21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

被爆80周年原水禁世界大会(長崎)~長野県代表団報告~

今年も長野県原水禁は、8月7日(木)8日(金)9日(土)開催の「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加した。

 

8月7日(1日目)

長野県からは、自治労、森林労連、国労長野、松本地区、上伊那地区、県原水禁と、それぞれの団体から総勢8人が参加。今年は3日間とも天候に恵まれず、まず行きのフライトが福岡空港に着陸か、羽田へ戻ってくるかの条件付きで出発した。なんとか長崎空港に着陸したものの雷と大雨で地上業務がストップしてしまい、機内で待機。1時間後、ようやく降りることができた。

ようやく降りられたと思ったら、空港から長崎市内へ向かう高速バスに並ぶ列がすさまじく、残念ながら結局一日目の開会式には間に合わなかった。ギリギリ受付だけ済ませて、全員で路面電車に乗りホテルへチェックイン後、懇親会の会場へ向かった。懇親会では、林野労組出身の大橋団長からあいさつをいただき、それぞれ自己紹介をした。また翌日の分科会をどこに参加するかなど相談し、長崎名物を囲んで交流を深めた。

 

 

8月8日(2日目)

 2日目も天候はあまりよくなく、午前中はおのおの選択した分科会へ参加した。

今年は午後から民間の軍艦島ツアーに参加予定の参加者もいたので、事務局は朝から、ツアー会社への問合せなどに追われた。11:30時点で上陸か周遊かなどが確定すると聞き、参加希望者に事情を説明する。キャンセル料は発生しないとのことなので、6人のうち2人はキャンセルを申し出た。

その後、島への上陸はしけが強いので難しく、周遊コースに変更になった。4人のツアー参加者は、それぞれの分科会を少し早めに退室して港へ向かった。思ったより混んでる様子もなく、すんなりと乗船できた。 

しばらく船に揺られていると、明らかに存在感のある島が見えてくる。遠くから見ても迫力ある島の様子に息をのんだ。廃墟となった炭鉱の島は、静かにそこに立っていた。上陸できない分、いろんな方向から見れるように島の周りを旋回する。当時は、かなり賑やかな最先端の場所だったのだろう。この島だけでひとつの社会が形成されていたそうだ。ツアーでは触れなかったが、ここでも朝鮮人労働者や中国人捕虜の強制労働が行われていたと知り、また一つ歴史を知る貴重な機会となった。

『端島 (長崎県)』ウィキペディア(Wikipedia)より

端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧:西彼杵郡高島町)にある島。通称は軍艦島(ぐんかんじま)。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅も建造されるなど、1960年代には東京以上の人口密度を有していた。1974年(昭和49年)の閉山にともない、島民が島を離れてからは無人島である。島は三菱の所有地であり、島民の多くは三菱の社員で、家賃の心配がなく、島の生活を管理する強固な社会システムが築かれており、当時の日本の平均賃金よりも高い給料が支払われていたため、島民は経済的に豊かだった。テレビや冷蔵庫、洗濯機などの「新・三種の神器」の普及率が、1950年代には全国平均をはるかに上回る100%近くに達していて、小中学校、共同販売所、映画館、病院など、当時の最先端の都市機能が備わっていた。1939年(昭和14年)からは朝鮮人労働者の集団移入が本格化し、最重労働の採鉱夫のほとんどが朝鮮人に置き換えられたほか、1943年(昭和18年)から中国人捕虜の強制労働が開始された。朝鮮人労働者は納屋、中国人捕虜は端島の南端の囲いの中にそれぞれ収容されたという。

戻ってからは、翌日予定していた松本水労さん寄贈の折り鶴を奉納するため、平和公園へ向かった。式典の準備も大詰めという感じで、なかなか見れない光景を見ることができた。報道でよく目にする平和祈念像を目の前で堪能することができた。

夜の夕食交流会では、地元民に人気の居酒屋へ。おいしい料理に団員の話にも花が咲いた。

 

 

8月9日(3日目)

3日目は、早めに集合して慰霊碑参拝へ。この日は朝から大雨で、とても歩いて行ける状況ではなかったため、タクシーで向かった。到着したのは、竹の久保、梁川(やながわ)公園。昨年同様、慰霊碑を参拝した。

普段なら、近くの小学校の児童が手作りした灯籠がズラーっと並んでいてとても華やかなのだが、今年は雨のため撤去されていて残念。お線香をあげてお参りするにとどまった。その後、長野県団として、団長があいさつをして地元の方達と歓談して解散した。

参拝を終えて、雨の中バスで閉会式会場へ向かう。例年は、閉会式終了後、参加者全員で爆心地公園まで行進する予定だが、これもギリギリまで中止にするか検討するとのことだった。長野県団は、初日の空港の高速バスの混み具合を経験していたため、とにかくフライト時間に余裕を持って行動することを念頭に置いて、団長はじめみんなの判断で早めに空港に向かうことにした。

閉会式の終了間際で早めに退席し、原爆資料館を見学後、爆心地公園に向かった。

前日の爆心地公園は中央に花が供えられていたり折り鶴が奉納してあったが、当日は雨で水が溜まっている状況で、献花などはだいぶ撤去されていた。そして、11:02、原爆が投下されたその時間、全員で黙とうをして当時のすさまじい状況に思いを馳せた。

帰りは、フライトも順調で遅れもなく、全員が無事に羽田空港に到着して安堵した。事務局としては、せっかく参加してくれた皆さんが天候不良で全行程を満喫できなかったことは残念でならなかったが、それでも戦後80年という節目の年に、ここ長崎でこの日を迎えたことの意味を噛みしめていただけたことと思う。これも団長はじめ参加者の皆さんのご協力のおかげと感謝申し上げます。ありがとうございました。

~参加者の感想~

・大会に参加してまず感じたことは、「核兵器をなくすことの難しさ」です。同時に、それでも小さな取り組みを地道に積み重ねていくことの大切さも感じました。世界では今も戦争が絶えず、核兵器の脅威は決して過去のものではありません。「長崎を最後の地とする」という被爆者の願いは、むしろ年月を重ねるごとに強まっていると感じました。私自身の力は小さいものかもしれませんが、平和を願う気持ちを持ち続け、それを行動につなげていきたいと思います。核廃絶に向けた運動はすぐに結果が出るものではありませんが、あきらめずに続けることが大切であり、この事実を次の世代にも伝えていくことが重要だと強く思います。

・改めて思うのは私たちが戦争しない、戦争に巻き込まれたくない想いを強く持ち、武力兵力を有する組織を政治が完全にコントロールすることだと思います。他の国の人を殺したくないし殺されたくもない。私の力はわずかですが戦争回避の道に奔走した先人にならいたいと感じました。

・8月9日の朝には、長崎市の竹二自治会の碑を参拝し、自治会の皆さんにもお会いしました。ナガサキの中には、そのようにして当たり前に平和を願う姿があって、この80年の日本の平和を繋いできているのだと思いました。そう考えると、まだたった80年前の出来事であって、一人ひとりの平和を願う気持ちを世界の平和に繋げていかなければならないと思います。

・今回80周年原水爆禁止世界大会に参加して、改めて原爆、原発はなくさなくてはいけない。共存は出来ない。以前よりまして強く思いました。戦争はしてはいけない。一度始まるとだれも止められない。一緒に行動した仲間が言っていたように、一人一人が平和を願う大切さを、そして未来を切り開く子供達に間違った教育をしないようにしなければいけないとも思いました。

・今年は終戦から80年という節目の年であり、特に記念式典等の関心が大きかったと思います。今もなお世界各地で戦争が起こっています。戦争や核の使用は、決して他人事ではなく自分事として考えていきたいと感じました。

・手記には、「学校のグランドで同級生や彼の母親が原爆の犠牲になり、その場で荼毘に付され、この記憶がグランドに出るたびに思い出され、なつかしく、悲しい。」と綴られていました。爆心地から700mの距離にあった彼の通っていた小学校では1581人のうち約1300人もの児童が原爆の犠牲となりました。
私自身、子を持つ親として彼がどんなにつらい思いであったかと考えると言葉もありません。このような悲劇を二度と繰り返さないためにも、核兵器の廃絶と一人一人が平和を守る努力をすることで、平和を次世代の子供たちに繋いでいかなければならないと強く感じました。

・原爆がもたらした破壊は、単に物理的なものだけでなく、人々の心や社会にも深い傷を残したことを学んだ。このような悲劇を二度と繰り返さないためには、核兵器の廃絶と平和を守る努力が必要だと強く感じた。大会を通じて、私たち一人ひとりが平和のためにできることを考え、行動することが大切だと気づかされた。未来の世代に平和な世界を残すために、核兵器のない社会を目指していきたいと思う。

 

信州護憲ネット第70号「戦後80年 戦争の爪痕を未来へつなぐ」発行しました

侵略戦争を否定する政党の躍進、外国人排除の風潮の広がり

戦後80年を迎えましたが、いまだにあの戦争はなんだったのかを日本人自身が直視できない状況がつづいています。自民党総裁選では高市氏が就任し、直近の国政選挙では、太平洋戦争は侵略戦争ではない、と述べるなど史実を無視する発言を繰り返す政党が躍進しました。社会に広がった格差と分断から、外国人排除の風潮も生じています。今号では、今年5月3日の憲法記念日に長野市内で開かれた「市民の憲法講座」での「戦後80年 戦争の爪痕を未来へつなぐ」をテーマにしたアイ女性会議の木下容子氏と松澤佳子氏による報告をお届けします。

飯田下伊那の戦争遺跡を学ぶ

中国侵略の現場、アウシュヴィッツを巡る平和の旅

木下氏からは飯田下伊那の戦争遺跡について、松澤氏からは中国侵略の現場、アウシュヴィッツを巡った平和の旅について報告して頂きました。1932年に日本の傀儡国家「満州国」が中国東北部に建国され、1945年の敗戦まで国策の満蒙開拓によって全国から約27万人が入植し、8万人が犠牲になりました。長野県内からは都道府県別で最多の3万人超が送り出され、うち飯田下伊那地域からは8389人と県内最多でした。

満蒙に送り出した責任、次世代に伝えていく義務

木下氏は「多くの開拓民を満蒙開拓に送り出した地域だからこそ、送り出した側としてもその歴史を次世代に伝えていく義務があるのではないか」と訴えました。松澤氏は「侵略の加害者である日本人自身が、加害の歴史を知らないという現状」を指摘します。戦後80年を迎え戦争体験者がいなくなる近未来が迫る今、私たちはどう生きていくのか、が問われています。

■以下のブログでも当日の講座の様子をお伝えしています

市民の憲法講座「戦後80年 戦争の爪痕を未来へつなぐ」

信州護憲ネット会報70号

「戦後80年 戦争の爪痕を未来へつなぐ」

ミャンマー交流フェスタの募金がミャンマー大地震の被災地へ

9月7日に開いた「2025ミャンマー交流フェスタin信州」で集まった募金237,997円を「在日ビルマ市民労働組合」のミンスイさんを通じてミャンマーの大地震被災地に送付しました。

「長野ミャンマーフェスタありがとうございます」と書かれたメッセージ

 

ミャンマーの被災地から感謝の声が届いています

ミャンマー現地の支援団体から、感謝状・領収書のほか、現地での支援活動や子どもたちの様子をお送りいただきましたので、みなさまにご報告します。
ご支援・ご協力をいただいたみなさま本当にありがとうございました。

カラマツ植林地の除伐作業で林業体験

食とみどり、水を考える集い 集成材を生産する斎藤木材工業も視察

食とみどり水を守る長野県民会議は、103日、4日の両日、小県郡長和町の和田山国有林及び長野市において、第12回「食とみどり水を考える集い」を実施しました。参加者は16名でした。

1日目の開会式では、県労組会議の喜多事務局長が挨拶し、「食とみどりと水を取り巻く情勢は大変厳しい状況にある。コメ問題では小泉大臣の小手先の対応では何も解決されていない。自民党農政は限界にきており、政府の放置政策に対して県民会議としてしっかり取り組んでいきたい」と述べました。

その後、参加者は除伐作業を実施しました。作業前のカラマツ林は灌木が繁茂し、隣で作業する仲間を見つけるのも難しい状況でしたが、約1時間の作業後にはカラマツの立ち並ぶ明るい林へと変わり、参加者はその効果を実感していました。

作業後は、地元の齋藤木材工業(株)を訪問し、集成材の製造工程を見学。長野県産カラマツなどの地元産へのこだわりや、都心部の高層ビルなどでも集成材が活用されていることなどについて学びました。

2日目は、中部森林管理局会議室において「森林・林業を取り巻く情勢と中部森林管理局の取組」と題し、中部森林管理局企画調整課長の遠藤氏から講演を受けました。講演では、森林環境譲与税が森林整備や担い手育成、地域の森林管理支援に活用されていること、また森林の機能を高めることがカーボンニュートラル実現の鍵となることなどが説明されました。

閉会式では、中川会長から「森林ではクマ対策、食ではコメ価格の高騰、水では有機フッ素化合物(PFAS)への対応など、引き続き取り組みを強化していく」と述べ、今後のアジア・アフリカ支援米への協力を呼びかけ、二日間の日程を終了しました。

参加者からは、「久しぶりに山で作業できて気持ち良かった」「手入れの行き届いた山を見てうれしい」「ぜひ来年も参加したい」といった感想が寄せられました。

最後に、東信森林管理署ならびに齋藤木材工業(株)の皆さまには大変お世話になり、心より感謝申し上げます。

カラマツの周りの雑木を除伐

急斜面での作業

伐採した木は2mくらいに切断

少し大きな木は共同作業で

かなり大きな雑木もあった

作業を終えて記念撮影

斎藤木材工場で集成材を生産する過程を見学

2日目は森林林業政策についての学習会

311 子ども甲状腺がん裁判第15回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第15回口頭弁論が9月17日、東京地裁で開かれた。

原告側は、東電が主張する「100ミリシーベルト以下では健康影響はない」との考え方を「科学的に否定されている」と批判し、被告側の根拠とする調査の問題点を指摘した。6月に追加提訴した原告の一人は法廷で、「私にとって福島で育つということは、国や社会は守ってくれないということを肌で感じることだった」と涙ながらに語った。弁論後の支援集会でも「支えてくれる人の存在に救われた」と話し、会場から温かな拍手が送られた。

裁判の報告と、弁護団のプレゼン動画、原告8ひとみさんの意見陳述の音声のURLを載せておきますので、ぜひ聴いてください。

                   

 

 

        

ソフトボール大会で上小地区労組会議が連覇果たす

第21回地区労組会議対抗親善ソフトボール大会に10チーム150人

大会後には焼肉交流会で親睦を深める

県労組会議は9月27日、松本市・あずさ運動公園で21回目となる地区労組会議対抗親善ソフトボール大会を開きました。10チーム約150人が参加して熱戦を繰り広げました。トーナメント方式で行われた大会は、上小地区労組会議チームが優勝、2連覇を果たしました。準優勝は県労組会議チームでした。

大会の終了後には、炎天下の中、テントを張って焼肉交流会を開きました。各地区労組会議から大会の感想などについてアピールがあり、参加者は地区を越えて交流を深めました。

開会式であいさつする宇佐美正信・県労組会議議長

開会式で選手宣誓する上小地区労組会議の竹内秋一さん

ホームラン3本打った宇佐美さん

本格モーションで投球

見事にバットに当てた草野さん

ホームランでホームイン

出場選手で最高齢のバッター。歳には勝てない

上小地区のピッチャー竹内さん

県労組会議チーム

上伊那地区チーム

松本地区チーム

下伊那地区チーム

上小地区チーム

木曽地区チーム

須高地区チーム

長野地区チーム

塩尻地区チーム

優勝した上小地区チームにトロフィーを授与

   

「2025ミャンマー交流フェスタin信州」が無事に終わりました!

地震被災者への募金を呼びかけました

9月7日に、表参道ながのセントラルスクゥエア(長野市)で開かれた「2025ミャンマー交流フェスタin信州」を無事に終えることができました。ご来場くださった市民のみなさま、ミャンマーにゆかりのあるみなさま、ステージを盛り上げてくださった出演者のみなさま、準備から当日の運営までご尽力いただいたボランティア・スタッフのみなさま、本当にありがとうございました。3回目の開催となったミャンマー交流フェスタを成功させることができました。今回のフェスタでは3月に発生したミャンマー地震被災者への募金を呼びかけました。

司会を務めていただいたスーさんと松澤さん(スーさんはミャンマー語通訳も担当)

ミャンマー舞踊家キン・モーモー(熊谷幸子)さん

若麻績敏隆ミャンマー交流フェスタ実行委員会代表

クーデター後に増加したミャンマー人

クーデターから4年7ヵ月が経過して、報道も少なくなりミャンマーへの関心が低くなるなか、ミャンマーの文化を切り口に、ミャンマーについて知っていただけるきっかけとなるイベントにできました。長野県内在住のミャンマー人の方は1280人(2024年12月31日現在)と1年で527人も多くなりました。クーデター前の207人(2020年12月31日現在)に比べると6倍に増えています。

ミャンマー現地の写真を眺める子どもたち

ミャンマーの紛争や地震被害の写真に見入る在日ミャンマー人の方々

ミャンマーの情勢について語る民主派活動家ウィンチョウ氏

ミャンマー出身者が集い交流を深める機会に

今回のフェスタでも、県内在住のミャンマー人のほか、東京からもミャンマー人グループが応援にかけつけてくれ、遠く離れた日本・信州でミャンマー出身者が集い交流を深める機会にもなりました。
ステージではミャンマーのカレン族のダンス、ミャンマー友好協会副会長のキンモーモーさんのダンス、チンロン(ミャンマーのけまり)のほか、ミャンマーの状況についてNUG日本代表ソーさんからご報告いただきました。開会式では荻原健司長野市長からご挨拶をいただき、杉尾秀哉参議院議員からも激励をいただきました。

荻原健司長野市長

杉尾秀哉参議院議員

NUG在日代表ソー氏

ミャンマーの伝統舞踊

ミャンマーけまり「チンロン」

チャリティブースや写真ブースが並びました

会場内のブースではクーデター後のミャンマーの現状を知るための写真展示なども設けられました。ミャンマー風やきそば「カウスエジョ」や、ミャンマー雑貨などのチャリティ販売ブースなども出店して賑わいました。今回もミャンマー人の生活相談・労働相談のブースが出店しました。また負傷した兵士が描いた絵をプリントしたTシャツの販売ブースも初めて出店しました。

平和になったミャンマーで和太鼓を披露したい

今年もオープニングステージでは、善光寺木遣り保存会の皆様から、子どもたちも参加して、ミャンマー語も交えてミャンマーの平和を願う木遣りを披露してくれました。「舞響太鼓 雅」さんのステージでは観衆も巻き込んで盛り上げていただきました。平和になったミャンマーで和太鼓を披露したいとご挨拶いただきました。

今年も善光寺木遣保存会さんがオープニングを飾ってくれました

「舞響太鼓 雅」の圧巻のステージ

昨年に引き続き二年連続のステージ

長野西高校書道班の書道パフォーマンス「光路」

また今年は長野西高校書道班によるパフォーマンスでは、4メートルを超える紙に書き上げられたミャンマーへのエールが掲げられました西高校書道班のメンバーの皆さんはミャンマーについて学び、みんなで相談して「光路」という言葉を選んでくれたそうです。ミャンマーの方々も善光寺木遣りや「舞響太鼓 雅」の迫力ある和太鼓演奏、西高書道班による書道パフォーマンスなど日本の伝統に根差したステージに見入られていました。

長野西高校に初出演いただきました

メンバーで話し合って「光路」という言葉を決めてくれたそうです

ミャンマーの方々から「勇気をもらえた」と感想が届いています

ダンススタジオブロードウェイの子どもたちの元気なダンスの合間には、今年もミャンマー支援に取り組む大学院生の石川航さんからミャンマークイズとミャンマーの情勢についてお話いただきました。クイズではミャンマーの民族の数などが出されました。ミャンマーには130以上の民族があるそうです。子どもたちも手を挙げて参加してくれました。

ダンススタジオブロードウェイの子どもたちのダンスステージ

石川航さんにはブロードウェイのステージの合間に子どもたちに向けてクイズやミャンマーについて伝えていただきました

237,997円をミャンマー地震被災者支援に寄付します

フィナーレはみんなで踊りました

会場内に設置したミャンマー支援募金箱には、76,074円が寄せられました。ミャンマーレトルトカレーチャリティ販売ブースを出店された「HIRO TOKYO」さんと、ミャンマー焼きそばチャリティブースの売上を加えた237,997円の全額を「在日ビルマ市民労働組合」を通して、ミャンマー地震被災者への支援に寄付させていただきます。後日、ご報告させていただきます。

信州から、日本とミャンマーのつながりをより深める一日になりました。みなさまありがとうございました。

全員での記念写真

*信濃毎日新聞にフェスタ当日の様子が報道されました*

長野県内でも増えつづけるミャンマー人

長野県内ではミャンマー人は9位

上記でも触れましたが、長野県内在住のミャンマー人は1280人(2024年12月31日現在)と1年で527人も多くなりました。クーデター前の207人(2020年12月31日現在)に比べると6倍に増えています。排外主義的風潮の拡大が懸念されていますが、外国人労働者は、人手不足が深刻化する日本社会の維持に不可欠であり、介護や建設業など、様々な産業を支えています。長野県で盛んな農林業にとっても大切な存在です。しかし外国人を受け入れることで人手不足が解消されるメリットがある一方、労働環境の改善、日本語学習支援、地域社会での偏見の解消など、受け入れ側の課題や、多文化共生を進めるための具体的な取り組みが求められています。ミャンマーと日本社会を結ぶ懸け橋になれるよう今後も取り組んでいきます。

「外国に向かうミャンマー人若年層」ジェトロ(日本貿易振興機構・地域分析レポート)

https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2025/6547b85f387fafbf.html

学習会に参加してください。Zoomでの視聴も可能です

ハラスメント(カスハラ・パワハラ・セクハラ)問題

〈第19期〉21世紀の労働運動研究会 9月12日 須坂市で

労働運動研究会第3回講座の講座のテーマは「ハラスメント問題」です。パワハラ、セクハラ、いじめなど職場では労働者の尊厳を傷つける企業・使用者が相変わらず横行しています。職場での労働強化や人員削減で、労災職業病も後を絶ちません。

さらに、顧客からの理不尽なクレームや言動によって労働者のメンタルが傷つけられる「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が社会問題となっています。今年6月にカスハラ対策を雇用主に義務付ける労働施策総合推進法改正法案が可決されました。カスハラ対策を事業主の「雇用管理上の措置義務」とする内容です。

今回の講座ではカスハラ問題についても講師の小川英郎・弁護士にお話しいただきます。Zoomでの視聴も可能です。

戦後80年 日本と朝鮮半島、東アジアの過去・現在・未来を読み解く

日朝問題学習会 9月20日 松本市で

第二次世界大戦の終結、日本の敗戦から80年が経過しました。1945年8月15日、戦争終結のこの日は朝鮮半島にとっては日本の植民地支配からの解放の日でした。長きにわたって侵略戦争と植民地支配に終始した日本は、その反省に基づいて「日本国憲法」の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」との強い決意の下、世界に向けて「不戦の誓い」を表明しました。

しかし、戦後80年を経過した今、「新しい戦前」との言葉に象徴されるように「不戦の誓い」からはほど遠い状況になっている。2015年9月の「安全保障法制」の改悪以降、自衛隊は米軍とともに軍事演習を繰り返し、防衛予算はほぼ倍増しました。「敵基地攻撃能力」の保有など専守防衛を逸脱した軍拡が進んでいます。一方で、「日本人ファースト」を標榜する政治勢力が台頭し、群馬県民の森の「記憶 反省 そして友好」の碑の撤去に象徴される「排外主義」が日本社会をばっこしています。植民地時代の強制連行や慰安婦、関東大震災時の朝鮮人虐殺など様々な人権侵害を否定する歴史修正主義の横行は、もはや無視できない状態になっています。

日朝長野県民会議は、日本と朝鮮の友好な関係構築を基本に、日朝国交正常化、在日朝鮮人の人権確立、朝鮮戦争の終結などの課題に取り組んできました。日朝間では、いまだに国交がなく、植民地支配の清算もされていません。戦前を総括しきれずにきた日本社会は、いまだに植民地主義を払拭しきれずにいます。そして歴史をゆがめようとする勢力が台頭してきています。戦後80年、歴史に再び向き合い真摯な反省から新しい出発を模索しなくてはなりません。

日朝問題学習会は、講師にジャーナリストで情報誌「インサイダー」編集長の高野孟氏を招き、「戦後80年 日本と朝鮮半島、東アジアの過去・現在・未来を読み解く」をテーマに講演していただきます。日本がアジアとの障壁になっている侵略、植民地支配の歴史をどう清算するのか、歴史認識をどのように共有していくのか、これからの日本の東アジア外交の展望など、気骨のジャーナリストである高野孟さんが熱く語ります。

「2025ミャンマー交流フェスタin信州」が今年も開催!

9/7(日)「2025ミャンマー交流フェスタin信州」開催!

2021年2月1日に起きたミャンマー国軍によるクーデターから4年半以上が経過しましたが、今なおミャンマー国内では民主化を求める市民への国軍による弾圧がつづいています。さらに今年3月28日にはミャンマー中部に大きな地震が襲いました。日本ではクーデターや地震に関する報道も少なくなり、ミャンマーへの関心が薄くなっている現状があります。
「ミャンマーを忘れない」ために、今年も昨年にひきつづき「2025ミャンマー交流フェスタin信州」を開催します。

ミャンマー大地震災害支援募金も呼びかけます

会場ではクーデターや民主化問題についての写真やパネルの展示ブースも設けますが、まずはミャンマーの文化や人々の日常生活などについて知っていただきたいという思いで企画しました。
市民の方々にミャンマーで起きていることについて知り、考えるきっかけとなるイベントになればと願っています。
交流フェスタには、県内のほか東京などの在日ミャンマーコミュニティからミャンマーの方々も多数参加して、音楽やダンスをステージで披露してくれます。会場には、ミャンマー料理、衣装・雑貨などミャンマー文化に触れていただけるチャリティブースも並びます。また会場のブースのほか、中央通り沿いエリアでもミャンマー大地震災害支援募金も呼びかけます。

昨年のステージで披露されたミャンマー舞踊

今年は長野西高校書道班のパフォーマンスも披露

日本からは、「善光寺木遣り保存会」、「舞響太鼓・雅」(和太鼓)、ダンススタジオブロードウェイの皆さんがステージでプログラムを披露してくれます。さらに今年は、長野西高校書道班の皆様のパフォーマンスも予定されています。信州から、日本とミャンマーのつながりをより深める一日にできたらと願っています。
皆さまぜひぜひお越しください。一緒にミャンマーにエールを送りましょう。

昨年の「舞響太鼓・雅」のパフォーマンス

【2025ミャンマー交流フェスタin信州】概要

日時:9月7日(日) 午前11時~午後3時
会場:ながの表参道セントラルスクゥエア
(長野市西後町1580)
主催:2025ミャンマー交流フェスタin信州実行委員会
(実行委員長 若麻績敏隆)
後援:長野県・長野市
◆入場無料(カンパ歓迎)
◆雨天決行
お問い合わせ
電話:026(234)2116
(ミャンマー民主化を支援する信州の会・事務局)

◆「ミャンマー交流フェスタin信州」公式サイト

https://myanmar-festa-shinshu.jimdosite.com/

◆「ミャンマー民主化を支援する信州の会」Facebookでも発信しています!

https://www.facebook.com/democmyanmar.shinshu

◆ステージスケジュール

10:50  オープニング 善光寺木遣り保存会
11:10  開会式
①開会あいさつ(司会)
②実行委員会代表あいさつ(若麻績敏隆)
③荻原健司・長野市長あいさつ
④連帯あいさつ NUG駐日代表事務所代表
11:30  ミャンマーの歌と踊り
12:10  ダンススタジオブロードウェイ
◆途中:石川航さんからミャンマー情勢報告
12:50  和太鼓「舞響太鼓 雅」
13:30  キンモーモー(熊谷幸子)さん(ミャンマー民族舞踊家)
14:00  高校生書道パフォーマンス(長野西高書道班)
14:30  ミャンマーけまり「チンロン」
14:45  ミャンマーの歌と踊り
14:55  閉会セレモニー
15:00  閉会宣言(青木正彦)

今年も「善光寺木遣保存会」のみなさんがオープニングを飾ってくれます

キンモーモー(熊谷幸子)さんの伝統舞踊のステージ

311 子ども甲状腺がん裁判第14回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女6人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第14回口頭弁論が6月25日、東京地裁で開かれた。

また、 6月3日、新たな原告が追加提訴した。提訴したのは、高校3年生の時に甲状腺がん手術を受けた20代の女性。女性は長年、自身の甲状腺がんについて、「事故前からあったもの」という医師の言葉を信じ、「原発事故との因果関係はない」と考えていた。しかし、重い心的外傷ストレス障害を負い、原発事故と甲状腺がんの問題に向き合わざるを得ない中で、本訴訟を知るに至り、提訴の意思を固めたもの。以下の媒体からもどうぞ。

https://www.ourplanet-tv.org/50989/

https://note.com/masanoatsuko/n/n8025237dc255?sub_rt=share_pb

https://www.sankei.com/article/20250603-RPXNYF5V3JMI3KXTFKTXQ2QRZA/