10月29日(日)は長野市・セントラルスクゥエアへ集まろう
ステージではミャンマーの歌や踊り、広場ではミャンマー料理の提供も
クーデター直後と比べてミャンマーへの関心が薄くなっている現状があります。私たちは「ミャンマーを忘れない」を合言葉に活動を続けてきました。「ミャンマー民主化を支援する信州の会」の活動の一環として、多くの市民の方々がミャンマー問題について考えてもらうきっかけにしたいと、誰でもが気軽に参加できるフェスティバルを企画しました。
家族連れでのご来場をお待ちしています。
日本政府は虐殺の真相を解明し関係者へ真摯な謝罪を
いまだ続くヘイトスピーチ、民族排外主義を許さない
今年9月1日は、首都圏に甚大な被害をもたらした関東大震災から100年。多くの日本人には9月1日は「防災の日」として広く知られています。
しかし、このとき起きたのは自然災害だけではありません。震災のさなか流言飛語が飛び交い、戒厳令が公布され、6千人以上の朝鮮人が、軍隊、警察、自警団によって虐殺されました。
2003年8月、日本弁護士連合会は日本政府に対して虐殺の責任を認め、被害者と遺族への謝罪、真相調査と原因究明を勧告しました。しかし、日本政府はいまだに事実を認めず、調査も謝罪も賠償もしていません。それどころか今年5月23日に開かれた参議院内閣委員会で谷公一国家公安委員長は、朝鮮人虐殺事件についての質問に対し、「事実関係を把握できる記録が見当たらない。さらなる調査は考えていない」と答弁し真相調査すら拒んでいます。
そうしたなか、「虐殺否定論」がまん延し、災害時にはSNSなどで「朝鮮人犯罪」に関わるデマが繰り返され、在日朝鮮人に対する差別や暴言、暴行事件など、100年前を想起させる事態が後を絶たないのが日本社会の現状です。
関東大震災時に虐殺された犠牲者を追悼し、虐殺の真相究明を進め、政府などの責任を追及する必要があります。そして、「多文化共生」が強調される社会のなか、在日韓国・朝鮮人に対する差別と偏見、ヘイトスピーチ・クライムを根絶するための運動が求められています。
日朝県民会議が朝鮮人虐殺の歴史を学ぶ学習会を開く
日朝長野県民会議は8月26日、日朝問題学習会では、朝鮮大学校で在日朝鮮人史を専攻する講師、鄭永寿(チョン・ヨンス)さんを講師に、関東大震災での朝鮮人虐殺の真相、日本による朝鮮半島植民地支配による朝鮮人に対する加害と抑圧の歴史について講演していただきました。学習会には約50人が参加。
鄭永寿さんは講演の中で、関東大震災の時にも朝鮮人への偏見、差別から大虐殺が起きた歴史に学ばず、いまだに歴史修正主義がはびこる日本社会だと指摘。関東大震災100年の現実を克服するために、日本政府には、被害者側に立証責任を負わせてきた態度を改め、加害側から真相を徹底的に調査、発表すること、また、「不逞」「騒擾」とみなし弾圧してきた運動の責任追及の声に真摯に向き合うことで、虐殺の罪を認め責任を果たすことが求められていると強調しました。
9月1日には東京で追悼行事が開かれる
レイシスト集団「そよ風」が虐殺否定の式典開き市民が強く抗議
関東大震災から100年が経過した9月1日、東京都立横網町公園内にある朝鮮人犠牲者追悼碑前で、「東京同胞追悼会」(主催=総聯東京都本部、東京朝鮮人強制連行真相調査団)が執り行われた。追悼会には、朝鮮総聯中央本部の許宗萬議長をはじめとする活動家、在日朝鮮人、日本市民など約500人が参加しました。
昼過ぎに始まった追悼会では、犠牲者に捧げる「アリラン」の独唱に続き、参加者全員が犠牲者を偲び黙とうをささげました。
また、同日夜には、東京都中央区の銀座ブロッサムで、関東大震災100年朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動実行委員会が主催する集会が開かれ、約800人が集まりました。
9月1日の夕刻には、レイシスト(人種差別主義者)集団の「そよ風」が横網公園の朝鮮人犠牲者追悼碑の前で式典を計画しました。「そよ風」は、加害・侵略の歴史を否定し、民族排外謝儀的な考えを持つグループで、関東大震災時の朝鮮人虐殺もなかったと強弁しています。そのような集団が朝鮮人犠牲者追悼碑の前で「式典」を行うことは、虐殺された朝鮮人への冒涜であり、歴史をねじ曲げようとする行為です。「そよ風」の式典に抗議する市民約300人は会場に座り込み、レイシスト集団に抗議のシュプレヒコールを行いました。結果として、「そよ風」は、追悼碑前での「式典」を断念し、公園の別の場所で実施しました。歴史修正主義、民族排外主義を許さない運動を求められています。
9月2日には国際シンポジウムが開かれ350人が参加
翌日、9月2日には、「関東大震災100年朝鮮人虐殺犠牲者追悼と責任追及の行動」実行委員会が主催する国際シンポジウム「関東大震災朝鮮人虐殺の責任と課題」が東京・千代田区の連合会館で行われました。場内は、日本各地から集まった在日朝鮮人や日本市民など約350人でいっぱいになりました。
主催者を代表し、元法務大臣の平岡秀夫さん(弁護士)があいさつ。平岡さんは、100年前の大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者らに哀悼の意を示したうえで、昨今、官房長官が会見の場で「事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べるなど朝鮮人虐殺に関する日本政府の対応を非難。「今を生きる日本人の中には個人的に責任を負うべき人はいないかもしれない。しかし、朝鮮人虐殺の事実を明らかにし、その明らかにされた事実に応じて、謝罪など必要な対応をする責任がある」として、今を生きる日本の市民らの責務について問いかけました。
国際シンポジウムに先立ち、コーディネーターの佐野通夫・東京純心大教授が発言。佐野教授は、「関東大震災時の戒厳令をもって在日朝鮮人を『討伐すべき敵』としての『不逞鮮人』とみなす公的なヘイトが、民衆のヘイト感情を掻き立て官民一体のジェノサイドが起きた。またその背景である日本の植民地主義の清算がなされていないことを見逃してはいけない。国家と社会による歴史の忘却、責任からの逃避が戦後日本社会における朝鮮人差別を形作ったのではないか」と問題提起しました。
報告者として、明治学院大の鄭栄桓教授(「関東大震災時の朝鮮人虐殺と『否定論』の諸問題」)、朝鮮大学校の鄭永寿講師(「在日朝鮮人運動による関東大震災朝鮮人虐殺の真相究明・責任追及」)、東京造形大の前田朗名誉教授(「国際法から見た関東大震災ジェノサイド」)が登壇したほか、韓国から淑明女子大の金應教教授(「百年間の証言―韓日の作家と市民がみた関東大震災と朝鮮人虐殺―」)が、米国からイースタン・イリノイ大のリジンヒ教授(『米国における関東虐殺否定論とジェノサイドへの対応』)が登壇しました。
その後、報告者5人による相互討論がありました。
大島堅一さん(龍谷大学教授)が京都から来場して講演
「原発に未来はあるか?『無責任の構造』を超えて原発ゼロ社会へ」
福島第一原発事故から12年以上が経過しました。いまだに「原子力緊急事態宣言」は解除できない状態が続いています。廃炉の目途も明確になっていません。しかし、政府は原発推進方針に明確に舵を切り、重大事故を起こした福島第一原発と同型の原発再稼働をすすめ、「原則40年最長60年」ルールを撤廃し、世界でも前例のない60年超への運転期間延長を可能とする法改定を強行しました。さらに原子力基本法を改定し、原子力産業基盤の維持・強化、原子力投資環境の整備、使用済み核燃料の再処理・貯蔵の推進などを国の責務としています。ウクライナ危機を契機に、エネルギー不足により電力需要が逼迫するかの如く原発回帰の必要性を喧伝しています。
福島第一原発事故の反省もなく、原発回帰政策を突き進む岸田政権のエネルギー政策に、明確なNO!を突き付けていかなくてはなりません。
市民団体や県原水禁などでつくる実行委員会は、市民集会・脱原発2023in信州を開きます。集会には、「原子力市民委員会」の座長であり、龍谷大学教授の大島堅一さんを講師にお招きします。大島さんは、原発のコスト問題の調査・研究が特に有名で、経済面、コスト面からもエネルギー政策において原発を選択する余地はないと強調されています。原発回帰政策に突き進む政府の政策の問題点、ドイツでの脱原発社会の実現などの点について講演で話していただきます。
どなたでも参加できます。Zoomでの視聴も可能です。お誘い合ってご参加ください。
◆講演「原発に未来はあるか?『無責任の構造』を超えて原発ゼロ社会へ」
講師 大島堅一氏(原子力市民委員会座長/龍谷大学教授)
おおしま・けんいち 1967年生まれ。専門は、環境経済学・環境政策学。立命館大学国際関係学部教授を経て、2017年から龍谷大学政策学部教授。2018年から原子力市民委員会座長。この他、大阪府特別参与、日本環境会議代表理事なども歴任。主著に『炭素排出ゼロ時代の地域分散型エネルギー』(日本評論社、2021年)、『原発のコスト』(岩波書店、2011年、大佛次郎論壇賞受賞)など。 |
◆市民運動の現場から活動報告
①柏崎刈羽原発運転差し止め裁判の現状
②311福島・子ども甲状腺がん裁判の現状
追悼碑を守る会が建碑28周年を記念する式典
松代大本営追悼碑を守る会は8月10日、長野市松代に建立している「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」の前で、大本営工事の際に犠牲となった朝鮮人労働者への追悼の意を表すための式典を開きました。日本人や朝鮮総聯、民団などの関係者約50人が参列しました。
冒頭、あいさつに立った追悼碑を守る会の表秀孝会長は、「追悼碑の裏面には私たちの決意が刻み込まれている。亡くなられた朝鮮人犠牲者を追悼し『過去の戦争、侵略。加害を深く反省し、友好親善、恒久平和を祈念してこの日を建立する』と記されている。過酷な労働を強いられ無念と望郷の中で亡くなられた朝鮮半島出身のみなさまに哀悼の意を捧げる。石板に書かれた私たちの決意は28年たっても実現していない。戦える国に傾斜していく政府の姿勢がますます強まるなか、このような動きを止めることができない悔しさを心に刻んでいる。国家権力の暴力がむき出しになる戦争には正義はない。力による平和は存在しないことを私たちは先の大戦から学び取ったはずだ。このような時だからこそ、歴史を直視し、歴史に学び、再び誤まることのないように決意したい。今こそ人と人との結びつきを強めるときだ。民衆の連帯の力を信じたい。善隣友好と平和創造に向けて皆さまとともに取り組みたい」とあいさつしました。
来賓として、駐新潟大韓民国総領事の権相熙(クォン・サンヒ)氏が「過去の誤った歴史を正しく認識し、真に反省し、過ちを繰り返さないようにすることが私たちの責務。しかし、過去のことだけにこだわっていると前に進めない。韓日両国は正しい歴史認識の下、未来に向かって手を取り合って進むべき」などとあいさつしました。
長野市長の荻原健司氏、衆参国会議員の若林健太氏、篠原孝氏、杉尾秀哉氏、羽田次郎氏からメッセージが寄せられたことが紹介されました。
日朝県民会議の中山良一・会長代行、朝鮮総聯県本部の李明宏(リ・ミョンガン)・委員長、民団県地方本部の金秀男(キム・スーナン)・副団長がそれぞれ追悼の言葉を述べました。
式典の最後には、参列者全員で菊の花を献花しました。
原水禁県大会で広島で被爆した今井和子さんが体験談
被爆78周年の今年、広島へ原爆が投下された8月6日、長野市・県労働会館にZoom参加者も含めて約40人を集め、原水爆禁止長野県大会を開きました。
大会の冒頭、宇佐美正信・県原水禁代表委員があいさつ。岸田政権の原発回帰政策、核兵器禁止条約を批准せずアメリカの「核の傘」にとどまる対応を厳しく批判しました。
大会では、広島市が主催する平和記念式典をテレビ中継、原爆が投下された8時15分に黙とうをささげました。
アメリカ軍が原爆投下直後の広島や長崎の様子を撮影した映画フィルムを、今から約40年前、「10フィート運動」によってカンパを集めて買い取り、『にんげんをかえせ』という20分程度のドキュメンタリー映画が完成しました。原爆詩人・峠三吉の詩集のタイトルを冠したこの映画を県大会で上映しました。被爆直後の傷付いた人々の姿も映し出され、改めて原爆投下への怒りが会場にまん延しました。
その後、5歳前に広島市で被爆した長野市に住む今井和子さんが被爆体験を証言しました。
今井さんは「広島に原爆が投下された8月6日の8時ちょっと過ぎ、空襲警報があり防空壕に入ろうとしたら解除になったので、一安心していました。ところが、突然激しいピカッという閃光、それから下から突き上げるようなドーンという地響きと共に、グラグラ家が揺れて、物がバアーンと飛び散り、シャリシャリシャリとガラスの破片が飛んでいきました。まさにピカッドーンという衝撃で、今でも体の感覚として残っています。向かいの家の娘さんが下敷きになっているお父さんを『助けて、助けて』と叫んでいましたが、皆はもう自分のことで精一杯でした。その『助けて!』という悲鳴は今でも耳に残っています。その後避難場所に行くとき、背中が焼けただれた人とかが折り重なるように馬車に乗っていました。一番後ろにいた人の背中が真っ赤に焼けただれていて、その人の虚ろな目が強く記憶に残っています」と、原爆投下直後の様子を生々しく証言されました。また、今井さんは「被爆者の苦悩は2つある。一つは生涯続く健康不安。自分だけでなく子どもや孫、ひ孫にも影響が出るのではないかという不安。もう一つは生きていることの罪悪感。周りに助けを求めている人がたくさんいたにもかかわらず、助けてあげられなかったこと」と語りました。
追悼碑を守る会が案内 - 追悼碑前で自らの学習発表も
長野朝鮮初中級学校(松本市)中級部(中学校)の1年生から3年生までの生徒11人は7月20日、松代大本営象山地下壕の見学と学習発表を行いました。
生徒たちは、地下壕見学の前に、市民団体が運営する「もうひとつの歴史館・松代展示室」を訪問。なぜ松代に大本営の移転が計画されたのか、朝鮮人労働者の労働・生活の実態はどうだったのか、スタッフの説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。
追悼碑の前では、地下壕工事の犠牲者を慰霊し、加害・侵略の歴史の真相を明らかにする目的で追悼碑がつくられた経過を、守る会役員が説明しました。また、長野市が朝鮮人強制連行の歴史的事実をあいまいにした説明看板の問題についても報告されました。その後、実際に地下壕内に入り、過酷な掘削工事の実態を見学しました。
見学が終了後、生徒たちが事前に松代大本営について学んできたことを模造紙に書いて、追悼碑の前で学習発表を行いました。
「21世紀の労働運動研究会」で棗一郎・弁護士が強調
県労組会議は17年目となる「21世紀の労働運動研究会」の年4講座を開催中です。7月22日には、日本労働弁護団常任幹事の棗一郎・弁護士が松本市で講演しました。テーマは、「今後の労働法制改悪と非正規・非雇用化政策に対抗する社会的労働運動を」。
棗一郎・弁護士は、講演の冒頭、日本が現在置かれている経済的・政治的な状況について言及。「世界から見てこの30年間で日本はもはや経済の面でも“二流国”になった」「軍事費を倍増させ、閣議決定でだけで『敵基地攻撃能力の保有』や、中国・台湾有事に備えると称して、沖縄本島を含む南西諸島に自衛隊基地や攻撃能力を急激に増強している」と強調。
「今こそ、すべての労働運動と平和運動、市民運動の連帯と結合、団結が必要不可欠だ」と訴えました。
以下、棗一郎弁護士の冒頭の発言を掲載します。
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「オールジャパン・デモクラシー」の運動が必要不可欠だ
日本労働弁護団常任幹事 棗 一 郎
政治の闇、経済の没落
現在の労働者・労働組合を取り巻く日本社会の現状は、世界(OECD諸国)と比較してどのような社会・経済・政治状況なのか?
昨年明らかになった政治の闇は、自民党と反社会的カルト教団との歴史的な癒着関係(反共の砦)と法律上の根拠もなく、財政民主主義にもよらない「安倍国葬」の強行により、内閣(政府)の独裁とも呼ぶべき、もはや‟法治国家“ですらなくなった3流の後進国の政治状況となった。日本の国民も労働運動も結果としてそれを容認しているのが現状である。
その反面で、これまで「日本は政治は二流だが、経済は一流」との幻想を抱いてきたが、もはやOECD諸国で最低の賃金(過去20年以上にわたって実質賃金-購買力平価による換算値‐が上がらない国)、最低賃金も最低の国、世界から優秀な人材を集めることができず、逆に日本の若い労働者は海外に出稼ぎに行くような状況である。さらに、世界一の速さで高齢化が進み、労働力が慢性的に不足している状況であるにもかかわらず、人権侵害・奴隷労働を強いている外国人「技能実習生」制度すら廃止できず、日本に来なくなることが予想される。
日本経済は、“日本病”と称される暗礁に乗り上げていて、もはや“経済大国”でさえない、2流・3流の経済国家になってしまった。昨年の世界大学ランキングで、東京大学は39位、京都大学は68位に大きく後退し、もはや往年の見る影もない。人材においても2流の国家になっている。
現在、ロシアのウクライナ侵略戦争の長期化とエネルギー自給・食料自給ができていないことなどを要因として急激な円安と物価上昇を招いて、庶民・経済的弱者層を直撃し苦しめている経済状況、その一方で富裕層と大企業はびくともしない決定的な貧富の格差構造は、変わる兆候もない。もはや日本は2流の経済国というのが世界経済の見方である。
軍事大国化と戦時体制の整備
そして、国家予算では軍事費(戦時体制の強化)を5兆円にまで増大させ、ロシアのウクライナに対する侵略戦争の長期化、中国共産党の独裁体制の確立と北朝鮮の核開発、台湾・東アジア有事をあおる自公政権による軍事費の著しい膨張と軍拡政策、戦争有事体制に備えるかのような警察国家・監視国家への着々とした法整備と予算の執行などが続いている。岸田内閣は、これまで戦後一貫して保持していたはずの日本の軍事的基本戦略である『専守防衛』政策を明確に転換して、「敵基地攻撃能力を持つ」軍隊へと安全保障政策を大転換させた。こんなにも重要な国の基本政策の大転換を行うには、国民的な大きな議論が必要であり、解散総選挙を行って国民に信を問うべきである。にもかかわらず、国会での慎重な議論や決議もなく、国民的な議論を経ることなく、一内閣の閣議決定だけで決めてしまった。主権者たる国民の意思を問うことなく、それを無視して一方的に政策を進めていくのは、まさに“亡国の内閣”であり、この国を誤った方向に導くものである。
沖縄は今年で米国統治下(アメリカ世)から日本への復帰51年を迎える。国内の米軍機基地の7割が沖縄に集中する極めていびつな軍事態勢に加えて、近年、中国・台湾有事に備えると称して、中国に対抗するための「南西シフト」(言葉のごまかしで実は「琉球・沖縄シフト」)を組み、自衛隊の増強が急速に進んでいる。これまで沖縄本島を含む南西諸島は、自衛隊・防衛の「空白地帯」をされてきたが、与那国島、宮古島、奄美大島、石垣島に陸上自衛隊の駐屯地を開設、ミサイル防衛基地を作って、中国と向き合う最前線の島々で防衛拠点の構築を急いでいる。
社民党の福島瑞穂議員が、日本労働弁護団主催『安部自民党改憲案に断固として反対する労働組合の集会』の時に発言されていた。「気づいたら、“戦争”が廊下の奥に立っていた・・・!」
今の日本は労働者・労働組合にとって戦後経験したことのない政治・経済・軍事的に極めて危険な状況にある中で、日本の労働組合と労働弁護士は何をすればよいのか?どこへ向かえばよいのか?それが今、私たち一人ひとりに厳しく問われている。
今、何が必要か?
以上のように、今の日本は政治・経済・軍事、そして雇用社会と労働政策・労働法制は危機的状況にある。このままでは、日本は再び暗黒の時代を迎え、体制翼賛化、ファシズム、軍事国家への道を突き進んでいくことになる。
これを止めるためには、“オールジャパン・ユニオン”だけでなく、“オールジャパン・デモクラシー”で対処し、行動し、運動を作り上げていかなければならない。つまり、今こそ、すべての労働運動と平和運動と市民運動の連帯と結合と団結が必要不可欠なとき!
長野県の「21世紀の労働運動研究会」の専任講師として16年
国鉄闘争など数々の労働争議で労働者を激励、弁護活動を展開
7月1日 東京で開いた偲ぶ会に500人が参列し追悼
弁護士で日本労働弁護団の元会長、宮里邦雄さんが今年2月5日、83歳で亡くなられました。
宮里さんは、弁護士になって以来、労働者のさまざまな活動を支援し、一貫して「労働弁護士」として活動されてきました。国鉄闘争をはじめとする数々の労働争議にも関わり、虐げられた労働者、解雇された労働者などに寄り添って活動された弁護士でした。
県労組会議は、2007年から「21世紀の労働運動研究会」を発足させ労働問題に関する様々なテーマで講座を開いています。今年で17年目となる労働運動研究会ですが、宮里さんには、1回目からご病気になられて体調を崩される前の2020年まで毎年欠かさず講師を務めていただきました。
宮里邦雄さんのご逝去をに改めてお悔やみ申し上げるとともに、心から追悼の意を表します。安らかにお眠りください。
7月1日は84歳の「誕生日」 宮里さんへの思いがあふれた偲ぶ会
7月1日には、東京都内で「宮里邦雄弁護士を偲ぶ会」が開かれ、5百人を超える関係者が参列しました。以下は、東京共同法律事務所のホームページに掲載された偲ぶ会の様子を伝える記事です。
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7月1日、宮里さんが存命であれば84才の誕生日でした。
会場には400人を越える宮里さんを偲ぶ方々が参加され、宮里さんがいつも提唱していた「労働組合は、団結なくして勝利なし」の信念を確認しあう熱気あふれる2時間になりました。そして、宮里さんの温厚で決して怒らず、情熱と信念をもって相手方を説得するまねのできない人格のすばらしさを確認しあいました。
この偲ぶ会は、東京共同法律事務所と日本労働弁護団の共同主催でした。労働弁護団の先生方の宮里さんの思いと活動を是非若手弁護士に伝えたいという願い、そして東京共同の弁護士と事務局メンバーにとって恩師であり、慈愛あふれる父親であり、いつも心の支えであった宮里さんを偲ぶ思いがあふれる感動的な会でした。
冒頭の中川亮弁護士が沖縄に2度、大阪に1度出張して作った宮里さんを偲ぶ10分間余のビデオ上映、そして宮里さんがこよなく愛したモーツァルトのレクイエムの音楽家ユニオンによる演奏と、宮里さんのお孫さん宮里夏生さんのテナーサックスとの合奏。つづいて、主催者代表の山口広、徳住堅治両弁護士とのあいさつあたりで会場は宮里さんを偲ぶ雰囲気につつまれました。労働法の大家菅野和夫さんの宮里さんを偲ぶお話、国労組合員の国鉄民営化を口実とした大量解雇を宮里さんと10年余ともにたたかった元委員長高橋伸二さんの話。どの話も本当に感動的でした。しばしの食事休憩のあと、東京共同で1年実務経験して沖縄で活躍している金高望弁護士と、関西生コン労組の不当刑事弾圧を支援してきた宮里さんを思う小谷野毅さん、日本労働弁護団を宮里さんと引っ張ってきた棗一郎弁護士、宮里さんのたくさんの原稿と生の声からひろった発言集「宮里邦雄かく語りき」を中心でまとめた海渡雄一弁護士の各あいさつ。
そして最後に宮里さんの息子さん、宮里邦哉さんの父を思うウィットあふれるごあいさつと、娘さんの菅純子さんのあいさつで終幕。
海渡雄一、新村響子両弁護士のあたたかい司会で熱気一杯の会は終了しました。
この会にご協力いただいた皆様に心から感謝申し上げます。
なお、前述した2023年7月1日刊「宮里邦雄かく語りき」(旬報社)を、著者特別価格割引1600円(定価1800円)にて販売いたしております。東京共同に電話でもメールでもいただければ郵送しますので是非手にとって読んで下さい。
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宮里邦雄さんの弁護士活動50周年を記念して出版
『労働者の権利 軌跡-展望』への寄稿文(2015年5月)
宮里先生の労働者への深い愛情を感じる講座
―長野県の「21世紀の労働運動研究会」主任講師を務めていただいて
長野県平和・人権・環境労働組合会議事務局長 喜 多 英 之
1.二つ返事で引き受けていただいた「21世紀の労働運動研究会」の主任講師
「今の労働運動に取って必要な企画ですね。引き受けます」―2006年一1月、東京共同法律事務所を訪ねたときの宮里邦雄先生の言葉だ。
長野県平和・人権・環境労働組合会議(県労組会議)では、若い世代や現場の労働組合活動家に学習と交流の機会をつくるため、「21世紀の労働運動研究会」を発足させて、年間を通して定期的に講座を開き、社会的労働運動の復権につなげたいと構想を練っていた。
その構想の最も重要なポイントとなる主任講師。「何とか宮里先生にお願いできないかな」とみんなで相談していた。ただ、宮里先生は東京を拠点に活動しておられるし、全国的なネームバリューもあり、講演料なども多額になるだろうから、難しいだろうと感じていた。
「当たって砕けよ」と2006年11月のとある日、新宿の東京共同法律事務所を訪ねて宮里先生に直談判。「研究会」の構想をお話しさせていただいた。そして冒頭のご返事をいただいたのだった。講演料も格安で、忙しい合間を縫って長野県に来ていただけるという。さらに日本労働弁護団の弁護士を中心にそうそうたる講師陣も紹介していただいた。「産別や企業の壁を乗り越えて、労働運動の再生に向けて学習したいという、あなたたちの設立趣旨に賛同したからね。私の知識と経験が少しでも役に立てば」と宮里先生は快諾の理由を述べられた。
2.労働運動が企業主義的傾向を強める状況への宮里先生の危機感
宮里先生が「21世紀の労働運動研究会」の主任講師を引き受けていただいた背景には、先生自身の現在の労働運動に対する危機感があるのだからと思う。
労働運動が「冬の時代」と称されて久しくなる。労働組合への組織率は2割を切り、春闘をはじめとする社会的公正労働基準の確立のための労働運動の波及力も弱くなり、パート・派遣などの非正規雇用労働者の増大により、正規労働者との賃金・労働条件格差は広がるばかりだ。また、所得や資産、雇用、社会的地位など社会のあらゆる分野で格差が拡大し、新たな「階級社会」が日本に出現している。
特に現在、安倍政権の下で新たな装いを羽織っての「新自由主義政策」が進められ、労働分野でも財界の意向を全面的に受け、労働法制の大改悪が強行されようとしている。戦後の労働運動によって闘い取ってきた労働判例や、労働法制の規制が一挙に改悪されるきわめて重大な局面に立たされている。
まさに今、労働運動が社会的な影響力を発揮するときだ。労働運動が正規・非正規を問わずすべての労働者の生活と権利を守る社会的責任を果たさなければならない。
しかし残念ながら、現在の労働組合運動の主流は、企業主義的な傾向をますます強めていると言わざるをえない。労働者・労働組合が企業ごとに分断され、企業経営者への対抗力を失うだけでなく、企業間競争に勝ち抜き、企業利益をいかに実現するかという発想に陥っている労働組合幹部も少なくない。労働組合を担う役員や活動家が、企業の動向や企業利益に敏感になり、内向きの発想になっている現状は否定しがたい事実である。
宮里先生は、このような傾向を強める労働運動に対して強い危機感を感じておられるのだろう。私たちの「研究会」が「社会的労働運動の復権」という目的を掲げたことに共感をしていただいたと思っている。
3.受講者の共感を呼ぶ宮里先生の講演―労働者・労働運動への温かい激励・期待
「21世紀の労働運動研究会」の記念すべき第1回講座は2007年1月、長野市内に約80人の参加者を集めて開いた。講座は、宮里先生をメイン講師としたパネルディスカッションだった。
宮里先生には講座の冒頭で「労働組合の役割」というテーマで講演していただいた。
宮里先生はまず「1965年に弁護士になって以来、一番力を入れて生きがいを感じてきたのは労働問題だった。労働裁判、労働委員会、労働運動に携わってきて、多くの解雇された労働者や労働組合と付き合い、そのなかで労働組合のあり方とか役割などについて、労働者と伴走しながら考えてきた」と前置きし、「解雇・雇い止め、退職勧奨、配転や出向、転籍、偽装派遣など、労働者の雇用の質が、これほど悪くなった時代はない」と指摘。これらの劣化する雇用、労働条件などの問題解決のために労働組合が果たすべき役割がかつてなく大きいと強調された。そして、宮里先生は、労働組合は「対使用者という企業内の役割と社会的な役割」と二つの役割を背負っていると述べ、「雇用における非対等な関係」を改善し、労働者同士の競争を、連帯・絆によって規制する企業内における労働組合の役割、そして「労働者の団結を通じて、未組織労働者を含めた全体的な労働条件の向上、水準の引き上げ、標準化という労働条件に対する社会的な規制という役割」を果たすことが求められ、「労働組合は単に組合員のため、労働者だけのための存在ではなく、広い意味での社会的な運動の担い手である事が期待されている」と強調された。現在の「労働組合の危機」を乗り越えるために、地域合同労組などの地域労働運動と産業別労組がお互いを補っていく運動、さらに非正規雇用の増大に対応し、正社員との格差、分断化、差別化の是正に真正面から取り組むことが重要だと指摘された。宮里先生は最後に「労働者の団結にとって今日的なキーワードは『自立と連帯』だ」と述べ、「労働者一人ひとりが権利意識を磨き、企業内の連帯から企業の枠を越えた連帯へ」広げていこうと締めくくられた。
この講座での宮里先生の講演は、これからの労働組合の役割―「社会的労働運動」をめざす意義をわかりやすく説明していただき、参加者には深い共感の輪が広がった。
4.温泉とお酒が好きな気さくな人柄
宮里先生には2007年以降、毎年「21世紀の労働運動研究会」の主任講師を務めていただいている。今年で8期目を迎えた研究会は、宮里先生の人柄と人脈に支えられてきた面が大きい。棗一郎弁護士(旬報法律事務所)や小川英郎弁護士(ウェール法律事務所)も毎年講演に来ていただいているが、宮里先生に紹介いただいたことが縁だった。
せっかく信州・長野県まで来ていただいているので、宮里先生には毎年講座の終了後に、温泉場でゆっくりしてもらうのが慣例となっている。信州には様々な泉質の温泉地があり、山の幸も含めて宮里先生と杯を酌み交わし、労働運動について語り合う機会を与えられて、大変光栄に思っている。
宮里先生の人柄をあらわすエピソードを一つだけ紹介する。宮里先生が結婚して間もない頃に、「夫婦で長野県の浅間山を見てゆっくり温泉につかりたい」と思い立ち、松本市の「浅間温泉」の旅館に来てみたものの、肝心の浅間山は見えない。よく調べてみると浅間温泉と浅間山は直線距離で約50㎞も離れていた。同じ名前だからさぞ近くに浅間山が見えるだろうという早とちりで浅間温泉に来てしまったというエピソードだ。
講演の際でも酒席でも、宮里先生からは気さくな人柄と合わせて、労働者への深い愛情と、強き者の不条理・横暴は許さないという信念をひしひしと感じる。労働弁護士一筋に半生を生きてきた人だからこそ、言葉にも説得力と重みがある。
宮里先生なくして「21世紀の労働運動研究会」は生まれなかったし、8年も継続できなかったであろう。労働組合が「冬の時代」から脱却し、労働者や社会から信頼される社会的労働運動の再構築をめざして、今後も宮里先生を研究会に招き続けたいと思う。
「ミャンマーを忘れていない」というメッセージを届けよう
長野市の「アジア子ども交流支援センター」が呼びかけ
ミャンマー国軍クーデターから2年半が経過しましたが、ミャンマー国内では民主化を求める人々への国軍による苛烈な弾圧が続いています。国軍の市民への弾圧の中止と民主派の指導者や逮捕者の即時解放、民政への移管を求めて、国際社会は役割を果たすべきです。しかし、日本政府は世界で一番のミャンマーへの投資国としての責任を果たそうとせず、政府開発援助に関する事業の継続など国軍政治に対する甘い対応がまかり通っています。
クーデター直後と比較してミャンマーへの関心が薄くなっている現状があり、私たちは日々、「ミャンマーを忘れない」活動を継続していく必要があります。
長野市に本部を置く市民団体、アジア子ども交流支援センターは、ミャンマーに向けて古着を送ろうと、市民に呼びかけています。日本から温かい古着を送って、ミャンマーの民主化を求める人々を支援し続けているという日本人の心も現地に届けましょう。
取り組みの詳細は、下記のチラシを参照してください。
なお、8月1日付の信濃毎日新聞・社会面にこの活動が紹介されています。
ミャンマーの冬は寒いと言っても、最高気温25~37℃、最低気温は18~20℃と温暖な気候です。一番涼しいのは10月下旬から2月です。しかし、山沿いとなると昼夜の寒暖差が激しく、昼夜の寒暖差が激しく、夜は10℃を下回ることがあります。そのため、秋口に着るようなTシャツ、ポロシャツの長袖、薄手のウィンドブレーカーのような上着を必要としています。以下の例を参考に、ご支援をお考えいただけると幸いです。
・Tシャツ、ポロシャツ、トレーナー(長袖)
・上着(ヤッケ、ウィンドブレーカーのような薄手のもの)
・長ズボン
・劣化が一著しいもの。選択をしてないもの。匂いが発生しているもの。
・下着、靴下
・背広
・冬物のセーター、ジャンパー、コートなど
★古着のご支援をいただいた皆様には、送料のご寄付もお願いしております。
例…買い物袋1袋につき、1000円~2000円の送料負担をお願いします。
送料振込先
八十二銀行浅川若槻支店
店番号 225
口座番号 367551
口座名 アジア子ども交流支援センター
[問い合せ]
〒381-0084 長野市若槻東条515-3
アジア子ども交流支援センター
電話 026-295-9815