21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

被爆77周年原水爆禁止世界大会・広島大会に初めて参加して

長野県原水禁からは3年ぶりに6名が参加

コロナ禍が続いて早3年目に入り、コロナ前のようには到底戻らないまでも徐々にイベント等は対策をした上で開催するところが多くなっています。昨年も原水禁世界大会は行われましたが、長野県としては中止をしたので3年ぶりの参加となりました。

団は、少しでも接触を減らすため現地集合現地解散とし、夕食会は個室限定の会場を選定するなど、できるだけの対策をしました。

8/4(木)15:30~平和記念公園を出発して折鶴平和行進が行われ、長野県団は広島の暑さにバテそうになりながらも、77年前の原爆投下時に思いを馳せて行進を終えました。その後の県立総合体育館での開会総会は、高校生平和大使の梶原百恵さんの司会で始まりました。福島県平和フォーラムの角田代表の福島からの報告では、汚染水海洋放出の現状についてお話いただきました。被爆者の訴えでは、15歳の時に爆心地から南東およそ2キロの場所で被爆された切明千枝子さんが当時の状況がいかに悲惨だったか、亡くなっていった下級生たちのためにも自分が語っていかなくてはとの思いで今ここにいるとお話してくださいました。私はあまりに無残で悲しく衝撃的な内容に驚くとともに、非常に強く印象に残りました。このお話を訊くために広島に来させてもらったのだなと妙に納得したほどでした。

8/5(金)9:30~各自希望の分科会に参加しました。私は『脱原発Ⅱ 核燃料サイクルと高レベル放射性廃棄物』に参加し、核のごみ最終処分場の問題について、主に寿都町と神恵内村の現状とこれまでの経過について学びました。これは米軍基地と同じように沖縄や北海道だけの問題ではなく、日本全体の問題と認識することが重要だとあらためて感じました。午後は、原爆資料館を時間をかけて見ることができました。

8/6(土)8:00~例年通り、平和記念公園では式典が行われていますが、ここ数年はコロナ禍により一般の入園は制限されているため、私たち長野県団は原爆ドーム前に向かいました。そこにはたくさんの人が集まっていて、合唱をしているグループがいたり、メディアも多かったです。8:15に鐘の音が鳴ると、そこにいた人たちのほぼ全員が静かに黙とうを捧げました。不思議なことにあれほど数分前までにぎやかだった場所が、その時間だけ77年前にタイムスリップしたかのように当時の様子を思い起こさせる暑い夏の蝉の音だけが鳴り響くひとときでした。前日の切明さんの「どんな思いで亡くなっていったか・・・」その言葉が脳裏に浮かび、もう二度と戦争はしてはならない、そう強く思いました。

全体のまとめ集会には約450名が参加し、大会共同実行委員長からは今大会の参加に際して、被爆の実相を持ち帰って周りの人に伝えて欲しいとのお話でした。私にできることは小さいかもしれないけど、自分が見て聞いて感じたことを伝えることなのだと感じました。帰ったら、身近な人に広島での経験を伝えていきたいと思い帰路につきました。

広島で15歳の時に被爆した切明千枝子さん

第23代高校生平和大使の皆さん

毎年8月6日8:15~、原爆ドーム前には大勢の人が集まる

原爆ドームの様子

広島に原爆が投下された8時15分に黙とう

長野県団の集合写真

被爆77周年原水爆禁止世界大会・広島大会 まとめ集会の様子

77回目のヒロシマの日に核兵器も原発もない社会をめざす誓い

県原水禁大会に会場・Zoomで約40人が参加

被爆77周年となる8月6日当日、早朝8時前から長野市の県労働会館に、会場参加とオンライン視聴含めて約40人が集まり、原水爆禁止長野県大会が開かれました。新型コロナの感染が急拡大するなかで、感染防止を徹底しての開催となりました。

宇佐美正信・県原水禁代表委員の主催者あいさつに続き、広島市で行われている平和記念式典をテレビで同時中継、原爆が投下された午前8時15分を期して全員で黙祷を捧げました。

その後、映画『にんげんをかえせ』を視聴しました。映画は1982年、アメリカ軍が撮影した原爆投下後の映像を買い取る「10フィート運動」で製作されました。広島、長崎の被爆直後の状況や被爆者の証言が収められています。女優の大竹しのぶさんがナレーションを務めています。

続いて、県原爆被害者の会から副会長の前座明司さん(松本市)が被爆二世としての体験や思いを語ってくれました。前座さんは「被爆者であった父は『今日の聞き手は明日の語り手』と何度も言っていた。被爆者が被爆体験、自らの思いを語れなくなる日が近付いている。今がとても大事な時期だ」と強調。

5歳の時、広島で被爆した今井和子さん(長野市)は、「(被爆した祖父は)どこでどのような亡くなり方をしたのか、遺品も遺体も何もない状態だった」と原爆投下の日の体験を語りました。

大会では「核兵器のない社会を目指して運動を続ける」などとする大会アピールを採択しました。

広島に原爆が投下された8時15分に黙とう

被爆二世として体験を語る前座明司さん(長野朝日放送のニュースから)

広島で5歳の時に被爆した今井和子さん

県大会で採択したアピール文

信濃毎日新聞(2020年8月7日)より

長野朝鮮初中級学校の生徒が松代大本営象山地下壕を見学

地下壕入口で自らの学習発表も - 追悼碑を守る会が案内

長野朝鮮初中級学校(松本市)中級部(中学校)の1年生から3年生までの生徒14人は7月23日、松代大本営象山地下壕の見学と学習発表を行いました。

追悼碑の建設の目的や経緯、長野市が朝鮮人強制連行の歴史的事実をあいまいにした説明看板の問題などについて、守る会役員が説明しました。また、実際に地下壕内に入り、過酷な掘削工事の実態を見学しました。

生徒たちは、地下壕見学の前に、市民団体が運営する「もうひとつの歴史館・松代展示室」も訪問。スタッフの説明を聞くとともに、当時の作業を体で感じられるズリ(砕いた岩石)を運ぶ体験もしました。

また、生徒たちが事前に松代大本営について学んできたことを模造紙に書いて、地下壕入口の前で学習発表も行いました。生徒たちは在日朝鮮人として日本社会で生きていくための決意もアピールしました。

アスベストによる健康被害が深刻さを増している

県アスベスト対策センターが松本市で相談会を開設

面談・電話で8件の相談-多くが建設業で働く人から

2005年のクボタショック以降、アスベスト(石綿)問題が、労働現場でのアスベスト使用や解体に伴うばく露、中皮腫・肺がん発症など労働災害問題にとどまらず、一般市民にも健康被害を及ぼす危険性が明らかになり、重大な社会問題として認識されるようになりました。

アスベストによる健康被害は、40年と言われる長期間にわたる潜伏期間ののちに中皮腫、肺がんなどが発症するため、アスベスト大量使用時代に現役であった労働者や関連工場の周辺住民の健康被害が現代の問題として浮上しています。また、アスベストの吹付、建材に使用された建築物の解体時期を迎える問題も地域社会にとっては重要な課題です。高度経済成長時代の効率のみを追い求める社会風潮が生み出したアスベスト問題は、経済優先の「負の遺産」です。これからの時代は、何よりも人の命や健康を優先させる社会が求められています。

長野県内でもアスベストを扱う事業所での労働者のばく露問題や建築物に使用されるアスベストの解体・補修時の飛散問題など、大きな社会問題となっています。JR東日本では現役の社員がアスベストばく露により悪性胸膜中皮腫を発症、闘病のすえ死亡するという労働災害も注目を集めました。

また、2019年10月の台風19号では、東北信地域を中心に甚大な被害がでましたが、被災地に多くのボランティアが支援に駆け付けてくれました。アスベストが含有される建材をボランティアが扱う場面も見られ、長野市は、注意を喚起するチラシの作成やマスクを配布するなど、安全を確保するための対策を講じました。

「長野県アスベスト対策センター」は2018年4月に結成しましたが、「NPOじん肺・アスベスト被災者救済基金」(神奈川県)の協力により、長野県内の県民・労働者、関係事業者などを対象に7月17日、松本市勤労会館で面談・電話相談会を開設しました。相談会を通じて、アスベスト被害の実態を掘り起こすとともに、少しでも悩みや疑問がある人からの相談への対応や、健康被害で苦しんでいる人への救済制度の説明など、身近な相談センターとしての社会的役割を果たす目的で、今回が9回目となります。


建築物の解体工事や屋根をふく作業に従事した人から相談

相談会は10時から16時まで開設しました。相談は面談で4件、電話で4件(事前相談含む)あり、5件が建設業に携わる方からの相談でした。「屋根をふく作業をして、アスベストを含む建材を切断した」「内装業でアスベストが含有している壁ボードを張る作業をした」「昔、左官業をやっていて、壁塗り材にアスベストを混合する作業をした」「亡くなった父は鉄骨組みをしていて、アスベストの吹付作業もやったと言っていた」など、とりわけ建設業で働く人からの健康被害の相談が多くを占めました。

現在、アスベスト材の吹き付けや、アスベストを含む建材の製造は禁止されていますが、1960年代からの高度経済成長期にはビルの建築現場でのアスベストの吹き付けや、壁や天井に使用されるボードにアスベストが混合されていました。そのような建築物がこれから2020年代の後半にかけて、解体のピーク期に入ります。

アスベストの健康被害は、過去に終わった問題ではなく、これからの問題だと改めて実感した相談会でした。

面談相談は新型コロナ感染防止対策を取って実施。Zoomで神奈川県の相談員とつないで対応した。

相談会を事前に報じるNHK長野放送局のニュース(ホームページより)

労働組合があったから働き続けられた

権力弾圧に抗する全日建関西生コン支部が県内オルグ

県労組会議は7月15日~16日の2日間、全日建関西生コン支部第3次オルグを行いました。全日建連帯労組本部からは小谷野毅書記長、関西生コン支部からは組合員の松尾聖子さんが来県しました。初日は長野、須高地区を中心に各単組へのオルグ、夕方には報告集会、翌日は午前中松本地区の単組の仲間との意見交換会、午後は「21世紀の労働運動研究会」での講演と報告とハードな日程でしたが、熱い思いが伝わる2日間でした。

YouTubeのヘイト動画により、関西生コン支部は「反社会的」な労働組合であるような印象を持っている仲間もいましたが、オルグを重ねるごとにそのイメージは払拭されているように思います。

特に、松尾聖子さんが「シングルマザーとして3人の子どもを育て上げられたのは、男女同一の賃金が保障されたいたからであり、盆や正月など勤務日数が少ないと賃金が減ってしまうことを労働組合が交渉で解決してくれた。生コンは90分以内に運ばないと固まってしまうので、生理のときはズボンをよごしてしまうこともあり、2日間の有給の生理休暇を獲得したことは本当にありがたかった。労働組合があったから働き続けられた」「義兄が保育所入所のための就労証明をめぐって逮捕された際に関西生コン支部の組合員であるというだけで自分のところにも捜査令状なしで警察の組織対策課が『ガサ入れ』に入った。エアコンの室外機の下を探られ、下着までかき回された。悔しい思いをした。自分は何も悪いことはしていない。泣き寝入りはできない」と悔し涙で訴え、私自身も胸が詰まりました。

私鉄の女性組合員は「厳しい状況下で闘っているからこそ共感する」と話し、自治労の仲間も「自分たちがもっとしっかり運動をしていくことで支えていきたい」、国労の仲間からは「自分たちも攻撃を受けて全国の仲間に支えてもらった。共に闘いたい」など支援していく決意が述べられました。今回のオルグには映画監督の土屋トカチさんも同行され、この秋には松尾聖子さん主演のドキュメンタリーが公開されることを聞き、多くの仲間からぜひ地区や単組で上映会をやりたいという声もあがりました。

小谷野書記長は講演で「延べ81人の組合員逮捕、弾圧による脱退者が500人を超える厳しい状況にあるが、裁判の過程で弾圧の狙いは明らかに不当な、組合つぶしであることが明白になっており、『無罪』判決も出ている。潮目は変わっている」と話しました。

思い返せば、国労をはじめ、これまでも資本の側に都合の悪い労働組合への熾烈な弾圧は繰り返し行われ、人格や尊厳がふみにじられてきました。どんな人でも人格を否定されたとき、傷つき心が折れそうになります。それでも、闘いの中で、松尾聖子さんのように不屈の精神を持った仲間も生まれます。見て見ぬふりをして弾圧に加担するのか、立ち上がって闘う仲間を支えて労働者の尊厳を守るのか、問われています。

長野県平和・人権・環境労働組合会議 議長 松澤佳子

関西生コン支部の松尾聖子さん

全日建連帯労組本部の小谷野毅書記長

映画監督の土屋トカチさん

 

 

長野電鉄労組

アルピコ労組川中島バス支部

国労車両所支部

国労長野地方本部

長野市職員労組

支援集会で松尾聖子さんと

自治労県本部

松本市での懇談会

若者がヒロシマの火をもって県内を疾走

8月10日まで反核平和の火のリレーを実施中

県労組会議青年女性連絡会や民主団体でつくる県平和友好祭実行委員会は、核廃絶や平和の大切さを訴えてランナーが県内を回る「反核平和の火リレー」を実施中です。

7月13日には、松本市役所で出発式が行われ、火が燃えるトーチを持ったランナーが走り出しました。トーチに灯した火は、広島の平和記念公園で燃え続ける「平和の灯」から採火したものです。県平和友好祭実行委員会の高頭千江子委員長 は「ロシアのウクライナ侵攻があり世界平和を願う声が上がっているので、それを胸にゴールまで走り継いでいきたい」と話しています。今年は約600人のランナーが交代で走り、県内77市町村すべてを回って、ゴールの辰野町(8月10日)をめざします。

トーチを持った青年・女性を見かけたときは、声援をお願いします。

松本市役所での出発式

県庁に入るランナー

ミャンマーを忘れない-善光寺仁王門で支援募金

御開帳訪れた観光客に呼びかけ、1時間半で13万円の善意

6月11日、ミャンマー民主化を支援する信州の会(代表=若麻績敏隆・善光寺白蓮坊住職)は、御開帳で賑わう善光寺仁王門でミャンマー民主化支援の募金活動を在日ミャンマー人の皆さんと一緒に行いました。

ミャンマーの国軍・軍事クーデターから既に1年4カ月。警察・国軍による暴力的な鎮圧によって、2,000人を超える市民が虐殺され、大規模デモができないように強圧的な警備体制が敷かれています。そのなかでも、市民は小規模・短時間のデモやサイレント・ストライキなどで粘り強い抵抗を続けています。

ロシアのウクライナへの軍事侵攻の報道が連日続いているなか、ミャンマー民主化問題への関心が薄れてきています。しかし、ミャンマーに自由と平和はいまだ回復していません。ウクライナでもミャンマーでも犠牲になっているのは市民であり子ども達です。

ミャンマーを忘れない!ミャンマー民主化を支援する募金は、この日、1時間半で13万67円の善意が寄せられました。十分な食べ物もなく避難を余儀なくされている市民をはじめ、子ども達に、食料・医療などを届けるために活用させていただきます。

善光寺での募金活動は代表を務める若麻績住職の手配で実現しました。

募金活動の後、15時から善行寺本堂で犠牲者を弔う法要も行われました。参加した31人の一人ひとりの名前を読み上げてもらい追悼しました。

信濃毎日新聞(2022年6月12日)

仁王門の下には多くの観光客が

在日ミャンマー人も募金を呼びかけた

募金をしていただいた方には特製のポケットティッシュを贈呈

回向柱の前には行列が

 

 

 

市民と野党の統一候補・杉尾ひでやさんが再選!

7月10日、参院選の投開票が行われ、市民と野党の統一候補・杉尾ひでやさんが自民党候補に約5万票の差をつけて再選を果たしました。支援をいただいたすべてのみなさまに感謝申し上げます。

しかし、全国的には自民党が圧勝し、参議院での改憲勢力は3分の2を超えました。今後、政治が暴走しないように国民・労働者の監視体制が重要です。信州の地から9条改憲と大軍拡を許さない声を中央政治に届けましょう。

参院選 大激戦!最後の4日間で勝敗が決する

立憲野党・リベラルな議席を何としても守り抜こう!

杉尾ひでやさんへ最後の支援を!

参院選長野県選挙区の最終盤の情勢は、市民と野党の統一候補・杉尾ひでやさんと自民候補がまさに横一線。大激戦です。

残る4日間の行動次第で、勝敗が決することになります。

信州市民連合は、共同代表の又坂常人さんからの終盤アピールを発表しました。

参院選の争点③ 新自由主義政策の転換こそが求められている

岸田「新しい資本主義」はアベノミクスの焼き直し

本当の意味での「再分配」政策を

2年半以上続くコロナ禍は、非正規労働者や女性、ひとり親家庭、外国人労働者など社会的に弱い立場に置かれている人々の労働と生活を直撃しました。社会活動や経済活動が正常に動いているなかでは表面化しなかった事態が、コロナ禍によってあぶりだされています。

このような危機的な事態を生み出した原因は、ここ数十年、日本の基本政策として政府・自民党が続けてきた「新自由主義政策」にあります。社会・経済のあらゆる分野に「競争」と「市場主義」を持ち込み、「公助」を切り捨て「自助」と「自己責任」を強いる政策は、強い者はより強くなり、弱い者はより弱く、富める者はますます富を蓄積し、中間層は解体されていきました。これにより、日本社会には、格差と貧困が広がり、新たな「階級社会」が出現してしまいました。

コロナ禍は、この日本社会の“不都合な真実”を多くの人々の前にさらけ出しました。

岸田政権は「新しい資本主義」を打ち出していますが、この30年間の新自由主義政策の反省、批判的な総括がないなかでは真の意味での政策転換とはなりません。参院選では、格差と貧困を拡大し、大企業や富裕層だけが優遇されてきた新自由主義政策の転換こそが求められています。そして日本社会を公助や共生、格差是正のための再分配、助け合い社会へ転換していく契機にしていく必要があります。