21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

311 子ども甲状腺がん裁判第11回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第11回口頭弁論が9月11日、東京地裁で開かれた。

この日は、大法廷の一般傍聴席が85席に対し、207人が傍聴券の抽選に並んだ。傍聴希望者が200人を超えたのは、第5回期日ぶりとのこと。裁判は、進むにつれて傍聴者が減るのが一般的だが、この裁判においては少しずつ傍聴希望者が増えているそう。その後の報告集会もほぼ満席。原告はもちろん、弁護団や支援者たちのたゆまぬ努力の賜物なのだろう。

         

今回は傍聴抽選に当たり、法廷内に入ることができたのだが、珍しく協議が長引き、10分ほど開廷が遅れた。資料も揃わず裁判所側がモタモタしている様子だった。ようやく原告意見陳述が始まったころは14:30頃で、原告は「自分の住む町が福島第一原発から西に100キロの場所にあり、まさか被ばくする環境とは知らず、30~40分かけて自転車で通学や買い物に出かけた。自宅の目の前の道路を自動車が通るたび、地面から粉じんが巻き上げられていた。手術後は、再発、転移のことを考えないようにして自分の精神状態を保った」などと緊張しながらもしっかりとした口調で話した。

裁判所から、全ての主張を出し尽くすよう求められていた原告は全部で15本の準備書面を提出した。一方、東京電力は2本の反論書面を提出した。

UNSCEAR報告書の過小評価の原因特定か

原告の主張のうちの1つは、被告の主張する「過剰診断」論を否定するもの。福島県の甲状腺がんの手術症例などに基づき、福島県で見つかっている甲状腺がんは、被告の指摘するような「潜在がん」とは言えないと主張した。また、原告一人ひとりについても、病気の推移を詳細に示し、短期間で腫瘍が増大している実情や、多数のリンパ節転移が見つかっていることを指摘した。

              

大気中浮遊物測定局内で「霧箱」効果?

また、UNSCEARの報告書の被ばく線量評価については、黒川眞一高エネルギー加速器研究機構名誉教授の5通目となる意見書を提出した。UNSCEAR報告書はデータ解析の際、大気汚染を監視するために設置されているSPM局で採取された放射性セシウムの値を利用しているが、意見書では、その値が、大幅に少なくなっている原因を特定。最も高濃度の放射性プルームが福島県内を覆っていた3月15日から16日にかけて、福島市内では気温が低く、かつ湿度の高い飽和状態に近い気象条件にあったとした上で、SPM局の中に取り込まれた大気が、高濃度の放射性物質の影響でイオン化し、液滴となる「霧箱」のような状態に陥っていた可能性があると指摘した。原発事故と甲状腺がんとの関係を証明する意見書を東京地裁に提出した黒川眞一・高エネルギー加速器研究機構名誉教授に対し、東京電力が「放射線の専門家ではない」と主張していることについて、只野弁護士は「黒川名誉教授は高度の学識を持っており、専門家である。東京電力側の主張は黒川さんに対する侮辱であり、今後、このような侮辱は金輪際、やめていただきたい」と語気を強めて抗議する場面もあった。

さらに、当時の福島市内で計測された大気中浮遊物(SPM)のデータが、放射性プルームの到来時間に、数値がゼロになっている事実を提示。この時間に、SPM局内では霧箱状態となり、SPMや放射性セシウムは、粒径が大きくなって排除され、濾紙に付着する量が極端に少なくなっていた可能性が高いと主張した。

「誰ひとり泣き寝入りさせない」〜原賠法の立法時

このほか、原子力損害賠償法の立法当時に遡り、立法趣旨を解説する書面も提出。法廷のプレゼンでは、原賠法立法当時、原子力事故が起きたい際に、被害者が重い立証責任を負うことは想定されていなかったことを解説した上で、国会でも「誰一人泣き寝入りさせない」という答弁が繰り返されていたことを裁判所に訴えた。

         

第12回口頭弁論期日は12月11日(水)に予定されている。

次回期日には、地区労組会議を介して購入いただいているレーメンの販売利益分を3団体(3・11甲状腺がん子ども基金、311甲状腺がん子ども支援ネットワーク、日本チェルノブイリ連帯基金)にそれぞれ寄付する予定。組合員のみなさまの善意がここにも届いている。

次回以降は証人尋問が始まり、裁判も新たなフェーズを迎える。今後もより一層の支援をしていきたい。

 

脱原発・核兵器廃絶を求める活動を報告します(6月~10月)

◆各地域で被爆79周年非核平和行進を実施

日本被団協がノーベル平和賞を受賞し、改めて被爆者の存在と被爆体験を伝える活動、核兵器廃絶に向けた課題がクローズアップされています。

県原水禁、各地区原水禁・地区労組会議は今年6月7日から17日まで県内各地で核兵器の廃絶と脱原発を訴える「被爆79周年非核平和行進」を実施しました。6月7日に飯山市での集会、デモ行進をスタートに、17日の大北地区での自治体申し入れ活動まで県内各地で地域の平和世論を盛り上げようと取り組みが行われました。

7月1日、2日には、原水協系の国民平和大行進実行委員会の集会と行進にも参加しエール交換を行いました。

長野地区での非核平和行進

国民平和大行進の集会であいさつする大橋孝宏・県労組会議副議長

 

◆柏崎刈羽原発の再稼働は許さない-集会・デモが柏崎市で開かれる

7月15日、新潟県柏崎市の産業文化会館において、原発からいのちとふるさとを守る県民の会主催で「中越沖地震17年 福島を忘れない! 原発ハイロ全国集会」が280人が参加し開催されました。

これまで県民集会として開催されることが多かった柏崎での集会でしたが、政府によって原発回帰路線への転換がなされている今、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働反対の声を広く集めるため、全国集会という形で開催されました。

集会では、環境経済研究所代表・元新潟県原子力災害時の避難方法に関する検証委員の上岡直美さんが講演し、「新潟県の花角知事は40数回開いた委員会の総括もないままに消滅させてしまった。原子力業界は、旧日本軍のようだ。福島の被害を低く見積もり、原子力政策を続けようとしている」と指摘しました。また、福島原発事故当時の気象条件などを当てはめて、放射性物質の放出・拡散がどのようになされるか、具体的なシミュレーションを示すなど、専門家ならではの視点でわかりやすく解説しました。

集会後には、柏崎駅周辺をパレードし、柏崎刈羽原発再稼働反対の声を上げました。パレードコースは、柏崎市の中心街とはいえあまり通行人が多くありませんでしたが、店先から手を振って、「脱原発」の思いに共感してくれる姿も見られました。

長野県原水禁からは3人が参加しました。

集会には280人が参加

柏崎市内をデモ行進して原発再稼働反対をアピール

 

 

◆反核平和の火リレーに青年女性528人が参加

県内の77市町村・県に平和行政推進の要請を行う第37回反核平和の火リレーが、7月9日から8月6日まで取り組まれ、ランナー総数528人が参加しました。各自治体の要請行動には多くの理事者や応援者が出席し、77自治体中64自治体で市町村長(もしくは副市町村長)が参加いただき、「戦争を知らない人世代が増えている中、若い皆さんが取り組みを続けていくことに意義がある」、「平和の思いを地域につなぎ、次世代へとつないでほしい」など激励を受けました。

5月25日に開いた事前学習会では、新潟県平和運動センターの有田純也事務局長から「柏崎刈羽原発の再稼働が意味すること」と題し講演をいただき、地震や災害による危険性や事故のリスク、コスト高や世界で広がる再生可能エネルギーへの転換などあらゆる視点で原発に反対する理由を学びました。参加者からは「今回のような学習会にもっと参加して学ぶ機会が大事だ」という頼もしい意見も出され、反核・平和運動を押し付けられてやらされる運動にせず、なぜ取り組まれてきたのか、どうして反核が必要なのかということを考え機会をさらに増やしていこうと確認しました。

リレーは7月9日に飯田市役所を出発

ゴールの県庁に向けて走る青年組合員

 

◆広島への原発投下の時刻に黙とう-県原水禁大会

8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下された時刻に合わせ、広島市平和祈念式典をTV中継でつなぎながら被爆79周年原水爆禁止県大会で参加者は黙とうをささげました。オンラインを含め約50人の仲間が参加しました。

県大会では「核と人類は共存できな」という思いを胸に被爆79周年活動方針を確認し、被爆直後の広島・長崎の実写フィルムを編集したDVD「にんげんををかえせ」を上映しました。県原爆被害者の会の前座明司副会長(被爆2世)、5歳の時に広島市内で被爆した今井和子さん(83歳)の被爆体験の語りを傾聴しました。

今井和子さんは、「すごい閃光でした。地の底から突き上げるようなドンっという振動、そして、体がふわっと浮いた感じがしました。(原爆が投下され)真っ暗になって、(その後)明るくなって見えたものは歪んだ家。隣の家は火を噴いて燃えていて向かいの家はぺちゃんこでした」と体験を語り、「政府は速やかに核兵器禁止条約に参加し世界の先頭に立ってもらいたい」と訴えました。

原爆投下の8時15分に合わせて参加者が黙とう

広島での被爆体験を語る今井和子さん

 

◆東京のど真ん中で脱原発をアピール 全国集会に5千人

「命をつなぐ地球環境を」をテーマに、さようなら原発全国集会が9月16日、東京・代々木公園で開かれ、脱原発や気候危機の問題に関心を寄せる労働組合や生活協同組合、市民ら約5千人が集まりました。雷雨の予報をよそに集会中は天気にも恵まれ、脱原発や気候問題などをテーマにした模擬店や各地の産直物産、キッチンカーなども出店し賑わいを見せていました。

ステージでは、各地の原発の再稼働の動きや核燃料サイクルの問題、地元漁民らの意向をないがしろにして海洋放出を続けるALPSS処理水(放射能汚染水)の課題などの報告や訴えがあり、また地球温暖化の解決策を原発に求めようとする動きに対して警鐘を鳴らす若者の発言に集会参加者は熱心に耳を傾けました。

集会後、渋谷コースと原宿コースの二手に分かれてデモ行進に移り、賑わう街並みにさようなら原発、原発は気候危機の解決にならないと訴えかけました。

長野県からは8人が参加しました。

集会の最後にみんなでプラカードパフォーマンス

手作りのプラカードを掲げてパレード

 

◆原発は民主主義と相いれない-市民集会・脱原発2024㏌信州

柏崎刈羽原発7号機(新潟県柏崎市)は、原子炉への核燃料の装塡に伴う検査が6月に全て終了し、技術的には再稼働できる準備が整ったとして、東京電力が再稼働について地元同意を求めています。しかし、福島第一原発の大事故を引き起こした東京電力に、原発を運転する資格はありません。

長野県境の栄村、野沢温泉村から柏崎刈羽原発まで50kmもありません。万が一、大事故が起きた時、長野県の北信地方が放射能被害を受けてしまうことは、福島原発事故の被害状況からみても、現実のものとなってしまいます。

市民集会・脱原発2024in信州が10月20日、長野市・県労働会館で開かれ、会場とオンライン合わせて約60人が参加しました。新潟県の柏崎刈羽原発に関する検証委員会の委員を務めた佐々木寛さん(新潟国際情報大学教授)が「原発と民主主義~柏崎刈羽原子力発電所の再稼働問題を考える」と題して講演しました。佐々木さんは「原発建設が民主主義や地方自治、人権を侵害し続けている」と強調。新潟県で県民の意思に反してすすむ柏崎刈羽原発の再稼働の準備について厳しく批判しました。また、新潟県平和運動センターの有田純也さんも集会に参加し発言。11月から柏崎刈羽原発の再稼働問題について県民投票の実施を求める直接請求署名を始めると報告しました。

集会には約60人の市民が参加

講師の佐々木寛さん

 

総選挙 与党が過半数割れ - 政権交代へ道筋つける

県労組会議の推薦候補4氏が当選果たす

国民・労働者の生活向上、平和を守る政治へ大転換を

10月27日に投開票された総選挙は、自民・公明の与党が過半数を大きく割り込み、立憲民主党などの野党が躍進する結果となりました。「一強多弱」の政治状況が一変し、与野党伯仲状態が生まれました。裏金や旧統一教会問題、絶対多数を背景にした強権的な国会運営など、自民党政治のおごりに国民の怒りが吹き上がりました。

県労組会議は1区、2区、3区、5区の4人の候補者を推薦しましたが、全員が当選を果たすことができました。みなさまのご支援に心から感謝申し上げます。

当選した衆議院議員

長野1区 篠原 孝

長野2区 下条みつ

長野3区 神津 健

長野5区 福田淳太

日朝長野県民会議の活動を報告します(7月~9月)

◆朝鮮の実情を写真を通して学ぶ ~ 日朝問題学習会

「変貌を遂げる今日の朝鮮~そこに住む人々の息づかい~」

日朝県民会議と日朝松本市民会議が主催して日朝問題学習会が7月27日、松本市の長野初中級学校体育館で開かれました。日本人や学校関係者など約80人が参加しました。

今回の日朝問題学習会は、日本政府や一部右翼マスコミなどから「悪の帝国」「独裁国家」などと非難されている朝鮮民主主義人民共和国に暮らす人々の生活、文化や仕事、地方の状況、子どもたちの姿などがどうなっているのかを写真を通して知る機会としました。

学習会の講師にお願いした盧琴順(ロ・クムスン)さんは在日朝鮮人で朝鮮新報社の写真部に所属する記者。朝鮮国内に長く滞在し、地方や子どもたちの姿、人々の表情などを撮り続けている方。盧さんは写真の仕事を選んだ理由として「マスコミを介して印象付けられた『謎』で『異質』な朝鮮民主主義人民共和国。自分たちと何一つ変わらない朝鮮の人々の息づかいがマスコミによって歪められる現実を知った。一人でも多くの日本人や在日同胞に感じてもらいたいと深く思った。学生時代から好きだったカメラが最高の武器になると確信し、写真の仕事を選んだ」と発言しています。

盧琴順さんは「変貌を遂げる今日の朝鮮~そこに住む人々の息づかい~」と題して講演しました。

盧さんは、朝鮮新報平壌特派員として自身が現地で撮影した数百枚の写真を紹介しながら、急速に発展する朝鮮の姿をわかりやすく解説しました。日朝県民会議の関係者は、「日本の報道で見るような写真ではなく、人々の普段の様子がとても自然に写っている写真ばかりで、早く平壌に行きたい気持ちになった」と話ましした。

講演会終了後、焼肉懇親会が行われ、七輪を囲みながら交流を深めました。

学習会の後、焼肉で交流会

焼肉交流会の後、全員で記念写真

 

◆松代大本営追悼碑建立29周年の集い

「加害の歴史を正視し、学びながらどう行動するか」

8月10日、旧日本軍による太平洋戦争敗戦末期の松代大本営地下壕工事で犠牲となった朝鮮人労働者を追悼し平和を祈念する集いが、松代大本営追悼碑を守る会の主催で象山地下壕入口に建立された追悼碑の前で開かれました。追悼碑建立から29周年。会員や在日団体の代表ら約60人が参加し、犠牲者に祈りを捧げました。

守る会の表秀孝会長(長野大学名誉教授)は主催者あいさつで「日朝・日韓関係に改善の兆しが見られないが、だからこそ、松代大本営地下壕工事を通して、植民地支配、朝鮮人強制連行、強制労働の加害の歴史を正視し、学びながらどう行動するかが問われている」と強調するとともに、「無念と望郷の中で亡くなられた朝鮮半島出身の皆様の霊に哀悼の意を捧げ、これからもこの追悼碑を大切に守っていくことを誓う」と決意を述べました。

今年の集いには、駐新潟韓国総領事館から呉栄煥(オ・ヨンファン)総領事が出席、また在日団体を代表して在日本大韓民国民団県地方本部の金龍洙(キム・ヨンス)団長、在日本朝鮮人総連合会県本部常任委員会の李明宏(リ・ミョンガン)委員長らから挨拶をいただきました。

追悼碑前での集いに続き、追悼碑を守る会の第30回総会を開き、追悼碑の維持管理と環境整備、地下壕の案内活動に引き続き取り組むとともに、松代大本営工事開始日から80年を迎える本年11月11日当日、さらに来年8月10日の追悼碑建立30年(戦後80年)の節目に在日2団体と連携し記念行事を実施する事業計画を確認しました。

碑の前で朝鮮人犠牲者を追悼する式典

式典の最後には全員で菊の花を献花

 

◆朝鮮幼稚園・朝鮮高校の無償化排除問題で3地区で街頭宣伝

朝鮮幼稚園が幼保無償化から排除された問題と、朝鮮高校が高校無償化措置から除外され続けている問題に関して、長野、上小、松本の日朝地区組織は駅前で街頭宣伝行動を展開しました。

7月29日に上田駅前、8月2日に松本駅前、8月9日に長野駅で実施されました。

長野駅前で道行く人に訴えた

街頭宣伝の終了後、横断幕をもっと全員で

 

 

◆長野朝鮮初中級学校創立55周年記念行事 大運動会、バザー・ミニ公演・抽選会

長野朝鮮初中級学校創立55周年および幼稚班創設40周年記念行事が9月15日、同校で行われました。記念行事には、卒業生、在校生と教職員、日朝友好・朝鮮学校支援団体の代表ら約400人が参加しました。

第1部は大運動会。例年よりも趣向をこらして、園児・児童・生徒らはもちろん保護者や卒業生、地域同胞たちも参加できる競技が多く準備されました。

午後からは場所を体育館に移して、第2部の祝賀行事が行われました。館内には朝鮮料理をはじめとする各種飲食物を販売する屋台や、子どもたちの遊び場が設置されました。

あいさつした河舜昊校長は「朝鮮学校はただ人がいれば存在する学校ではない、民族の伝統、言葉、文化や精神を必ず守るという強い意志と努力があって維持されていくものだ」「時が流れ、時代が変わっても絶対に変わらないものがある。私たちはそれを守って次の世代へ引き継いでいきたい」と決意を語りました。

日朝県民会議からは大日方有司会長代行)があいさつ。大日方会長は、日朝友好、学校支援の活動を今後とも頑張っていきたいと述べ、この間に集めた学校への寄付金80万円を河校長へ手渡しました。

大阪朝鮮歌舞団の公演も記念行事に花を添えました。公演終盤、地元長野の若者と歌舞団がコラボしたパフォーマンスで会場の雰囲気は最高潮に。チャンゴやケンガリが打ち鳴らされる中、参加者たちの踊りの輪が広がりました。

運動会では幼稚園児も徒競走で頑張った

民族衣装を着て踊りを発表

松本蟻ケ崎高校の生徒が手掛けた作品をバックにチャンゴ演奏

屋台も出た式典には約4百人が参加

 

裏金・統一教会に頼り、国民生活と平和を壊す自公政権は退場を

立憲野党の躍進で国民・労働者のための政治、政権交代を実現しよう

総選挙投票日は10月27日(日) 期日前投票の活用も

石破政権が発足しましたが、国会で十分な議論も行わず、10月9日解散、15日公示、27日投開票の総選挙を強行しました。

石破首相は自民党総裁選の中で掲げた「裏金議員の選挙での厳しい処遇」「日米地位協定の改定」「選択的夫婦別姓制の導入」などは、首相就任後に態度を一変させ、発言を修正したり封印したり、発言と行動が一致しないブレた対応に終始しています。また、衆議院の解散についても総裁選では、国会で十分に議論してからなどと発言したにもかかわらず、早期解散を強行するなど、すでに国民からの信頼感を失いつつあります。

投票日は10月27日(日)。国民生活と平和、民主主義の将来のために何としても自公政権の過半数割れ、政権交代への道すじをつけましょう。

県労組会議総選挙推薦候補

長野1区 しのはら孝  長野2区 下条みつ

長野3区 神津たけし   長野5区 福田じゅんた

県労組会議が4候補に「政策要望書」を提出

県労組会議は各選挙区の推薦候補者あてに「政策要望書」を提出し、その内容を尊重して国政にのぞむように求めました。

公示日の15日、16日に4人の候補者事務所を訪問して要望しました。政策要望書の内容は下記の通りです。

政 策 要 望 書

 第50回衆議院総選挙に向け、長野県平和・人権・労働組合会議、各地区労組会議は、下記の通りの政策要望を提出します。貴殿におかれては、私たちの政策要望を尊重していただき、当選後の国会活動に反映していただけるように要請いたします。

1.立憲主義に基づき、憲法9条の改悪に反対し、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権を掲げる日本国憲法の原則を徹底して守ります。

2.核兵器禁止条約を批准し、脱原発と再生可能エネルギーへの転換を積極的に進めます。

3.沖縄県の米軍辺野古基地建設に反対し、日米地位協定の改定を求めます。

4.勤労者の生活を直撃している物価高に対し、家計への直接的補助の拡充、中小零細事業者の雇用と事業を守るための支援策を拡充します。

5.労働基本権を擁護し、労働者全体の賃金引き上げと解雇規制の自由化に反対するなど労働者保護ルールの堅持、官民の非正規雇用の待遇改善を図り、正規雇用化をめざします。

6.男女の賃金格差、雇用格差をなくし、女性が安心して働き続けられる権利確立に取り組みます。また、LGBTsなどすべての差別の解消に取り組みます。

7.真の地方自治を実現するための財政を確立し、人員確保を進めます。病院、保健所、保育所、水道など市民の健康と生命にかかわる公共部門の充実をはかります。

8.中小零細企業、地場企業への支援を拡充し、下請け企業の価格転嫁や適正価格での雇用保障、労働条件の維持・向上に取り組みます。

9.公共交通の人手不足への対策を徹底し、ライドシェアなどタクシーの規制自由化に反対し、地域公共交通の維持、活性化対策を強化します。

10.国有林は「国民の共有財産」であり、地球温暖化防止の観点からも十分な予算を投入します。

11.食料自給率の向上や食の安全を確保し、地域における農林水産業を再建します。

長野相生座・ロキシーでミャンマー映画『夜明けへの道』上映中!(~10/17木まで)

ミャンマーの現状を記録したセルフドキュメンタリー

ミャンマー民主化を支援する信州の会が上映に協力している長野相生座・ロキシー(長野市)でのミャンマー映画『夜明けへの道』の上映期間は残り1週間となりました。
 
明日10/12(土)~10/17(木)の上映時間は12:20~14:10となっております。
一日一回の上映です。ぜひ映画館でご覧いただけたらと思います。
 
配給収益の一部は支援金とし、コ・パウ監督らを通じてミャンマー支援にあてられます。

ミャンマー軍に対する市民たちの粘り強い抵抗が続いている

特別鑑賞券を事務局で取り扱いしています

特別鑑賞券(1,100円)を事務局で取り扱っております。
お求めの方はお問い合わせください!
 
電話 026-234-2116(平日9:00~17:00)
 

ミャンマー国内では子どもたちの教育機会が奪われていることも危惧されている

コ・パウ監督からのメッセージ

この映画の制作の動機は、私たちアーティストも独裁者の革命の中で、自らの人生、成功、家族全員の生活を代償に払ってきたことを知っていただきたいのです。
この革命は大きな成果を上げています。最後まで進むべきだと感じています。もう後戻りはできないということを理解していただきたい。

コ・パウ監督

 
映画『夜明けへの道』公式サイト
https://yoake-myanmar.com/
 
長野相生座・ロキシー
http://www.naganoaioiza.com/

「2024ミャンマー交流フェスタin信州」開催しました!

ミャンマー文化を楽しみ交流を深められた1日

「2024ミャンマー交流フェスタin信州」が、9月29日(日)、ながの表参道セントラルスクゥエア(長野市)で開催され、無事にイベントを終了できました。ご来場くださった市民の皆様、ミャンマーにゆかりのある皆様、ステージを盛り上げてくださった出演者の皆様、準備から当日の運営までご尽力いただいたスタッフの皆様、本当にありがとうございました。昨年にひきつづき2回目の開催となったミャンマーフェスタを成功させることができました。

カレン族の伝統舞踊

モン族の王朝時代の華麗なダンス

司会を担当してくれた3人

「舞響太鼓 雅」の圧巻の和太鼓パフォーマンス

長野県内でもミャンマー出身者が増える

クーデターから3年8ヵ月が経過して、ミャンマーの報道が少なくなるなか、あらためてミャンマーの踊りや音楽などの文化を切り口にして、多くの市民の方々にミャンマーについて知っていただけるきっかけとなるイベントにできました。
長野県内在住のミャンマー人の方は739人(2023年12月31日現在)と1年で262人も多くなりました。県内在住のミャンマー人のほか、東京からもミャンマー人グループが応援にかけつけてくれ、遠く離れた日本・信州でミャンマー出身者が一堂に集う機会にもなり交流を深められました。
 

今年もミャンマーの伝統的な踊りや音楽がステージで披露

ステージではミャンマーのモン族やカレン族のダンス、ミャンマー友好協会副会長のキンモーモーさんのダンス、チンロン(ミャンマーのけまり)のほか、ミャンマーの状況についてNUG日本代表ソーさん、在日ミャンマー人民主化活動家のウィンチョウさん、マティダさんご夫妻からご報告いただきました。

キンモーモーさんのダンス

キンモーモーさんの生徒さん

NUG日本代表からミャンマーの現状が報告

ウィンチョウさんとマティダさん

ミャンマーの現状を知るためのブースも

会場内のブースではクーデター後のミャンマーの現状を知るための写真・パネル展示、長野相生座・ロキシーで上映されているミャンマー映画『夜明けへの道』の紹介ブース、ミャンマー現地の避難民キャンプとオンラインで繋ぎ現地の状況を知り交流できるブースなども設けられました。チェッターヒンやモヒンガーなどのミャンマー料理やミャンマーコーヒー、ミャンマー雑貨などのチャリティ販売ブースなども出店して賑わいました。

現地の状況を知らせる写真や新聞記事を紹介するブース

在日ビルマ市民労働組合のチャリティブース

ミャンマーの方々がモヒンガーやチェッターヒンの準備

善光寺木遣り保存会からミャンマーへのエールの木遣り

今年もオープニングステージでは、善光寺木遣り保存会の皆様から、ミャンマー交流フェスタ御祝いミャンマーがんばれの木遣りを頂戴いたしました。子どもたちも参加して、素敵な木遣りを披露してくれました。ミャンマーの方々も善光寺木遣りや「舞響太鼓 雅」の迫力ある和太鼓演奏に見入られていました。ダンススタジオブロードウェイの子どもたちの元気なダンスの合間には、今年も東京外大院生の石川航さんからミャンマー情勢やミャンマーを知るための「ヤンゴンかるた」の取組みについてお話いただきました。

善光寺木遣り保存会の皆様のステージ 今年は回向柱に模した柱も登場!

ブロードウェイの子だもたちのダンス

子どもたちのダンスの合間には「ヤンゴンかるた」クイズ

ミャンマー支援募金にたくさんのご寄付

会場内に設置したミャンマー支援募金箱には、76,331円のご寄付を皆様からいただきました。全額ミャンマー避難民への支援に寄付させていただきます。
信州から、日本とミャンマーのつながりをより深める一日にできました。
本当にありがとうございました。

最後は全員がステージにあがりました

 
 
 
2024ミャンマー交流フェスタin信州サイト
https://myanmar-festa-shinshu.jimdosite.com/
 
ミャンマー民主化を支援する信州の会Facebook
https://www.facebook.com/democmyanmar.shinshu

柏崎刈羽原発の再稼働を許さない0925

毎月一回第4水曜日長野駅前で、脱原発共同学習会に参加しているメンバーがスタンディングを行っています。

皆さん、こんばんは。私たちは新潟県にあります東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を止めようと立ち上がった市民有志です。

9月24日、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を新潟県に求めている経済産業省資源エネルギー庁の村瀬佳史(よしふみ)長官が新潟県議会で自民党県議団と面談し、村瀬長官は政府が9月6日に原子力関係閣僚会議で示した避難道路などの整備方針を説明し、再稼働への理解を求めたという報道がありました。

 

また、自民党新潟県連が政府に避難道路の整備などに加え、事故リスクを負う新潟県が経済的メリットを感じられる取り組みなどを求めているそうです。メリットさえあれば県民が同意すると考えているところがなんだか国民をバカにしているような気がします。岸田首相が、退陣前に柏崎刈羽原発の避難道路整備を関係閣僚会議で指示したり、ここにきて原発をどうしても再稼働させたい思惑が伝わってきます。

柏崎刈羽原発は、ここ長野市から93.4キロの場所にあり、長野県民にとってもひとごとではありません。 

私は、2011年の福島原発事故の時に長野市に自主避難してきました。当時、子どもたちの健康が心配で思い切って故郷を離れました。その経験から、自分なりに伝えたいことがあります。

今、福島の原発事故から、13年が経ち、福島県の子どもたちに甲状腺がんが急増しています。

2011年当時の福島県内の子ども38万人のうち、今年の2月現在370人が小児甲状腺がんと診断されています。通常、小児甲状腺がんの発生率は100万人に1人から2人ということですから、単純計算すると100万人に973人、通常と比べると、480倍から970倍の発生率ということになります。

私の子どもたちも、福島県が行う県民健康調査で数年に一度、検査を行っているので、この現実はひとごとではありません。自分たちが不安に思った状況や、実際に健康影響を受けている子どもがいる、そのことを知ってもらいたいのです。

今、世界では、原発はリスクが高く、また決して安価なエネルギーではないため、再生可能エネルギーにシフトしていっています。日本がどうしてこんなにも原発に固執するのか、一部の人の強大な利益のために国民が利用されているのではないか、そんな視点でひとりひとりが考えてみること、小さくてもみんなでつながれば、大きな力になるのでは・・・そんな風にお話させていただきました。

台風、河川の氾濫、地震、土砂災害などなど、災害が後を絶たない昨今、今一度、ご家族や身の回りの方たちとこれからの日本を担う、子どもや孫世代のために、エネルギーの未来について話してみるのはいかがでしょうか。

次回のスタンディングは、10月30日(水)17:30~長野駅前(東急レイホテル前)です。どなたでもご参加大歓迎です。一緒にスタンディングで再稼働反対を訴えましょう!

市民集会・脱原発2024in信州のお知らせ

 

 

被爆79周年原水禁世界大会(長崎)~長野県代表団報告~

今年も長野県原水禁は、8月7日(水)8日(木)9日(金)開催の「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加した。

長野県からは、自治労、レゾナック労組大町支部、上伊那地区、長野地区、県原水禁と、それぞれの団体から総勢9人が参加。今回は小学生が1名参加するということで、若い人に被ばくの実相を見てもらうことはとてもいいことだとあらためて感じた。昨年の台風とは打って変わって天気にも恵まれ、三日間の行事が無事に滞りなく行われるようにと祈りながら出発した。

長崎空港→開会式会場へはリムジンバスで移動

開会式会場到着。全員で記念撮影

 

8月7日(1日目)

長崎市・ブリックホールにおいて「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」開会行事が行われ、約1000人が結集した。開会行事では、主催者を代表し川野浩一・共同実行委員長があいさつ。5歳で被爆し、現在84歳。自身の体験を振り返りつつ、被爆の記憶も意図的に消されようとしているとしか思えない日本の状況があり、戦争への反省やそれに基づく憲法もないがしろにされているとした。核兵器禁止条約(TPNW)の締約国会議には日本政府はオブザーバー参加すらしていない。そのうえで「橋渡し役」などと自称する岸田首相を批判した。日本こそが核廃絶の最先頭に立つべきであり、そのために政治を変えよう、ともにがんばろうと訴えた。

今年も高校生平和大使の皆さんに大きなパワーをいただいた。

「原爆許すまじ」を斉唱し、閉会

 

行事終了後、昨年同様、全員で路面電車に乗り宿泊先へ移動した。

今年は、宿泊先が2カ所に分かれてしまったが、参加者の皆さんのホテル(長期滞在型マンションタイプ)の感想は思いのほか、よかったので事務局としてはホッと一安心した。夕食会場は賑やかな宴となり、明日の分散会に備えて一次会でお開きとなった。

一日目の夕食懇親会

 

8月8日(2日目)

2日目は、分科会やフィールドワークが中心になるので、各自が希望する会へ参加した。

第1分科会 平和と核廃絶Ⅰ-世界の核軍縮

第3、4分科会会場

第3分科会講師 原子力資料情報室 松久保肇さん

第3分科会 真剣に聞き入る参加者の様子

第3分科会講師 アワープラネットTV 白石草(はじめ)さん

第3分科会 福島原発事故の当時の報道について話す白石さん

フィールドワーク:佐世保港内クルージング

フィールドワーク:子どものひろば

子どものひろばに参加した小学生の参加者

午後は唯一の自由時間のため、思い思いに過ごした。

めがね橋

港に停泊していた豪華客船

夜の長野県団の夕食交流会の際に、日本被団協・事務局長の木戸季市さん(84)さんとフォトジャーナリストの安田菜津紀さんをお見掛けし、勇気を出してお声がけしたところ、気さくにお話していただいた。その中で、当時の被ばく体験について詳細に語ってくださった。五歳のころ、爆心地から2キロのところで被ばくし、顔にやけどし爆風に飛ばされ、翌日逃げて爆心地の近くを通ったら死体がゴロゴロしていたこと。毎年ニューヨークで行われる核兵器禁止条約の会議に参加し被ばく者として訴えていることなど。また、なぜ被ばく者の方が10年経って初めて自分が被ばく者だと認識したのかについて質問したところ、当時、原爆がなんなのか分からなかった。アメリカ政府の隠蔽・弾圧、日本政府の遺棄、見捨てたことにより、分からないまま10年間が過ぎた。少しずつ分かるようになったのは、ビキニ事件からでそれまではなぜ具合が悪いのか、なぜ死んでいく人がいるのか、何が何だかわからなかった。この話は、当時を知り経験した人のリアルな証言だと感じた。木戸さんは、いま、あと10年生きれるか分からない84歳になった人生の仕上げとして、世界から核兵器をなくすために活動をしている。そう熱く語ってくれた。福島原発事故を経験した自分には、すべて繋がっていると感じた瞬間だった。私自身、高校生平和大使とともに、「微力だけど無力ではない」活動に邁進していこうと思った。

2日目の夕食交流会で、なんと日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の木戸季市事務局長とフォトジャーナリストの安田菜津紀さんとばったり

木戸さんから貴重な被爆体験のお話を聞くことができた。

夜景を見に出かけた参加者から。美しすぎる。

サンデーモーニングのコメンテーターでも有名な安田菜津紀さん。とても気さくで笑顔が素敵な方という印象。

8月9日(3日目)

3日目は、朝7:30に集合して慰霊碑参拝へ。路面電車に乗りみんなで向かったのは、竹の久保、梁川(やながわ)公園。朝から暑いと感じる。79年前の原爆が落とされた朝も、こんな風に暑かったのか・・・そんなことを想像しながら歩いた。公園に到着後、参拝して集合写真を撮った。恒例のリンゴジュースを持参して地域の方へお渡しした。

    

参拝を終えて、バスで閉会式会場へ向かう。土地勘がないため、慣れない路線バスにちょっと不安だったが、地元の方に聞きながら会場へ無事に到着。閉会式終了後、爆心地公園まで行進した。途中、長い行進の様子に圧倒される。爆心地公園隣の平和公園で祈念行事が行われていたが、残念ながら当日の自由参加は不可で立ち入ることはできなかった。爆心地公園に戻り、11:02に黙とうをして当時に思いを馳せた。

              

帰りの集合時間までは、それぞれ原爆資料館を見学したり、昼食を摂るなどして自由行動。

    

空港では、短い時間だったがお土産を購入したり、飛行機の離陸する様子を見たり。帰りの飛行機が世界に一台のレアだったのも、嬉しかった参加者たち。

    

最終日は九州で大きな地震があり南海トラフなど一時期不安になったが、無事に羽田空港に到着して安堵した。振り返るとあらためて実りある長崎となった。これも参加者の皆さんのご協力のもと、特に大きなトラブルもなく帰り着くことができた。感謝申し上げます。ありがとうございました。

※解散後、東京駅は地震の影響で東海道新幹線がとまり、お盆休み前とでごった返していた。また、上伊那組は予約していたバスが運休となり、急遽新宿で後泊せざるを得ず、翌日まで足止めをくらった。

 

~参加者の感想~

・未来の子どもたちに平和をつくる想像力を…
戦後80 年 を迎えようとしています。この 年月の中でどれだけのことを知り得て、どれだけのことを後世に伝えることができたのか。 そして、 戦争を知らない私たちが、戦争という過去の愚かさ、悲惨さを 次世代へ どう伝えていくか。ずっと平和な日本を、そして平和な世界を築き上げるためには、過去の歴史をしっかりと学び、 戦争を知ることが大切だと思います。原爆が落とされた広島と長崎、激しい地上戦があった沖縄、日本が侵略した中国…。何があったのかを知り、そこで私たちと同じ「人」がどれだけ惨い 思い をさせられたのか想像できる材料を提供していくことが、 未来を担う子どもたちのために 、今を生きる我々の使命、 大人が 負うべき 責任ではないでしょうか。戦後 、築き上げてきた日本の平和も今大きな曲り角にあるといえます。だからこそ、次の時代を生きる、子どもたちの 平和で幸せな 未来のために、自分に何ができ 、やるべきことを考え行動することでき るのかを考えて 行かなければならないと 思います。今私たちが享受する平和は、過去の戦争により家族や仲間、自分の今私たちが享受する平和は、過去の戦争により家族や仲間、自分の人生を失った 多くの人の哀しみや 痛みのうえに維持されてきたということ 。そして平和は、その時その時を生きる「人」がつくり出さなければ維持できないということ 。 あらためて考える機会に 、そして多くの世代に伝えていきたいと思います。戦後100年も平和である日本を願って。

・<平和の大切さを思う>
空襲警報が鳴り響いて原爆は多くの人々の尊い命をうばい、町を破壊しました。かろうじて生き残った人々も原爆症などの身体的な障がいのほか、家族や大切な人を亡くした深い心の傷を持って生いきています。原爆投下・終戦から79 年が経って、被爆者の年齢も平均年齢は 85.58 歳ということです。少しずつお話することが難しくなっています。直接話を聞くことができる 時間も残りわずかです。 体験談を聞き、戦争の悲惨さと平和の大切さを感じました。未来を生きていくぼくたちが、 2 度とこのようなおそろしい戦争をおこさないようにするために 、 みんなで考えることが大事だと思います 。 そして、平和な毎日が送れる ことに感謝しないといけないと思いました。大会を通じて、改めて戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを痛感しました。分科会で学んだ「被爆体験を、体感する」ことが、二度と核兵器を使用しないために大切なことだと思いました。大会を通じて沢山の人の思いに触れ、とても勉強になった2日間でした。

・世界に目を向けると決して平和とは言えません 。平和の祭典と言われるオリンピックがパリで開催される中でも、 戦争が続き、今この時も罪のない多くの命が失われています。来年は、 被爆80周年を迎え、終戦から80年 が経とうとしています 。もう一度 、 命の大切さや、 本当の安全や安心、平和について立ち返るときだと考えます。被爆者の平均年齢は8 5 歳を超え 、 生の被爆証言を聞けなくなる時代が現実的になってきました が、 高校生平和大使などの活動で次世代継承が行われ 、 力強い未来を感じることができました。今後も廃絶に向け 原水禁運動に 取り組み 、 声を上げ 、更なる運動の進展に向け多くの声で、必ず日本政府を、国際社会を動かすことを目指していきたい です 。

・一番印象に残ったのは、30年前には無かった、高校生平和大使の皆さんの活動に触れたことで、高校生達の「この活動は微力だけど無力じゃない」という言葉でした。平和を願う思いが高校生達にしっかりと引き継がれ、地道ではあるけれど草の根運動が着実に継続されていることを実感しました。これは、平和運動に限らず組合運動全般に通じることだと思っており、今回経験したことを地区や職場の仲間に広げていく事の大切さをあらためて感じ、自分を見つめ直す機会にもなりました。

・佐世保の街を歩いて感じたのは、原爆投下の前日でありながら、悲痛な重い空気が漂う長崎市の雰囲気とはあまりに違うこと。それは、1時間足らずしか見れなかった為にわからなかっただけかもしれないし、戦後も米海軍の基地と共に生きて来ざるを得なかった佐世保だからなのかもしれない。

・実際に現地に赴き、話を聞いたり、その地を見たりすることで 戦争の悲惨さをより現実的として捉えることにより、絶対に繰り返してはならないことだと 痛感しました。私は昨年、沖縄平和行進に参加させていただきましたが、その際も同様に感じました。 戦争、核のない平和な世界を願います。また、こうした経験を上伊那地区労組会議、出身単組に持ち帰り、伝えていきたいと思います。

・個人的に行政として、市民に寄り添わずに国の判断に従う形で物事を進めている事に非常に違和感を感じた。(何らかの圧力や政治的背景、経過等がすごく気になる)単純に一番身近な市が味方でなければ、誰が味方になり得るのだろうか、客観的に見て非常に違和感。

・今回、原水爆禁止世界大会に参加させていただき核兵器の恐ろしさ戦争の破壊力を身近に感じ、廃絶の必要性を改めて感じました。この会に参加することで世界中の人々が核の廃絶、平和を求めて連帯している姿を目の当たりにし、希望を感じることができました。核兵器廃絶の取り組みは決して容易な道ではないですが、大使の方々のスローガンのように「ビリョクだけどムリョクじゃない」という想いを胸に一人一人が声を上げることが重要だと改めて認識しました。原水爆禁止世界大会への参加は、自分の考えを深め平和への思いを新たにする貴重な経験になりました。ありがとうございました。

 

柏崎刈羽原発の再稼働を許さない

毎月一回第4水曜日長野駅前で、脱原発共同学習会に参加しているメンバーがスタンディングを行っています。

先日の新聞に、岸田首相が柏崎刈羽原発の再稼働について閣僚会議を来週開くことを決めたとありました。地元の同意が欠かせない柏崎刈羽原発の再稼働を、地元が求めている避難路の整備や地域振興策の中身を詰めて、なんとか退陣前に再稼働への道筋をつけたいそうです。

「残された任期の間に、GX、グリーン・トランスフォーメーションを一歩でも前進するために尽力する。その一つが原発の再稼働の準備だ」と言及しました。

この方は、本当に・・・国民ではなく、いったい何に向かって動いているんだろう。

2011年に福島原発事故が起きたことによって、原発はいったん事故が起きたら、とてつもない大惨事となる。原発は人間に制御できないものであり、いつもそこには命の危険がついて回る、そういうエネルギーであるということ。そして、あまり考えたこともなかったけれど、東日本大震災の発生前、日本には54基の原発があり、日本で使う電力の30%前後を原子力で賄っていたこと。ここにも、そうここにも原発があることを知りました。これだけの危険がはらんでいるエネルギーが思いのほか、自分たちのすぐ近くにあったのか、そう思った人も少なくはないと思います。

そして、今年3月(16、17日)実施の毎日新聞世論調査で原発再稼働への賛否を聞いたところ、「反対」が45%で「賛成」の36%を上回りました。2022年5月と23年3月に同じ質問をした時には賛成の方が多かったが今回、賛否が逆転したとのことです。元日の能登半島地震で原発のリスクが再認識された可能性がある、と報じていました。この報道に、国民世論は、やはり原発は危険なものであり、できるのなら違うエネルギーで賄いたい、そう感じているように思いました。

にもかかわらず、岸田首相のやっていることは、まったく真逆のことのように思います。日本政府がドイツのように国を挙げて、再生可能エネルギーに舵を切れば、自ずと経済も企業も変化していくはずです。すでに原発は「斜陽」と位置付けて、再エネへ進みだしている企業や自治体もあります。

ここ長野市から100キロも離れていない新潟県の柏崎刈羽原発は、総出力が821万2千kWで1つの発電所としては世界最大級の原発です。また、新潟県は積雪量が多い地域。元日の能登半島地震で、避難計画は絵にかいた餅であることが露呈しました。このことから柏崎刈羽原発の再稼働は、私たち長野県民にとっても、決して他人ごとではないのです。

台風、河川の氾濫、地震、土砂災害などなど、災害が後を絶たない昨今、今一度、ご家族や身の回りの方たちとこれからの日本を担う、子どもや孫世代のために、エネルギーの未来について話してみるのはいかがでしょうか。

 

次回のスタンディングは、9月25日(水)17:30~長野駅前(東急レイホテル前)です。どなたでもご参加大歓迎です。一緒にスタンディングで再稼働反対を訴えましょう!