21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

311のキャンドルナイトが長野駅前で行われました

3月11日、いまだ解除されていない原子力緊急事態宣言が発出された19:03に、40人もの方がスタンディングに参加してくれました。

13年が経っても元に戻るどころか、健康被害を訴えて裁判を起こしている若者がいる現実やいまだ苦しみを負う人たちがいます。私たちに何ができるのか、そんな傷ついた心への癒しになれば、という思いで企画されました。参加者の中には8人ほどの若者もいて、マイクで「311のことは決して忘れません。」「がんばって」と話し、とても素敵な時間となりました。ありがとうございました。

#311のキャンドルナイト #311を忘れない #脱原発 #東日本大震災 #長野駅前

 
 

 

中日新聞に掲載されました。

 
 

「ガザ攻撃から見るパレスチナ/イスラエル問題の現在――オスロ和平体制の欺瞞と破綻」(県護憲連合総会 早尾貴紀氏記念講演)

パレスチナ/イスラエル問題について記念講演

長野県憲法擁護連合(略称=護憲連合)は第69回定期総会と記念講演会を「建国記念の日」とされる2月11日、長野市内の県労働会館で開催しました。オンラインを含め50人が集いました。

記念講演では、イスラエルのパレスチナ・ガザ侵攻に焦点をあて、東京経済大学の早尾貴紀教授を招き、「ガザ攻撃から見るパレスチナ/イスラエル問題の現在~オスロ和平体制の欺瞞と破綻」というテーマでお話いただきました。

講演する早尾氏

ガザ地区そのものを消滅させようとする暴挙

早尾氏は「昨年10月7日のハマスの〈蜂起〉に対し、イスラエルが国際法・条約に違反する〈ジェノサイド〉というべき武力による集団殺戮・破壊をつづけ、ガザ地区そのものを消滅させようとする暴挙は断じて許されない。イスラエルを支援する日本政府も加害者であることを追及しなければならない。即時停戦・人道支援を求めるとともにイスラエルの〈パレスチナ占領停止〉の訴えが重要」と強調しました。

2014年のガザ侵攻時の写真

9.11で対テロ戦争に加担してしまった日本

また「日本はアラブ諸国とイスラエルとの関係のバランスをとってきたが、9.11で対テロ戦争に加担してしまった。イスラエルは、パレスチナ支配の経験が対テロ戦略として他国に売り込んでいる。対テロ戦争の仲間にならない日本に変えていかなければならない。」「G7が異常にイスラエルを支援しているが、G7は国際社会から孤立している。ヨルダンが提案した停戦決議は圧倒的多数で可決されたが、イギリスが拒否権を発動した。日本でも排外主義や戦争協力が進められているが、ここと戦うべき。長い目で見てグローバルサウスとつながっていくことが重要」とも指摘しました。

今日のパレスチナにおけるハマスの軍事的な抵抗、これに対するイスラエルのガザ侵攻、ジェノサイドの根幹にイスラエルのパレスチナ占領問題があることを学ぶ有意義な講演となりました。ナチスによるユダヤ人排斥、ホロコーストを経験しているユダヤ人が、許されざる行為になぜ自ら突き進むのか…この歴史的悲劇を一刻も早く終わらせなければなりません。

2014年時の写真。破壊されたガザ市。 昨年10月7日に始まったわけではない。

長野駅前でスタンディング

JR長野駅前でのスタンディング行動には早尾教授にも参加いただき、ともに戦争反対、パレスチナの占領停止を訴えるアピールをしました。

長野駅前で訴える松澤代表委員

早尾貴紀氏 プロフィール

1973年生まれ、東京経済大学教授。パレスチナ/イスラエル研究、社会思想史研究、ディアスポラ研究。2002~2004年(第2次インティファーダ期)、ヘブライ大学客員研究員として東エルサレムに在住。その間、西岸地区、ガザ地区、イスラエル国内でフィールドワークを重ねる。2011年の福島第一原発事故による避難当事者でもある(事故当時仙台市在住)。避難者支援、保養支援にも取り組む。保養団体でつくる全国ネットワーク「311受入全国協議会(うけいれ全国)」の共同代表も務める。

著書:
『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎、2020年)
『ユダヤとイスラエルのあいだ―民族/国民のアポリア』(青土社、2009年、新装版2023年)
『希望のディアスポラ―移民・難民をめぐる政治史』(春秋社、2020年)
『国ってなんだろう?』(平凡社、2016年)

共訳書:
イラン・パぺ『パレスチナの民族浄化』(田浪亜央江との共訳、法政大学出版局、2017年)
サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』(岡真理、小田切拓との共訳、青土社、2009年、新装版2024年)

【記念講演の概要】

演題「ガザ攻撃から見るパレスチナ/イスラエル問題の現在――オスロ和平体制の欺瞞と破綻」

0、はじめに

■ガザ地区とはどういう場所か?
・パレスチナ・ガザ地区は、面積365㎢に220万人が閉じ込められている。
・長野県で面積が近いのは安曇野市(332㎢)。そこに県民人口の200万人が住むイメージ。
・パレスチナ自治区というとヨルダン川西岸地区が中心にみられ、ガザ地区は「取るに足らない」扱いを受けることが多い。

■〈10.7〉蜂起は始まりではない
「生産と物流が阻害され経済が成長不可能であり、医療や衛生や教育も破壊され人間としての生存も危機に瀕しており、もはや通常の意味での社会が存続不可能になってしまった。10年後、ガザ地区はパレスチナははたして存在しているだろうか。」早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎、2020年)の裏表紙紹介文。

■シオニズムの本質=植民地主義+人種主義+国民主義
➀ヨーロッパ列強の中東地域への植民地帝国的介入
②ヨーロッパの反ユダヤ主義的排外主義
➂ユダヤ人も近代国民国家を持ち「国民」に
→ユダヤ人のパレスチナ入植と国家建設で欧州の防波堤になる

■ガザ地区の歴史的成り立ち、イスラエル建国
かつてのオスマン帝国崩壊からイギリスやフランスの占領統治となり、ユダヤ人国家を目指すイスラエルと、アラブであるパレスチナの独立をめぐる歴史的な対立が背景にある。

■「最大限の土地に最小限のアラブ人を」
シオニストのリーダー(初代首相)のベングリオンは1930年代に「8割の土地を得て、人口の8割以上をユダヤ人に」「ユダヤ人の入植とアラブ人の追放を」を訴え、1947年の国連分割決議から、軍事力でパレスチナ人を追放(虐殺、脅迫、詐術)し、パレスチナがイスラエルの占領下におかれた。
→1948年に建国し、1949年に休戦で、パレスチナの78%の土地にユダヤ人口比85%を達成した。

■ガザ地区は「難民キャンプ」的存在
イスラエル建国に伴い不自然に取り残された狭隘な土地。故郷を追われたパレスチナ人が難民として閉じ込められ、仕事もなく劣悪な生活環境の下での難民キャンプ生活を強いられてきた。人口220万人のうち80%にあたる170万人が難民とその子孫。

1、ガザ地区封鎖の始まりとしてのオスロ和平体制

イスラエルによるユダヤ人の入植が強権的にすすめられる中、1987年、差別と屈辱から起きたインティファーダ(蜂起)と呼ばれる反占領抵抗運動が広がり、この事態に対し欧米列強国が1993年、PLO(パレスチナ解放機構)との間で、パレスチナ国家独立による2国家共存を建前として「西岸及びガザでパレスチナ暫定自治を開始する」といったオスロ和平合意が成立するが、難民の根本的な問題解決や国境の画定などは行われず、「自治政府」はイスラエルの占領政策の下請け状態となり、「自治」の名のもとに依然としてイスラエルの軍事占領が続いてきた。「占領ではない」という体裁で、占領のコスト・責任を避けられるようになった。

※「インティファーダ(蜂起)」…イスラエル建国で追放されたパレスチナ人の対イスラエル抵抗運動を指す言葉。

■なぜ圧倒的に不利で不正義なオスロ合意をPLOが認めたのか?
・冷戦の終焉と湾岸戦争で、二つの後ろ盾(湾岸諸国・ソ連)を失って困窮
・1990年の湾岸危機でPLOがイラク支持を表明し湾岸産油国が反発
・1991年にソ連(共産圏)の解体(アメリカがイスラエルを支援をしていたのに対抗する形で、ソ連がパレスチナを支援していた。

2、第二次インティファーダ(2000年)ハマースの台頭

・オスロ合意が実際には占領状態を悪化させただけで(これはオスロの失敗ではなく、これこそがオスロの意図)、民衆の不満が爆発、2000年から第二次インティファーダが始まる。
・PLOはイスラエルに無能扱いされ集団懲罰にあい、さらに従属化
・パレスチナ民衆は、PLOより、オスロ体制を批判するハマース支持に
→2006年パレスチナ議会選挙でハマースが勝利

■そもそもハマース(ハマス)とは?
・ムスリム同胞団(福祉・社会活動をする団体)をもとに、第一次インティファーダが始まった1987年に「イスラーム抵抗運動」として結成された。
・世俗的なPLOに対するライバル的存在として、第一次インティファーダ期には、イスラエルはハマースを支援さえしていた。
・オスロ和平体制下では、「反オスロ」の立場で自治政府も拒否し、「和平の敵」=「テロ組織」というレッテルを貼られた。

■国際社会によるハマース政権の拒絶
・ハマースが「反オスロ」のために、イスラエルと欧米日は揃ってハマース政権をボイコット(民主的選挙を否定)
・ハマースとファタハ(PLO,主流派)との連立政権も重ねて拒絶
・ハマースが原理主義とかイスラエル抹消を狙っているということではなく、「入植地の撤去、東エルサレムの返還、国境管理権、水利権の確保、難民帰還権の承認」を要求しているからこそ、イスラエルと米国はハマースを拒絶

■煽られた内戦、ガザ地区封鎖
・イスラエルと米国は選挙に負けたPLOのファタハに武器・弾薬を提供しハマースとの内戦を扇動、イスラエルは西岸地区のハマース議員・活動家を逮捕し、収監ないしガザ「流刑地」送り
→結果2007年、西岸地区はPLOが継続支配(西岸地区の自治政府を維持)、ガザ地区のみハマースが統治、二つの分裂政権の状態に
→ガザ地区の徹底封鎖と、集中的な攻撃の開始(現在に至る)

3、ガザ地区攻撃の真意はどこに?
ガザ地区は消滅するのか?

■ガザ地区の切り離しを画策
・「内戦」で2007年に、西岸=PLO自治政府、ガザ=ハマース自治政府、となって以降にガザ地区そのものの抹消を計画
・2007年に、ガザ地区をエジプト領へと移管することをエジプト政府に交渉
・2012年に、ガザ陸住民をエジプト・シナイ半島の3分の1ほどの地域に移住させることを米国経由で提案

ガザ地区を「処分」するために意図的に内戦と分断を?


※「ナクバ 」1948年に約75万人のアラブ人の社会と祖国が破壊され、大多数のパレスチナ人が恒久的に退去を余儀なくされた出来事

■虐殺と避難以外の民族浄化の兆候
・病院・診療所の破壊、医療従事者の殺害・拘束
・中央裁判所、中央公文書館の破壊
・アズハル大学やイスラーム大学、その他学校の破壊
・大オマリ・モスクや聖ポルフィリオス教会の破壊
・イスラエル国旗を立てる。ダビデの星を刻む。
→パレスチナの文化・歴史・人間性を消去しユダヤに上書きする

国際司法裁判所の動き

■南アフリカによる国際司法裁判所への提訴
・2023年12月29日に南アフリカ共和国がイスラエルのガザ攻撃が国際法の禁じたジェノサイドに当たるとして提訴
・南アフリカはかつてアパルトヘイト体制時代にイスラエルと緊密な軍事的協力国だったが、マンデラ大統領時代からはイスラエル批判へ
・2024年1月26日に「ジェノサイドを防ぐ措置を講じる」仮裁定がなされる。
→正式な判決には数年を要する

■国際司法裁判所(ICJ)の意義と限界
・ジェノサイド禁止条約など国際法違反を世界に示した。
・法的拘束力があると言われるが、実際の強制力はない。
・実際、パレスチナの隔離壁についても、2004年にICJから違法判決(解体・撤去と補償を求める)が出されたが、そのままだった。
・今回もイスラエルは判決と関係なく軍事行動を継続すると公言
・国際司法裁判所の命令を受けて国際社会が具体的に行動を!

■UNRWAへの拠出金停止の暴挙
・国際司法裁判所の仮裁定(イスラエルの責任を認めた)に対する報復措置のように、イスラエルはUNRWA職員がハマースに協力していたケースがあるとして、欧米にロビー活動
→拠出金停止に
・そもそもUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)は、イスラエル建国で発生した難民の生活支援のために1949年に設置
・イスラエルは、「UNRWAがあるからパレスチナ難民問題が存続する。UNRWAを解体すべき」と従来から主張し、敵視してきた
・難民が住民の7割以上を占めるガザ地区の抹消は、イスラエルにとっては「難民問題」の最終解決。UNRWA解体はその一環

〈10.7〉蜂起の直前にネタニヤフ首相が示していたパレスチナが存在しない「新しい中東」

長野県憲法擁護連合第69回定期総会を開催

2024年活動方針を確認

平和憲法を守り活かすため、緊急事態条項創設を突破口とする憲法改正発議を許さない世論を強めていくとともに、敵基地攻撃能力を保有する防衛費の増額、沖縄辺野古基地建設に反対する運動、多様性を包摂する人権確立に向けた運動などを展開していくことを盛り込んだ2024年活動方針を確認しあいました。

冒頭、昨年2月18日に逝去された県護憲連合の代表委員で信州安保法制違憲訴訟の会の弁護団長を務めてきた佐藤芳嗣弁護士(上田市在住)に黙とうをささげ、遺志を引き継いでいくことを誓いました。

ウクライナ、パレスチナ、ミャンマーなどで戦禍がやまず

今年の総会は、元日の能登半島地震により災害復旧、被災者支援が喫緊の課題となる一方、自民党派閥の裏金作りが露呈し、またもや政治とカネの問題が政権を直撃する局面での開催となりました。
さらに問題は、国内政治にとどまらず、世界情勢もウクライナ、パレスチナ、ミャンマーなどで戦禍がやまず混迷を深めていることです。即時停戦、人道支援の徹底とともに、占領統治による対立と分断から共存、多元的価値と文化の共生に転換すべきことが問われています。

「憲法改正条文案の具体化を進め、総裁任期中の憲法改正を実現する」と年頭記者会見で強調した岸田首相の下で、敵基地攻撃能力(反撃能力)を保有し、5年間で43兆円の防衛費増強、沖縄辺野古基地の民意を無視した国代執行による建設強行、九州・南西諸島の軍事強化、殺傷兵器を輸出する「防衛装備移転3原則」の改定など、戦争する国づくり、死の商人となる国づくりが推し進められています。

二度と戦争はしないと誓った憲法第9条

日本国憲法は、大きな犠牲を払った悲惨な戦争の反省から、人々の平和と民主主義の願いの下に生み出されました。どんな理由があろうとも二度と戦争はしないと誓った憲法第9条は、戦後の混乱と絶望の時代から今日まで、人々に大きな希望と生きる勇気・平和の大切さを与え続けました。憲法第9条は、世界の平和を求める人々の希望です。子どもたちの未来と世界の平和、地球環境と人権を守るため、日本国憲法の平和原則を日本と世界のためにいかしていきたいと願います。

アフリカのマリ共和国に支援米4.7tを発送

食とみどり水を守る県民会議とJAグループが合同発送式

アフリカの内陸に位置するマリ共和国は、国連が規定する「後発開発途上国」で世界の中でも最貧国の一つ。食とみどり、水を守る県民会議は1995年から「アジア・アフリカ支援米」運動として、県内の支援殿で作付けしたコメ、一握り運動のカンパ米を毎年マリ共和国に送ってきました。JAグループも1998年から「国際協力田運動」として県内で作付けしたコメをマリ共和国に送付しています。

両団体は1月17日、長野市のJA長野県ビルで合同の発送式を行いました。発送式には、県民会議加盟の労働組合や民主団体の代表、JA長野グループの組合員や職員が参加しました。また、JAグループの国際協力田で田植えなどに参加している長野市の若穂幼稚園の園児たちも参加してくれました。

発送式は、JA長野グループや県民会議、県生協連の代表からあいさつがありました。県民会議からは、中川博司会長(県議会議員)が「飢餓や戦争のない平和な世界に向け、支援米運動に取り組んできた」などとあいさつしました。

参加者は、一人ひとりがコメ袋にマリ語のメッセージを書き込みました。園児たちは、マリの人びとにあてて思い思いの絵を描いていました。

マリ共和国現地まで届ける団体は「マザーランド・アカデミー・インターナショナル」。40年近くにわたりマリ共和国を支援し続けている国際NGO。代表の村上章子さんから「支援米は、サハラ砂漠を緑に変え、子どもたちを『戦争をしない、させない子どもに変える事業』において大きな働きをしている」などとするメッセージが寄せられました。

発送式の最後に、みんなでトラックにコメ袋を積み込み、最後は、出発するトラックに拍手や声援を送りました。

若穂幼稚園の園児がメッセージを発表

あいさつする中川博司会長

コメ袋に絵を描く園児たち

トラックにコメを積み込む参加者

園児、参加者でトラックを見送り

参加者全員で記念撮影

第56回全国青年団結集会長野県大会が開催されました

長野県内、全国から330人の青年が結集

第56回全国青年団結集会長野県大会が、2月3㈯・4㈰にかけて、長野県千曲市・戸倉温泉 圓山荘で開催されました。長野県内から、全国各地から330人(13産別・2団体)が結集することができました。コロナ禍を経て、産別・地域を超えて集まった全国の仲間が2日間にわたって学習と交流を深めました。

全国から集まった参加者たち

千曲川のほとりにある戸倉上山田温泉

働き続けることが困難な職場に立ち向かおう

初日の全体集会では実行委員長の横川慶和さん(林野労組)から「北は北海道、南は沖縄から13産別の仲間が結集しました。私たち労働者は生活のため、社会のためにも、職場実態を見直し、前向きに働ける職場にしなくてはなりません。今集会での仲間との交流を通して、全国にたたかう仲間がいると感じることができれば、わたしたち働く仲間にとって心強い支えになるのではないでしょうか。この青年団結集会を、わたしたち労働者の団結をさらに強めるきっかけにしよう」と呼び掛けました。

矛盾や問題が顕在化する職場

基調提案では、2020年1月に高知県で第53回集会を開催したあと21春闘期、22春闘期にわたって青年団結集会を開催できなかったこと、労働組合においても自粛の雰囲気が強まり、学習や交流の取組みなどが次々と中止にされてきたことに触れ、自粛が労働組合の組織の弱体化や職場・社会への影響力の後退をまねき、青年の生活や労働の実態をますます困難にしかねないことが指摘されました。

そしてコロナ禍においても合理化はとまらず、労働者に問題と矛盾が突きつけられている現状が示されました。医療の現場では医療崩壊の危機感が煽られ、医療従事者への感謝がしきりに強調されたが、医療崩壊はコロナ禍以前からの病院の統廃合、病床の削減、人員の削減などの合理化によって発生していたこと、強調される感謝はその事実をごまかし医療従事者にさらなる労働強化を強いていたことなどが確認されました。

労働組合の弱体化は労働条件の後退をもたらすが、労働組合の強化、青年部運動の前進が、青年に低賃金や長時間労働を強いる社会や職場を変える力へと繋がること、そのために交流を力にしていこうと提案されました。

 特別報告➀消防職員協議会の仲間からの訴え

初日には、特別報告として消防職員協議会ユース部の関野晃充さんから消防職員協議会の活動についてスライドを交えて報告をいただきました。

勤務形態や業務内容、御嶽山噴火や台風19号災害などの災害派遣について、また人員不足やハラスメント、無賃金拘束時間などの消防職場の問題について報告されました。団体交渉権などの労働基本権がない消防が、劣悪な労働環境を改善していくために消防職員委員会制度がつくられましたが、使用者側の恣意的な運営が見られるなど、その効果は十分ではなく、委員会を実効あるものにさせるためにも職員の自主組織として消防職員協議会がつくられたことが紹介されました。労働組合がある職場が当たり前ではないことが参加者に伝わりました。

消防職員委員会制度について(総務省消防庁HPより)

https://www.fdma.go.jp/mission/enrichment/syobosyokuin_iinkai/iinkai.html

全消協ってなに?(全国消防職員協議会HPより)

http://zensyokyo.jp/zensyokyo/

(全国消防職員協議会HPより)

関野さんは報告後に青年団結集会ニュースに感想を寄せられています。

「今回初めて、消防協から参加し、消防の職場実態について、全国の仲間に伝えることができて、大変うれしく思います。人員不足や厳しい上下関係がある職場で消防職員が働いていることを知っていただけたのではと思います。私たち消防職員もみなさんと同じ労働者です。みなさんと同じ悩みを抱えています。組合を作る団結権すら奪われる現状で、職場のおかしいことに対して意見を言うために出来たのが消防職員協議会です。団結権の回復、住民サービスの向上のためにみなさんとともに頑張っていきたいと思います。今回の経験を参加しただけで終わらせることなく、この集会での熱気を自分たちの職場へ持ち帰り、団結した仲間とともにより良い職場をつくっていきます」

メイン行事の分散会

300人を超える参加者は40のグループに分かれて二日間にわたって、それぞれの職場の実態を話し、お互いへの質問を通して、職場・産別を超えて共通する職場の問題を確認することができました。

コロナ禍の影響もあり「分散会に参加することがはじめて」という参加者もありましたが、日頃の職場ではなかなか口に出せない気持ちや不満・不安、賃金や労働条件や組合などへの率直な思いなどを話すことができ、悩んでいるのは自分だけではないのだということを知ることができました。公共交通、自治体職場、清掃など他の職種の職場環境や悩みを聞きながら、どうやったら働き続けられる職場・社会にしていけるか参加者それぞれに、いろいろな問いや気づきが生まれた分散会になりました。

分散会での参加者の声

労働者に自己負担を強いる当局・資本

「自己負担があたり前。文房具や子どもの発表会の衣装を作成するための材料・ミシンを自腹で購入している」自治体の保育士の参加者

「制服が1着は会社から支給されるが、着替えのための制服は自腹で購入しなければならない」私鉄の参加者

「基本給に反映しているとの理由で通勤手当が支給されていない。燃料費として1万5千円程度が一時金に含まれて支給されるが、ガソリン代高騰のため全然足りていない。とくに遠距離通勤者ほど厳しい」私鉄の参加者

職場での人員確保の問題

「低賃金のため、採用されても数年で早期退職する仲間があとを絶たない」私鉄の参加者

「民間の初任給の方が高いため、新規採用者が確保できない」自治労の参加者

「長時間労働やサービス残業が多く、精神疾患での病気休暇者や30歳代の早期退職者が増えている」自治労の参加者

「広域異動があることを理由に早期退職する仲間が増えている」林野の参加者

子どもの生命を預かる保育職場の切実な悩み

「低賃金のため保育士の確保が困難。資格を持っていない非正規の保育士が増えている」自治体の保育士の参加者

官民問わず長時間労働・過重労働があたり前に

「管理職は超勤縮減を呼びかけるが、人員は増えず業務量も変わらないため、早朝出勤による不払残業が増えている」自治労・林野の参加者

「高速サービスエリアでの待ち時間は拘束されているにもかかわらず、労働時間から除外されている」私鉄の参加者

(青年の声2月20日号から抜粋)

【構成詩】「分散会交流が職場を変える力に」

今回、分散会を前に、長野県実行委員会の横川委員長たち有志によって模擬分散会をテーマにした構成詩のステージが披露されました。「初対面のひとと何時間も話すことあるのかな?」といった参加者の不安や疑問に応えて、一緒になって考え、楽しみながら、分散会のイメージがつかめるステージになりました。「分散会ってなに?」「参加者の心得」「産別を超えた大交流!」の3部構成で演じられ、合間にはナビゲーターの高橋海さん(自治労)からそれぞれの場面についての解説があり参加者にも理解しやすい工夫がされていました。

構成詩「分散会交流が職場を変える力に」

ナビゲーターの高橋さんはさいごに「自分も、もともとは組合アンチでしたが、今は県本部で副部長をしています。どうして考えが変わったかというと、組合活動に参加するなかで、サビ残や休めないことが当たり前ではなくおかしなことだと気づけたからです」と話し、前回の青年団結集会茨城県大会へ最後に参加してから組合を辞めようと思っていた青年が分散会でいろいろな職場の話を聞くなかで、当たり前だと思っていた権利や労働条件が過去に組合が勝ち取った権利だったと気づき組合脱退をやめたというエピソードを紹介されました。

※ 『構成詩』は、職場の実態などを反映した台本を作成し、参加者(観客)に語りかけ、その語りかけをとおして、参加者は職場の実態などをイメージし、問題意識を高め、より働きやすい職場環境づくりのために、自分ならどうするだろうか?何ができるか?等と考えるきっかけにしてもらう取り組みです。今回は、職場ではなく分散会をテーマにした構成詩が披露されました。

(青年団結集会ニュースより)

 

労働組合は最強のセーフティーネット

二日目には記念講演として松本地区労組会議の平谷哲治事務局長から「セブンイレブン闘争と労働組合のない職場の実態」というテーマで、平谷さん自身の経験をもとに労働組合の大切さについて講演いただきました。

講演「セブンイレブン闘争と労働組合のない職場の実態」

【講演概要】

「このままでは働き続けられない」組合結成

身を粉にして働くことが美徳との価値観で、長時間労働でも休みが取れなくても働き続けていた。しかし脳梗塞など身体を壊す社員が次々と出ても何も対応せず、社員を使い捨てにするような会社に不信感を持つようになった。「このまま働き続けられるのか?」と、同じ不安や疑問を持つ者と社員・アルバイトの雇用の違いを越え会社と交渉するために労働組合を立ち上げた。

巨象とのたたかい、仲間の支援が力に

会社の組合敵視はすさまじくさまざまな攻撃を受けた。組合役員を担う店長職は管理職だから組合員の資格がないと主張し、残業代支払いの義務もないと労基法の規定を悪用して支払いを拒否した。これに対し、組合の存続と「名ばかり管理職」となっている店長の労働者性を認めさせ、未払いの残業代を請求する裁判闘争に踏み切った。巨大企業の名を持つ相手とのたたかいは怖かったが、地域や全国の労働組合からの支援があったからこそたたかうことができた。そして、この裁判闘争は全国的な注目を集め、勝利的和解を勝ちとることができた。

たたかいの成果は全国に波及

組合の勝利後、会社は突然店舗の閉鎖を行った。組合がたたかった結果、職を失ったと批判されることもあったが私たちに後悔はなかった。なにもしなければ自分たちが倒れていた。たたかいを通じ労働条件を勝ち取る喜びを体感した。そして全国の「名ばかり管理職」の扱いが改善された。一組合であっても労組でたたかうことで判例ができ、それが波及して法律となり、私たちを守る武器になる。労働者にとって労働組合は最強のセーフティーネットだ。

特別報告②「安全、安心な空の職場を取り戻そう」(JAL争議団)

JAL被解雇者労働組合(JHU)の客室乗務員争議団長の鈴木圭子さんからも争議団のたたかいについて報告いただきました。また、1月2日の夕刻に羽田空港で起きたJAL機と海保機の衝突事故についても長年の乗務経験をもつ乗務員の立場から考察が必要だと鈴木さんは話し、運輸委員会の事故調査と警察の捜査が進められているが、再発防止に向けて原因を究明する事故調査と警察の捜査は異質なものであり、警察が関与することは真の事故原因究明の妨げになると訴えました。事故機の人員配置やベテランスタッフの不足なども指摘され、労働組合の存在が、事故の防止、安全な空に繋がることが示されました。

「羽田空港衝突JHU見解」

JAL被解雇者労働組合HP

https://jhu-wing.main.jp/

職場・産別・地域を超えた青年労働者の共闘を

さいごに社青同の松浦久美子さんから集会まとめが報告され、集会宣言を採択し、参加者全員の「団結ガンバロー」で閉会しました。全国各地から集まった仲間は学びと交流を深め帰路につきました。長時間労働や低賃金を強いる社会を変え、一人ひとりの労働者が大切にされる職場を実現していくために、職場・産別・地域を越えて共闘し、労働組合がたしかな連帯を取り戻していくことがいま必要とされています。疲弊した日本社会を変えるため、労働組合のない職場で働く労働者のためにも、組織された労働者の団結の強化が求められています。安心して働き続けられる社会を実現するために、それぞれの職場、地域でたたかい努力することを確認し合うことができた青年団結集会になりました。

会場で集まったカンパを富山・新潟から参加した仲間に

みんなでインターナショナルを唄った

あらゆる職場で青年が合理化の犠牲に- 社青同中央常任委員 松浦久美子さん

(…)第56回全国青年団結集会には、30都道県、13産別2団体から330人の仲間が結集しました。実行委員会の事前の想定を大きく上回る結果の背景には、分散会で報告し合ったように、労働者が大切に扱われない職場や社会で蓄積する不満や不安を誰かに伝えたい、という思いがあります。そして、職場、産別、地域を超えた交流のなかで新しい出会いがあり、各県や地区でのこれからの交流の前進に向けた確かな展望を持つことができました。

長野県実行委員会の横川実行委員長は、開会のあいさつで「全国から集まった仲間との交流を通じて、実態を共有できる場があり、しんどい気持ちに共感し、一緒にたたかってくれる仲間がいると感じることができれば、心強い支えになる」と提起していました。私自身も、分散会での交流を通じてそうした支えを得ることができました。全国のさまざまな職場に仲間がいます。職場で黙々と働いているように見える仲間も、心の中ではその働かされ方にさまざまな不満や憤りを感じているのではないでしょうか。職場の仲間に話しかけ、次は各県、各地区の団結集会への参加を呼びかけることが、第56回全国青年団結集会に参加した私たちの課題です。

(「集会まとめ」から一部抜粋)

集会宣言

ミャンマークーデターから3年―報告集会・スタンディング―

ミャンマー軍事クーデターから3年

報告集会「ミャンマーに平和と自由を」開催

「ミャンマー民主化を支援する信州の会」は、1月27日、長野市内でミャンマーでの軍事クーデターから3年になるのを前に報告集会「ミャンマーに平和と自由を」を開催しました。オンラインを含め約40人が参加しました。寒さの厳しい一日でしたが、大勢の市民の方に現在のミャンマーの状況について知っていただけるイベントになりました。当日は会場にSBC信越放送の取材がありました。

【SBC信越放送】2月1日のスタンディング&マティダさんへのインタビュー

ミャンマークーデター3年を受けて2月1日に長野駅前で開催されたスタンディングの模様が報道されました。また1月27日の集会でもミャンマー情勢について報告してくれたマティダさんへのインタヴューが掲載されています。ぜひご覧ください。

【SBC信越放送】
「ミャンマーの人々に思いを馳せて」国軍クーデターから2月1日で3年 平和と自由を呼びかける街頭活動
2024年2月2日(金) 12:21配信

写真:SBC信越放送 長野駅前で訴える若麻績代表

【SBC信越放送】
「ミャンマーを忘れないで…」クーデターから間もなく3年…メディアでの露出や関心薄れ「空爆で島を燃やしている…」日本で暮らすミャンマー人夫妻が悲惨な現状を訴え、2月1日には街頭活動も
2024年1月29日(月) 14:23配信

写真:SBC信越放送

2021年のクーデター後の死者4500人、現在も拘束者2万人

2021年2月1日の軍事クーデターから3年が経過しようとしていますが、ミャンマー情勢は混迷を深めています。避難民のキャンプや学校や図書館への空爆など自国民への暴力はエスカレートし、軍事クーデター以降、軍・警察の弾圧による死者は約4500人に上り、約2万人もの市民の拘束が続いています。

現地の人権団体AAPPは、クーデター以後4484人が殺害され、20034人が現在も拘束されていると発表している

ミャンマー支援に取り組む3人から報告

報告集会では東京在住のミャンマー人民主化活動家のウィン チョウさんとマティダさんご夫妻、ミャンマーを研究する東京外国語大学院生の石川航さん、地元長野の市民企業と協力してミャンマーへ衣料支援などをおこなうアジア子ども交流支援センターの青木正彦さんらから、現在のミャンマーの状況や支援のとりくみについて報告していただきました。

【報告1】80年代から民主化運動に参加してきたウィン チョウ・マティダ夫妻

ウィン チョウさんからは、避難民のキャンプの様子や昨年10月以降の国軍と少数民族勢力との大規模衝突などについて報告されました。信州の会も取り組んでいる支援金が、現地の避難民キャンプの食材や子どもたちの学習のための本などにあてられていることが伝えられ、食材を川を渡って運ぶ様子や本を手に取る子どもたちの様子が写真スライドを使って共有されました。

昨年秋の軍と少数民族勢力との大規模衝突についても説明

 

長野の人から寄せられた寄付が子どもたちの本に

途中、現地の避難民キャンプとビデオ通話で繋ぎ、現地の学校長を介して、避難している少数民族の子どもたちの声が伝えられました。インタヴューに応えてくれた小学生の女の子は「ここは楽しくない」「早く家に帰りたい」と素直な心情を口にしてくれました。避難民のキャンプに対しても国軍による空爆の危険が常にあり、現地の状況は緊迫しています。国軍は支配できないなら焼き払うという残虐な作戦を続けており避難民が増加の一途を辿っているとウィン チョウさんは訴えました。

ミャンマーの避難民キャンプと会場をビデオ通話で繋ぎました

会場ではミャンマー問題を追った書籍とミャンマーカレーをチャリティ販売

会場では、ウィン チョウさん、マティダさんを取材したNHKのミャンマープロジェクトチームの『ミャンマープロジェクト取材班、デジタルハンターになる』(講談社現代新書)もチャリティ販売されました。

『ミャンマープロジェクト取材班、デジタルハンターになる』(講談社現代新書)

NHK「ミャンマーで何が起きているのかーWhat’s Happening In Myanmar?」
※デジタル空間から削除された現地ミャンマーの動画アーカイブ

お馴染みのミャンマーカレーのチャリティ販売も 

【報告2】ミャンマーのために学生としてできること(石川航さん・東京外大院生)

石川さんは、国際協力に関わりたいという思いを抱き、大学入学後はミャンマー地域研究とビルマ語を専攻し、クーデター前の2018年には、ミャンマーのヤンゴン大学への留学を経験して、その後、環境NGOや子ども支援NGOの活動にも関わってきたそうです。

2021年2月1日のミャンマーのクーデター後は、日本人としてどう向き合えばいいのか、支援すればいいのか当初は悩んでいたそうですが、ミャンマーにいる友人たちの行動を知って、ミャンマーに関わる者として行動する責任があるのではないかと考えるようになったそうです。そして日本に住むミャンマーの人びとの存在、ウィン チョウさんやマティダさんをはじめ1988年から民主化の運動をつづけて来られた方を知り、署名活動や募金活動をはじめたそうです。

さまざまなミャンマー支援の活動がおこなわれている

日本で働く若いミャンマー人を中心に行われている毎週末の募金活動、利益がミャンマー支援にあてられるレストラン、クラウドファウンディングや、チャリティイベントなどの支援活動、
外務省前ではミャンマーへの積極的な支援を求める要請行動や、ミャンマー大使館前での抗議活動が紹介されました。

石川さんがウィンチョウさんたちと取り組んだクラウドファウンディング

昨年夏にタイ=ミャンマー国境を訪問

石川さんは、クラファンのプロジェクトの一環として、タイとミャンマーの国境を訪問して、去年8月に渡航した際に見た現地の様子についても報告してくれました。

タイ・チェンマイのクリニックでは、10代、20代の負傷した若い人たちが療養していたそうです。ニュースなどで目にするだけでは遠く離れた出来事に感じてしまうことも多いが、彼らの気取らない姿、笑ったり遊んだりして過ごしている姿を見て自分たちと変わらないと実感したそうです。しかし彼らの多くは、武器をとって軍と闘うことを選んだ人や、両親が殺され命からがら逃げてきた人などとても苦しい思いをしてきていることがわかったそうです。それでも外国人の石川さんに対して「タイの暮らしはどうだ?」とか気にかけてくれたり、食べものをくれたりなどあたたかさをもらったそうです。

実際に現地に足を運んでわかることがあった

夫がミャンマーに残り国軍と闘っているという妊婦の女性との出会いからは、この状況のなかでも新しい命が芽生えようとしていて、毎日を頑張っているのだなと実際に足を運んでみないとわからないことがあると感じたそうです。

石川さんの活動の原動力は現地の友人の存在が大きいそうです。彼らは、不服従運動やPDFに参加して、殆どが大学に行っておらず、大学を辞めて、新しくビジネスをはじめたひとや、家に籠って自分のできることをしようとしているひと、また拘束されてしまった友人や、音信不通の友人、PDFに入った友人もいるそうです。

武器を取ってたたかうPDFの若者とも交流

昨年8月に渡航した際には、ミャンマー側にも入り、PDFの若者とも交流したそうです。彼らは武器をとってたたかっているだけでなく、子どもたちに勉強を教えたり、食糧を運んだりなどの人道支援も並行して行っていたそうです。石川さんは、彼らが武器を取らざるをえないことは悲しいことで、はやく平和になってほしいという思いや、そのような状況をつくっている国際社会の一員としての責任も感じたそうです。

小中高の子どもたちにミャンマーのことを伝えている

石川さんは、小中高に出張して、ウィン チョウ、マティダ夫妻の協力を得ながら、子どもたちにミャンマーのことを伝えているそうです。ミャンマーの文化などを知ってもらい、支援の輪をひろげたいという思いで取り組んでいるそうです。また子どもたちに伝えることは未来への種まきにつながり、ミャンマーに目を向けたり、国際社会に関心をもったりすることで、それが世界の平和、文化理解に繋がっていくと話してくれました。

ミャンマーへの関心が薄れているけれど

街頭での募金活動をずっと続けていることで、顔を覚えてもらえて「頑張ってるね」と声かけをしてもらえたり、学校で交流した中学生や高校生の子どもたちが、自分の財布からお金を出して募金してくれたり、イベントに参加してくれたりしていて、地道なとりくみが大事で、種まきが実っているなと感じるそうです。

「当事者でない人々が理解したとき、社会は動く」

最後に石川さんは「当事者でない人々が理解したとき、社会は動く」と訴え、ミャンマーとの繋がりの中で沢山の事を学ばせてもらってきたので、恩返しの気持ちでこれからも頑張っていきたいと話しました。

【石川さんの他のとりくみ】

石川さんは、信州の会でも何度も報告していただいている新町智哉さんと一緒にネットラジオでの発信も続けています。

ミャンマー言いたい砲台ラヂオ【ヤンゴン放送局】って何?

【報告3】ミャンマーへの衣料支援のとりくみ(青木正彦さん・アジア子ども交流支援センター)

クーデター以前から20年以上つづけてきたミャンマーの子ども支援

青木さんからは、ミャンマーの避難民への古着を贈るキャンペーンが報告されました。

2001年からミャンマー現地を訪れ、コロナ禍が始まるまでは20年間以上、毎年訪問して、主に僧院学校(僧侶が地域の子どもたちに勉強を教えている)の生徒さんに文房具を届けたり、井戸を掘ったりする活動をつづけてきてこられたそうです。

クーデターのあと、現地の支援関係者から助けてほしいと連絡があり、私たちのやれることをやろうと、ミャンマーカレーのチャリティ販売にとりくみ、それらの販売利益と多くの方から寄せられた寄付を支援金として定期的にミャンマーに送っているそうです。

ミャンマーの避難民に日本から古着を送る

その後、現地から着の身着のままで避難しているひとも多いと聞き、昨年夏に古着支援の呼び掛けをして2トンを集め、1.6トンの古着をミャンマーに贈ったそうです。だれでも気持ちがあれば参加しやすい(お金はハードルが高い)という理由で古着を集めることにしたそうです。ただ輸送の資金がなければ送れないことから、あわせて送料の寄付もお願いすることと、いくら戦争状態であっても、失礼にならないような状態のものを差し上げたいということを大事にしてきたそうです。

信濃毎日新聞の記事から予想以上の反響に

信濃毎日新聞(8/1)の記事が掲載されてからはとりくみに対して、予想以上の反響があり、1ヶ月間は問合せの電話がひっきりなしに続いたそうです。青木さんは「お電話を頂いた方には、できるだけ話をさせていただこうと、どうして支援しているのかなど長話になってしまい、次から次とかかってくる電話の応対が大変だった」と当時の大変さを語りました。

大きな反響が寄せられた信濃毎日新聞の記事

結果的に、220人以上の方が支援してくれ、2,3人の方以外は全員送料も寄付してくれ、集まった2トンの古着を分別して最終的に1.6トンをミャンマーに送ることができたそうです。
ミャンマー支援に協力的な須坂市の会社が輸送を安く引き受けてくれ、軽ワゴン5台分で港に向かい、タイまでは船便で、タイ到着後は陸路で避難民のもとへ届けられたそうです。

個人だけでなく企業として支援してくれた会社もあった

AC長野パルセイロを運営する企業から、選手の練習着200着を寄贈され、サッカーが大好きな現地の子どもたちは非常に喜んでくれたそうです。

青木さんは「早く平和になって安心してみんなでサッカーができるようになったらいいな」と平和への思いを語りました。

また「支援者の方からは、活動を理解してねぎらいの言葉をお手紙で下さる方も大勢いて、心ある方はいっぱいいるんだな」と感じたそうです。

紛争が終結したあとも子どもたちへの支援を続けていく

青木さんは最後に「長野というより日本から支援してくれるひとがいること、送ってくれて励ましてくれているんだということが一番の力になるんだと思います。もちろんお金も大事ですが、眼に見えるものとしての支援には力があります。ミャンマーの支援はずっと続けてきたので、この紛争が終結したあとも、ミャンマーの子どもたちが育つために支援を続けていこうと思っています」と話されました。

* * *

今回、クーデターから3年を迎えるミャンマー情勢をテーマに、ミャンマー問題報告集会を開催できたことは大きな意義をもちます。ビルマ(ミャンマー)の民主化のために学生時代からたたかってきたウィン チョウさんやマティダさんの訴え、ミャンマー支援にとりくむ石川さんや青木さんの報告から、県内外で活動する団体のメンバーの日々のとりくみが支援につながり、ミャンマー出身者に勇気を与えていることを改めて知ることができました。報告集会の詳報は、次回のニュースレターに掲載予定です。

2月1日に長野市・松本市でスタンディング

また2月1日には、長野市と松本市でミャンマー問題を訴える街頭行動、スタンディングを実施しました。

みぞれまじれの冷たい風が吹き付けるなかでしたが約30人が長野駅前に集まりました。

ミャンマーに一刻も早く平和が訪れることを願います。今後もミャンマー市民と連帯して活動していきます。

 

報告会「能登半島現地からの報告-地震・被災・原発」を開きます

石川県珠洲市在住、志賀原発運転差し止め訴訟原告団団長の

北野進氏が現地からオンラインで生報告

石川県珠洲市在住で、かつて珠洲原発の建設反対運動に取り組み、現在、志賀原発運転差し止め訴訟の原告団長を務めている北野進さん(元石川県議会議員、元珠洲市議会議員、元石川県平和運動センター事務局勤務)が講師となり、現地からオンライン(Zoom)で生報告する報告会を企画しました。地震に見舞われた能登半島の状況や志賀原発の現状、計画を断念に追い込んだ珠洲原発反対運動の経過など、能登半島における反原発運動の最先頭に立ってきた北野進さんの報告をぜひ多くのみなさんが聞いてください。Zoomでの視聴もできますので、ご参加をお待ちしています。

1.日  時  2月22日(木) 13時~14時30分

2.場  所  長野県労働会館 5階 大会議室

長野市県町532-3 電話 026-235-3216

※Zoomでの配信も行います。

3.内  容  報告会「能登半島現地からの報告-地震・被災・原発」

講師 北 野  進 さん

※オンライン(Zoom)で現地から報告

きたの・すすむ 1959年石川県珠洲郡内浦町(現在、鳳珠郡能登町)に生まれる。1982年筑波大学卒。北陸ジャスコ入社。1986年同社退社。有機農業に取り組む。1988年珠洲市三崎町本に入植。米、野菜の無農薬栽培に取り組む。1989年原発に反対する市民とともに「止めよう原発!珠洲市民の会」を結成。珠洲市長選挙に立候補。1991年石川県議会議員に初当選。1995年無投票で再選。1999年初のトップで3選を果たす。2003年4期目の挑戦を果たせず議員活動に幕を降ろす。石川県平和運動センター事務局で平和運動に携わり、2011年から2期珠洲市議を務める。現在「志賀原発を廃炉に!訴訟原告団」団長。

4.参加費  無料

5.参加申込  どなたでも参加できます。事前の申し込みは不要です。

6.Zoom  報告会はZoomでも視聴できます。

当日のZoomのミーティングID、パスコードは以下の通りです。

https://us06web.zoom.us/j/81250428844?pwd=fouzOIPnYrEsAnahYq4lAccddYEDbx.1

ミーティングID 812 5042 8844

パスコード 222222

311 子ども甲状腺がん裁判第8回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第8回口頭弁論が12月6日、東京地裁で開かれました。 
この日は、80席の一般傍聴席に対し、188人の方が抽選に並びました。法廷では、裁判長の交代に伴い、原告2名の2度目の意見陳述が行われました。前回と違い印象的だったのは、証言台に遮蔽措置はなく、裁判長に訴える二人の原告の姿はとても堂々としたもので、内容も含めて原告5番さん、6番さんの大きな成長を感じるものでした。このほか、原告側と被告側の弁護士が弁論更新に伴う陳述をしました。

第8回口頭弁論・第17準備書面プレゼン動画

第8回口頭弁論・第18準備書面プレゼン動画

第8回口頭弁論・弁論更新 損害論

原告5番意見陳述

原告6番意見陳述

支援者集会

盛岡レーメン販売の収益金70万円を福島の子どもたちを支援する3団体に寄付しました

長野県原水禁は、東京電力福島第一原発事故による放射能汚染の影響を受けている子どもたちを支援するため、昨年5月から7月にかけて盛岡レーメンの物資販売に取り組みました。2012年から毎年取り組んでいる活動で、収益金はすべて関係する市民団体に寄付しています。県原水禁の地区組織が主体となった取り組みで、今回も70万円の寄付金を捻出することができました。寄付金は、昨年12月、福島の子どもたちを支援する活動に取り組む3団体に直接手渡しました。

◆寄付先

〇NPO法人3・11甲状腺がん子ども基金  20万円

〇認定NPO法人日本チェルノブイリ連帯基金 20万円

〇311子ども甲状腺がん支援ネットワーク  30万円