10月29日(日)は長野市・セントラルスクゥエアへ集まろう
ステージではミャンマーの歌や踊り、広場ではミャンマー料理の提供も
クーデター直後と比べてミャンマーへの関心が薄くなっている現状があります。私たちは「ミャンマーを忘れない」を合言葉に活動を続けてきました。「ミャンマー民主化を支援する信州の会」の活動の一環として、多くの市民の方々がミャンマー問題について考えてもらうきっかけにしたいと、誰でもが気軽に参加できるフェスティバルを企画しました。
家族連れでのご来場をお待ちしています。
追悼碑を守る会が建碑28周年を記念する式典
松代大本営追悼碑を守る会は8月10日、長野市松代に建立している「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」の前で、大本営工事の際に犠牲となった朝鮮人労働者への追悼の意を表すための式典を開きました。日本人や朝鮮総聯、民団などの関係者約50人が参列しました。
冒頭、あいさつに立った追悼碑を守る会の表秀孝会長は、「追悼碑の裏面には私たちの決意が刻み込まれている。亡くなられた朝鮮人犠牲者を追悼し『過去の戦争、侵略。加害を深く反省し、友好親善、恒久平和を祈念してこの日を建立する』と記されている。過酷な労働を強いられ無念と望郷の中で亡くなられた朝鮮半島出身のみなさまに哀悼の意を捧げる。石板に書かれた私たちの決意は28年たっても実現していない。戦える国に傾斜していく政府の姿勢がますます強まるなか、このような動きを止めることができない悔しさを心に刻んでいる。国家権力の暴力がむき出しになる戦争には正義はない。力による平和は存在しないことを私たちは先の大戦から学び取ったはずだ。このような時だからこそ、歴史を直視し、歴史に学び、再び誤まることのないように決意したい。今こそ人と人との結びつきを強めるときだ。民衆の連帯の力を信じたい。善隣友好と平和創造に向けて皆さまとともに取り組みたい」とあいさつしました。
来賓として、駐新潟大韓民国総領事の権相熙(クォン・サンヒ)氏が「過去の誤った歴史を正しく認識し、真に反省し、過ちを繰り返さないようにすることが私たちの責務。しかし、過去のことだけにこだわっていると前に進めない。韓日両国は正しい歴史認識の下、未来に向かって手を取り合って進むべき」などとあいさつしました。
長野市長の荻原健司氏、衆参国会議員の若林健太氏、篠原孝氏、杉尾秀哉氏、羽田次郎氏からメッセージが寄せられたことが紹介されました。
日朝県民会議の中山良一・会長代行、朝鮮総聯県本部の李明宏(リ・ミョンガン)・委員長、民団県地方本部の金秀男(キム・スーナン)・副団長がそれぞれ追悼の言葉を述べました。
式典の最後には、参列者全員で菊の花を献花しました。
原水禁県大会で広島で被爆した今井和子さんが体験談
被爆78周年の今年、広島へ原爆が投下された8月6日、長野市・県労働会館にZoom参加者も含めて約40人を集め、原水爆禁止長野県大会を開きました。
大会の冒頭、宇佐美正信・県原水禁代表委員があいさつ。岸田政権の原発回帰政策、核兵器禁止条約を批准せずアメリカの「核の傘」にとどまる対応を厳しく批判しました。
大会では、広島市が主催する平和記念式典をテレビ中継、原爆が投下された8時15分に黙とうをささげました。
アメリカ軍が原爆投下直後の広島や長崎の様子を撮影した映画フィルムを、今から約40年前、「10フィート運動」によってカンパを集めて買い取り、『にんげんをかえせ』という20分程度のドキュメンタリー映画が完成しました。原爆詩人・峠三吉の詩集のタイトルを冠したこの映画を県大会で上映しました。被爆直後の傷付いた人々の姿も映し出され、改めて原爆投下への怒りが会場にまん延しました。
その後、5歳前に広島市で被爆した長野市に住む今井和子さんが被爆体験を証言しました。
今井さんは「広島に原爆が投下された8月6日の8時ちょっと過ぎ、空襲警報があり防空壕に入ろうとしたら解除になったので、一安心していました。ところが、突然激しいピカッという閃光、それから下から突き上げるようなドーンという地響きと共に、グラグラ家が揺れて、物がバアーンと飛び散り、シャリシャリシャリとガラスの破片が飛んでいきました。まさにピカッドーンという衝撃で、今でも体の感覚として残っています。向かいの家の娘さんが下敷きになっているお父さんを『助けて、助けて』と叫んでいましたが、皆はもう自分のことで精一杯でした。その『助けて!』という悲鳴は今でも耳に残っています。その後避難場所に行くとき、背中が焼けただれた人とかが折り重なるように馬車に乗っていました。一番後ろにいた人の背中が真っ赤に焼けただれていて、その人の虚ろな目が強く記憶に残っています」と、原爆投下直後の様子を生々しく証言されました。また、今井さんは「被爆者の苦悩は2つある。一つは生涯続く健康不安。自分だけでなく子どもや孫、ひ孫にも影響が出るのではないかという不安。もう一つは生きていることの罪悪感。周りに助けを求めている人がたくさんいたにもかかわらず、助けてあげられなかったこと」と語りました。
原水爆禁止長野県協議会は、今年も各単産・各地区へ呼びかけ、8月7日(月)・8日(火)・9日(水)に開催される「被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加することになりました。
長野県からは、自治労、国労、上伊那地区、松本地区、長野地区、長野県原水禁から8人が代表で参加しました。残念なことに、大会会場に到着するなり、台風6号の接近により3日目の行事の全てが中止となったと告げられました。それを受け、2日目で帰る決定をした団も多くありました。我が団もどうするべきか団長と事務局で相談しました。ちょうど少し前に、沖縄を直撃した台風の影響で観光客がしばらくホテルに缶詰めになったという報道もあり、帰れなくなったら大変と、さまざまなことを考えました。帰りの飛行機が欠航になることを想定し、航空券を頼んでいた旅行会社と連絡を密に取り、結果、欠航となっていないけれどキャンセル料が発生しない災害認定となったことで、大会の開会行事が開催中にも関わらず、長崎駅に走りました。JRのみどりの窓口は、まだそれ程混んでいる様子はなく、なんとか8人分の新幹線の切符が取れました。それにより、長野県代表団は2日目の行事はしっかりと参加し、3日目の朝8:44の新幹線で帰郷することに決まりました。新幹線での長時間の移動で大変だろうという心配もありましたが、帰れなくなることを考えれば、それも致し方ないことでした。
長崎市・ブリックホールにおいて「被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」開会行事が行われ、約800人が参加しました。開会行事では、高校生たちがオンラインでとりくんだメッセージ動画「高校生平和アクション2020」が上映されました。全国から集まった第26代高校生平和大使・高校生1万人署名活動のメンバーのみなさんが登壇、活動報告を行いました。コロナ禍で中断していた海外派遣について、8月下旬に予定されていることも報告。あわせて合唱が披露されました。高校生平和大使の「微力だけど無力じゃない」が耳の残り、大人の私たちも見習わなければと思いました。
行事終了後、全員で路面電車でホテルへ移動し、夕食会場であらためて、それぞれの自己紹介をし、帰りの予定が変更になったことを共有しました。
2日目は、それぞれの希望する分科会へ参加し、午後は唯一の自由時間だったので、思い思いに過ごしました。夕食で参加者の感想や報告を聴いたところ、ほとんどが原爆資料館と平和公園を訪れていました。台風の影響で湿気を含んだ風が強かったのですが、夕方になって少し雨に降られたくらいで、かろうじて天候に恵まれました。
昼食に入ったお店で、同じ第4分科会に参加していた女性お二人と出くわしました。そのうちのお一人が長崎市在住の被ばく2世の方で、「現在、長崎原爆資料館の展示に関して歴史修正主義者たちから横やりが入り、資料館の加害の展示を変えようとする動きがみられます。長崎になぜ原爆が投下されるようになったのか、それまでの戦争の加害の部分を含めて展示していかないと、世界中から訪れる、特にアジアの人々に共感や相互理解を得るのは厳しいと思っています。加害展示を含めて資料館の展示をするように市民の会が発足したのでそちらの活動に今、力を入れています。」とのことでした。本当に、そう思います。当事者の方がそう、加害の責任についてきちんと語っているのに、国は一体何をやっているのかと個人的に強い憤りを覚えました。他にも、当事者としての貴重なお話を聴くことができ、たまたま巡り合わせただけなのに、気さくに接していただいてとてもありがたく感じました。
朝8:00前に集合し早々に長崎を離れたため、8月9日11:02の原爆が投下された時間は、新幹線の中で、それぞれがスマホで平和記念式典のLIVE中継を見て、黙とうしました。やはり行進ができなかったのは少し心残りとなりましたが、何よりも無事に8人全員で熱中症もケガもなく長野に帰り着くことができたことが一番でした。とてもいい仲間と長崎の学びの旅に参加できたことに感謝です。3日間あらためてありがとうございました。
・原水爆禁止世界大会に参加させていただき、核の恐ろしさと、その廃絶の必要性を改めて深く感じました。この会で、多くの方々が平和と非核のための熱意を持って一堂に集まっている様子にはとても感動しました。被爆された方の証言や、核とその影響に関する講演では多くの新しい学びを得ることができ、今まで自分が考えていなかったような範囲にまでその影響が及んでいる事を知りました。そして、私が特に心を打たれたのが、高校生平和大使による発表です。大使の皆さんは「ビリョクだけどムリョクじゃない」をスローガンに全国で署名活動をされています。高校生が平和のために真剣に活動する姿はとても頼もしく勇気をもらいました。私はこの大会に参加し核の問題に対して無関心でいることの危険性を改めて感じました。しかし、一人一人がどれだけの力を持っているのかも再認識できました。全国から集まった参加者のみなさんと共有した核廃絶への思いを胸にたとえ微力だとしても平和のための活動に参加し周囲の方々にもこの問題の重要性を伝えていきたいと思います。
・大会を通じて、改めて戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを痛感しました。分科会で学んだ「被爆体験を、体感する」ことが、二度と核兵器を使用しないために大切なことだと思いました。大会を通じて沢山の人の思いに触れ、とても勉強になった2日間でした。
・団長はじめ、ご一緒した皆様大変お世話になり、ありがとうございました。熱量が一番高い今の気持ちを大切にアウトプットしていきたいと思います。
・いよいよ明日8/24汚染水海洋放出ですね。長崎大会に参加しなければ、ほとんど関心がなかったと思います。参加できてほんとうによかったと思います。この思いを少しでも多くの組合員等につなげていきたい、つなげる責任があると思います。
・初めて大会へ参加しましたが、改めて戦争や核の恐ろしさを痛感し、政府の原発推進へ向けた様々な施策にも改めて疑問を感じました。今大会で学んだこと感じたことは職場の仲間たちへ伝え、特に後輩たちへはこういった機会があれば積極的に参加してもらえるよう伝えていきたいと思います。私も今後、平和のための活動へは出来る限り参加していきたいと思います。
・「被爆体験者」ということばを初めて知り、行政の理不尽な対応に
・長崎県のように子供の頃から核廃絶について学ぶ機会を作る必要性
8月4日から6日にかけて広島市で開催された原水爆禁止世界大会・広島大会に、長野県原水禁代表団として22人が参加しました。
今年はコロナ禍で中断されていた子ども代表団が復活し、県内在住の小学生から高校生の参加者6人(保護者同伴)が、子ども慰霊祭や、平和公園の慰霊碑フィールドワーク、広島で学んだことを新聞や劇で表現するワークショップに参加しました。
初日、長野県代表団のメンバーは原爆資料館(広島平和記念資料館)の南側に集合して、大人参加者は折鶴平和行進・開会総会に参加し、親子参加者は原爆資料館を見学しました。広島市に滞在した3日間は連日天候にめぐまれましたが、高い気温と湿度が続くため熱中症にならないように気をつけながらの滞在になりました。
原爆資料館に入館するまでには長い行列ができ、各国から訪れた方々で混雑していました。14万人という数字ではなく、ひとりひとりの犠牲者がどんな人生を歩み、どんな最期を迎えたのかがクローズアップされた展示となっていました。さまざまな角度から「あの日、広島で起きたこと」を伝える展示となっており、滞在した一時間半では到底回り切れない内容でした。展示物の前に立ち止まり涙を流している方もいらっしゃいました。
夜の交流会では、自己紹介の際に、それぞれどんな思いで参加したか、今日の感想などを述べ合いました。子どもたちは大勢の大人の前で緊張しながらもがんばって話しました。若い世代の参加者からは「正直、観光目的で参加したところもあったけど、今日、被爆者の方からお話を伺えて来てよかったと思いました」と正直な感想がきかれ、実際に広島を訪れることの大切さが共有されました。
二日目は、大人参加者は希望する分科会に参加しました。親子参加者は、早朝から子ども慰霊祭に参列しました。全国各地から集まった子どもたちと一緒に黙祷を捧げました。各県の子ども代表団が順番にそれぞれ献花し折鶴を納めました。長野の子どもたちも持参した折鶴を納め献花し、子ども代表団の高橋さんが献詩を捧げました。
【長野原水禁子ども代表団・髙橋樹貴亜さんの献詩】
八月六日 八時十五分
たった一発の原子爆弾が十四万人の尊い命を奪いました。
私と同じ十代の若者の犠牲者も一万五千人以上にのぼりました。
亡くなられた若い皆様は、未来という夢と希望に満ちあふれ、胸を膨らませ青春を謳歌していたことでしょう。
夢を果たせなかったことを、同じ若者として、大変、胸が痛みます。
皆様が負った大きな大きな傷を和らげる唯一の方策は、悲惨な戦争を二度と引き起こしてはならないことです。
しかしながら、世界では、核使用をちらつかせ、自国主義、軍拡といった風潮になりつつあり、既に、悲惨な戦争が引き起こされていることは、誠に、残念で仕方がありません。
ただ、我々ができることは、唯一の被爆国として先人達が訴え続けた平和の尊さ、戦争の悲惨さを、しっかり受け継ぎ、平和に感謝し平和を守り、次の世代へ引き継いでいくことだと思います。
平和は、もたらされるものではなく、自ら作り上げるものだと思います。
どうか、皆様、私達を、天国から見守っていてください。
慰霊祭終了後は、平和公園内に建立されている慰霊碑を被爆2世の上野さんに案内していただきながら、それぞれの慰霊碑やモニュメントの背景や歴史について伺いました。
平和公園がある場所には、もともとはいくつかの町があったそうで原爆の投下によって、壊滅し大勢の方々が亡くなったそうです。その方々の日々の営みがあった土地をそのまま踏むことはできないと、盛り土をして公園が造られたと教えていただきました。
韓国人原爆犠牲者慰霊碑では、日本人だけでなく多くの朝鮮人の方が原爆で亡くなったこと、名前もわからない方も大勢いることを学びました。
フィールドワークの終盤、原爆ドームに集合した子どもたちがダイ・インを行いました。 ※ダイ・イン(die in)参加者が死者になりきることで行われる抗議の一形式。
午前の部の最後には、ご家族を原爆で亡くした被爆2世の女性の方からお話を伺いました。原爆投下によって、コミュニティが丸ごと破壊され、身近な家族が突然いなくなってしまったこと、年月が経過しても大切な家族を亡くした悲しみは癒えないことをお話くださいました。子どもたちは静かに耳を傾けていました。
午後の部では、子どもたちは高校生平和大使を経験した大学生が中心になって企画されたワークショップに参加しました。それぞれが見て感じたことを劇や新聞や絵で表現するという内容でした。
長野県から参加した子どもたちは新聞作りとうちわに絵を描くワークショップを選びました。長崎県から参加している高校生のスタッフさんのサポートを受けながら、原爆ドームや慰霊碑や折鶴などを描いていました。普段、関わることの少ない大学生や高校生とのやりとりも子どもたちにはいい経験になったようでした。
夜の交流会では、子どもたちも打ち解けてきて、大人たちに質問したり、おしゃべりしたりして楽しい時間を過ごしていました。
日程の最終日は、代表団全員で、朝から原爆ドームに向かいました。一年で最も広島市が混雑する日でもあり、路面電車での移動が心配されましたが、無事に8時前に原爆ドームにたどり着けました。
原爆ドーム周辺は、前日、前々日と打って変わってデモ隊や機動隊が並んで喧騒に包まれていました。子どもたちも緊張した面持ちでしたが、原爆ドーム前のスペースに、長野県代表団全員が集まることができました。原爆投下の時刻にあわせて黙祷を捧げました。地元のテレビ局にも取材され、子どもたちはしっかりと受け答えしていました。
その後、大人参加者は閉会集会に参加しているあいだ、親子参加者は「こども文化科学館」を見学しました。子どもたちは、長野と異なる湿度の高い広島の気候にぐったりする日々が続いていましたが、科学館では思い思いに展示物に触れて遊んだり、走り回ったりして楽しんでいました。
最後に、原爆ドームに再度集合して相生橋から集合写真を撮って解散しました。
酷暑の広島での日程でしたが、ひとりも体調不良等になることなく終えられました。
来年度以降も実施予定です。
ぜひご参加ください。
・7年前、小学校4年生の頃、原爆資料館や原爆ドームを訪問しましたが、まだ、小学生であったことと、年数も経過し、記憶が薄らいでいたことから、今回、改めて、原爆投下日に広島を訪問し、原爆、戦争を考えたいと思い、参加させていただきました。本当に密度の濃い3日間で、言葉では表せられないような気持になって、長野県に戻ってきました。(高校生)
・原爆ドームの前でのダイ・インでは、ここに78年前、原爆が投下されたんだ。自分は今、被爆された方と同じ場所に倒れている。何とも言えない気持ちにかられました。水を求めて、原爆ドーム前の川は人であふれかえり、多くの死体が転がり、服は燃え、目はたれ落ち、そこに自分は今、いる。なぜ、何の罪もない一般市民までも、そんな仕打ちにあわなければならないのかと。。
改めて、平和の尊さ、戦争の愚かさを感じ、こんな戦争、2度と繰り返してはならないと、強く、心に刻まれました。(高校生)
・広島平和記念資料館にいって原爆が落とされた町の風景や亡くなった人たちの物や原爆がどのくらいデカいのかとかも知れたし亡くなった人の名前や顔とかもあって小さい子から大人まで皆亡くなってしまったということが分かりました。やっぱり原爆は怖いなと思いました。(小学生)
・いつか平和記念公園・原爆ドームは行かないといけないと思っていましたが、大事な日に広島に行けたことはとても貴重な経験となりました。とても勉強になりました。(20代)
・原爆の投下された地で、その恐ろしさや悲惨さを目の当たりにしました。とても貴重な機会で多くのことを学ぶことができ、有意義な時間でした。(20代)
・3日間、大会に参加し、核について少しばかり自分には無関係と思っていましたが、それが身近な脅威であると感じました。そういった危機感を感じることができ、本大会は私にとって充実したものとなりました。(20代)
・漠然としていた「戦争・原爆」への印象が覆されました。今までに、戦争や原爆、平和について学ぶ機会は多々ありましたが、実際に当時の物を見て体感するのは高校生の時に訪問した沖縄県への修学旅行以来でした。改めて、学び・体感したからこそ、二度とこのような出来事を起こしてはいけない、忘れてはいけないと強く感じました。現在、世界で起こっている戦争。自分の置かれている環境が恵まれており、同じ時代の出来事ではないのではと錯覚してしまいます。「戦争」について、別世界の話だと目を背けるのではなく自分も学び体験したからこそ、何かできることはないのかともどかしさを感じました。(20代)
・当時の様子を聴く中で「本当は思い出したくないし、話したくないが、このような出来事があったことを知ってもらうために今ここにいる。」と言う話があり、当時を振り返り「戦争・平和」を世界へ発信しなければいけないと感じる反面、訴えることへの苦悩に何とも言えない感情を抱きました。(20代)
・とっても良かったという表現が間違いかもしれませんが良い経験になりました。(40代)
・原爆が落とされた日と同じような暑さだったこと、8月6日という日の中心に自分たちがいたこと、その日に広島に行っていないと感じられない感情を感じることができました。(50代)
・子供たちと参加させていただきありがとうございました。資料館など見学をして子供たちも原爆がいかに危険なものか学ぶことができました。(40代)
・真夏の太陽が照りつける中、原爆資料館を始め、被爆2世の方々によるフィールドワーク、子供慰霊祭、グループワーク等、大変密度の濃い3日間でした。改めて、戦争の怖さ、原爆の恐ろしさを感じました。(50代)
・普段はあまり原爆等について考えないかもしれませんが、そういう人にこそ是非参加していただきたいと思います。(20代)
・良い経験になるのでぜひ行ってみてもらいたい。8月6日に行くことの意味を体感してほしい。(40代)
・一度、広島に来てみてください。そして、今の平和の有難さ尊さを実感しましょう!(50代)
・広島に行くことで何かを感じることができます。その何かは人それぞれですが、広島に行くことで何かを感じることは、私が約束します。(松田元伸代表団団長)
「21世紀の労働運動研究会」で棗一郎・弁護士が強調
県労組会議は17年目となる「21世紀の労働運動研究会」の年4講座を開催中です。7月22日には、日本労働弁護団常任幹事の棗一郎・弁護士が松本市で講演しました。テーマは、「今後の労働法制改悪と非正規・非雇用化政策に対抗する社会的労働運動を」。
棗一郎・弁護士は、講演の冒頭、日本が現在置かれている経済的・政治的な状況について言及。「世界から見てこの30年間で日本はもはや経済の面でも“二流国”になった」「軍事費を倍増させ、閣議決定でだけで『敵基地攻撃能力の保有』や、中国・台湾有事に備えると称して、沖縄本島を含む南西諸島に自衛隊基地や攻撃能力を急激に増強している」と強調。
「今こそ、すべての労働運動と平和運動、市民運動の連帯と結合、団結が必要不可欠だ」と訴えました。
以下、棗一郎弁護士の冒頭の発言を掲載します。
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「オールジャパン・デモクラシー」の運動が必要不可欠だ
日本労働弁護団常任幹事 棗 一 郎
政治の闇、経済の没落
現在の労働者・労働組合を取り巻く日本社会の現状は、世界(OECD諸国)と比較してどのような社会・経済・政治状況なのか?
昨年明らかになった政治の闇は、自民党と反社会的カルト教団との歴史的な癒着関係(反共の砦)と法律上の根拠もなく、財政民主主義にもよらない「安倍国葬」の強行により、内閣(政府)の独裁とも呼ぶべき、もはや‟法治国家“ですらなくなった3流の後進国の政治状況となった。日本の国民も労働運動も結果としてそれを容認しているのが現状である。
その反面で、これまで「日本は政治は二流だが、経済は一流」との幻想を抱いてきたが、もはやOECD諸国で最低の賃金(過去20年以上にわたって実質賃金-購買力平価による換算値‐が上がらない国)、最低賃金も最低の国、世界から優秀な人材を集めることができず、逆に日本の若い労働者は海外に出稼ぎに行くような状況である。さらに、世界一の速さで高齢化が進み、労働力が慢性的に不足している状況であるにもかかわらず、人権侵害・奴隷労働を強いている外国人「技能実習生」制度すら廃止できず、日本に来なくなることが予想される。
日本経済は、“日本病”と称される暗礁に乗り上げていて、もはや“経済大国”でさえない、2流・3流の経済国家になってしまった。昨年の世界大学ランキングで、東京大学は39位、京都大学は68位に大きく後退し、もはや往年の見る影もない。人材においても2流の国家になっている。
現在、ロシアのウクライナ侵略戦争の長期化とエネルギー自給・食料自給ができていないことなどを要因として急激な円安と物価上昇を招いて、庶民・経済的弱者層を直撃し苦しめている経済状況、その一方で富裕層と大企業はびくともしない決定的な貧富の格差構造は、変わる兆候もない。もはや日本は2流の経済国というのが世界経済の見方である。
軍事大国化と戦時体制の整備
そして、国家予算では軍事費(戦時体制の強化)を5兆円にまで増大させ、ロシアのウクライナに対する侵略戦争の長期化、中国共産党の独裁体制の確立と北朝鮮の核開発、台湾・東アジア有事をあおる自公政権による軍事費の著しい膨張と軍拡政策、戦争有事体制に備えるかのような警察国家・監視国家への着々とした法整備と予算の執行などが続いている。岸田内閣は、これまで戦後一貫して保持していたはずの日本の軍事的基本戦略である『専守防衛』政策を明確に転換して、「敵基地攻撃能力を持つ」軍隊へと安全保障政策を大転換させた。こんなにも重要な国の基本政策の大転換を行うには、国民的な大きな議論が必要であり、解散総選挙を行って国民に信を問うべきである。にもかかわらず、国会での慎重な議論や決議もなく、国民的な議論を経ることなく、一内閣の閣議決定だけで決めてしまった。主権者たる国民の意思を問うことなく、それを無視して一方的に政策を進めていくのは、まさに“亡国の内閣”であり、この国を誤った方向に導くものである。
沖縄は今年で米国統治下(アメリカ世)から日本への復帰51年を迎える。国内の米軍機基地の7割が沖縄に集中する極めていびつな軍事態勢に加えて、近年、中国・台湾有事に備えると称して、中国に対抗するための「南西シフト」(言葉のごまかしで実は「琉球・沖縄シフト」)を組み、自衛隊の増強が急速に進んでいる。これまで沖縄本島を含む南西諸島は、自衛隊・防衛の「空白地帯」をされてきたが、与那国島、宮古島、奄美大島、石垣島に陸上自衛隊の駐屯地を開設、ミサイル防衛基地を作って、中国と向き合う最前線の島々で防衛拠点の構築を急いでいる。
社民党の福島瑞穂議員が、日本労働弁護団主催『安部自民党改憲案に断固として反対する労働組合の集会』の時に発言されていた。「気づいたら、“戦争”が廊下の奥に立っていた・・・!」
今の日本は労働者・労働組合にとって戦後経験したことのない政治・経済・軍事的に極めて危険な状況にある中で、日本の労働組合と労働弁護士は何をすればよいのか?どこへ向かえばよいのか?それが今、私たち一人ひとりに厳しく問われている。
今、何が必要か?
以上のように、今の日本は政治・経済・軍事、そして雇用社会と労働政策・労働法制は危機的状況にある。このままでは、日本は再び暗黒の時代を迎え、体制翼賛化、ファシズム、軍事国家への道を突き進んでいくことになる。
これを止めるためには、“オールジャパン・ユニオン”だけでなく、“オールジャパン・デモクラシー”で対処し、行動し、運動を作り上げていかなければならない。つまり、今こそ、すべての労働運動と平和運動と市民運動の連帯と結合と団結が必要不可欠なとき!
「ミャンマーを忘れていない」というメッセージを届けよう
長野市の「アジア子ども交流支援センター」が呼びかけ
ミャンマー国軍クーデターから2年半が経過しましたが、ミャンマー国内では民主化を求める人々への国軍による苛烈な弾圧が続いています。国軍の市民への弾圧の中止と民主派の指導者や逮捕者の即時解放、民政への移管を求めて、国際社会は役割を果たすべきです。しかし、日本政府は世界で一番のミャンマーへの投資国としての責任を果たそうとせず、政府開発援助に関する事業の継続など国軍政治に対する甘い対応がまかり通っています。
クーデター直後と比較してミャンマーへの関心が薄くなっている現状があり、私たちは日々、「ミャンマーを忘れない」活動を継続していく必要があります。
長野市に本部を置く市民団体、アジア子ども交流支援センターは、ミャンマーに向けて古着を送ろうと、市民に呼びかけています。日本から温かい古着を送って、ミャンマーの民主化を求める人々を支援し続けているという日本人の心も現地に届けましょう。
取り組みの詳細は、下記のチラシを参照してください。
なお、8月1日付の信濃毎日新聞・社会面にこの活動が紹介されています。
ミャンマーの冬は寒いと言っても、最高気温25~37℃、最低気温は18~20℃と温暖な気候です。一番涼しいのは10月下旬から2月です。しかし、山沿いとなると昼夜の寒暖差が激しく、昼夜の寒暖差が激しく、夜は10℃を下回ることがあります。そのため、秋口に着るようなTシャツ、ポロシャツの長袖、薄手のウィンドブレーカーのような上着を必要としています。以下の例を参考に、ご支援をお考えいただけると幸いです。
・Tシャツ、ポロシャツ、トレーナー(長袖)
・上着(ヤッケ、ウィンドブレーカーのような薄手のもの)
・長ズボン
・劣化が一著しいもの。選択をしてないもの。匂いが発生しているもの。
・下着、靴下
・背広
・冬物のセーター、ジャンパー、コートなど
★古着のご支援をいただいた皆様には、送料のご寄付もお願いしております。
例…買い物袋1袋につき、1000円~2000円の送料負担をお願いします。
送料振込先
八十二銀行浅川若槻支店
店番号 225
口座番号 367551
口座名 アジア子ども交流支援センター
[問い合せ]
〒381-0084 長野市若槻東条515-3
アジア子ども交流支援センター
電話 026-295-9815
8月26日 鄭永寿さん(朝鮮大学校講師)を講師に日朝問題学習会
今年9月1日は、首都圏に甚大な被害をもたらした関東大震災から100年となります。多くの日本人には9月1日は「防災の日」として広く知られています。
しかし、このとき起きたのは自然災害だけではありません。震災のさなか流言飛語が飛び交い、戒厳令が公布され、6千人以上の朝鮮人が、軍隊、警察、自警団によって虐殺されたのです。
2003年8月、日本弁護士連合会は日本政府に対して虐殺の責任を認め、被害者と遺族への謝罪、真相調査と原因究明を勧告しました。しかし、日本政府はいまだに事実を認めず、調査も謝罪も賠償もしていません。それどころか今年5月23日に開かれた参議院内閣委員会で谷公一国家公安委員長は、朝鮮人虐殺事件についての質問に対し、「事実関係を把握できる記録が見当たらない。さらなる調査は考えていない」と答弁し真相調査すら拒んでいます。
そうしたなか、「虐殺否定論」がまん延し、災害時にはSNSなどで「朝鮮人犯罪」に関わるデマが繰り返され、在日朝鮮人に対する差別や暴言、暴行事件など、100年前を想起させる事態が後を絶たないのが日本社会の現状です。
関東大震災時に虐殺された犠牲者を追悼し、虐殺の真相究明を進め、政府などの責任を追及する必要があります。そして、「多文化共生」が強調される社会のなか、在日韓国・朝鮮人に対する差別と偏見、ヘイトスピーチ・クライムを根絶するための運動が求められています。
日朝問題学習会では、朝鮮大学校で在日朝鮮人史を専攻する講師、鄭永寿(チョン・ヨンス)さんをお招きし、関東大震災での朝鮮人虐殺の真相、日本による朝鮮半島植民地支配による朝鮮人に対する加害と抑圧の歴史について講演していただきます。
多くの方々が参加していただけるようにお願いいたします。
1.日 時 8月26日(土) 13時30分
2.場 所 長野朝鮮初中級学校(朝鮮学校)敷地内北側 朝鮮文化会館3階 会議室
松本市島内2643-1 電話0263-40-7963
3.内 容 関東大震災時の朝鮮人虐殺の真相、日本による朝鮮半島植民地支配による朝
鮮人に対する加害と抑圧の歴史について考える
講師 鄭 永寿(チョン・ヨンス)さん (朝鮮大学校講師)
1983年生。2006年朝鮮大学校文学歴史学部卒業。朝鮮大学校研究院修了、東京外国語大学大学院博士前期課程修了。専攻は在日朝鮮人史。
4.主 催 日朝県民会議/日朝松本市民会議
5.Zoom ① 会場参加を基本としますが、Zoom参加での視聴も可能です。
② 当日、Zoomで参加される方のID、パスコードなどは以下の通りです。学習会当日は、13時10分から入室できます。
https://us06web.zoom.us/j/83635308861?pwd=c3JMenI5c1RaNTc2aHd0cEp0VzJXdz09
ミーティングID 836 3530 8861
パスコード 222666
憲法判断を一切回避、司法の役割を放棄する判断
原告団は最高裁に上告 明確な違憲判断を
東京高裁で控訴審を争ってきた信州安保法制違憲訴訟は5月25日に判決が出されました。
報道もされているところですが、判決の結論は、全国の多くの訴訟と同様、控訴を棄却するというものであり、憲法判断も一切行わないというきわめて不当な判決でした。原告団・弁護団は直ちに抗議のコメントを出しました。
東京高裁の口頭弁論では、原告側が石川健治・東京大学教授や小林武・沖縄大学教授、成澤孝人・信州大学教授の3人を証人申請しました。しかし、裁判官は「却下」するというきわめて不当な訴訟指揮を行いました。弁護団は直ちに裁判官の「忌避」を申し立てましたが、東京高裁、最高裁は申し立てを棄却、今年2月に結審し、5月25日に判決という進行となりました。
判決内容も、私たちが主張した権利・利益の侵害は、いずれも国家賠償法上保護された権利ないし法的利益の侵害には該当しないと門前払いし、立法府の違憲立法に対する司法の役割を放棄する不当判決でした。私たちは、このような判決・判断に強い憤りを表明します。
信州安保法制違憲訴訟の会としては、このような判決を到底受け入れることができないことから、6月4日に開いた原告集会でも論議し、最高裁判所に上告し改めて違憲判断を求めて闘うこととしました。
ミャンマー民主化を支援する信州の会が総会開く
新町智哉さん(映像プロデューサー/ヤンゴン在住)や
井本勝幸さん(日本経済大学特命教授)が現地での支援活動を報告
ミャンマー民主化を支援する信州の会は7月8日、長野市内で会場とオンラインでの参加者約40人を集め第2回総会を開きました。
総会では、10月29日(日)に長野市・セントラルスクウェアで「ミャンマー交流フェスタin信州」を開くことを確認しました。
また、ミャンマー現地の状況や支援活動について、ミャンマー・ヤンゴン在住の新町智哉さん(映像プロデューサー)とタイのミャンマー国境付近で人道支援活動を続ける井本勝幸さん(日本経済大学特命教授)が現地の状況などについて報告しました。
報告内容などについては、後日ホームページにアップします。