21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

ミャンマー大地震被災地支援募金2団体へ寄付!次回は5/18(日)12時から善光寺仁王門で募金活動をおこないます!

4月13日の善光寺仁王門での募金で21万7281円が寄せられました

善光寺仁王門での(主催:ミャンマー大地震被災者支援募金実行委員会)へのご協力、ご支援をいただきありがとうございました。
県内在住のミャンマー人を中心に県内外のミャンマー支援団体、信州の会メンバーも多数参加してミャンマー大地震被災者への支援を呼びかけました。

「ミャンマーの平和を創る会」と「難民を助ける会(AARジャパン)」に寄付

ミャンマー大地震被災者支援募金実行委員会は、ミャンマーの被災地で支援に取り組む2団体「ミャンマーの平和を創る会」(東京都)と「難民を助ける会(AARジャパン)」(東京都)にそれぞれ10万円を寄付しました。「ミャンマーの平和を創る会」と「難民を助ける会(AARジャパン)」から届いたメッセージと領収証をご報告します。

■一般社団法人「ミャンマーの平和を創る会」
https://www.chitchitkhinkhin.org/

■認定NPO法人「難民を助ける会(AARジャパン)」
https://aarjapan.gr.jp

ミャンマーの平和を創る会からのメッセージ紹介

難民を助ける会(AARジャパン)からのメッセージ・活動報告紹介

※残りの寄付金1万7281円は次回以降に繰り越しさせて頂きます。

ご寄付いただいた皆様、呼びかけに参加された皆様、ありがとうございました。

5月18日(日)12時から善光寺仁王門で募金活動を行います

次回は、5月18日(日)12時~15時、善光寺仁王門でミャンマー大地震被災者支援の募金活動が行われます。主催はミャンマー大地震被災者支援募金実行委員会です。
県内在住のミャンマー人留学生、支援団体メンバーのほか、今回は日本人学生も参加する予定です。

前回(4/13)の善光寺仁王門での支援募金の呼びかけ

被災71周年ビキニ・デー全国集会

1954年3月1日、ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験によって、「第五福竜丸」をはじめとする日本の漁船が被爆しました。このことをきっかけに日本における原水爆禁止運動が大きく拡がりました。原水禁はこの被害の実相を継承し、核廃絶の決意を確認するため、毎年3月1日前後に静岡での集会を行ってきました。

静岡市で行われた平和を願う集会は、多くの人々の思いを集め、核兵器の恐ろしさや平和の大切さについて改めて考える場となりました。この集会には、長年にわたり核兵器廃絶や被爆者支援の活動を続けてきた人々や、若い世代の高校生たちも参加し、それぞれの思いを語り合いました。

さらに、若い世代の高校生たちも、自分たちの思いを伝える場面があり、未来の平和を担う責任について考えるきっかけとなったようです。彼らは、いのちの尊さや平和の大切さを胸に、声を合わせて平和への願いを伝え、次の世代へとその思いをつなぐ決意を示しました。

集会では、主催者と地元からのあいさつの後、原水禁共同議長である金子哲夫さんから「被爆80年・核兵器廃絶のために 原水禁運動に歴史に学ぶ」と題した講演を受けました。

金子さんは「原水禁運動は、広島・長崎の被爆から約10年のブランクを経て、ビキニ事件を契機に始まりました。10年間遅れたのは米軍のプレスコードによって広島・長崎の被害の実態が隠されていたことが大きな原因です。しかし第1回原水爆禁止世界大会で被爆者自身が被爆体験を語ったことで、被爆の実相が全国各地の市民に受け止められ、核兵器廃絶と被爆者救済が運動の柱となりました」と運動の原点についてお話しされました。その後の運動の中で重要な意味を持つ出来事のひとつが、核実験場となったマーシャル諸島の被災者との出会いだったとし、「日本だけが『被爆国』ではなかったことにくわえ、核実験やウラン採掘によって先住民族など弱い立場にいる人たちに核被害が集中している現実に直面した私たちは、その中から『核と人類は共存できない』という核絶対否定の理念を確立することができたのです」と運動の理念を確立することができた経過が説明されました。

さらに「いのちの尊厳をうばい核兵器使用に繋がる戦争を否定する『ヒロシマの心』に立脚して運動を強化することが私たちの課題であり、とりわけ自治体決議や署名運動などを通じて日本政府の核兵器禁止条約(TPNW)参加を迫っていくことが重要だ」と核廃絶に向けてあきらめず声を上げ続けること訴えました。

続いて第五福竜丸漁労長だった故・見崎吉男さんのご遺族、杉山厚子さんからの講話がありました。杉山さんは、父である見崎吉男さんが地域社会から冷遇され、マスコミからは事実に基づかない批判を受けた経験からたいへんな苦悩を抱え込み、長年その体験を語ることがなかったことをお話しされました。杉山さんは父の思いを引き継ぎ、証言活動を行ってきました。最後に見崎さんの墓碑に刻まれた見崎さん自作の詩を紹介されました。

「だれにだって 風の日も雨の日もあらしの日だってあるさ 大切なのは夢をしっかり抱きしめて いのちいっぱい生きたか 波のように何度でも立ち上がったかだ」

この詩に参加者から大きな拍手が起こりました。

集会の終わりには、静岡選出の高校生平和大使(第27代)の谷河優那さん、粂田陽菜さん、水野可麗さんから活動報告とアピールがありました。

翌日は、静岡県焼津市のマグロ漁船、第五福竜丸が米国による太平洋ビキニ環礁での水爆実験で被曝(ひばく)した「ビキニ事件」から71年となった1日、被曝して死亡した同船の無線長、久保山愛吉さんの墓がある焼津市の弘徳院へバスで向かい、墓前祭に参加しました。

 

 

       

「沖縄レポート 」岸本喬氏講演会~県護憲連合第70回定期総会~

県護憲連合総会で沖縄県の現状を報告

2025年2月11日に長野市内で開かれた長野県憲法擁護連合第70回定期総会で、記念講演として沖縄平和運動センター岸本喬事務局長に「沖縄レポート」というテーマでお話いただきました。若年世代が参加する青年女性連絡会のメンバーは「2・11反戦平和学習会」として松本市内の会場からオンラインで参加しました。会場・オンラインあわせて約70人が参加しました。

沖縄からオンラインで講演する岸本氏

女性差別撤廃条約「選択議定書」の意見書採択のとりくみ報告

県護憲連合総会では、戦後80年の節目を迎える中、憲法改正や防衛費増額に反対し、憲法理念の実現を目指す活動方針が確認されました。また松澤佳子代表委員から、国連の女性差別撤廃条約の実効性を強化する「選択議定書」の批准を国に求める意見書が、県と県内73市町村議会で採択されたことが報告されました。

あいさつする松澤代委員

戦後80年 基地の島・沖縄の内実

戦後80年を迎えますが、沖縄は今なお過重な米軍基地の負担に苦しんでいます。日本の国土面積の0.6%に在日米軍施設の約7割が集中する異常な構造は解消されていません。普天間基地の移設をめぐり、県民投票で示された辺野古新基地建設反対の意思(72%が埋立反対)を無視した政府の土砂投入と軟弱地盤工事は、沖縄県と国の法廷闘争に発展して修復不可能な対立を生んでいます。沖縄県は一貫して県民の意思を伝え対話による解決を求めていますが、日米両政府ともに「辺野古が唯一の解決策」との姿勢を変えず、県民の思いを顧みることなく工事が強行されています。

沖縄県民の思いを国・米軍に訴え続ける玉城デ二―沖縄県知事

「沖縄という一地方の問題ではない。
日本の国の制度の在り方が問われている」

岸本氏からは、南西諸島の軍事要塞化、米軍によるPFAS汚染や環境破壊、辺野古の新基地建設問題、新軍港の建設問題を中心に、日米地位協定に圧し潰される沖縄の差別的な状況が示されました。岸本氏は「沖縄という一地方の問題ではない。日本の国の制度の在り方が問われている」と訴えます。有事になれば沖縄は再び戦場になり、「捨て石」にされないかという不安が沖縄県民の間で拡がっています。自衛隊と在日米軍の一体化が進む状況のなか、更なる負担に直面する沖縄で何が起きているのか、現地からのレポートをお届けします。

3月には松本空港にも緊急着陸した米軍のオスプレイ

【以下、岸本氏の講演内容を載録した「信州護憲ネット会報69号」を掲載します】

 

311 子ども甲状腺がん裁判第13回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女6人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第13回口頭弁論が3月5日、東京地裁で開かれた。