21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

脱原発・核兵器廃絶を求める活動を報告します(6月~10月)

◆各地域で被爆79周年非核平和行進を実施

日本被団協がノーベル平和賞を受賞し、改めて被爆者の存在と被爆体験を伝える活動、核兵器廃絶に向けた課題がクローズアップされています。

県原水禁、各地区原水禁・地区労組会議は今年6月7日から17日まで県内各地で核兵器の廃絶と脱原発を訴える「被爆79周年非核平和行進」を実施しました。6月7日に飯山市での集会、デモ行進をスタートに、17日の大北地区での自治体申し入れ活動まで県内各地で地域の平和世論を盛り上げようと取り組みが行われました。

7月1日、2日には、原水協系の国民平和大行進実行委員会の集会と行進にも参加しエール交換を行いました。

長野地区での非核平和行進

国民平和大行進の集会であいさつする大橋孝宏・県労組会議副議長

 

◆柏崎刈羽原発の再稼働は許さない-集会・デモが柏崎市で開かれる

7月15日、新潟県柏崎市の産業文化会館において、原発からいのちとふるさとを守る県民の会主催で「中越沖地震17年 福島を忘れない! 原発ハイロ全国集会」が280人が参加し開催されました。

これまで県民集会として開催されることが多かった柏崎での集会でしたが、政府によって原発回帰路線への転換がなされている今、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働反対の声を広く集めるため、全国集会という形で開催されました。

集会では、環境経済研究所代表・元新潟県原子力災害時の避難方法に関する検証委員の上岡直美さんが講演し、「新潟県の花角知事は40数回開いた委員会の総括もないままに消滅させてしまった。原子力業界は、旧日本軍のようだ。福島の被害を低く見積もり、原子力政策を続けようとしている」と指摘しました。また、福島原発事故当時の気象条件などを当てはめて、放射性物質の放出・拡散がどのようになされるか、具体的なシミュレーションを示すなど、専門家ならではの視点でわかりやすく解説しました。

集会後には、柏崎駅周辺をパレードし、柏崎刈羽原発再稼働反対の声を上げました。パレードコースは、柏崎市の中心街とはいえあまり通行人が多くありませんでしたが、店先から手を振って、「脱原発」の思いに共感してくれる姿も見られました。

長野県原水禁からは3人が参加しました。

集会には280人が参加

柏崎市内をデモ行進して原発再稼働反対をアピール

 

 

◆反核平和の火リレーに青年女性528人が参加

県内の77市町村・県に平和行政推進の要請を行う第37回反核平和の火リレーが、7月9日から8月6日まで取り組まれ、ランナー総数528人が参加しました。各自治体の要請行動には多くの理事者や応援者が出席し、77自治体中64自治体で市町村長(もしくは副市町村長)が参加いただき、「戦争を知らない人世代が増えている中、若い皆さんが取り組みを続けていくことに意義がある」、「平和の思いを地域につなぎ、次世代へとつないでほしい」など激励を受けました。

5月25日に開いた事前学習会では、新潟県平和運動センターの有田純也事務局長から「柏崎刈羽原発の再稼働が意味すること」と題し講演をいただき、地震や災害による危険性や事故のリスク、コスト高や世界で広がる再生可能エネルギーへの転換などあらゆる視点で原発に反対する理由を学びました。参加者からは「今回のような学習会にもっと参加して学ぶ機会が大事だ」という頼もしい意見も出され、反核・平和運動を押し付けられてやらされる運動にせず、なぜ取り組まれてきたのか、どうして反核が必要なのかということを考え機会をさらに増やしていこうと確認しました。

リレーは7月9日に飯田市役所を出発

ゴールの県庁に向けて走る青年組合員

 

◆広島への原発投下の時刻に黙とう-県原水禁大会

8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下された時刻に合わせ、広島市平和祈念式典をTV中継でつなぎながら被爆79周年原水爆禁止県大会で参加者は黙とうをささげました。オンラインを含め約50人の仲間が参加しました。

県大会では「核と人類は共存できな」という思いを胸に被爆79周年活動方針を確認し、被爆直後の広島・長崎の実写フィルムを編集したDVD「にんげんををかえせ」を上映しました。県原爆被害者の会の前座明司副会長(被爆2世)、5歳の時に広島市内で被爆した今井和子さん(83歳)の被爆体験の語りを傾聴しました。

今井和子さんは、「すごい閃光でした。地の底から突き上げるようなドンっという振動、そして、体がふわっと浮いた感じがしました。(原爆が投下され)真っ暗になって、(その後)明るくなって見えたものは歪んだ家。隣の家は火を噴いて燃えていて向かいの家はぺちゃんこでした」と体験を語り、「政府は速やかに核兵器禁止条約に参加し世界の先頭に立ってもらいたい」と訴えました。

原爆投下の8時15分に合わせて参加者が黙とう

広島での被爆体験を語る今井和子さん

 

◆東京のど真ん中で脱原発をアピール 全国集会に5千人

「命をつなぐ地球環境を」をテーマに、さようなら原発全国集会が9月16日、東京・代々木公園で開かれ、脱原発や気候危機の問題に関心を寄せる労働組合や生活協同組合、市民ら約5千人が集まりました。雷雨の予報をよそに集会中は天気にも恵まれ、脱原発や気候問題などをテーマにした模擬店や各地の産直物産、キッチンカーなども出店し賑わいを見せていました。

ステージでは、各地の原発の再稼働の動きや核燃料サイクルの問題、地元漁民らの意向をないがしろにして海洋放出を続けるALPSS処理水(放射能汚染水)の課題などの報告や訴えがあり、また地球温暖化の解決策を原発に求めようとする動きに対して警鐘を鳴らす若者の発言に集会参加者は熱心に耳を傾けました。

集会後、渋谷コースと原宿コースの二手に分かれてデモ行進に移り、賑わう街並みにさようなら原発、原発は気候危機の解決にならないと訴えかけました。

長野県からは8人が参加しました。

集会の最後にみんなでプラカードパフォーマンス

手作りのプラカードを掲げてパレード

 

◆原発は民主主義と相いれない-市民集会・脱原発2024㏌信州

柏崎刈羽原発7号機(新潟県柏崎市)は、原子炉への核燃料の装塡に伴う検査が6月に全て終了し、技術的には再稼働できる準備が整ったとして、東京電力が再稼働について地元同意を求めています。しかし、福島第一原発の大事故を引き起こした東京電力に、原発を運転する資格はありません。

長野県境の栄村、野沢温泉村から柏崎刈羽原発まで50kmもありません。万が一、大事故が起きた時、長野県の北信地方が放射能被害を受けてしまうことは、福島原発事故の被害状況からみても、現実のものとなってしまいます。

市民集会・脱原発2024in信州が10月20日、長野市・県労働会館で開かれ、会場とオンライン合わせて約60人が参加しました。新潟県の柏崎刈羽原発に関する検証委員会の委員を務めた佐々木寛さん(新潟国際情報大学教授)が「原発と民主主義~柏崎刈羽原子力発電所の再稼働問題を考える」と題して講演しました。佐々木さんは「原発建設が民主主義や地方自治、人権を侵害し続けている」と強調。新潟県で県民の意思に反してすすむ柏崎刈羽原発の再稼働の準備について厳しく批判しました。また、新潟県平和運動センターの有田純也さんも集会に参加し発言。11月から柏崎刈羽原発の再稼働問題について県民投票の実施を求める直接請求署名を始めると報告しました。

集会には約60人の市民が参加

講師の佐々木寛さん

 

総選挙 与党が過半数割れ - 政権交代へ道筋つける

県労組会議の推薦候補4氏が当選果たす

国民・労働者の生活向上、平和を守る政治へ大転換を

10月27日に投開票された総選挙は、自民・公明の与党が過半数を大きく割り込み、立憲民主党などの野党が躍進する結果となりました。「一強多弱」の政治状況が一変し、与野党伯仲状態が生まれました。裏金や旧統一教会問題、絶対多数を背景にした強権的な国会運営など、自民党政治のおごりに国民の怒りが吹き上がりました。

県労組会議は1区、2区、3区、5区の4人の候補者を推薦しましたが、全員が当選を果たすことができました。みなさまのご支援に心から感謝申し上げます。

当選した衆議院議員

長野1区 篠原 孝

長野2区 下条みつ

長野3区 神津 健

長野5区 福田淳太

裏金・統一教会に頼り、国民生活と平和を壊す自公政権は退場を

立憲野党の躍進で国民・労働者のための政治、政権交代を実現しよう

総選挙投票日は10月27日(日) 期日前投票の活用も

石破政権が発足しましたが、国会で十分な議論も行わず、10月9日解散、15日公示、27日投開票の総選挙を強行しました。

石破首相は自民党総裁選の中で掲げた「裏金議員の選挙での厳しい処遇」「日米地位協定の改定」「選択的夫婦別姓制の導入」などは、首相就任後に態度を一変させ、発言を修正したり封印したり、発言と行動が一致しないブレた対応に終始しています。また、衆議院の解散についても総裁選では、国会で十分に議論してからなどと発言したにもかかわらず、早期解散を強行するなど、すでに国民からの信頼感を失いつつあります。

投票日は10月27日(日)。国民生活と平和、民主主義の将来のために何としても自公政権の過半数割れ、政権交代への道すじをつけましょう。

県労組会議総選挙推薦候補

長野1区 しのはら孝  長野2区 下条みつ

長野3区 神津たけし   長野5区 福田じゅんた

県労組会議が4候補に「政策要望書」を提出

県労組会議は各選挙区の推薦候補者あてに「政策要望書」を提出し、その内容を尊重して国政にのぞむように求めました。

公示日の15日、16日に4人の候補者事務所を訪問して要望しました。政策要望書の内容は下記の通りです。

政 策 要 望 書

 第50回衆議院総選挙に向け、長野県平和・人権・労働組合会議、各地区労組会議は、下記の通りの政策要望を提出します。貴殿におかれては、私たちの政策要望を尊重していただき、当選後の国会活動に反映していただけるように要請いたします。

1.立憲主義に基づき、憲法9条の改悪に反対し、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権を掲げる日本国憲法の原則を徹底して守ります。

2.核兵器禁止条約を批准し、脱原発と再生可能エネルギーへの転換を積極的に進めます。

3.沖縄県の米軍辺野古基地建設に反対し、日米地位協定の改定を求めます。

4.勤労者の生活を直撃している物価高に対し、家計への直接的補助の拡充、中小零細事業者の雇用と事業を守るための支援策を拡充します。

5.労働基本権を擁護し、労働者全体の賃金引き上げと解雇規制の自由化に反対するなど労働者保護ルールの堅持、官民の非正規雇用の待遇改善を図り、正規雇用化をめざします。

6.男女の賃金格差、雇用格差をなくし、女性が安心して働き続けられる権利確立に取り組みます。また、LGBTsなどすべての差別の解消に取り組みます。

7.真の地方自治を実現するための財政を確立し、人員確保を進めます。病院、保健所、保育所、水道など市民の健康と生命にかかわる公共部門の充実をはかります。

8.中小零細企業、地場企業への支援を拡充し、下請け企業の価格転嫁や適正価格での雇用保障、労働条件の維持・向上に取り組みます。

9.公共交通の人手不足への対策を徹底し、ライドシェアなどタクシーの規制自由化に反対し、地域公共交通の維持、活性化対策を強化します。

10.国有林は「国民の共有財産」であり、地球温暖化防止の観点からも十分な予算を投入します。

11.食料自給率の向上や食の安全を確保し、地域における農林水産業を再建します。

柏崎刈羽原発の再稼働を許さない

毎月一回第4水曜日長野駅前で、脱原発共同学習会に参加しているメンバーがスタンディングを行っています。

先日の新聞に、岸田首相が柏崎刈羽原発の再稼働について閣僚会議を来週開くことを決めたとありました。地元の同意が欠かせない柏崎刈羽原発の再稼働を、地元が求めている避難路の整備や地域振興策の中身を詰めて、なんとか退陣前に再稼働への道筋をつけたいそうです。

「残された任期の間に、GX、グリーン・トランスフォーメーションを一歩でも前進するために尽力する。その一つが原発の再稼働の準備だ」と言及しました。

この方は、本当に・・・国民ではなく、いったい何に向かって動いているんだろう。

2011年に福島原発事故が起きたことによって、原発はいったん事故が起きたら、とてつもない大惨事となる。原発は人間に制御できないものであり、いつもそこには命の危険がついて回る、そういうエネルギーであるということ。そして、あまり考えたこともなかったけれど、東日本大震災の発生前、日本には54基の原発があり、日本で使う電力の30%前後を原子力で賄っていたこと。ここにも、そうここにも原発があることを知りました。これだけの危険がはらんでいるエネルギーが思いのほか、自分たちのすぐ近くにあったのか、そう思った人も少なくはないと思います。

そして、今年3月(16、17日)実施の毎日新聞世論調査で原発再稼働への賛否を聞いたところ、「反対」が45%で「賛成」の36%を上回りました。2022年5月と23年3月に同じ質問をした時には賛成の方が多かったが今回、賛否が逆転したとのことです。元日の能登半島地震で原発のリスクが再認識された可能性がある、と報じていました。この報道に、国民世論は、やはり原発は危険なものであり、できるのなら違うエネルギーで賄いたい、そう感じているように思いました。

にもかかわらず、岸田首相のやっていることは、まったく真逆のことのように思います。日本政府がドイツのように国を挙げて、再生可能エネルギーに舵を切れば、自ずと経済も企業も変化していくはずです。すでに原発は「斜陽」と位置付けて、再エネへ進みだしている企業や自治体もあります。

ここ長野市から100キロも離れていない新潟県の柏崎刈羽原発は、総出力が821万2千kWで1つの発電所としては世界最大級の原発です。また、新潟県は積雪量が多い地域。元日の能登半島地震で、避難計画は絵にかいた餅であることが露呈しました。このことから柏崎刈羽原発の再稼働は、私たち長野県民にとっても、決して他人ごとではないのです。

台風、河川の氾濫、地震、土砂災害などなど、災害が後を絶たない昨今、今一度、ご家族や身の回りの方たちとこれからの日本を担う、子どもや孫世代のために、エネルギーの未来について話してみるのはいかがでしょうか。

 

次回のスタンディングは、9月25日(水)17:30~長野駅前(東急レイホテル前)です。どなたでもご参加大歓迎です。一緒にスタンディングで再稼働反対を訴えましょう!

 

 

信州市民連合と立憲・共産・社民の県内3野党が政策合意

自公過半数割れめざし総選挙で共同して戦う方針も確認

候補者調整・一本化に向けて努力する方向性も打ち出す

共同のテーブルには約40人の関係者が参加した

記者会見の最後に4人が固く握手

違憲の安保法制の廃止や岸田政権の軍拡政策に反対する活動を進めている信州市民連合は7月31日、長野市生涯学習センターで約40人の参加者を集めて、「信州市民連合と3野党との『共同のテーブル』」を開きました。

信州市民連合は昨年夏以降、立憲民主党、日本共産党、社会民主党の県内3野党と総選挙において市民と野党が共同で掲げる政策について意見交換を重ねてきました。政策内容について3野党と合意ができて「共同のテーブル」を開く運びとなりました。

「共同のテーブル」には、立憲民主党県連代表の杉尾秀哉氏(参議院議員)、日本共産党県委員会委員長の鮎沢聡氏、社会民主党県連合代表の中川博司氏(県議会議員)が参加しました。

まず、主催者を代表して又坂常人・信州市民連合共同代表(信州大学名誉教授)があいさつ。又坂氏は「岸田政権は、米軍と自衛隊の一体化、自衛隊の米軍の下請け化をいっそう進めている。この国会では、地方自治体への国の指示権を認める地方自治法の改悪を強行した。中央集権的な国家の介入を容認する改悪法だ。ダッチロール状態の岸田政権に一刻も早く終止符を打ち、本当に国民の意思を代表し 新しい未来をひらく政権をつくろう」と強調しました。そして又坂氏は「そのために総選挙で与党の議席を1つでも2つでも3つでも減らす必要がある。少なくとも与野党が拮抗する状態に持っていって、最終的には政権交代をするという戦略的な考えをぜひ野党には持ってもらいたい。そして、手始めとして小選挙区で候補者の一本化を図っていただきたい」と市民と野党の共闘で戦う方向性を求めました。さらに又坂氏は「候補者調整と同時に、政策の一致が求められる。今日の共同のテーブルで3野党に手渡す政策要望書を尊重して活動してもらいたい」と述べました。

その後、3野党にそれぞれ信州市民連合の「政策要望書」と「基本政策」が手渡されました。

杉尾秀哉・立憲民主党県連代表

あいさつに立った杉尾秀哉・立憲民主党県連代表は、「信州市民連合より受け取った政策要望書については、最大限私たちの要望も聞いていただき、納得できる内容にまとめてもらって感謝する。これからの解散総選挙、国政での活動ではこの政策要望書の内容を尊重して行動していく。長野県では、私も2016年に最初に市民と野党の共闘で一本化をしていただき国政に送り出していただいた。それから参議院では4回の選挙で連勝をした。『長野モデル』の勝利だった。残念ながら衆議院の2021年の総選挙では、長野モデルが県民に十分な理解を得られず勝利することはできなかった。その反省の上に立って、今回、 政策要望書で次の解散総選挙で立憲野党の候補者一本化と市民と野党の共同を進めて当選を目指すことを要望されている。候補の調整、一本化を心から期待したい」などと述べました。

鮎沢聡・日本共産党県委員会委員長

日本共産党県委員会の鮎沢聡委員長は「信州市民連合の皆さんが、市民と野党の共闘で政治を変えるために、 共闘の旗印となる政策要望書にまとめていただき敬意を表する。裏金問題はじめ政治腐敗、国民の暮らしの破壊と平和の破壊が一体で進められている自民党政治はもう完全に行き詰まっている。国民は自民党政治を見限り、政権に退場を突きつけている。今声を上げれば自民党政治を変えられる歴史的なチャンスだ。今回の政策要望書は、その希望の方向を示している。市民と野党の共闘を本気の共闘にしていこう」などとあいさつしました。

中川博司・社民党県連合代表

社会民主党県連合の中川博司代表は「今日の政策要望書を社民党も全力を挙げて実現に向けて努力をしていく決意だ。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻を目の前にして、私たちは 無力感を感じざるを得ない。今起きている戦争を私たちが止められない。本当に毎日幼い命が奪われていくことに心が痛む。しかし、私たちには力も金も名前もないが、手を繋ぎ声を出していくことはできるはずだ。今の自民党政治を一刻も早く変えるために全力を尽くしてまいりたい。信州市民連合が作ってくれたこの共同のテーブルを前に動かして、一刻も早く候補者の一本化、戦う体制を作っていこう」と強調しました。

共同のテーブルではこのあと参加者と意見交換を行いました。また、多くのマスコミ関係者が取材していましたので、共同のテーブル終了後には、信州市民連合と3野党が共同記者会見を開きました。

信州市民連合が3野党に提出した「政策要望書」「基本政策」/信濃毎日新聞記事(2024年8月1日)

渡辺一枝さん主催の今野寿美雄さんと行く福島被災地ツアー

2024年4月5日(金)、6日(土)、7日(日)の三日間、渡辺一枝さん主催の福島被災地ツアーが行われた。私を含め女性4人での参加。そこには、原発事故から13年が経ち、知らないうちに大きく変容していっている福島があった。住んでいた住民をほったらかしにして国家プロジェクトが進められている被災地の現状に、どうにも頭が付いていかないという感じだ。

 

浪江町津島の帰還困難区域

まず最初に向かったのは、浪江町津島の帰還困難区域。ナビゲーターの今野寿美雄さんのご実家を見学させてもらう。今野さんは原発技術者で、311当時は原子力関連の電気設備や機器の点検作業にあたっていた。被災後は「子ども脱被ばく裁判(親子裁判)」の原告団長でもあり 他の原発関係訴訟の支援もしている。

帰還困難区域に入ると、車中で0.82マイクロシーベルト。

今野さんのご実家の中。

 

 

 

 

 

 

 

 

帰還困難区域に入る前に、スクリーニング場で防護服等に着替える。フクイチの5号機内を見学した時ほどではないものの、まあまあの物々しい雰囲気に緊張する。全員が着替え終わるといざ出発。数値が0.3マイクロシーベルトを超えると音が鳴るように設定してある線量計が車内で鳴り始めた。(※この辺りの事故前の放射線量は0.04マイクロシーベルト)その音以外は、緑が美しい平和そのものの野山の風景がそこにあった。そのギャップに戸惑いながらも車は進んでいく。ご実家の中での線量計の数値は1.46マイクロシーベルト。内部は、野生動物が入ったそうで荒らされていた。先祖代々の遺影が飾られてあり神棚も立派で、大きなおうちだったことがわかる。ここに残されたものは、汚染がひどいため持っていけなかったもの。それでも位牌だけは持ち帰ったそう。今野さんの長兄が継いで牧場を経営していたので、住宅の隣には牛舎があった。牛はすべて遠くの牧場に引き取ってもらったそう。

カレンダーは2011年3月

牧場を経営していたご実家の敷地には大きな牛舎があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

今野さんのご実家での滞在1時間で浴びた積算線量は0.7マイクロシーベルト。毎時3.8マイクロシーベルト(μSv)浴びると年間被ばく線量20ミリシーベルト(mSv)に相当するそうだから、この1時間ですでに一年の五分の一を浴びたことになる。放射線・原子力利用を行う操業者は、事業所境界の住民に対して年間1ミリシーベルト(mSv)を超えることがないように操業責任を課しているのだから、相当な線量を浴びたことになる。13年経ってもいまだにこんなに線量が高いことにただただ驚くばかりだ。当時は、すぐ近くの浪江高校津島分校が避難所となっていて、15日朝まで学校には8,000人が避難していた。その後、線量が高いことが分かり全町避難となった。高校を過ぎたところで、線量は0.29マイクロシーベルト。フロント部分に「除染土壌(大熊)」のプレートをつけたダンプカーが走っている。大熊町の中間貯蔵施設に搬入しているという。また、2015年に設立された広野町のふたば未来学園は、「双葉郡の学校教育の復興を目指して創設された中高一貫の県立校。令和2年度より文部科学省「地域との協働による高等学校教育改革推進事業(グローカル型)」の指定を受け、地域企業との連携や国際交流を取り入れた教育・学習を実践してきました。」とあるが、今野さんに聞くとここは 廃炉の人員育成の学校だそう。有名人の講師を呼んだり寮も完備されている。イノベーションコースト構想の一環なのだろうか。

このフレコンバックの山は、汚染が高い帰還困難区域のもの

4キロに渡る太陽光発電システム。

車中から見る耕作不可の土地には、4キロに渡る太陽光発電システムが広がっていた。大和エネルギー(株)による電気畑という。これも関東に行く電気で、ここはもう自然には返せない場所となってしまった。

 

浪江町役場と復興住宅

浪江町役場のすぐ隣には真新しい全10戸の復興住宅ができていた。8戸が入居していて、うち2戸がもとからの町民、残りの6戸は主に都市部からの移住者だという。浪江町の人口は、事故前2万1000人だったのが現在2000人(1000人がお年寄り、1000人がいずれかの企業などの従業員)。住む人がいなければ行政が成り立たないのは確かだが、何も知らずに子どもを連れて移住してきた母親は、近隣の線量の高さに驚いたそう。葬祭場は新しくなったが、双葉町の自動車教習所は子どもがいないので、大型免許や重機の免許をとる大人のみの利用となっている。

浪江町役場

町役場となりの全10戸の復興住宅

近くにできた「ふくしまいこいの村なみえ」という施設は、大浴場やカラオケルームを備えた宿泊施設。コテージタイプの宿泊棟はかつて仮設住宅として使用されていたものを移設。中庭では、BBQが楽しめるほか、集会所では雨天時のコミュニティスペースとして活用できる。企業の社員研修などに使われているが、公園の汚染がひどいとのことだった。

ふくしまいこいの村なみえ

バリケード通りの線量は、0.13マイクロシーベルト。

 

しばらく行くと、オリンピックの聖火ランナーで話題になった双葉駅が見えてきた。その向かいには、13億円をかけて作られた双葉町役場。そこにはイノベーション構想の一つ、水素で走る移動販売車が停まっていた。ただ、この立派すぎる施設をどれだけの町民が利用するのだろう。お金のかけ方がまったく解せないと感じてしまう。

双葉駅とコミュニティセンター

駅の向かいにある双葉町役場。水素で走る移動販売車が停まっていた

 

双葉町産業交流館と東日本大震災・原子力災害伝承館

しばらくして車は、双葉町産業交流館に到着。屋上にのぼって、フクイチや中間貯蔵施設など周辺一帯をを⽬視する。屋上からは、津波ですっかり流されてしまった請戸地区も確認できる。断層が3メートルずれて、70センチの地盤沈下が起きたため、小高地区の山を削ってその土をかさ上げした。山を削っての環境破壊、自然をないがしろにする人間の傲慢さがここにも垣間見える。請戸小学校の一角に置かれた複数のカエルの石像。カエルの視線の先には福島第一原発。「こいつらが原発を〝監視〟している」これは避難した人が抗議の思いを込めてここに置いた「帰れないカエル」だ。請戸港には500件の家と田んぼがあった。以前の姿を知る今野さんにとって、更地だらけの光景はどう映るんだろう。

双葉町産業交流館

屋上から周辺を目視する参加者

フクイチが遠くに見える

中間貯蔵施設についての説明書き

建設費用53億円の双葉町の東⽇本⼤震災・原⼦⼒災害伝承館は、高校の修学旅行にも訪れる。

東日本大震災・原子力災害伝承館

原発を監視する帰れないカエルたち

 

福島イノベーションコースト構想関連施設

アメリカのハンフォードをならったとされる福島イノベーションコースト構想関連施設の全体が見える丘にのぼった。福島イノベーションコースト構想とは、官産学連携3,000人規模のエフレイ(Frei)が主導する国家プロジェクトだという。ここはその実証地。いつの間にこんなプロジェクトが動いていたのか・・・、日本人はみんな知っているのか・・・。浪江の町が大きく変わる・・・。国は、原発事故をなかったことにして歴史の上書きをするつもりなのか。

海光(かいこう)の丘からの眺め

浪江町にできた広大な施設

東北復興のためとアイリスオーヤマが浪江町の土地を買い取り、米を生産したり、東北電力がかつて原発設置を計画していた町沿岸部の土地のうち約24ヘクタールを活用し、浪江町の主力産業だった酪農の復興に向けて100億円をかけて、大規模な牧場を整備。

他に福島ロボットテストフィールドというドローンの滑走路ができたり、太陽光パネルを水素に変換する施設や、60台の燃料電池車。隈研吾設計で浪江駅(0.193マイクロシーベルト)が新設されたが、近隣に住んでいる人はほとんどいない。家が建っていても住んでいないのが現状だという。中間貯蔵施設は植樹をして木で見えなくする計画。大熊町役場と復興住宅が並ぶ大熊コンパクトタウンは35億円をかけて作られた。多額のお金が動き、そこに企業が群がっていると聞いた。

 

南相馬市小高の「おれたちの伝承館」

ここは民営で、今野さんもかなり関わってできた大切な場所だという。ジャンルはさまざまで、被災した当事者たちの声が作品にあらわれている。そこにいると作品を通して思いが伝わってくるのだ。先ほどまで見学してきた「東日本大震災・原子力災害伝承館」やイノベーションコースト構想などに、どこかで違和感を感じていた自分だったが、ようやく共感できるこの場所で本来の自分を取り戻したような気がした。

                 

 

大熊コンパクトタウンと学び舎ゆめの森

⼤熊町役場と周辺の復興住宅がコンパクトにまとめられた町には、建設費用45億3900万円かけて作られた小学校「学び舎ゆめの森」という立派な建物が目を引く。しかし2023年度の生徒数は26名、職員はその数倍。図書室には50万冊の本とブックコンサルタントが常駐している。

 

夜ノ森桜まつり

ちょうどこの日は、富岡町に春を告げるイベント「夜ノ森桜まつり」が13年ぶりに開催された。富岡町夜の森地区にある「夜の森公園」をメイン会場によさこい踊りなどが披露される。このお祭りがなくなったことは、浜通りに住んでいたものにはかなり残念でならなかったがようやく再開と嬉しく思ったが、あいにくの雨の中のお祭りとなった。

 

富岡町アーカイブミュージアム

1階が常設展示室とタウンギャラリー、2階が収蔵エリアの町営の施設。受付で配布されるリーフレットには、「ふるさとを想い、まもり、つなげる、拠点施設です。みなさまへお伝えしたいのは、富岡町という『土地』と私どもが経験した10年間の出来事です。(2021年7月11日に開設)2011年3月11日までは、そこには『あたりまえの日常』が溢れていました。しかし、東日本大震災の影響で生じた原発事故は、富岡町で暮らすという『あたりまえの日常』を、突然奪いました。3月12日、町民は、違う土地で暮らす覚悟ができないまま、ふるさとを離れました— 当館は、富岡町の『特徴』と、この地域で生じた自然災害・原発災害の『特徴』を展示しています」と記されている。

双葉町に在る「東日本大震災・原子力災害伝承館」は県営でここは町営と、どちらも行政が設置した公営の施設だが、リーフレットの文言からも分かるように、展示の姿勢が全く異なっている。被災前のこの町の暮らしを丁寧に伝えながら、原発災害の様子もしっかりと伝えている。これこそが本来の姿だと感じる。

 

東京電力廃炉資料館

東京電力の施設。見学は1時間と限定されていて、事前に入館時刻と人数を伝えて申し込む。外観はアインシュタイン、キュリー夫人、エジソンの生家をモデルにしたという建物で、事故前は原発の有用性をアピールする「エネルギー館」だった。
事故後に「原子力事故の記憶と記録を残し、二度とこのような事故を起こさないための反省と教訓を社内外に伝承することは、当社が果たすべき責任の一つです」として廃炉資料館としたのだが、見学時間が1時間と限定されて、職員の説明を聞きながら館内を回るのでどこかをじっくり立ち止まって見たり、もう一度戻って見直したりということができない。流れ作業のように「見せられる」施設という感じだ。

 

Jヴィレッジ駅

 

宝鏡寺「ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマ 伝言館」

館長だった早川篤雄氏が2022年末に亡くなった後、原子力損害賠償群馬訴訟原告・ALPS処理汚染水放出差止訴訟原告事務局の丹治杉江さんが責任者となって、訪問者を受け入れている。
東京電力福島第二原子力発電所建設計画が持ち上がった1970年代から、当時高校教師だった早川さんは教師仲間や住民たちと原発設置反対運動に取り組み、1975年には「福島第二原発設置許可処分取消」を求めて福島地裁に提訴した。この裁判は地裁、高裁で敗訴し、最高裁では原告の上告棄却で敗訴したが、早川さんは、この原発計画が持ち上がった時からの新聞記事・その他の資料を保存していた。
2011年の原発事故の翌年2012年からは「福島原発避難者訴訟」の原告団長として闘ってきたが、事故から10年目の2021年の節目の日に、この伝言館を開設した。館内には早川さんが保存してきたたくさんの資料が展示されている。丹治さんは群馬訴訟の原告として闘ってきた自身の信念に重ねて、早川さんの遺志を継ぐべく伝言館の灯を消すまいと頑張っている。
丹治さんから館内の案内と熱い言葉をたくさん聴いたことにより同じ思いを共有でき、また自分を取り戻すことができた。

 

いわき市湯本温泉「古滝屋」旅館

 伝言館を後にして一路、古滝屋へ向かった。いわき市出身の自分には老舗のなじみ深い旅館。ここのご主人がずっと原発事故以来、活動をしてきたということに感動した。地元でこのような活動をすることの大変さは計り知れないことと思う。ましてや旅館を経営しているのだから。お会いしてお話するのがとても楽しみだった。館内に設置された「原子力災害考証館」の見学は明日に回して、まずは広々とした温泉で気持ちよく汗を流した。その後の夕食は、当館館主の里見喜生(よしお)さんも同席しての和やかな会食となった。

 

原子力災害考証館

朝食後に9階の考証館へ。
古滝屋旅館館主の里見さんは3・11後、各地から集まるボランティアの受け入れや、自宅が被災して寝る場所を失った受験生に宿を提供するなど自らもボランティアとして活動していながら、原発事故に思いを馳せてきた。そして旅館の宴会場だった20畳の大広間を、原子力災害について私たち一人ひとりが考える場にすることを決めた。それがこの「原子力災害考証館」だ。
畳敷の広間の中央に、畳を外した一段低いコーナーを作り、そこには浜辺に打ち寄せられた流木と砂にまみれた小さなスニーカー、水色のランドセルが展示されている。津波で行方不明になった、大熊町の木村紀夫さんの次女、汐凪さんの遺品だ。正面の壁の大きな写真パネルは、ボランティアたちが汐凪さんの遺体を捜索している様子が写っている。
右の壁面には写真家で「おれ伝」館長の中筋純さんが2013年と2020年に同じ場所を撮影した、浪江町の商店街だった通りの写真が上下2段で展示されている。2013年撮影の上段の写真では店の看板を掲げた商店が写っているが、2020年の下段の写真では歯が欠けたように店の姿がいくつも消えている。解体されたからだ。上段に写っている店の一軒は、歌人の三原由起子さんの実家だ。
写真の下の棚に立て置かれた色紙には、「わが店に売られしおもちゃのショベルカー大きくなりてわが店壊す」、由起子さんの歌が書かれていた。本が置かれたコーナーにある由起子さんの歌集『土地に呼ばれる』を開けば、「建物が壊されてゆく商店街なかったことにされているだけ」が心を打つ。
「物」が語りかけ、「ことば」が見せる情景を前にしてこの13年に思いを馳せた。

 

 

コミュタン福島

いわきから三春への道は、雲一つないような青空だった。目的地に向かう道筋の右車窓から見る三春の滝桜は濃い紅色に枝垂れて、今日か明日には花開くようだ。三春は、梅・桜・桃の花がいちどきに咲く地という事から名付けられたという。道中で目にした枝垂れ桜は満開の木もたくさんあって、眼福を味わいながら、目的地に着いた。
コミュタン福島は「ふくしまの今を知り、放射線について学び、未来を描く」ことを目的に福島県が設置した施設。そして、はっきり謳ってはいないが、来館者は子どもたちを対象にしているように思える。
館内は6つのエリアに分かれている。1、「福島の3.11から」復興へ向かうふくしまの歩みを知ろう! 2、「未来創造エリア」ふくしまの今を知り、ふくしまの未来をともに描こう! 3、「環境回復エリア」放射線や環境創造センターの研究について学ぼう! 4、「環境創造エリア」原子力に変わる新しいエネルギーや、自然環境について学ぼう! 5、「環境創造シアター」大迫力の映像と音響空間!全球型ドームシアター 6、「触れる地球」宇宙から見たリアルタイムの地球の姿を体感 とあり、5の全球型シアター以外の各エリアは手で触れたり操作したりできるゲーム感覚で参加できる。
5の全球型シアターは360度全方位の映像と音響で、浮遊感覚を味わいながらの映像鑑賞となる。国立科学博物館とここにしかない装置だそうだ。
例えは悪いかもしれないが、ここは「学習型ディズニーランド」で、飽きさせずに夢中にさせる屋内遊技場という感じだ。原発事故が何をもたらしたかということや核の危険性やそれを扱う際の倫理観よりも、「放射能は自然界にも普通にあって、原発事故で放出された放射能は怖くはないよ」ということを伝える施設のように思える。
館内には、来館した子どもたちが寄せた感想のメッセージカードが展示されている。学校の授業の一環としてこの施設の見学が組み込まれているのだ。学校と名前を入力すると、子どもが書いたメッセージが見れる仕組みになっている。感想はどれも優等生的な内容で、放射能は怖くないと知らず知らずのうちに教育されているかと恐ろしくなった。

 

今を変えよう 私たちの声で ― くらし、平和、政治 

松本駅前での集会・市民アクションin信州に700人が参加

立憲民主党・日本共産党・社会民主党の3野党からの訴えも

市民運動家の菱山南帆子さんが「政治をchangeしよう」とアピール

43人の呼びかけ人と信州市民連合、中信市民連合などでつくる実行委員会は、「Change Now by Our Voice(今を変えよう 私たちの声で)―くらし、平和、政治 6・2市民アクションin信州」を6月2日、松本駅前に約700人の市民を集めて集会と市街地のパレードを行いました。当日は、雷雨も予報されていましたが、幸いに集会中は太陽も顔をのぞかせ、パレードの際にも小雨にとどまり、予定通り実施することができました。

集会では、呼びかけ人の又坂常人さん(信州大学名誉教授)が主催者として「岸田政権は末期症状だ。政権交代を実現してよりましな政治をつくろう」などとあいさつしました。そのあと、立憲民主党から杉尾秀哉さん(県連代表/参議院議員)、日本共産党から武田良介さん(前参議院議員)、社会民主党から大椿裕子さん(副党首/参議院議員)の3人から裏金問題が発覚し、大軍拡・防衛増税をすすめ、国民が苦しむ物価高による生活苦を放置している自民党政治を変えようという訴えがありました。地元(長野2区)の衆議院議員、下条みつさん(立憲民主党)も駆けつけてあいさつしました。

特別ゲストの市民運動家の菱山南帆子さんは、「まさに今、市民の声をあげて政治をchangeしていこう」とアピールしました。

集会では「今こそきちんと怒らなければなりません。仲間を増やし、史上最悪の岸田政権を退陣、政権交代を実現させましょう」というアピール文を採択しました。

集会後には、松本市街地をパレードし「政治をchangeしよう」と市民にアピールしました。

なお、集会の運営費をねん出するため参加者にカンパをお願いしたところ177,664円もの現金が集まりました。あたたかいご協力に感謝申し上げます。

3野党代表と又坂さん、菱山さんが並んで

小雨の中の集会に多くの市民が

アピールする菱山南帆子さん

松本駅前に菱山さんのアピールが響く

参加者がプラカードを掲げてアピール

呼びかけ人が壇上で3野党代表などと一緒にプラカードパフォーマンス

松本市街地をパレードして市民にアピール

集会を報じる信濃毎日新聞(2024年6月3日)

3・20さようなら原発全国集会に参加して

雨がどんどん強くなる中、集会は始まりました。

さようなら原発全国集会が、東京・代々木公園で開かれ、「フクシマを忘れない!原発再稼働を許さない!汚染水を流すな!」をスローガンに脱原発を訴え、集会後は原宿と渋谷をデモ行進した。

松元ヒロさんのオープニングライブでは、テレビで会えない芸人と言われるだけあって、政治に物申す内容が満載で、雨でびしょびしょになりながらも会場は大いに盛り上がった。

テレビで会えない芸人・松元ヒロさん

主催者あいさつで、呼びかけ人の作家・落合恵子さんは「3.11事故から13年。私たちは忘れてはいけないが、忘れさせていくシステムが山ほどある。ひとりひとりが忘れない、許さないという思いを持ち続けなければいけない」「地震大国に原発はいらない。原発と私たちの命と自然は共存できない」と語った。

呼びかけ人の作家・落合恵子さん

たとえ立場が違っても、原発ゼロを訴える澤地久枝さん

フクシマ連帯キャラバンの皆さんは、3/16に福島市で開催された福島県民大集会からスタートし、ここ東京でのさようなら原発集会をゴールに5泊6日にわたって行動し、その報告をした。団長の渡辺さんは、フィールドワークでの請戸小震災遺構を見学し、「原発がなければ救えた命がある」と強く訴えた。

フクシマ連帯キャラバン、団長より報告

志賀原発を廃炉に!訴訟原告団団長の北野進さんは、「もしかつて計画のあった珠洲原発が建設されていたらと思うと今頃は重大事故で放射能が奥能登や北陸に降り注いでいたかもしれない。寺家は、救急車を呼んでも来てもらえない。避難計画の破綻は明らか。高屋は、2mの隆起、海岸は崖崩れ、住宅の倒壊。珠洲原発があったら、奥能登が被ばくし、孤立していた。3電力の共同開発。地元の反対運動、全国から応援もらった。2003年撤退させた。あらためて全国の皆さんに御礼、元旦の地震の応援に来てもらってる。」活断層学の限界と避難計画の破綻について話し、志賀原発の廃炉に向けての運動が遅れてるので、全国集会をやりたい、その際にはぜひ多くの皆さんに参加してほしいと訴えた。

珠洲原発計画をとめ、志賀原発を廃炉に!訴訟原告団団長でもある北野進さん

主催者発表によると、雨の中この集会には6,000人が参加し、集会の終わりには、全員でプラカードアクションも行われた。

表参道をデモ行進する様子

その後は、天候も回復し、15:00から原宿と渋谷をデモ行進して、脱原発を強く訴えた。

全国から結集した

~集会の流れ~

13:00 オープニングライブ:松元ヒロさん(元ザ・ニュースペーパー)

13:30 集会開始:司会・畠山澄子さん(ピースボート)

主催者あいさつ:落合恵子さん(作家・呼びかけ人)

澤地久枝さん(作家・呼びかけ人)

フクシマ関連 片岡輝美さん(これ以上海を汚すな!市民会議)

フクシマ連帯キャラバンから

能登半島地震と原発 北野進さん(志賀原発を廃炉に!訴訟原告団団長)

原発再稼働関連 多々良哲さん(3・23女川原発の全国集会)

東海第二原発 阿部功志さん(東海村村会議員)

閉会あいさつ 鎌田實さん(ルポライター・呼びかけ人)

15:00 デモ行進

 

 

 

   

 

県労組会議のロゴマークをつくりました

組織と運動を表現するダブルロゴマークを採用しました

県労組会議のロゴマークをつくりました。組織本体を表すロゴマークと、平和運動などを表現するロゴマークのダブルロゴマークです。必要に応じて2種類のロゴマークを使うこととなります。

ロゴマークの色として、緑が環境、ピンクが人権、黄色が平和のカラーイメージが組み合わさることで、憲法の3原則「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重」を表しています。

また、組織本体ロゴは、人と人が組み合わさって地域をつくる運動を表現。運動ロゴは、平和の象徴である鳩をイメージしています。

いろんな場面で使用して広げていきたいと思います。

組織を表現する本体ロゴマーク

平和運動などを表す運動ロゴマーク

 

 

 

被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会

原水禁は3月1日、静岡市で「被災70周年3.1ビキニ・デー全国集会」を開催し、全国から約180人が参加しました。
集会では、長崎大学核兵器廃絶研究センターRECNAの中村桂子准教授に、「核兵器廃絶に向けた世界の動きと私たちの課題」というテーマで講演をいただきました。
また、Connect Hiroshimaの大内由紀子さんからTPNW(核兵器禁止条約)第2会締約国会議派遣報告、静岡選出の高校生平和大使から核兵器廃絶への思いを語っていただきました。

中村桂子氏(長崎大学核兵器廃絶研究センター)

中村さんの講演では、はじめに長崎大学核兵器廃絶研究センターRECNAは核兵器廃絶を掲げるオンリーワンの研究センターであることが紹介されました。

RECNA 長崎大学核兵器廃絶研究センター

RECNAとは

核兵器の近代化をすすめる米ロなどの核保有国

世界に核弾頭は1万2520発存在(2023年6月現在)しており、冷戦期以降、核弾頭の総数は減少してきたものの、退役・解体待ち弾頭を除いた「現役核弾頭」の数でみれば軍拡がすすみ、また核兵器の近代化や新型核兵器の開発などの高性能化がすすむなど、核軍拡の状況を呈している。核兵器も家電と同じように老朽化は減らすチャンスだが、最先端の弾頭へアップデートしようとしている現状が示されました。

『世界の核弾頭データ』2023年版 を公開しました!

核軍縮をめざす「あたらしい風」

膠着した現状があるいっぽうで、核軍縮をめざす「あたらしい風」のきざしがあり、その大きな原動力としての核兵器禁止条約(TPNW)が持つ意味について解説いただきました。

核兵器禁止条約は、これまでの条約と異なり、核保有国ではなく、マーシャルなどこれまで議論から見えないところにいた国々が主役交代のように非核保有国の国と市民社会が主導してきたことに特徴があり、核兵器そのものと核兵器への依存を「悪」として、世界の常識そのものを塗り替えていくことを構想しているものである。

表に出てこなかった「非人道性」が前面に

国連で採択されたときの議場は、熱気にあふれ、スタンディングオーベーションがつづいたそうです。苦難に耐えてきた広島、長崎をはじめとする被ばく者の声が世界を動かしてきたことが条約の土台になっているそうです。

被害者の救済が明記

これまで注目されてこなかったコミュニティ、文化、伝統の破壊、ずっと続いてきた農漁業の営みが奪われ、支給された食べ物によって引き起こされた肥満や糖尿病などの健康の問題などについても、被害のレポートなどをまとめ基金をつくっていくことが決まっており、どれだけ具体化できていくかが議論されている現状が紹介されました。オブザーバー参加しているドイツからもフェミニストの観点からの被害者援助、女性女児への放射線の影響の調査などへの協力の申し出などがあり未批准国であってもさまざまな協力ができることが示されました。

これまで見過ごされてきた被害者の救済、環境の修復

存在感を示すオブザーバー参加するドイツとためらう日本

核兵器禁止条約を育てていくことが大切

中村さんは核兵器禁止条約を漢方薬に例え、即効性はないがじわじわと効果を発揮すると述べ、核兵器製造企業への銀行融資にも影響していることや、国際的な議論の場でも、賛成反対を越えて人類的な問題として、人権、環境、ジェンダー、SDGsの考えがあたり前になってきている変化についても触れられました。

ジェンダーの考え方がさまざまな議論で当たり前になってきている

最後に中村さんは、核兵器禁止条約を手塩に育てていき一人前にみんなで育てていくことが大切、日々何度も落ち込むことも多いが核廃絶に向けて新しい変化は着実に起きていることを知ってほしいと訴えました。

広島長崎出身の大学生でつくる「Connect Hiroshima」

現在大学生の大内由紀子さんからは、被爆地広島、長崎出身の大学生でつくる市民団体「Connect Hiroshima」(コネクト・ヒロシマ)のとりくみ、

TPNW(核兵器禁止条約)第2会締約国会議への参加などについて報告いただきました。

大内由紀子さん(Connect Hiroshima)

広島出身で元高校生平和大使として核兵器廃絶にとりくんできた経過、第1回締約国会議にも参加するなかで交流した海外の人びとからも刺激を受け、日本政府がTPNWへのオブザーバー参加を求める署名を展開し4万3288筆を外務省へ提出してきたこと、昨年ニューヨークで開催された第2回締約国会議では市民社会の枠で発言したほか、現地での若い世代の交流イベントやさまざまな集会に参加したことが報告されました。さらに第3回締約国会議(2025年3月開催予定)に向けて日本政府への働きかけを準備していることが報告されました。

中満泉さん(国際連合事務次長・軍縮担当上級代表)から伝えられたことが紹介された