21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

田中煕巳さん(日本被団協代表委員)が1月19日に長野市で講演

日本被団協ノーベル平和賞受賞記念講演会を開きます

今年のノーベル平和賞は日本原水爆被爆者団体協議会(日本被団協)に授与されました。被爆者が二度と核兵器を使ってはならない、世界に核兵器はいらないと訴えてきた活動が高く評価されたものです。

これまでに被爆者のみなさんが語ってきた凄惨な被爆の実相が、国際社会における核兵器の非人道性を明らかにし、またヒロシマ・ナガサキ以降今日まで、戦争による核兵器使用を阻む最も大きな力となってきました。ノーベル委員会が「核のタブーの確立に大きく貢献してきた」と述べているように、被爆者のみなさんが果たした役割を重く受け止める必要があります。

世界では、核兵器を所有することで互いの緊張状態を作り、戦争を回避しようとする「核抑止論」への傾斜が強まり、核保有国から核兵器使用の威嚇が公然と発せられている現状があります。日本国内においても「核共有」を検討すべきなどと声高に主張する政治家さえ見受けられます。

しかし核兵器が存在する限り、核兵器使用のリスクは永遠になくなりません。被爆者が「二度と自分たちと同じ思いを他の誰にもさせるわけにはいかない」と語ってきた原点は被爆の実相であり、今こそ世界はそこに向き合い、学び、核兵器使用が迫る危機的状況を乗り越えていかなくてはなりません。

2021年には国際条約として核兵器禁止条約(TPNW)が発効しました。核兵器のない世界は具体的に達成できる未来であるということが確立されたのです。世界で核兵器の非人道性の確立に尽力してきた被爆者の思いを真に受け止めるのであれば、ヒロシマ・ナガサキを経験した日本こそが、今すぐ核兵器禁止条約に署名・批准すべきです。2023年12月に、ニューヨークの国連本部で開かれた第2回締約国会議には、アメリカの「核の傘」のもとにあるドイツやベルギーなどもオブザーバーとして参加しましたが、残念ながら日本政府の姿はありませんでした。

ノーベル委員会の説明した授賞理由の中には「いつの日か、被爆者は歴史の証人ではなくなることでしょう。しかし、記憶を留めるという強い文化と継続的な取り組みにより、日本の若い世代は被爆者の経験とメッセージを継承しています」とあります。今後も原水禁は、被爆二世三世や高校生・大学生等といった次の世代に、確実に被爆の実相が継承されるよう運動に取り組んでいきます。

さて、県原水禁や県原水協、県生協連、県教組、県原爆被害者の会(長友会)が事務局団体となり、関係者・関係団体でつくる「~ヒバクシャの願いをつなぐ~ 核兵器禁止条約をひろげる長野ネット」は、10人の呼びかけ人による実行委員会を立ち上げ、日本被団協のノーベル平和賞受賞を記念し、ノルウェーでの授賞式に参加、スピーチを行った日本被団協代表委員の田中煕巳さんを長野市に招き、講演会を計画しました。

マスコミ報道されたため、すでに会場定員を上回る申し込みがあり、本会場は満席となってしましました。多くの方々に田中さんの講演を聴いてもらうため、ホテル信濃路の本会場の隣にサテライト会場を設営しました。また、Zoomによるインターネットでの視聴も可能です。講演の視聴を希望される方は実行委員会事務局までお申し込みください。Zoomでの視聴は申し込みの必要はありません。

1.主  催  日本被団協ノーベル平和賞受賞を祝う実行委員会

[呼びかけ人]岡田和枝(弁護士)、窪島誠一郎(無言館館主)、清水まなぶ(シンガーソングライター)、菅谷昭(前松本大学学長)、田澤洋子(原発に頼らない未来をつくろうプロジェクト)、中條智子(県連合婦人会顧問)、堀井正子(文芸評論家)、山口利幸(元県教育長)、横山タカ子(料理研究家)、若麻績敏隆(善光寺白蓮坊住職)

[事務局]ヒバクシャの願いをつなぐ~ 核兵器禁止条約をひろげる長野ネット

3.日  時  2025年1月19日(日) 13:00 12:30 受付開始

4.場  所  ホテル信濃路 長野市中御所岡田町131-4 電話 026-226-5212

5.記念講演  「ノーベル平和賞授賞式に参加して」田中煕巳さん 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員

6.会  費  サテライト会場参加費 500円 Zoomは参加費無料

ZoomミーティングID 869 9244 6910 パスコード  250119

7.申込締切  1月6日(月)までに事務局に申し込みをお願いします。

盛岡レーメン販売の収益金80万円を3団体に寄付しました

原発事故で放射能被害を受けた福島の子どもたちを支援するために

長野県原水禁は、東京電力福島第一原発事故による放射能汚染の影響を受けている子どもたちを支援するため、今年5月から7月にかけて盛岡レーメン一袋(5食/1000円)の物資販売に取り組みました。県原水禁の構成員のみなさんのご協力で3540袋(17700食)を販売、その結果80万円の寄付金を捻出することができました。

寄付金は12月、福島の子どもたちを支援する活動に取り組む3団体に直接手渡しました。贈呈した団体は、◇NPO法人3・11甲状腺がん子ども基金(東京)、◇311子ども甲状腺がん支援ネットワーク(東京)、◇認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金(松本市)です。

ミャンマーから感謝状が届きました!

「2024ミャンマー交流フェスタin信州」のカンパ寄付報告

9月29日に長野市で開催した「2024ミャンマー交流フェスタin信州」の会場に設置したカンパ箱への募金と会場ブース収益を合わせたカンパ金239,943円を在日ビルマ市民労働組合のミンスイ委員長を通して、ミャンマーで避難民支援や医療支援などをおこなっているミャンマー現地の6団体に寄付しました。
 
【カンパ金内訳】
会場カンパ   76,331円
会場ブース収益 163,612円
(ミャンマー料理ブース・保芦氏カレー売上・雑貨ブース)
合計 239,943円
 

ミャンマーで避難民支援・医療支援に取り組む団体から感謝の声

6団体から届いた領収証・感謝状をご報告します。
 
     
 
 
「2024ミャンマー交流フェスタin信州」にご来場いただいた皆様、ご寄付を寄せていただいた皆様、本当にありがとうございました。
 
    *

クーデターから4年となる2月1日に長野駅までスタンディング(予定)

今年も年明けの2月1日には長野駅前でのスタンディングを予定(18:00予定)しています。
クーデターから4年となる節目の日です。
一年で最も寒い時期ですが、ご都合のつく方は是非あたたかくしてご参加ください。
詳細が決まり次第、FBでご案内します。
一刻も早くミャンマーに平和が訪れることを願います。

【前回のスタンディングの様子】

2024年2月1日のスタンディング

市民の方にミャンマークーデターについて訴えました

SBCに報道されました

信州市民連合が総選挙総括について3野党と意見交換

来年の参院選で市民と野党の共闘を再構築し政権交代へ

意見交換会には30人が参加

3野党県組織の代表が出席

信州市民連合は12月2日、選挙区市民連合や加盟団体の代表30人を集め(6人はZoom参加)、長野市内で全体会議を開きました。

全体会議では、まず共同代表の又坂常人氏が総選挙の結果の分析と総括、今後の展望について提案しました。又坂氏は、県内の選挙結果について「自民党は3議席にとどまった。全国的に数少ない実質的に野党共闘が成立した本県において、自民党に圧勝した結果は、来年参院選へ向け市民と野党の共闘を再建していく上で、全国的にも大きな意義をもつ」と指摘しました。ただし「長野県における立民候補の勝利は自民党の予想以上の苦戦によるものであり、必ずしも立憲・共産・社民3党の集票力の増加によるものではないことは、しっかりと認識しておく必要」があると強調しました。また又坂氏は、来年の参院選に向けてのポイントとして「選挙における政党選択においてもっとも重視されるのは生活問題。市民連合としてまずは若者と現役世代をターゲットにした生活保障政策を前面に打ち出すべき」と述べました。

全体会議では各選挙区市民連合から総選挙の取り組みと総括について以下のような報告がありました。

「勝利したが3野党と市民連合の共同の力で大きく盛り上げるまで至らなかった」(北信市民連合)、「5区を除いて市民と野党の共闘の信頼関係は残せたのではないか。2区は完勝だったが、日常から共闘を進めてきた成果だ」(中信市民連合)、「候補者と市民連合との協力・共同は、個人演説会の日程が知らされる程度だった。来年は羽田次郎議員が参議院選挙に臨むが3野党に働きかけを強めてほしい」(東信市民連合)、「前回よりわずかだが票を伸ばした点は評価したい。共産党が統一候補として出ている難しさもあった。本当の共闘とはどういうものなのか、課題が残った選挙だった」(4区市民連合連絡会)、「宮下氏が当選、福田氏は比例復活したが、一本化できれば勝てることができた選挙だった」(伊那谷市民連合)

「信州市民連合の候補一本化を求める努力に感謝」(杉尾秀哉氏)

全体会議の終了後に、3野党の県組織の代表が参加して意見交換会を行いました。政党からの参加者は、杉尾秀哉・立憲民主党県連代表(参議院議員)、鮎沢聡・日本共産党県委員会委員長、中川博司・社会民主党県連合代表(県議会議員)。

立憲民主党の杉尾秀哉・県連代表は「信州市民連合のギリギリの段階での調整努力に感謝申し上げる。4区で立憲内で立候補の動きがあり、信州市民連合との『共同のテーブル』での約束を守るため直前まで努力して、選挙区から比例へまわってもらった。参院選は過去4連勝しているが、来年は大変厳しい選挙となる。自民党は総力で長野をつぶしにかかってくるだろう。連携を図り候補の一本化を進めてほしい。衆議院とのダブル選も予想される。市民と野党の共闘をすすめる立場で対応したい」と述べました。日本共産党の鮎沢聡・県委員長は「衆院で与党が過半数割れした結果は市民と野党の勝利であり画期的。憲法改正勢力を3分の2以下に割り込ませ、希望や要求を実現できる状況になった。ただ、自民党政治に代わる新しい政治とは何か、まだ答えが出ていない。5区では野党統一に向けた努力を重ねてきたが、時間切れとなり反省の弁を述べたい。来年の参院選は衆院とのダブルの可能性もある。参院での自公の過半数割れを実現したい。決定的に重要なのは世論と運動。市民と野党の共闘で大いにアピールしていきたい」とあいさつ。社会民主党の中川博司・県連合代表は「県内で何とかみんなで戦おうとするみなさんの努力に敬意を表したい。7月末の要望に対し、3野党が集まって相談し、何とか一本化を図ろうとしてきたが、前回のようにはできなかった。社民党は1区から4区までは支援、5区は来年の参院選をにらみ自主投票とした。政策要望書の内容をどう実現していくのかが求められている。参院選でも候補一本化をめざし、政策合意を実現する運動の広がりをつくろう」と強調しました。

その後、参加者との意見交換も行いました。最後に、来年の参院選に向けて市民と野党の共闘を再構築し、与党の議席の過半数割れに追い込み、政権交代を実現しようと決意を固めました。

被爆79周年原水禁世界大会(広島)~長野県代表団報告~

長野県代表団が今年も広島へ

8月4日から6日にかけて広島市で開催された原水爆禁止世界大会・広島大会に、上伊那地区や長野地区、自治労・私鉄などを中心に、長野県原水禁代表団として24人が参加しました。長野県教組代表団21人は別行動で分科会や大久野島(旧陸軍が毒ガスを製造していた瀬戸内の島)のフィールドワークなどに参加しました。

毎日、原爆ドームを訪れました

長野県から10人の子どもたちが参加

昨年からコロナ禍で中断されていた子ども代表団が復活しました。今年も県内在住の小学4年生から中学3年生の参加者10人(保護者同伴)が、子ども慰霊祭や、平和公園の慰霊碑を巡るフィールドワーク、広島で学んだことを絵や新聞や朗読劇で表現するワークショップに参加しました。今年は昨年よりも親子参加者が増えて、より子ども主体の代表団になりました。広島市に滞在した3日間は連日天候に恵まれましたが、高い気温と湿度が続くため熱中症にならないように気をつけながらの滞在になりました。

元高校生平和大使の大学生たちと長野の子どもたち

8月4日(1日目)

初日は、長野県代表団のメンバーは原爆資料館(広島平和記念資料館)の南側に集合して、大人参加者(4人)は折鶴平和行進・開会総会に参加しました。炎天下の中での行進で心配されましたが、広島市街地は高いビルが多いので、午後の日差しを避けて歩けたそうです。親子参加者は原爆資料館を見学して、原爆被害の惨状を学びました。館内は平和式典にあわせて来日した外国人の方でいっぱいでした。犠牲になった人数ではなく、一人ひとりの方がどういう方だったのか、その日をどんな風に過ごしていたのか、それぞれの個人に焦点をあてた展示になっていました。

広島平和記念資料館

折鶴平和行進

平和公園から出発した折鶴平和行進

広島市街地を進むデモ隊

平和公園敷地内にあった中島地区

原爆が投下されて破壊された中島地区(現在の平和公園敷地内)

当時約1300世帯・約4400人が暮らしていた中島町

ほぼ全域が爆心半径500メートルの同心円内に入っており、街も住民も一瞬のうちに消滅した

米国での原爆開発に関わる資料も展示

ルーズベルト大統領に原爆開発を促したアインシュタインの手紙

マンハッタン計画で原爆開発にトリニティ核実験場で採取された石や砂   

月5日(2日目)

分科会「見て・聞いて・学ぼうヒロシマ」

2日目(8月5日)は、大人参加者4人は、分科会「見て・聞いて・学ぼうヒロシマ」に参加しました。分科会では、原水禁共同議長の金子哲夫さんから「核と人類は共存できない 核兵器禁止条約と原水禁運動の歴史」というテーマで、入門講座として原水禁運動のこれまでの歩みについて学びました。「被爆者の数字ではなく、被ばく者一人一人の命を考えてほしい、核兵器は悲惨な兵器であるという側面を持っていることを教えている」との問題提起を受けました。また広島県被団協の畑口實さん(原爆資料館元館長)からは、被爆者の声を学び、「核のない世界」に向けて考える時間になりました。

分科会「見て・聞いて・学ぼうヒロシマ」で話す金子哲夫氏

原水禁の歴史

歴史・原則・宣言

母親の胎内で被爆した畑口實さんのお話

畑口實さんは、原爆投下後、広島駅近くに父親を探しに行った母親のおなかの中で被爆(胎内被爆者)。原爆で父親を亡くし辛い戦後を過ごし、若いころは原爆のことを考えるのも嫌だったそうですが、原爆資料館の館長になったことが転機になったと語られました。世界中から訪れた方に、父の遺品の懐中時計を手に原爆について話す中で、被爆者である自分が伝えることの意義を感じるようになったそうです。館長を退任した今も、子どもたちに被爆体験を伝えるなどの活動を畑口實さんは続けています。今は「憎しみをもちながらも、和解という気持ちを持ち続けたい、これをヒロシマのこころ」だと訴えました。

『記憶を受け継ぐ』畑口實さん―消えぬ憎しみ超え語る(中国新聞)

畑口さんが寄贈した広島平和記念資料館平和データベースに保管されている被爆資料(お父さんのベルトのバックル)

資料詳細

親子参加者は子ども慰霊祭に参加

親子参加者は、早朝から子ども慰霊祭に参列しました。会場となった広島平和記念公園内にある「原爆供養塔」は、爆心地に近く、氏名、年齢、性別などほとんどわからない身元不明の死体が焼かれた臨時火葬場があった場所に建てられました。復興が始まるなかで、引き取り手のない遺骨が発見されると、遺骨は供養塔に届けられたそうです。

原爆供養塔には引き取り手のない大勢の犠牲者の遺骨が眠っている

慰霊祭には北海道や東京や三重など全国各地から子どもたちが集まりました。黙祷を捧げ、各地の子ども代表団が順番にそれぞれ献花しました。

 

長野県の子どもたちも献花し、子ども代表団の小林さんが献詩を捧げました。

長野県子ども代表団・献詩

明日は8月6日、
わたしたちが今いる広島に一発の原子爆弾が落とされたのです。

たった一発の原子爆弾はいろいろな苦しみや悲しみのなかでも、
明るい未来を信じて生きていた14万人の
尊い命が一瞬にして終わってしまいました。

わたしは原子爆弾について、
広島と長崎に落とされた危ない爆弾程度のことしか知りませんでした。
しかし今回の派遣団への参加にあたり自分なりに調べたり、
きのう初めて訪れた平和記念資料館で目にした当時の様子から
わたしの原子爆弾へのイメージががらりと変わりました。

教科書の写真を通して見るのではなく実際に広島を訪れ体験したことで、
自分には関係のないことだという考えがなくなり、
本来の原子爆弾の怖さについて気づくことができました。

また自分と同じくらいの年齢の子の想像を絶する被害状況を目の当たりにし、
二度と核は使用してはいけないと思いました。

たった一発の原子爆弾によって奪われた14万人の方々の尊い命、
そして大切な人々や大事なもの、
たくさんの犠牲を無駄にしないためにも、
戦争について聞き学び、戦争や核使用の悲惨さ、平和の尊さを受け継ぎ
次世代に引き継いでいくことが大切だと思います。

皆様の犠牲を無駄にはしません。
平和に向かって一歩一歩進んでいく私たちを天国から見守っていてください。

 

平和記念公園内の慰霊碑を巡るフィールドワーク

慰霊祭終了後、親子参加者は、平和公園内に建立されている慰霊碑を巡るプログラムに参加しました。原爆の被害や、それぞれの慰霊碑やモニュメントの背景や歴史についてガイドの方から説明を受けながら巡りました。

碑めぐりのガイドの方のお話を聞く子どもたち

原爆の子の像

 これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです

原爆の子の像の傍らには各地から寄せられた折鶴が飾られています。長野県代表団の子どもたちも長野から持参した折鶴を届けました。
1955年11月8日に、新聞で禎子の死を知った男の子から「禎子さんを始め、原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と、禎子の同級生に提案があり、その設置に関する活動が始まったそうです。

像の真下の石碑には

「これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和を
きずくための」

と刻まれています。

被爆者講話と被爆電車

午前の部の最後には、被爆2世の方からお話を伺いました。参加者の感想から、「なぜ「ヒロシマ」という表記があるのかその理由がわかった」という声がありました。広島が原爆投下によって、人のいない荒野、無機質な「ヒロシマ」にされてしまったこと、それを繰り返さないという意味や平和を訴える国際都市としての願いが込められていることを知ることができました。

事前に参加希望のあった子どもたちは、原爆投下当時に走っていた市電「被爆電車」に乗って広島の街を走りながら被爆者の方のお話を伺う機会を得られました。

  

元高校生平和大使の企画ワークショップ

午後の部では、子どもたちは高校生平和大使を経験した大学生が中心になって企画されたワークショップに参加しました。それぞれが広島に来て、見たもの、感じたことを劇や新聞や絵で表現するというプログラムでした。長野県から参加した子どもたちはそれぞれ朗読劇、新聞作り、うちわに絵を描くワークショップを選びました。

朗読劇では、各県の子どもたちが一緒に読み合わせをしながら本番に備えました。新聞やうちわ作りにとりくんだ子どもたちは広島で学んだことや感じたこと、実際に目にした原爆ドームや慰霊碑などをそれぞれの形で表現しました。子どもたちは長崎県などから参加している高校生のスタッフさんのサポートを受けながら、原爆ドームや慰霊碑や折鶴などを描いていました。

佐々木禎子さんと同級生たちの物語を上演

本番を迎えた朗読劇は、一同緊張した面持ちでしたが佐々木禎子さんと「原爆の子の像」をつくった同級生たちの物語を演じ切ることができました。親御さんをはじめ参加者一同見入っていました。

私たちは最後の世代

普段、関わることの少ない大学生や高校生とのやりとり、県外の子どもたちとの交流も子どもたちには貴重な経験になりました。プログラムの最後には、企画運営してくれた大学生たちが、一人ひとり自身の高校生平和大使での経験や、自身の思いを子どもたちに語ってくれました。「私たちも今日参加してくれたみんなも被爆者のお話を直接聞くことができる最後の世代」だと、広島で見たこと聞いたこと知ったことを家族や友人に伝えることも核廃絶や平和をつくっていく活動なんだと伝えてくれました。

 

最後に大学生の方々と長野県代表団の子どもたちで記念写真を撮りました

8月6日(3日目)

朝から平和公園の原爆ドームへ

日程の最終日は、朝から原爆ドームに向かいました。今年は平和公園に入る際に、手荷物検査が実施されていたため、ものものしい雰囲気で例年以上に混雑が発生していました。前日までの穏やかな平和公園とは異なり、ものものしい雰囲気でした。

新聞記者さんから取材を受ける

原爆ドーム前でダイ・イン

子どもたちも緊張した面持ちでしたが、原爆ドーム横のスペースに、長野県代表団全員が集まることができました。今年は、原爆投下の時刻にあわせて親子参加者を中心にダイ・インを行いました。最後に、北原団長から、今回の広島での経験をぜひ伝えていってください、とあいさつがありました。その後、原爆ドーム前で集合写真を撮って解散しました。

原爆投下時刻の8時15分にダイ・イン

北原団長から代表団解散のあいさつ

国際シンポジウム~閉会集会に参加

事務局と一部参加者は解散後、国際シンポジウムと広島大会の閉会集会に参加しました。

国際シンポジウムは「核廃絶に向けた一歩を踏み出すために」というテーマで、アメリカからデービッド・ギブソン氏(Peace Action )、韓国からイヨンア氏(参与連帯)、日本から元広島市長の秋葉忠利(原水禁顧問)が登壇されました。ギブソン氏とイ氏からは、アメリカや韓国内での市民運動の取組みが紹介されました。

2045ビジョン

秋葉氏からは、被爆100周年にあたる2045年までに核兵器を廃絶することを目標に掲げて世界的運動を展開して、中間点の2035年までに、核兵器保有国が「No First Use」、つまり、核兵器の先制不使用に合意するという計画「2045ビジョン」が示されました。また「ヒロシマを背負って世界に平和を発信、具体的な行動をとるように政治家を説得することをこの大会から出てくれば素晴らしい」との発言がありました。

※秋葉氏のブログに当日の様子が紹介されています。

「ヒロシマの心を世界に」

https://kokoro2016.cocolog-nifty.com/blog/2024/08/post-ea8f01.html

暑い広島での3日間でしたが、一人も体調不良等になることなく終えられました。
来年も原水禁世界大会広島大会が実施予定です。ぜひご参加ください。

原爆死没者慰霊碑と原爆ドーム

参加者の感想

子どもたちの声

・僕は、戦争や平和のことはよく理解していると思っていた。広島に行くまでは。写真でしか見たことがなかった原爆ドームを目の前で見て、その偉大さや悲惨さに言葉を失ってしまった。平和記念資料館に展示された多くの写真、遺品を見て胸がとても苦しくなった。また自分の戦争への無知を知った。たくさんの慰霊碑や話を見たり聞いたりして知ることができた戦争の悲惨さ、今でも心身に傷が残っている人々。このことを知った僕は、たくさんの人々に伝えなければならない。また、「平和」というとても重いものに対して、よく考えなければならない。戦争は、怒りや憎しみ、そして悲しみしか生みださない。もう誰も悲しまないように、知ったこと、学んだことをたくさんの人に伝え続けなければならない。僕は、「平和」へと向かうため、このことを伝え続けたい。

・初めて広島に行って、初めての平和記念資料館や、原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像などが実際に見れて勉強になったなと思いました。そして、他の人たちとの交流では、緊張してましたが、話しかけたりして、少しだけなかよくなれた気がしました。

・広島から帰ってきて復興について調べました。復興は、原爆投下後から始まっていました。被爆電車は原爆投下から3日後に走り出したそうです。しかも、男の人たちは戦争に行ってしまっていないため、車掌を務めるのは女の人たちだったそうです。「広島カープ」も広島の街に希望の光を与えることを創設目的としたようです。この原爆投下されてから復興した広島市の皆さんの力強さも感じました。
僕は、広島で学んだことを戦争や原爆で亡くなったすべての人たちのために、家族や友達に伝えたいと思います。母に「海をわたった折り鶴」の絵本を購入してもらったので、妹たちには難しい内容かもしれませんが、読み聞かせしてあげようと思います。

原爆投下目標だったと言われる「相生橋」からの眺め

・私たちは、被爆者(被爆2世)の方々から実際にお話を聞くことのできる最後の世代なので、良い機会となりました。聞いたお話の中で特に心に残ったお話は、カタカナの「ヒロシマ」の意味です。私は今まで、現在の「広島」と原子爆弾が落とされた時の「広島」を区別するために、カタカナで「ヒロシマ」と書いているのだと思っていました。実際は、原爆が落とされ、人がいないただの荒野になってしまった無機質な「広島」をカタカナで書くことで表しているそうです。確かに、漢字やひらがなで書くよりも、カタカナで書くと無機質な感じになるなと思いました。なにげなく読んでいた文字にも、こんなに深い意味があることを被爆2世の方から聞くことができて良かったです。

・私が広島大会に参加して、1番心に残ったことは、「原爆死没者慰霊碑」です。広島市を平和都市として再建することを願って建てられた。中央の石室には原爆で亡くなったすべての人の名前を書いた名簿が収められている。次に、「原爆の子の像」が心に残りました。佐々木禎子さんは2歳の時に被爆し、その10年後突然白血病になり、千羽鶴を折りながら亡くなった。佐々木禎子さんの同級生が平和を願って建てたのが「原爆の子の像」。それから人々は平和を願って千羽鶴をかざるようになった。この三日間を通して、原爆についてくわしく知り、原爆資料館に行き、被爆したとききていた本物の洋服などを実際に見ることができた。三日間とてもつかれたけれども、楽しかったです。

・ぼくは原爆の事だけではなく、新聞作りなので他の県の人たちと交流ができたり、夕ごはんには、同じ県の人たちとおいしいごはんを食べた楽しいこともたくさんありました。広島大会では、原爆のことをたくさん勉強できたり広島を観光できたのでたくさんのことを知ることができました。3日間ありがとうございました。

・ 初めて、広島に行き、原爆の、おそろしさを知って、もう二度と原爆をどこにもおとしてほしくないと思った。世界の核兵器が一日でも早くなくなってほしいと思った。

・ 広島にげんしばくだんが落とされたのは79年も前だけど、今も79年前の苦しみが続いているんだと改めて、知りました。

 

原爆死没者慰霊碑を通して平和の灯が見える

保護者・大人参加者の声

・被爆国の日本人として、子供と共に、外国の情勢や海外の戦争のことにも目を向け、知識を得て、自分の判断をしていきたいと思った3日間でした。
今ある平和をあたりまえと思わず、平和なれした人にならない為に。外国の人の方が、多い式典で、日本人として胸を張って、反戦を語りたい。

・原爆投下から79年目に、原水爆禁止世界大会の広島に参加させていただき、娘2人とともにとても貴重な経験ができ、とても感謝しております。3日間ともとても暑く、汗だくでしたが、長野にいるだけではわからない本当にも実りある3日間でした。この経験を微力ではありますが、いろんな人に伝えていきたいと感じました。

・最近ではウクライナ、イラン、イスラエルガザ、台湾、中国の争いが起こっていますが、79年前のことが再び起こりかねない状況を危惧しています。今の争いも、79年前の戦争から影響があり、要因の一つであると私は考えます。将来の和平、持続可能な社会を構築するためには、79年前の事実を世界の人々が知り、向き合うことが、今もなお必要であると考えます。欧米、ロシア、中国、自国都合、利己主義になるのではなく、互いを理解して共に生きることで、原水爆のない社会、争いのない社会ができるものだと信じています。

ガイドの方のお話を真剣にきく子どもたち

・心の中で、「いつか行ってみたい」と思いながら40年が経ってしまいました。自分の子どもには早い段階で経験させて、戦争、原爆について考えてほしかったので、親子参加ができること、本当に感謝です。ロシアのウクライナ侵攻、ガザ地区の問題など世界の情勢はとても不安定で、核兵器の脅威も感じています。私自身教員として生徒にその怖さ、悲しさを伝えてきたつもりですが、「広島」から学ぶことは本当に大きかったです。広島に到着した時には、多くのビルが建ち、多くの人が行き交う姿を見て、「戦争」よりは「平和」を感じましたが、平和公園に入り、原爆ドームも目にする中で、常に戦争と向き合ってきた場所なんだと実感しました。資料館では目を背けることのできない大きな事実、被爆者の方からの生の声、体験の中で多くのことを学びました。やはり自分の子どもと同じくらいの年齢の子が多く命を落としていることに心がとても痛みました。高校生、大学生のワークショップでは、若い人達がこんなにもアクションを起こしていることに感動と元気をもらいました。今回の大会参加では同じ長野の方、日本全国から集まった方との交流ができ、多くの学びがありました。長野県に戻ってもこの経験を広げていけたらと思います。3日間ありがとうございました。

・こういった機会でないと原爆が落とされた場所に赴いて黙祷に参加し、地元の方と同時に思いを馳せることはできなかったと思います。想像以上に外国籍の方が多かったことも印象的でした。彼らがどういった気持ちで広島という地を訪れ、原爆についての資料をみていたかは知る由もないですが、どんな思いであったにせよ、唯一の戦争被爆国の国民として原爆の悲惨さというものを世界に訴えていく姿勢を取り続けることが我々の役割なのだと思いました。俯瞰的な視点で見れば、核を抑止力としてその存在を消極的にですが、肯定することもできます。ただ、戦争被爆国として反対という意見をリアルな声で上げていくことが日本の取るべき立場なのではないかと思います。やはり実際にことが起きた場所へ足を運ぶのは、歴史という学問のなかで教科書で学ぶこととは異なり、そこでしか考えられないことがあると思います。広島という魅力的な街を数日間歩くことでさらに原爆の悲惨さ理不尽さを実際にそこで起きた出来事として他人事ではないと捉えることができると思います。こうした機会がなければ、この体験はできないので、是非参加していただければと思います。

・ 今回初めて、広島を訪れましたが、原爆ドームや平和記念資料館に展示された遺品を目にし、教科書の知識だけでは、決して知り得なかった生の声を聞く機会をいただいた中で、原爆投下の惨状を想像し、言葉に出来ないものでした。子どもたちも、同年代の友だちも出来、「被爆電車」に乗ったり、貴重な、経験が、出来たと喜んでいました。ちょっとした、広島観光や、懇親会など、楽しい思い出も含め、とても、充実したものとなりました。戦争の悲惨さ、恐ろしさを風化させることなく、伝えていかなければと、強く思いました。ありがとうございました。

・私が高校の修学旅行の際、広島平和記念資料館を訪れたが、その時以来約40年ぶりに訪れたことになる。高校生の時も感じたが、原爆被害の悲惨さを感じ、こんなことが二度とあってはならないと再び思った。各講演で被爆者の実体験の話を聞いたが、いずれの方々も高齢であった。現実的問題として、あと何十年も経つと被爆者がいなくなるという問題があり、結果として核廃絶の動きが縮小する懸念がある。今回お子さんの参加もあり、彼・彼女達なりに色々感じるところがあったのではないかと思う。核廃絶を含めた平和運動を次世代にもつなげていくためには、今回のような子供への教育的体験が重要なのではないかと思う。

・実際に見て触れて感じることで、戦争の悲惨さを深く考えることができた。それと同時に今の私たちがどのような気持ちを持って過ごすべきなのかを学ぶことができた。自分の目で見ないとわからないことはたくさんあります。ぜひ参加してください。広島を感じることのできる素敵なプログラムでした。ありがとうございました。

・「原爆の日」を迎えた平和公園周辺は物々しい雰囲気で、入場するにも荷物検査をしなくてはならず、テレビで見る平和式典とは違った感じを受けました。8:15には全員で黙祷を捧げましたが、こどもたちはdie-in(ダイイン)を行いました。私も子供の時、こんな経験ができたらよかったのに、とふと思いました。

・「高校生平和大使」を調べてみると初代長崎の高校生2人が核兵器廃絶を求め署名をニューヨーク国連本部に持参し、平和活動がスタートしたようです。各地で、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴え、国内外に向け発進しているそうです。大学生から、私たちが、この経験を通して、家族・友達等に原爆の恐ろしさを伝えることだけでも平和活動と教えていただき、帰省後に家族へ原爆の恐ろしさなどを伝えることができました。原子爆弾は、日本へ2度も落とさなくてはならなかったのだろうか…。今も世界中で起こっている核開発や戦争は必要なのだろうか…。今ある生活が、とても幸せであること。また、この経験により終戦記念日などメディアでも多く取り上げられ、今まで関心がなかった息子が関心を示していることにも感謝しています。ありがとうございました。

 

北海道からあなたの食卓へ新鮮直送 「ホタテ」を食べませんか!

国鉄闘争を語り継ぐ紋別・美幌の会(旧国労紋別・美幌闘争団)が斡旋

1kg4800円(送料込み) 5袋以上まとまると職場・自宅へ直送

JR不採用事件の全面解決から13年が過ぎました。旧紋別・美幌闘争団の団員は「国鉄闘争を語り継ぐ紋別・美幌の会」をつくり、地元での活動と長野県との交流をすすめています。

毎年取り組んできたホタテの販売は、今年も「紋別・美幌の会」が取り扱っています。「紋別・美幌の会」の仲間は現在、元気に生活を送っています。しかし、北海道のオホーツク地方は安定した職もなく、生活のための収入確保は困難が伴います。ホタテの収益は「紋別・美幌の会」の活動と生活の応援や、長野県内の地域運動を強めるためのカンパとして活用します。

ホタテの今年の仕入れ値は、昨年の中国の禁輸ショックを回復させようとする水産業界の努力で、ベトナムなどから迂回して中国への輸出増、アメリカやヨーロッパ向け輸出増、国内での消費拡大により需要が回復し、さらに中国への輸出再開が近いとの期待もあって、一昨年の仕入れ価格を上回る状況にあります。物価高の影響もあり、ホタテの加工賃もまた値上がりしています。予想以上のホタテ仕入れ値の上昇により、今年のホタテ販売価格は値上げせざるをえませんでした。販売価格は4800円(送料込み)です。

5袋以上まとめていただけると、職場・自宅などどこでも直送可能です。お問い合わせは、県労組会議、各地区労組会議まで。

◆とれたてを冷凍保存した1kgパックで、解凍して刺身でも食べられます。

◆一袋(1kg)=4,800円(化粧箱入り/送料込み/市価6千円程度)

◆5袋以上まとめて注文してください。直接送付します。

◆冷凍保存ですから、取り扱いには十分注意ください。

◆2024年・年内の注文の締め切りは12月17日(火)です。来年以降、第2次販売もあります。

松代大本営工事開始80年 追悼の集いで朝鮮人犠牲者に黙とう

東京朝鮮歌舞団の安理沙さんが朝鮮舞踊で「鎮魂の舞」

松代大本営追悼碑を守る会は地下壕工事の開始から80年の節目となる11月11日、朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑の前で約25人の会員や来賓が集まり「追悼の集い」を開きました。

集いでは、東京朝鮮歌舞団の安理沙さんが「鎮魂の舞」を捧げ、一発目の発破(ダイナマイト)が仕掛けられた午前11時11分に合わせ参加者が黙とうしました。

主催者あいさつで表秀孝会長は、国策として極秘で進められた松代大本営工事に強制連行・強制動員された朝鮮人労働者の過酷な労働と犠牲を振り返り、いまだ工事の全容、犠牲者の実態が明らかにされていない状況に「日本政府の実態解明に非協力的な態度を強く糾弾しなければならない」と指摘、「ここで起きたことを心に刻み、歴史を忘れることなく、平和を築く歩みを緩めることなく歩んでいく決意」を強調しました、松代大本営を起点にして平和への歩みをともに進めることを呼びかけました。

朝鮮総聯県本部の李明宏委員長は、「工事の真相が解明され、犠牲者の無念が晴れる日を訪れることを願う」と述べ、行事が重なり欠席となった民団県本部からは「松代大本営地下壕は戦争を知らない世代が戦争と向き合える遺跡であり、保存公開がさらに進むことを願う」とするメッセージが寄せられました。

集いの最後には参加者全員で犠牲者を弔うために献花しました。

守る会は、追悼碑建立30年、戦後80年の節目となる来年8月10日には、近現代史・軍事史を研究し平和教育登戸研究所資料館長を務める明治大学の山田朗教授を招き公開講座を計画しています。

追悼の集いには会員など25人が参列

安理沙さんが追悼碑前で鎮魂の舞

工事が開始された11時11分に黙とう

あいさつする表秀孝会長

与野党伯仲の国会で労働者・国民の願いを反映する政治をつくろう

県労組会議が定期総会開き護憲・脱原発などの運動方針を確認

県労組会議事務局次長に草野麻理子さん、間宮正博さんを選任

長野県平和・人権・環境労働組合会議(県労組会議)は10月18日、代議員・傍聴者など約60人を集め、長野市内で第29回定期総会を開きました。おりしも10月初めに発足した石破茂政権が、自らの権力基盤を強めるためだけの目的で衆議院を解散し総選挙が行われている真っ最中の総会でした。

主催者あいさつで、宇佐美正信議長は、岸田政権が退陣し石破政権が発足した点について触れ「国民生活や平和を壊し続ける自民党政治に変わりはない。総選挙で与党の過半数割れをめざそう」などと強調しました。

来賓として、連合長野の根橋美津人会長、立憲民主党県連の杉尾秀哉代表(参議院議員)、社会民主党県連合の中村雅代副代表(小布施町議会議員)、部落解放同盟県連の小山慎彦執行委員長、朝鮮総聯県本部の洪高志組織部長、県労働金庫の小池政和理事長、こくみん共済coop長野推進本部の村山智彦本部長、県住宅生協の徳武淳理事長にごあいさつをいただきました。

討論では「県の人事委員会勧告が出て市町村段階での確定闘争に取り組んでいる。『労使自治の原則』で労使交渉を積み重ねて要求を実現したい」(自治労)、「初めて総会に参加した。いざというときに相談に乗ってくれる労組会議を頼りにしている」(印刷フォーラムながの)、「朝鮮学校を支援するキムチ購入に取り組んでいるが、食品の内容表示を徹底してほしい」(松本地区労組会議)などの報告、意見がありました。

特別決議として「平和と民主主義、国民生活を守り抜くため、総選挙に勝利し政権交代を実現する決議」が採択されました。最後に「組織されていない労働者・国民にも共感が広がる労働運動、平和運動が必要」であり、「私たちの日々の運動の積み重ねが、必ず平和で幸せな社会、労働者・国民のための社会をつくると確信」しようとする「総会宣言」を採択しました。

役員改選では一部役員が交代しましたが、県労組会議三役は全員が留任、新たに事務局次長として草野麻理子さん、間宮正博さんが選任されました。役員体制(四役)は以下の通りです。

◆議長=宇佐美正信(国労長野)、◆副議長=伊藤浩二(自治労)、若林茂(私鉄県連)、大橋孝宏(森林労連)、◆事務局長=喜多英之(自治労)、◆事務局次長=草野麻理子(県労組会議・自治労)、間宮正博(県労組会議・自治労)

総会には代議員・傍聴、役員など約60人が出席

あいさつする宇佐美正信議長

【来賓】根橋美津人・連合長野会長

【来賓】杉尾秀哉・立憲民主党県連代表(参議院議員)

【来賓】中村雅代・社民党県連合副代表(小布施町議会議員)

【来賓】小山慎彦・部落解放同盟県連執行委員長

【来賓】洪高志・朝鮮総聯県本部組織部長

【来賓】小池政和・県労働金庫理事長

【来賓】村山智彦・こくみん共済coop長野推進本部本部長

【来賓】徳武淳・県住宅生協理事長

発言する小川晃代議員(自治労)

発言する丸山信子代議員(印刷フォーラムながの)

発言する高山佳朗代議員(松本地区労組会議)

総会の最後には全員で団結ガンバロー

信州安保法制違憲訴訟の会が報告集会

最高裁の上告棄却決定を受けて訴訟を振り返る

裁判は終わったが違憲の新安保法制廃止運動は続く

2015年に制定された新安保法制が日本国憲法に違反し、平和的生存権、人格権、憲法改正・決定権、安定した立憲民主政に生きる権利・利益などを侵害するとして、国に対して損害賠償を求めた信州安保法制違憲訴訟は、今年4月25日、最高裁判所が原告の上告を退ける決定を行いました。

この最高裁の不当な決定により、立法・行政・司法の三権による権力分立のもと、特定の権力による暴走を食い止めるという三権分立の理念が完全に絵に描いた餅であったことが明らかとなり、さらなる権力の暴走が極めて現実的なものとして危惧されます。司法による立法府・行政府へのチェック機能が十分果たされない状況にあるという残念な現実を見据えながら、しかし諦めることなく、今後、市民として、立憲主義を守るためにどのような行動が必要であるか、一人一人が考えていく必要があります。

私たちは、これからも立憲主義を守り、憲法の理念である平和主義を擁護し、二度と戦争を引き起こさせないため、引き続き粘り強く闘い続けなければなりません。

4月の最高裁の決定から半年を迎えるなか、信州安保法制違憲訴訟の経緯を振り返り、私たちが未来に向かって何をなすべきかを考えるための集会が10月14日、松本市勤労者福祉センターで開かれ、原告など約40人が参加しました。

集会ではまず代理人の安藤雅樹弁護士が訴訟の経緯を振り返りました。安藤弁護士は、長野地裁判決、東京高裁判決では、いっさい憲法判断に踏み込まず、平和的生存権や人格権の具体的権利性がないという形式的な論理で判決が下された点を批判しました。

次に、名古屋共同法律事務所の中谷雄二弁護士が「憲法9条をめぐる訴訟における安保法制違憲訴訟の意義と今後の展望」と題して講演しました。中谷弁護士は、全国で25裁判が提訴され、7699名の原告、1685名の弁護団が参加した訴訟は、憲法9条違反を争う訴訟として過去、最大規模だと指摘。集団的自衛権の行使容認に踏み込んだ安保法制の新たな段階での憲法9条に依拠した裁判であり、正面から法令違憲を問う訴訟であったと述べました。裁判は敗訴したものの、この裁判の評価として、①当初懸念された安保法制を合憲とする判断は一件も出させていないこと、②最高裁も砂川事件と違い「統治行為論」により司法判断の対象から排除することができなかったこと、③全国各地の訴訟で主張された憲法論や違憲の実態、政府の戦争する国づくりに対する事実に基づく批判などは今後の闘いの大きな財産となったことを強調しました。

集会では裁判が集結したため、訴訟の会は解散する方向を確認しましたが、新安保法制の廃止や戦争への道を拒否する運動を継続するため、362人の原告が新たなネットワーク組織を立ち上げていくことも決めました。

報告集会には約40人の原告が参加

代理人の安藤雅樹弁護士

講演した中谷雄二弁護士

原告団長の又坂常人・信州大学名誉教授

〈第18期〉21世紀の労働運動研究会第3回講座「職場におけるハラスメント及び安全衛生の判例と課題」(講師:小川英郎弁護士)

「〈第18期〉21世紀の労働運動研究会」の全4回の講座が終わりました。
今回は、上松町(木曽地区)を会場にした第3回講座についてご紹介します。

ハラスメント問題に詳しい小川英郎弁護士が講演

第3回講座は、9月20日(金)、ひのきの里総合文化センター(上松町)でウェール法律事務所(東京)の小川英郎弁護士を講師に迎え、「職場におけるハラスメント及び安全衛生の判例と課題」というテーマで、ハラスメントの定義、職場での具体的なハラスメント対策、カスタマーハラスメント(カスハラ)についてもお話いただきました。会場参加・Zoom参加をあわせて60人が参加しました。平日夜にもかかわらず、会場は、自治労、林野労組の若手組合員を中心に大勢の参加者で賑わいました。冒頭、木曽地区労組会議の西村議長は「学習を通じて本質を見極めることが大事。悩んでいる人達を労働組合としてどう救済していくのか。この問題で職場を去るという人をゼロにすることも労働組合の課題。職場に持ち帰っていただき、対策に役立てていただけたら」と挨拶されました。

講演する小川弁護士

日本の職場環境の悪化がハラスメントの源泉

近年、労働強化や人員の減少などの傾向と相まって、職場でのパワハラ、セクハラ、いじめなどが増えています。さらに顧客からの理不尽なクレームや言動によって労働者のメンタルが傷つけられる「カスタマーハラスメント(カスハラ)」も社会問題となっています。小川弁護士は「職場でのパワハラ、セクハラ、いじめなどの相談が増えている」「90年代後半はリストラや解雇や賃金の問題が圧倒的だった」と長年務めてきた労働弁護団のホットライン(相談ダイヤル)での相談内容の変化から「日本の職場環境が悪化していることに原因がある」「一人ひとりの労働条件が悪くなると、同僚や部下に対して丁寧に気を配る余裕がなくなり、ハラスメントが生まれてきているのでは」と指摘しました。講演では、2019年の「改正労働施策総合推進法」が成立してパワハラが初めて法律で規定されたこと、パワハラの定義、具体的なハラスメントと対策を裁判例を交えながらわかりやくお話いただきました。

日本労働弁護団ホットライン
https://roudou-bengodan.org/hotline/

社会問題化するカスタマーハラスメント

講演の最後にはカスハラの問題に触れ、「カスタマーハラスメントがエスカレートすると犯罪行為に近づいてくる」「基本的には警察対応、どう対応するかを組織の中で線引きをしておくことが必要」と対応策が示されました。質疑応答では、参加者からのサービス残業対策やカスハラ対策などの質問に対して、具体的なアドバイスを頂けました。

会場には50人が集まった。

【講演概要】

職場におけるハラスメント及び安全衛生の判例と課題

第1 パワーハラスメント

1 改正労働施策総合推進法成立

198回通常国会(2019年)で、職場のパワーハラスメント(パワハラ)に対する事業主の措置義務を定めた改正労働施策総合推進法が成立した。

・優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
・業務の適正な範囲を超えて行われること※最も重要
・身体的もしくは精神的な苦痛を与えること、又は就業環境を害すること
※3つの要件を満たすものがパワハラ

⇒詳細は指針に委ねられた(令和2年[2020年]6月1日施行)

◎事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針【令和2年6月1日適用】※パワハラ指針

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000605661.pdf

2 定義について

(1)「職場」

「当該労働者が通常就業している場所以外の場所であっても、当該労働者が業務を遂行する場所については、『職場』に含まれる。」

「業務を遂行する場所」には、出張先、取引先、会社の懇親会等が含まれる。また勤務時間外であっても業務遂行との関連性が認められれば、『職場』にあたりうる。ハラスメント防止の観点からすれば、①明確化と②安全サイドに立った解釈が求められる。

(2)「優越的な関係を背景とした」

「行為者に対して、抵抗又は拒絶することができない蓋然性が高い関係を背景として行われるもの。」

職位、職種・雇用形態の違い、能力・資格・実績・成績などの個人的能力、容姿や性格、性別、性的指向・性自認など、あらゆる要因により事実上生じた人間関係を広く含む概念と解して対応することが求められる。「抵抗又は拒絶できない」ほどの関係がないと安易に解釈することは危険。

(3)「業務上必要かつ相当な範囲を超えて」について

「業務上必要かつ相当な範囲を超えた」言動であるかの判断にあたって、「個別の事案における労働者の行動が問題となる場合は、その内容・程度とそれに対する指導の態様などの相対的な関係が重要な要素となる」

労働者の行動の問題性が高ければ、指導・叱責が直ちにパワハラに該当しなくなるということではない。多くの裁判例で労働者側の問題点を指摘しつつも、違法性が認められている点に注意。

第2 セクシャルハラスメント

■パワハラよりはるかに早く雇用機会均等法(第11条)で規定された。

1 「職場におけるセクハラ」とは?
=「職場」において行われる「性的な言動」に対するその雇用する「労働者」の対応により、当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されること。
⇒使用者は「職場におけるセクハラ」が起こらないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用機会上必要な措置を講じなければならない(雇用機会均等法第11条)

2「性的な言動」とは?
・性的な内容の発言
・性的な言動
※性別役割分業に基づく言動も含まれる

(例)
・「男のくせに根性がない」
・「温案は若くてかわいい方がいい」
・女性だけにお茶くみ、掃除をさせる など
・女性であるとして、記者を重要な取材先に配置する※財務省事務次官セクハラ問題

■裁判所の意識も低かった。触ったわけでもないのにセクハラにはならないと。今ではすぐにアウト。セクハラ・パワハラ、ハラスメントへの考え方が変わってきている。しかるべき立場にある人が、セクハラやパワハラが起きているのに放置していると、その個人も法律上の責任を問われることがある。

第3 メンタルヘルス不調と労働災害

1 問題の所在

近年、メンタルヘルス不調が業務に起因する労働災害であるとして紛争になるケースが増えている。特に、労働基準監督署が業務外決定をしたため、行政取消訴訟として裁判に持ち込まれるケースが依然として多い。これらの裁判例の傾向を検討し、業務上と業務外の判断が実務上どのようになされているのか、使用者及び人事労務担当者が気を付けるべき点はどこにあるのか、労働者としてはどうすればよいのかといった点について考察する。

■労働基準監督署で認められるのは2割くらいで、8割は却下されている。裁判に訴えるひとは少数でほとんどのひとが諦めている。しかし、裁判に訴えた場合4割くらい国側が敗けている。いかに労基が労災と認めていないかの反証となっている。

■メンタルヘルス不調を労災かどうか判断するには、「業務による心理的負荷評価表」を参照。ハラスメントに関心があったり学びたいひとは理解していただくといい。

「業務による心理的負荷評価表」(厚生労働省サイトから)
https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/rousaihoken04/dl/120427_4.pdf

■メンタルヘルスの労災の申請があった際に、労基署はこの表で判断する。表のなかで「弱」「中」「強」とあるが「強」とされると労災認定される。過去半年間のイベント(出来事)を評価する。

■カスタマーハラスメントの場合、表の27番「顧客や取引先、施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた」には心理的負荷の強度「Ⅱ」が付いているが、これだけでは労災認定されない。

【27番】

 

しかし、「強」になる例として、
・顧客等から、治療を要する程度の暴行等を受けた
・顧客等から、暴行等を反復・継続するなどして執拗に受けた
・顧客等から、人格や人間性を否定するような言動を反復・継続するなどして執拗に受けた
・顧客等から、威圧的な言動などその態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える著しい迷惑行為を、反復・継続するなどして執拗に受けた
・心理的負荷としては「中」程度の迷惑行為を受けた場合であって、会社に相談しても又は会社が迷惑行為を把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった

【23番】

■このようなことがあった場合は、カスタマーハラスメントは平均的には「Ⅱ」だが、「強」として労災として認める。また、半年間のうちに上司からパワハラを受けた(23番「同僚等から、暴行又はひどいいじめ・嫌がらせを受けた」)などの出来事があった場合は「Ⅱ」が二つあることになり、今の実務では「Ⅱ」が二つあれば労災が認定される。

■ぜひこの一覧を活用できるようになってほしい。

第4 カスタマーハラスメントについて

1 カスハラとは?

顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上、不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの。

「顧客」には、今後の利用可能性がある潜在的顧客も含む。

2 抵触する法律

カスタマーハラスメントは、単なるクレームに止まらず、犯罪行為になる場合がある。傷害罪、暴行罪、脅迫罪、恐喝罪、強要罪、名誉棄損罪、侮辱罪、威力業務妨害罪、不退去罪、軽犯罪法違反罪など。

■パワハラにおける会社の中の上司や部下や同僚などの関係とは異なり、カスタマーハラスメントにおける加害者は一般の顧客のため、その人との関係が法律的にあるわけではない。しかしクレームに止まらず犯罪行為になる場合もある。例えば、「今言ったことは録音してあるからネットにあげてやる」などは脅迫罪です。「これで会社を休まなくちゃいけなくなった。日当は○○円だ」などと暗に金を払えと匂わせると恐喝罪です。土下座させようとするなど不必要なことをさせることは強要罪です。ネットで言いふらすなどは名誉棄損罪です。バカなどと厳しい言葉を投げつけることは侮辱罪です。居座って帰らないなどで業務を滞らせるなどは威力業務妨害罪、不退去罪です。

■カスタマーハラスメントがエスカレートすると犯罪行為に近づいてくる。基本的には警察対応。どのくらいでどう対応するかの線引きをしておくことが必要。

3 対策

(1)相談体制の整備
(2)被害者への配慮のための取組み(メンタルヘルス不調への相談対応、一人で対応させない体制整備など)
(3)マニュアル作成、研修の実施

■組織や会社は、あらかじめそういう人が来たらどう対応するかを決めておく。そうしないとどんどんハラスメントがエスカレートする可能性がある。

4 具体的には

  • 長時間拘束

帰らない。電話を切らないなど

■丁寧に応対する。怒鳴られても同じように言い返さない。一定の時間が過ぎたら「申し訳ございません。これで切らしていただきます」などと言って切るなどの対応をあらかじめ上司は指示しておくことが大事。話をつないで、相手に切らせないようなテクニックを持っている。

  • 反復型

繰り返しのクレーム。

■毅然と対応することが重要。組織として一定の基準をつくっておく。

  • 暴言

やめるように説得、やめなければ録音、退去を求める

  • 暴力

警備員がいる職場なら警備員にすぐ連絡、複数名で対応することが肝心。直ちに警察に連絡。

  • 威嚇・脅迫

「殺すぞ」「ネットで拡散してやる」「口コミに書いてやる」

録音する。脅迫罪にあたることを伝える。退去を求める。警察への通報も考える。

  • SNSなどへの誹謗中傷

SNSのプラットフォームに削除を要請する。身元が分からない場合は発信者情報開示(弁護士に依頼)して対応を考える。名誉棄損の場合は、警察や弁護士に

【質疑応答】

Qサービス残業への対応はどうしたらいいか?

Aタイムカードを置くのがいい。法律上は1分単位で残業代の支払い必要。労働基準法は罰則付きの法律で、違反した場合は懲役6か月以下、罰金30万円以下の列記とした刑罰法規であることをわからせ、タイムカードを置くのが一番いいのがいいと思う。

Q2~3年で、全国にわたり広域に人事異動が多い職場。人事面で事前調査あるが、本人の希望が叶いにくい。組合では限定的ではあるが、健康面や家庭の事情に限り人事に配慮するよう申し入れている。

A東亜ペイント事件では、企業の方に幅広い裁量権を認めてしまった。単身赴任があたり前だった時代に出た判決。人事異動は違法であると権利濫用だと訴え取り消された事例は少ない。ただ労働者側が勝ったケースは家庭の事情がある場合。有名な明治図書事件は、重度のアトピー性皮膚炎のあるお子様が2人いる家庭だった。両親ともにフルタイムで、特殊な病院への通院が必要だった。夫は労組の副委員長だったので不当労働行為的でもあるが、東京から大阪への転勤を命じた。妻が仕事を辞めないと子どものケアができない。裁判所は、夫への配転命令は権利濫用で無効だと判断。今の裁判所は、家族の事情などで配転は過酷だと判断する場合は、これを無効とする傾向がある。法的に難しい場合は労働組合の力が非常に重要。私がかつて務めていた会社は、非常に組合が強くて、転勤の命令が出ても、本人がいやだと言うなら行かなくていいという労使慣行が確立していて、人事についての同意権を持っていた。いまはなくなってしまったそうですが。本人が希望しない配転については、最大限の配慮をするようにというような職場での慣行をつくっていく取り組みが重要。

Qセクハラやパワハラは、裁判や交渉事にまで至らず悩んでいる人多い。職場でも相談窓口設けているが、相談するひとは少ない。少しでも職場をよくできた事例があれば教えてほしい。この問題で職場を去る人を皆無にしたい。

A本当にその通りだと思います。セクハラ・パワハラを受けて会社を辞めていく人は非常に多いのでなくしていかないといけない。組合がない職場で、パワハラを会社に申告したが、相談窓口が機能しなかったケース。本人は、まずは否定する。言ったかもしれないけど、そんな言い方ではないなどと言って、事実確認ができなかった。相談者は人望があり、職場の人助けをしていた。私は協力してくれる仲間はいませんかと訊きました。職場の同僚が書面で申入書をつくって、再度相談窓口に出したら、調査が必要となりパワハラがあったことを認定して、加害者本人を処分した。これは1人では浮いてしまう。職場での一種の団結があると解決が早い。普段からのコミュニケーションをきちんととれるようにしておくことが重要。

セクハラ・パワハラは早期発見が重要。相談しやすい相談窓口を用意することが大事だが、現実的にはあまり役に立っていないところが多い。経営者相手に話すこともあるのですが、パワハラで社員が自殺したらどれくらいの賠償が必要か知っていますかと話します。裁判例をあげながら、普通の中小企業なら倒産するくらいの金額の賠償を命じられることもあると話します。労働組合からも会社側に経営上のリスクであると説得していくことも有効。横のつながりで学習会を開催して、情報を共有していくことも有効。

Qカスハラについて、警察などに通報するタイミングが難しい。過度な暴言や土下座要求などの場合でも警察に通報等できるのか?また記録があれば後日訴えることもできるのか?

A脅迫や強要でも警察に通報できる。録音は本人の承諾は不要。暴言、脅迫するような人に確認は不要。その方が絶対安全。後日、勝手に録音しやがってと言われても、法律違反ではない。裁判でも証拠になる。

Q役場で長時間、叱責されるという事案があった。

Aできるだけ毅然と対応されることがいい。一人で対応させず組織で対応している姿勢を示すことで相手もひるむこともある。町役場でしたらその中で、あらかじめどういった対応をするかのマニュアルを作成して、体制を準備しておくことが重要。

【参考】

ウェール法律事務所・社員からの法律トラブル相談室・第6回「配置転換」(小川英郎弁護士)
https://ver-law.ne.jp/img/roumu_120915.pdf