広場で行いました。会場には90人の仲間が集い、「へなちょこバンド」と「うたごえサークル」の皆さんがまず会場を盛り上げ、主催者を代表して向山光実行委員長があいさつしました。向山氏は「原発の危険性を改めて国民が認識しなければならない。また能登半島を襲った1月1日の地震についても1970年代に2カ所で原発計画があったが、現地の皆さんが結束してこの計画を阻止させた」などと強調しました。その後、4人からリレートークをいただき、集会アピールを確認して一部の集会は終了しました。

2部として、いなっせ研修室に場所を移して、河本和朗さんから「地震のメカニズムと浜岡原発の影響」と題して講演をいただき、続いて、河田昌東さんから「能登半島地震と志賀原発の現状」と題して講演をいただきました。講演には60人を超える参加者があり、終了後いくつも質問を受け、地震の怖さを皆さんが感じていることがうかがえました。

集会後に参加者90人で記念撮影

学習会では断層問題についても学んだ

 

報告会「能登半島現地からの報告-地震・被災・原発」を開きます

石川県珠洲市在住、志賀原発運転差し止め訴訟原告団団長の

北野進氏が現地からオンラインで生報告

石川県珠洲市在住で、かつて珠洲原発の建設反対運動に取り組み、現在、志賀原発運転差し止め訴訟の原告団長を務めている北野進さん(元石川県議会議員、元珠洲市議会議員、元石川県平和運動センター事務局勤務)が講師となり、現地からオンライン(Zoom)で生報告する報告会を企画しました。地震に見舞われた能登半島の状況や志賀原発の現状、計画を断念に追い込んだ珠洲原発反対運動の経過など、能登半島における反原発運動の最先頭に立ってきた北野進さんの報告をぜひ多くのみなさんが聞いてください。Zoomでの視聴もできますので、ご参加をお待ちしています。

1.日  時  2月22日(木) 13時~14時30分

2.場  所  長野県労働会館 5階 大会議室

長野市県町532-3 電話 026-235-3216

※Zoomでの配信も行います。

3.内  容  報告会「能登半島現地からの報告-地震・被災・原発」

講師 北 野  進 さん

※オンライン(Zoom)で現地から報告

きたの・すすむ 1959年石川県珠洲郡内浦町(現在、鳳珠郡能登町)に生まれる。1982年筑波大学卒。北陸ジャスコ入社。1986年同社退社。有機農業に取り組む。1988年珠洲市三崎町本に入植。米、野菜の無農薬栽培に取り組む。1989年原発に反対する市民とともに「止めよう原発!珠洲市民の会」を結成。珠洲市長選挙に立候補。1991年石川県議会議員に初当選。1995年無投票で再選。1999年初のトップで3選を果たす。2003年4期目の挑戦を果たせず議員活動に幕を降ろす。石川県平和運動センター事務局で平和運動に携わり、2011年から2期珠洲市議を務める。現在「志賀原発を廃炉に!訴訟原告団」団長。

4.参加費  無料

5.参加申込  どなたでも参加できます。事前の申し込みは不要です。

6.Zoom  報告会はZoomでも視聴できます。

当日のZoomのミーティングID、パスコードは以下の通りです。

https://us06web.zoom.us/j/81250428844?pwd=fouzOIPnYrEsAnahYq4lAccddYEDbx.1

ミーティングID 812 5042 8844

パスコード 222222

盛岡レーメン販売の収益金70万円を福島の子どもたちを支援する3団体に寄付しました

長野県原水禁は、東京電力福島第一原発事故による放射能汚染の影響を受けている子どもたちを支援するため、昨年5月から7月にかけて盛岡レーメンの物資販売に取り組みました。2012年から毎年取り組んでいる活動で、収益金はすべて関係する市民団体に寄付しています。県原水禁の地区組織が主体となった取り組みで、今回も70万円の寄付金を捻出することができました。寄付金は、昨年12月、福島の子どもたちを支援する活動に取り組む3団体に直接手渡しました。

◆寄付先

〇NPO法人3・11甲状腺がん子ども基金  20万円

〇認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金 20万円

〇311子ども甲状腺がん支援ネットワーク  30万円

2024年 国民・労働者が安全・安心して平和に過ごせる年に

2024年の新しい年を迎えたと同時に1月1日の元日、石川県能登地方で大地震が発生し甚大な人的・物的被害が出ています。また、2日には、羽田空港で日本航空の旅客機と海上保安庁の輸送機が激突・炎上するという衝撃的な事件も発生しました。

また、自民党の安倍派を中心とする「裏金」事件では、改めて自民党・保守政治の「政治とカネ」の問題が根深い問題であり、どうしようもなく政治腐敗が進み、国民の不信感は頂点に達しています。自民党政治に国民・労働者の怒りを真正面からぶつけて、政治変革の年にしていきましょう。

1月4日、仕事始めの日に長野県労働会館に入居する労働団体、労働組合の役職員約60人が一堂に会し、合同新年会を実施しました。

冒頭、一般財団法人長野県労働会館理事長の宇佐美正信氏(県労組会議議長)が「能登地震と航空機事故という衝撃的な事件で年が明けた。被災地への支援活動を早急に展開しよう。また、今年こそ岸田政権の退陣を勝ち取り、政治に信頼を取り戻そう」などとあいさつしました。

来賓として出席していただいたのは、政党代表として、立憲民主党県連幹事長の羽田次郎氏(参議院議員)、社会民主党県連合副代表の布目裕喜雄氏。その他、篠原孝・衆議院議員、杉尾秀哉・参議院議員、埋橋茂人・県議会議員、望月義寿・県議会議員があいさつ。労働事業団体からは、県労福協、県住宅生協の中山千弘・理事長、県労働金庫の小池政和・理事長、こくみん共済coop長野推進本部の村山智彦・本部長があいさつしました。

今年も1年、長野県平和・人権・環境労働組合会議が取り組む様々な運動へのご参加、ご指導をお願いします。

長野県労働会館合同新年会には約60人が参加。

あいさつする宇佐美正信・県労働会館理事長(県労組会議議長)。

 

労働者・国民に共感が広がる運動を地域からつくろう

約60人参加した県労組会議定期総会で今年度の運動方針を確認

長野県平和・人権・環境労働組合会議(県労組会議)は10月20日、代議員・傍聴者、来賓など約60人を集め、長野市内で第28回定期総会を開きました。

主催者あいさつで、宇佐美正信議長は「暴走する岸田政権を許さない闘いはまだまだ続く状況。多くの政治課題に対して声を上げていく地道な運動が必ず変えていくことができる力になる」(あいさつ別掲)などと強調しました。

討論では「反核平和の火リレーは7月11日から8月4日まで実施し、ランナー総数635人が参加した。要請した77自治体中64自治体で市町村長(もしくは副市町村長)が直接参加してくれた。この運動が組織強化につながっている」(自治労・中村代議員)、「蔦友印刷が会社破産し、全員解雇された事件では、多大なカンパをいただき心から感謝申し上げる。組合員の半数が就職した状況」(印刷フォーラムながの・原田代議員)、「公共交通を維持していくうえで、人員不足、低賃金から抜け出せず、私鉄は厳しい状況におかれている。ライドシェア導入問題には反対運動の取り組みをお願いする」(私鉄県連・飯川代議員)、「上小地区労組会議の地域組織の『依田窪連絡協議会』『東御市連絡協議会』が様々な議論を経て合併した。連協組織を残して、地域運動を大切にしていきたい」(上小地区労組会議・竹内代議員)などの発言がありました。

特別決議として「国民の切実な願いに背を向け、軍拡・改憲をすすめる岸田政権と対峙し総選挙に勝利する決議」が採択されました。最後に「新自由主義政策を転換し、所得の再分配や富裕層・高収益大企業への課税を強化し、自助よりも公助、自己責任より共生、労働者・国民の暮らしを優先する政策へ転換を」「組合員はもちろんだが、組織されていない労働者・国民にも共感が広がる労働運動、平和運動が必要とされている」などとする「総会宣言」を採択しました。

あいさつする宇佐美正信議長

来賓、役員、代議員など約60人が参加

蔦友印刷の破産事件を報告する原田代議員

総会の最後には団結ガンバローを三唱

 

仲間との信頼関係を深め運動を広げていこう

県労組会議議長 宇佐美正信

昨年10月に行われた県労組会議の大会から早くも一年が経過をしました。少しこの一年間を振り返りたいと思います。

新型コロナは5月に2類から5類へと移行になりました。4年目を数える「コロナ禍」で8月19日に県労組会議として4年ぶりにソフトボール大会を開催しました。大変暑い中、各地区労組会議の精鋭たちが集まり、熱戦が繰り広げられ塩尻地区が優勝しました。終了後、団結会が開催され大変盛り上がりました。未だコロナが終息したわけではありませんが久々の開催ということもあり、一堂に会して話ができたことが大変有意義であったと思っています。普段話ができないことや初めて会う仲間がテーブルを挟み、膝を交えて話すことができたこと、コロナで制限されていたことが少し晴れたのではないかと思っています。各地区、単産の皆さんと会ってお話しすることが改めて重要だと感じました。

私たちを取り巻く情勢は今さら言うまでもありませんが生活も組合活動も労働実態も厳しい状態が続いています。詳しい情勢については後ほど、方針案の提起によりますので割愛させていただきますが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の他、全世界では現在、武力紛争が50以上あります。最近ではイスラエルがハマスを壊滅させようとガザ地区に侵攻を始めています。こうした武力戦争によって民間人、特に女性、子どもが犠牲になっています。人の命を奪ってまで得たい物っていったい何なのでしょうか。「話し合いをしよう」「外交によって解決をしよう」とはならないのでしょうか。

戦争の影響でエネルギー、食糧、原材料上昇によって円安、物価高など、日本国内外ともに不穏・不安定な状況下にあります。

そうした中、岸田内閣は昨年12月安保三文書の改訂によって敵基地攻撃能力を保有することや、先の国会では防衛費増額の財源を確保するための特別措置法や、原発の再稼働、運転延長、東日本大震災から12年たった現在、被災者に寄り添うことなく支援の打ち切りや子供甲状腺がんの発症に対する補償は何もなく、福島原発で発生したトリチウムを含む汚染水を「関係者の理解なしには放出しない」と約束していたことを反故にし、海洋放出を強行してきました。

さらにはマスコミにこぞって放射能を含む汚染水を処理水というように誘導し、まさに戦争に突き進む道、国民生活の安全・安心を脅かす道を突き進んでいます。

武力で解決する平和などは絶対あり得ない、核と人類は共存できないことは多くの犠牲を払ってきた先人たちが教えてくれています。

こうした政治情勢ですから、岸田政権には辞めていただくしかありません。県労組会議としては政治情勢を見極めながら私たちの掲げる運動課題、政策要求に方向性が合致する立憲民主党、社会民主党と連携して運動を展開していきたいと思います。

暴走する岸田政権を許さない闘いはまだまだ続く状況ですが、多くの政治課題に対して声を上げていく地道な運動が必ず変えていくことができる力になると思います。

もう一つ、県内で大変大きな事件が起きました。県労組会議に加盟する印刷フォーラムの蔦友印刷が3月に破産手続きを申し立て、倒産しました。従業員である組合員が解雇されました。解雇によって給与及び退職金が支払われないことから、当面の生活費の補助として長野地区労組会議とで組合員に対する支援カンパを取り組んできました。仲間を助ける支援活動として多くのカンパを取り組んでいただきました。ありがとうございました。支援する側でさえ厳しいにもかかわらず大変多くのカンパをいただきました。取組みにご協力いただいた皆さんに改めてお礼を言いたいと思います。また関西生コンやJAL闘争団などこうした仲間が困っているときに支援をする、各地区や単産、単組の皆さんにまで声をかけられる労働運動ができるのは労組会議だけだと思います。皆さん自身も大変かと思いますがもっと大変な状況で助けを求めている人、労働者がいます。引き続きそうした人たちに寄り添い支援をしていきたいと思います。

最後になりますが、今年4月の統一自治体選挙では私たちが推薦する議員が当選することができました。本当にご協力ありがとうございました。

私たちはこれまで学習や交流によって仲間との信頼関係を築いてきました。その知識を生かし幅広く仲間に危険性や重要性を訴え、今まで以上に反戦、護憲、反核、脱原発を軸に平和と民主主義を守る闘いの運動を進め、労働者の雇用、平和・人権・環境に関わる運動課題について、労働者の立場に立って引き続き運動を進めていきたいと思います。

以上で県労組会議を代表してのあいさつに代えさせていただきたいと思います。

特別決議全文

総会宣言全文

 

ミャンマーを忘れない! 交流フェスタを初開催

10月29日(日)は長野市・セントラルスクゥエアへ集まろう

ステージではミャンマーの歌や踊り、広場ではミャンマー料理の提供も

クーデター直後と比べてミャンマーへの関心が薄くなっている現状があります。私たちは「ミャンマーを忘れない」を合言葉に活動を続けてきました。「ミャンマー民主化を支援する信州の会」の活動の一環として、多くの市民の方々がミャンマー問題について考えてもらうきっかけにしたいと、誰でもが気軽に参加できるフェスティバルを企画しました。

家族連れでのご来場をお待ちしています。

関東大震災時の朝鮮人大虐殺事件から100年

日本政府は虐殺の真相を解明し関係者へ真摯な謝罪を

いまだ続くヘイトスピーチ、民族排外主義を許さない

今年9月1日は、首都圏に甚大な被害をもたらした関東大震災から100年。多くの日本人には9月1日は「防災の日」として広く知られています。

しかし、このとき起きたのは自然災害だけではありません。震災のさなか流言飛語が飛び交い、戒厳令が公布され、6千人以上の朝鮮人が、軍隊、警察、自警団によって虐殺されました。

2003年8月、日本弁護士連合会は日本政府に対して虐殺の責任を認め、被害者と遺族への謝罪、真相調査と原因究明を勧告しました。しかし、日本政府はいまだに事実を認めず、調査も謝罪も賠償もしていません。それどころか今年5月23日に開かれた参議院内閣委員会で谷公一国家公安委員長は、朝鮮人虐殺事件についての質問に対し、「事実関係を把握できる記録が見当たらない。さらなる調査は考えていない」と答弁し真相調査すら拒んでいます。

そうしたなか、「虐殺否定論」がまん延し、災害時にはSNSなどで「朝鮮人犯罪」に関わるデマが繰り返され、在日朝鮮人に対する差別や暴言、暴行事件など、100年前を想起させる事態が後を絶たないのが日本社会の現状です。

関東大震災時に虐殺された犠牲者を追悼し、虐殺の真相究明を進め、政府などの責任を追及する必要があります。そして、「多文化共生」が強調される社会のなか、在日韓国・朝鮮人に対する差別と偏見、ヘイトスピーチ・クライムを根絶するための運動が求められています。

日朝県民会議が朝鮮人虐殺の歴史を学ぶ学習会を開く

日朝長野県民会議は8月26日、日朝問題学習会では、朝鮮大学校で在日朝鮮人史を専攻する講師、鄭永寿(チョン・ヨンス)さんを講師に、関東大震災での朝鮮人虐殺の真相、日本による朝鮮半島植民地支配による朝鮮人に対する加害と抑圧の歴史について講演していただきました。学習会には約50人が参加。

鄭永寿さんは講演の中で、関東大震災の時にも朝鮮人への偏見、差別から大虐殺が起きた歴史に学ばず、いまだに歴史修正主義がはびこる日本社会だと指摘。関東大震災100年の現実を克服するために、日本政府には、被害者側に立証責任を負わせてきた態度を改め、加害側から真相を徹底的に調査、発表すること、また、「不逞」「騒擾」とみなし弾圧してきた運動の責任追及の声に真摯に向き合うことで、虐殺の罪を認め責任を果たすことが求められていると強調しました。

松本市で開いた日朝問題学習会

講師の鄭永寿(チョン・ヨンス)さん

9月1日には東京で追悼行事が開かれる

レイシスト集団「そよ風」が虐殺否定の式典開き市民が強く抗議

関東大震災から100年が経過した9月1日、東京都立横網町公園内にある朝鮮人犠牲者追悼碑前で、「東京同胞追悼会」(主催=総聯東京都本部、東京朝鮮人強制連行真相調査団)が執り行われた。追悼会には、朝鮮総聯中央本部の許宗萬議長をはじめとする活動家、在日朝鮮人、日本市民など約500人が参加しました。

昼過ぎに始まった追悼会では、犠牲者に捧げる「アリラン」の独唱に続き、参加者全員が犠牲者を偲び黙とうをささげました。

また、同日夜には、東京都中央区の銀座ブロッサムで、関東大震災100年朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動実行委員会が主催する集会が開かれ、約800人が集まりました。

9月1日の夕刻には、レイシスト(人種差別主義者)集団の「そよ風」が横網公園の朝鮮人犠牲者追悼碑の前で式典を計画しました。「そよ風」は、加害・侵略の歴史を否定し、民族排外謝儀的な考えを持つグループで、関東大震災時の朝鮮人虐殺もなかったと強弁しています。そのような集団が朝鮮人犠牲者追悼碑の前で「式典」を行うことは、虐殺された朝鮮人への冒涜であり、歴史をねじ曲げようとする行為です。「そよ風」の式典に抗議する市民約300人は会場に座り込み、レイシスト集団に抗議のシュプレヒコールを行いました。結果として、「そよ風」は、追悼碑前での「式典」を断念し、公園の別の場所で実施しました。歴史修正主義、民族排外主義を許さない運動を求められています。

墨田区の横網公園で行われた追悼式典

レイシスト集団「そよ風」に抗議する市民

横網公園の朝鮮人犠牲者追悼碑には多くの献花が。

墨田区の荒川沿いに建立されている追悼碑

9月2日には国際シンポジウムが開かれ350人が参加

翌日、9月2日には、「関東大震災100年朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動」実行委員会が主催する国際シンポジウム「関東大震災朝鮮人虐殺の責任と課題」が東京・千代田区の連合会館で行われました。場内は、日本各地から集まった在日朝鮮人や日本市民など約350人でいっぱいになりました。

主催者を代表し、元法務大臣の平岡秀夫さん(弁護士)があいさつ。平岡さんは、100年前の大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者らに哀悼の意を示したうえで、昨今、官房長官が会見の場で「事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べるなど朝鮮人虐殺に関する日本政府の対応を非難。「今を生きる日本人の中には個人的に責任を負うべき人はいないかもしれない。しかし、朝鮮人虐殺の事実を明らかにし、その明らかにされた事実に応じて、謝罪など必要な対応をする責任がある」として、今を生きる日本の市民らの責務について問いかけました。

国際シンポジウムに先立ち、コーディネーターの佐野通夫・東京純心大教授が発言。佐野教授は、「関東大震災時の戒厳令をもって在日朝鮮人を『討伐すべき敵』としての『不逞鮮人』とみなす公的なヘイトが、民衆のヘイト感情を掻き立て官民一体のジェノサイドが起きた。またその背景である日本の植民地主義の清算がなされていないことを見逃してはいけない。国家と社会による歴史の忘却、責任からの逃避が戦後日本社会における朝鮮人差別を形作ったのではないか」と問題提起しました。

報告者として、明治学院大の鄭栄桓教授(「関東大震災時の朝鮮人虐殺と『否定論』の諸問題」)、朝鮮大学校の鄭永寿講師(「在日朝鮮人運動による関東大震災朝鮮人虐殺の真相究明・責任追及」)、東京造形大の前田朗名誉教授(「国際法から見た関東大震災ジェノサイド」)が登壇したほか、韓国から淑明女子大の金應教教授(「百年間の証言―韓日の作家と市民がみた関東大震災と朝鮮人虐殺―」)が、米国からイースタン・イリノイ大のリジンヒ教授(『米国における関東虐殺否定論とジェノサイドへの対応』)が登壇しました。

その後、報告者5人による相互討論がありました。

9月2日に開かれた国際シンポジウム

800人が参加した9月1日の追悼集会