21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

被爆78周年原水禁世界大会(広島)~長野県代表団報告~

8月4日から6日にかけて広島市で開催された原水爆禁止世界大会・広島大会に、長野県原水禁代表団として22人が参加しました。

今年はコロナ禍で中断されていた子ども代表団が復活し、県内在住の小学生から高校生の参加者6人(保護者同伴)が、子ども慰霊祭や、平和公園の慰霊碑フィールドワーク、広島で学んだことを新聞や劇で表現するワークショップに参加しました。

式典の準備がすすむ平和記念公園

いくつもの川が流れる広島の街

今も広島市内を走る「被爆電車」

8月4日(1日目)

初日、長野県代表団のメンバーは原爆資料館(広島平和記念資料館)の南側に集合して、大人参加者は折鶴平和行進・開会総会に参加し、親子参加者は原爆資料館を見学しました。広島市に滞在した3日間は連日天候にめぐまれましたが、高い気温と湿度が続くため熱中症にならないように気をつけながらの滞在になりました。

炎天下での折鶴平和行進

原爆資料館に入館するまでには長い行列ができ、各国から訪れた方々で混雑していました。14万人という数字ではなく、ひとりひとりの犠牲者がどんな人生を歩み、どんな最期を迎えたのかがクローズアップされた展示となっていました。さまざまな角度から「あの日、広島で起きたこと」を伝える展示となっており、滞在した一時間半では到底回り切れない内容でした。展示物の前に立ち止まり涙を流している方もいらっしゃいました。

夜の交流会では、自己紹介の際に、それぞれどんな思いで参加したか、今日の感想などを述べ合いました。子どもたちは大勢の大人の前で緊張しながらもがんばって話しました。若い世代の参加者からは「正直、観光目的で参加したところもあったけど、今日、被爆者の方からお話を伺えて来てよかったと思いました」と正直な感想がきかれ、実際に広島を訪れることの大切さが共有されました。

8月5日(2日目)

二日目は、大人参加者は希望する分科会に参加しました。親子参加者は、早朝から子ども慰霊祭に参列しました。全国各地から集まった子どもたちと一緒に黙祷を捧げました。各県の子ども代表団が順番にそれぞれ献花し折鶴を納めました。長野の子どもたちも持参した折鶴を納め献花し、子ども代表団の高橋さんが献詩を捧げました。

【長野原水禁子ども代表団・髙橋樹貴亜さんの献詩】

八月六日 八時十五分
たった一発の原子爆弾が十四万人の尊い命を奪いました。

私と同じ十代の若者の犠牲者も一万五千人以上にのぼりました。
亡くなられた若い皆様は、未来という夢と希望に満ちあふれ、胸を膨らませ青春を謳歌していたことでしょう。

夢を果たせなかったことを、同じ若者として、大変、胸が痛みます。
皆様が負った大きな大きな傷を和らげる唯一の方策は、悲惨な戦争を二度と引き起こしてはならないことです。

しかしながら、世界では、核使用をちらつかせ、自国主義、軍拡といった風潮になりつつあり、既に、悲惨な戦争が引き起こされていることは、誠に、残念で仕方がありません。

ただ、我々ができることは、唯一の被爆国として先人達が訴え続けた平和の尊さ、戦争の悲惨さを、しっかり受け継ぎ、平和に感謝し平和を守り、次の世代へ引き継いでいくことだと思います。

平和は、もたらされるものではなく、自ら作り上げるものだと思います。
どうか、皆様、私達を、天国から見守っていてください。

長野県代表団の子どもたち

 

平和公園内の慰霊碑を巡るフィールドワーク

慰霊祭終了後は、平和公園内に建立されている慰霊碑を被爆2世の上野さんに案内していただきながら、それぞれの慰霊碑やモニュメントの背景や歴史について伺いました。

公園内にはたくさんの慰霊碑がありました

平和公園がある場所には、もともとはいくつかの町があったそうで原爆の投下によって、壊滅し大勢の方々が亡くなったそうです。その方々の日々の営みがあった土地をそのまま踏むことはできないと、盛り土をして公園が造られたと教えていただきました。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑では、日本人だけでなく多くの朝鮮人の方が原爆で亡くなったこと、名前もわからない方も大勢いることを学びました。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で

平和の鐘の周囲には火傷の傷を癒すという蓮が茂っていました

原爆の子の像の周囲には世界中から集まった折鶴が

佐々木禎子さんの同級生らによる募金運動により作られた原爆の子の像

禎子さんが折鶴を折った薬包紙を知らない子どもたちに説明

平和の灯

広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)

一年に一度、死没者名簿を守るため天日干しされるという

国立広島原爆死没者追悼平和祈念舘

 

ダイ・イン

フィールドワークの終盤、原爆ドームに集合した子どもたちがダイ・インを行いました。 ※ダイ・イン(die in)参加者が死者になりきることで行われる抗議の一形式。

 

被爆2世の方のおはなし

午前の部の最後には、ご家族を原爆で亡くした被爆2世の女性の方からお話を伺いました。原爆投下によって、コミュニティが丸ごと破壊され、身近な家族が突然いなくなってしまったこと、年月が経過しても大切な家族を亡くした悲しみは癒えないことをお話くださいました。子どもたちは静かに耳を傾けていました。

被爆2世の方のおはなし

 

大学生企画ワークショップ

午後の部では、子どもたちは高校生平和大使を経験した大学生が中心になって企画されたワークショップに参加しました。それぞれが見て感じたことを劇や新聞や絵で表現するという内容でした。

大学生たちからそれぞれの企画の魅力についてアピール

子どもたち悩みながら決めました

長野県から参加した子どもたちは新聞作りとうちわに絵を描くワークショップを選びました。長崎県から参加している高校生のスタッフさんのサポートを受けながら、原爆ドームや慰霊碑や折鶴などを描いていました。普段、関わることの少ない大学生や高校生とのやりとりも子どもたちにはいい経験になったようでした。

夜の交流会では、子どもたちも打ち解けてきて、大人たちに質問したり、おしゃべりしたりして楽しい時間を過ごしていました。

ライトアップされる京橋

8月6日(3日目)

日程の最終日は、代表団全員で、朝から原爆ドームに向かいました。一年で最も広島市が混雑する日でもあり、路面電車での移動が心配されましたが、無事に8時前に原爆ドームにたどり着けました。

原爆投下時刻に黙とうする長野県代表団

原爆ドーム周辺は、前日、前々日と打って変わってデモ隊や機動隊が並んで喧騒に包まれていました。子どもたちも緊張した面持ちでしたが、原爆ドーム前のスペースに、長野県代表団全員が集まることができました。原爆投下の時刻にあわせて黙祷を捧げました。地元のテレビ局にも取材され、子どもたちはしっかりと受け答えしていました。

広島市立こども文化科学館

その後、大人参加者は閉会集会に参加しているあいだ、親子参加者は「こども文化科学館」を見学しました。子どもたちは、長野と異なる湿度の高い広島の気候にぐったりする日々が続いていましたが、科学館では思い思いに展示物に触れて遊んだり、走り回ったりして楽しんでいました。

最後に、原爆ドームに再度集合して相生橋から集合写真を撮って解散しました。
酷暑の広島での日程でしたが、ひとりも体調不良等になることなく終えられました。

来年度以降も実施予定です。
ぜひご参加ください。

 

【参加者の感想】

・7年前、小学校4年生の頃、原爆資料館や原爆ドームを訪問しましたが、まだ、小学生であったことと、年数も経過し、記憶が薄らいでいたことから、今回、改めて、原爆投下日に広島を訪問し、原爆、戦争を考えたいと思い、参加させていただきました。本当に密度の濃い3日間で、言葉では表せられないような気持になって、長野県に戻ってきました。(高校生)

・原爆ドームの前でのダイ・インでは、ここに78年前、原爆が投下されたんだ。自分は今、被爆された方と同じ場所に倒れている。何とも言えない気持ちにかられました。水を求めて、原爆ドーム前の川は人であふれかえり、多くの死体が転がり、服は燃え、目はたれ落ち、そこに自分は今、いる。なぜ、何の罪もない一般市民までも、そんな仕打ちにあわなければならないのかと。。
改めて、平和の尊さ、戦争の愚かさを感じ、こんな戦争、2度と繰り返してはならないと、強く、心に刻まれました。(高校生)

・広島平和記念資料館にいって原爆が落とされた町の風景や亡くなった人たちの物や原爆がどのくらいデカいのかとかも知れたし亡くなった人の名前や顔とかもあって小さい子から大人まで皆亡くなってしまったということが分かりました。やっぱり原爆は怖いなと思いました。(小学生)

・いつか平和記念公園・原爆ドームは行かないといけないと思っていましたが、大事な日に広島に行けたことはとても貴重な経験となりました。とても勉強になりました。(20代)

・原爆の投下された地で、その恐ろしさや悲惨さを目の当たりにしました。とても貴重な機会で多くのことを学ぶことができ、有意義な時間でした。(20代)

・3日間、大会に参加し、核について少しばかり自分には無関係と思っていましたが、それが身近な脅威であると感じました。そういった危機感を感じることができ、本大会は私にとって充実したものとなりました。(20代)

・漠然としていた「戦争・原爆」への印象が覆されました。今までに、戦争や原爆、平和について学ぶ機会は多々ありましたが、実際に当時の物を見て体感するのは高校生の時に訪問した沖縄県への修学旅行以来でした。改めて、学び・体感したからこそ、二度とこのような出来事を起こしてはいけない、忘れてはいけないと強く感じました。現在、世界で起こっている戦争。自分の置かれている環境が恵まれており、同じ時代の出来事ではないのではと錯覚してしまいます。「戦争」について、別世界の話だと目を背けるのではなく自分も学び体験したからこそ、何かできることはないのかともどかしさを感じました。(20代)

・当時の様子を聴く中で「本当は思い出したくないし、話したくないが、このような出来事があったことを知ってもらうために今ここにいる。」と言う話があり、当時を振り返り「戦争・平和」を世界へ発信しなければいけないと感じる反面、訴えることへの苦悩に何とも言えない感情を抱きました。(20代)

・とっても良かったという表現が間違いかもしれませんが良い経験になりました。(40代)

・原爆が落とされた日と同じような暑さだったこと、8月6日という日の中心に自分たちがいたこと、その日に広島に行っていないと感じられない感情を感じることができました。(50代)

・子供たちと参加させていただきありがとうございました。資料館など見学をして子供たちも原爆がいかに危険なものか学ぶことができました。(40代)

・真夏の太陽が照りつける中、原爆資料館を始め、被爆2世の方々によるフィールドワーク、子供慰霊祭、グループワーク等、大変密度の濃い3日間でした。改めて、戦争の怖さ、原爆の恐ろしさを感じました。(50代)

【参加したことがない方へのメッセージ】

・普段はあまり原爆等について考えないかもしれませんが、そういう人にこそ是非参加していただきたいと思います。(20代)

・良い経験になるのでぜひ行ってみてもらいたい。8月6日に行くことの意味を体感してほしい。(40代)

・一度、広島に来てみてください。そして、今の平和の有難さ尊さを実感しましょう!(50代)

・広島に行くことで何かを感じることができます。その何かは人それぞれですが、広島に行くことで何かを感じることは、私が約束します。(松田元伸代表団団長)

 

国・東電による『放射能汚染水』海洋放出反対8.27全国行動

福島県いわき市小名浜で反対集会が開催されました

ここ数週間のうちに、汚染水の海洋放出が強行に進められ、とうとう8月24日に放出が開始されました。連日、そのニュースが流れ、全国的にも注目が集まっているようです。

小名浜港とアクアマリンふくしま

準備の様子 ぞくぞくと集まってくる参加者

8月27日(日)、地元、福島県いわき市で海洋放出反対全国集会が行われると聞き、長野県原水禁の代表として参加してきました。

集会は、10数団体からのリレートークが行われ、地元の漁業者の訴えをメインに韓国の国会議員や県内外の参加団体、最後は、立憲民主党・社民党・共産党の議員さん達が話されました。

漁業者の方のお話は、ろくに話し合いも説明もないまま強行する政府と東電に憤り、安全というならなぜ東京湾に流さないのか、漁民としての子ども・孫の将来はどうなるのかと訴えました。

私(草野)もリレートークに参加し、311子ども甲状腺がん裁判の情報を伝えることができました。トーク後、元保育士の方に詳しく知りたいと声をかけられ、311子ども甲状腺がん支援ネットワークのことを話しました。未来ある次世代のことを考えると、居ても立っても居られないという感じでした。

実行委員会本部受付

社民党党首福島みずほさんも参加

小雨がそぼ降る中、すぐそこに広がる美しい海を見ながら、500人を超える参加者が熱い想いを共有しました。

 
 
 
 
 

 

 

311 子ども甲状腺がん裁判第6回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第6回口頭弁論が6月14日、東京地裁で開かれました。

小雨の降る中、74席の傍聴席に対して190人が抽選に並びました。この日の東京地裁前アピールには、大阪から路上ライブアーティスト(東耕大さん)がオリジナル曲「甲状腺がんの歌」を披露してくれたり、集まっている支援者も若い世代の方が増えてきたように感じました。また、日比谷コンベンションホールでの支援者集会では弁護団のお知り合いのシンガソングライター・矢野絢子さんに、この裁判を広く知ってもらうために作ってもらったテーマソング『BlueBlueBird』という曲が会場に流されました。♬これは戦いではなく ただ知ってくださいと・・・怒りの狼煙ではなく 忘れないで下さいと・・・とても素敵な曲です。(以下のyou tubeで聴くことができます。)

 

【第5回、第6回口頭弁論の傍聴報告資料】

                                      

311子ども甲状腺がん裁判第5回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第5回口頭弁論が3月15日、東京地裁で開かれました。

今回の公判で原告すべてが意見陳述を終えた

今回の裁判をもって、原告全員が陳述をしたことになります。この日は、原告1番、20代後半の男性と原告3番の原告団長の意見陳述でした。

原告1番の男性は、事故当時高校1年生で、いつでも避難できるようにと準備しつつも地元での生活が続きました。大学1年の時に一斉検査を受け、再検査で甲状腺乳頭がんと診断されました。お母さんが医師と話している診察室の外で、スマートフォンで必死で【乳頭がん 死亡率】と検索したそうです。どんなにか彼の頭の中はパニックだったことでしょう。不安な中で手術を決断し、無事に手術を終えたその日の夜中、麻酔が切れた途端に激痛に襲われました。すぐに追加の鎮痛剤を投与してもらい、退院後の1週間は鎮痛剤なしには食事ができなかったそうです。裁判に参加した理由は、大学卒業後、就職で上京した際に、原発事故後に甲状腺がんになった人達の集まりに参加し、甲状腺がんで苦しんでいる人たちの手助けができればと思ったからです。今回の裁判で彼は、原告が納得できる判決をと強く望んでいます。

原告3番の女性の意見陳述は、こう始まりました。「今日は3月15日。12年前のこの日、午後3時を過ぎたちょうど今頃の時間。私の住む町に、高濃度の放射性プルームが襲ってきました。」皮肉にも、もっとも高濃度の汚染があった日でした。事故当時中学3年生だった彼女が、12年後、まさかこのような裁判の原告団長となっているとは、想像もできなかったでしょう。地元のテレビ局が「放射能は花粉みたいなもの」と放送していたり、枝野官房長官が「直ちに健康に影響はありません」と記者会見で話していたことに対して家族はそんなはずはないと言っていたこと、県内の子どもに配られるのではと聞いていたヨウ素剤が、実際は福島県立医大のお医者さんとその家族のみに配られたこと・・・彼女の中で少しずつ不信感が募っていきました。また、放射能の話をすると気にしすぎという態度を取られるので徐々にしなくなったなどと語られました。憧れの東京の大学生になってから、体調が少しずつ悪くなっていき、検査でがんと診断され、3年の時に手術を受けます。その後も体調を崩しやすく、広告代理店に就職が叶ったにもかかわらず、一年半で退職せざるを得ませんでした。

彼女に裁判を決意させたのは、告知後すぐに「このがんは、福島原発事故との因果関係はありません」と釘を刺された時です。この時の強い不信感が、彼女を裁判に駆り立てたそうです。

当時まだ子どもだった何の責任もない彼らたちに、このようなつらい経験をさせなくてはならない現実に、ひとりの大人として申し訳ない気持ちと、そうさせている張本人、国と東京電力に強い憤りを感じます。少しでも多くの方にこの裁判について知ってもらうために運動し、今後もこの裁判に注目していきたいと思います。

 

裁判が始まる前の地裁前のアピール行動で、原告のお礼の音声が流されました。

 

 

地裁前アピールの様子

地裁前アピールでの井戸弁護団長

 

 

アイリーン・美緒子・スミスさん

第5回公判報告集会

 

 

今回の裁判は「勝った!」感触が強いと話す海渡副団長

 

第8準備書面(只野靖弁護士)

第9準備書面(井戸謙一弁護士)

第10準備書面(田辺保雄弁護士)

 

「新たな戦前」としないために 憲法記念日に各地で集会

憲法施行から76年目を迎えた5月3日(憲法記念日)、憲法の価値を再確認し、護り活かす取り組みを強める集会が長野市・松本市・駒ヶ根市でそれぞれ開かれました。政府は昨年12月、安保関連3文書を閣議決定し、敵基地攻撃能力の保有や防衛費の大幅増に踏み込みました。ロシアによるウクライナ侵攻や東アジアの緊張感の高まりを理由としていますが、審議を尽くしたとは言い難く、国是としてきた平和主義を転換する動きが加速されています。各地の集会では、「新たな戦前」とも指摘される現状への危機感が強調されました。

「戦争ができる国」から「戦争をする国」へ

松本市の講演会で石井暁さん(共同通信記者)が指摘

3日午前の松本市での講演会

午後には松本駅前で集会

松本市の会場では、共同通信社専任編集委員の石井暁さんが、「『戦争ができる国』から『戦争をする国』へ」と題し講演を行いました。石井さんは、安倍政権下で強行された集団的自衛権の行使容認により、日本が「戦争ができる国」になり、岸田政権による敵基地攻撃能力(反撃能力)保有を明記した安保関連3文書改定で「戦争をする国」になったと指摘。台湾有事が現実となった場合には、「自動的な参戦が可能となった」と、日本が戦争の当事者となる条件が揃ってしまった状況に危機感を示し、戦争を回避するためには、軍拡を進めるよりも「外交努力が必要」と訴えました。

憲法くんの誇り「他の国の人を殺したことがない」

駒ケ根市で松元ヒロさんが爆笑ライブ

松元ヒロさんの公演

松元ヒロさんのトークで会場は大いに沸いた

駒ヶ根市の会場では、「テレビでは会えない芸人」とのタイトルで映画にも取りあげられた芸人・松元ヒロさんのライブが開催されました。松元さんが日本国憲法になりきる「憲法くん」の舞台を鑑賞し、平和憲法の大切さを共有する機会としました。擬人化された「憲法くん」は、改憲へ前のめりとなる動きについて「私が生まれた時のことを思い出して。国中が喜んでいたはず」と語り、平和主義が謳われる憲法前文を暗唱。「この76年間、戦争で他の国の人を殺したことがない。そのことを誇りに思う」と力強く語りました。

「無自覚な被ばく」が広がる社会に

長野市で鎌仲ひとみさん(映画監督)が講演

長野市での講演会には全体で70人が参加

鎌仲ひとみさん

長野市の会場では、核の被害を取り上げたドキュメンタリー作品を手掛ける映画監督で辰野町在住の鎌仲ひとみさんが「暮らしの中にある核と私たち」と題し講演しました。鎌仲さんは米国の核兵器製造工場の周辺で取材した被ばくの実態を報告。住民に健康被害が広がりながら、被ばくに無関心ゆえ被害が拡大している状況に触れ、「核兵器開発国を中心にグローバルに放射能汚染が進み、加害者と被害者の区別がなくなっている」と指摘。日本でも原発の60年運転延長など暮らしの中に被ばくの要素が潜み、「無自覚に被ばくしていく」と警鐘を鳴らしました。原発は深刻な事故が起きれば、生命・生活基盤に重大な被害を及ぼし、憲法が規定する人格権を奪う、さらには潜在的核兵器製造能力の保有といった問題も強調されました。講演を通じ、平和・反核運動の拡大を確認しました。

(機関紙「自治労ながの」から引用)

ロシアのウクライナ侵略から1年-長野駅前スタンディング

2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から1年となる2月24日(金)、長野駅前で、戦争をさせない1000人委員会、憲法9条を守る長野県連絡会など6団体と長野県社会保障協議会が合同で、武力攻撃の即時停止、停戦の実現を求める抗議行動を行いました。約60人が参加しました。

長野駅前でプラカードや横断幕を掲げてアピール 

ヨーロッパへ避難したウクライナ難民は816万人以上

ロシアによるウクライナ侵攻によって、ウクライナに住む人々の日常は一変しました。多くの女性や子どもが犠牲になり、国内・国外へ多くの難民が生じています。
この1年の間に、ウクライナからヨーロッパへ避難した難民は816万人以上(2023年4月時点UNHCR[国連難民高等弁務官事務所])に上ります。
また民間人の死者は8490人、負傷者は1万4244人確認されたと発表されています(2023年4月9日時点OHCHR[国連人権高等弁務官事務所])。
しかし、国際機関も戦闘地域に近づけないため、集計値は氷山の一角に過ぎず、実際の死者数・負傷者数はさらに多いとしています。

核兵器の恐ろしさを知る日本国民として

どんな理由があっても、主権国家への一方的な武力行使、軍事侵攻は、国際法違反・国連憲章違反であり認めることはできません。ロシアは国連安保理の常任理事国でもあり、責任ある行動が求められています。
また繰り返し核兵器使用をほのめかす発言や、核兵器搭載可能なミサイルを使用した軍事演習など、核による威嚇を繰り返していることも、核兵器の恐ろしさを知る日本国民として決して許すことはできません。
さらにロシア軍はヨーロッパ最大規模のザポリージャ(ザポロジエ)原発の占拠を続けており危機的な状況が続いています。原発事故の恐ろしさを知るロシア・ウクライナでこのような危機が起きている現状は恐ろしいことです。ロシアはただちに軍事侵攻を中止し、ウクライナや関係諸国と平和的な解決を図るべきです。そして平和国家として歩んできた日本にも大きな役割があるはずです。

武力より対話を

今回の抗議行動では、参加者一人ひとりが、「NO WAR」、「和平実現」などと書かれたプラカードを掲げ、「ロシアのウクライナへの軍事侵攻に抗議します」、「即時停戦」などと書かれた横断幕を広げてスタンディングを行いました。
主催者を代表して、長野県憲法会議の細尾俊彦さん、長野県護憲連合の松澤佳子さん、長野県社会保障協議会の原健さんが挨拶しました。また私鉄長野県連の若林茂さん、長野県教職員組合青年部の近藤拓也さん、憲法9条を守る長野県民会議の山口光昭さんがアピールを行い、それぞれの反戦・平和への思いを訴えました。

市民にアピールする若林私鉄県連委員長

街頭で掲げたプラカード

「平和が大事」という子どもの声

通りがかった高校生の男の子たちからは「平和が大事だよね」などという声も聞かれました。
どこの国であろうと未来ある世代が戦争に巻き込まれることは悲惨なことです。
大人たちの責任として今後も平和を守るための行動を行っていきます。

福島原発事故から12年の3.11脱原発長野大行動

東日本大震災から12年が経ちました。同時に福島原発事故からも12年という年月が経ってしまいました。

今や、岸田首相の進める原発回帰の政策、再稼働に新増設、老朽原発の運転延長、原発事故が起きた2011年とは真逆の状況が今の日本にあります。

市民団体や県原水禁などでつくる3.11脱原発長野行動実行委員会では、そんな状況を一掃するために今年も集会とデモ行進を行いました。

       

 

温かな日差しの中で約200名が参加

ここ数年のコロナ禍による制限も緩和され、今年は音楽ひろばも再開されました。会場も、例年の南千歳公園から、ながの表参道セントラルスクウェアに変わりました。新たな会場に不安もありましたが、音響設備も充実していたり、通り沿いのため歩いている人から目につくこと、公園を利用している家族連れの方たちへのアピールにもなったことなど、とてもよい会場でした。

 

音楽ひろばで2団体が演奏

集会前段の音楽ひろばは、まずは日本音楽協議会長野県支部の皆さんによる歌と演奏でした。透き通った声が会場いっぱいに広がり、爽やかな歌が周りで遊んでいた親子の皆さんの耳にも届いていたことでしょう。

コロナ前まで例年参加していた長野合唱団の日程調整がつかず、急遽参加してくれた「アコースティック・デュオ 和久島(わくじま)」のお二人も、ギターのセッションで大いに盛り上げてくれました。

日本音楽協議会長野県支部の皆さん

アコースティック・デュオ 和久島のおふたり

 

 

 

 

 

 

 

 

共同代表のあいさつ

あいさつする青山 正さん

3人の共同代表・脱原発共同学習会の

青山 正さん、”原発に頼らない未来をつく

ろうプロジェクト” の田澤 洋子さん、

圓光寺住職 中島 清さんがそれぞれあいさつ

されました。

 

特別アピール、3.11福島子ども甲状腺がん裁判の報告

報告する間宮書記(右)と草野書記

現在、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時子どもだった7人が東京電力に賠償を求める裁判が行われています。
福島の子ども甲状腺がんの現状について、福島の子どもたちへの保養支援の経験をもつ間宮正博書記から、原発事故の自主避難者で自身の子も甲状腺検査を受けている草野麻理子書記から、事故当時の経験と裁判傍聴の報告がされました。

 

報告の終盤では、録音されたそれぞれの原告の声を流し、今現在彼女たちが何を思い、どんな経験をしてきたのか、リアルな言葉を聴くことができました。会場にいた皆さんの胸に響いたのではないかと思います。

☟原告の声はこちら

 

右翼の妨害にも負けずにパレードやり切りました

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

集会終了間際に右翼の街宣車2台が現れ、大音量のスピーカーで演説と音楽が流されました。かなり長い時間会場前の道路に居座り、私たちへの妨害を続けました。その後予定時間をだいぶ過ぎてようやくパレードに出発しましたが、右翼の妨害は繰り返されました。街宣車は一旦去っても何度も後ろから現れ、パレード参加者だけではなく周辺の通行人に対しても威圧するような罵声を浴びせ続けました。

それでも脅しに負けず、最後まで「原発止めよう!」とシュプレヒコールを上げながらパレードをやりきることができました。

原発と右翼、こんなとこでつながっているとは・・・あらためて原発がいかに暴力的なものに守られているかをまざまざと見せつけられました。
これからも長野の地で妨害に屈せず脱原発の声を上げ続けていきます。

パレード出発を阻む右翼の街宣車

警察官は話しかけてはいたものの何ら実質的な制止行動をとらず。

 

福島の子どもたちを支援する4団体に170万円を寄付しました

県原水禁 2年分の盛岡レーメン共同購入運動の収益金を

東京電力福島第一原発事故による放射能汚染の影響を受けている子どもたちを支援するため、県原水禁は昨年5月から7月にかけて盛岡レーメンの物資販売に取り組みました。県原水禁を構成する団体や地区組織のみなさまにご協力をいただけたことで、昨年度および今年度の取り組みから170万円の寄付金を捻出することができました。寄付金は、今年1月13日と1月23日、福島の子どもたちを支援する活動に取り組む4団体に直接手渡しました。

「311子ども甲状腺がん裁判」第4回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第4回口頭弁論が1月25日、東京地裁で開かれました。

東京地裁前アピール(入廷前の弁護団の皆さん)

昨年11月に開催された脱原発2022 in信州でOurPlanet-TV代表・白石草さんに講演していただいた内容の裁判になります。

市民集会・脱原発2022 in 信州「誰にも言えず、苦しんできた~福島甲状腺がん患者の現実~」白石草(OurPlanet-TV)講演会

原告側が提出したのは、黒川眞一高エネルギー加速器研究機構(KEK)名誉教授の意見書。福島第一原発事故当時の放射性物質の詳細なデータはあまり残っていないものの、KEKの平山英夫教授(当時)ら、研究グループが、原発から60キロ地点にあった福島市紅葉山のモニタリングポストに1時間ごとの核種別の線量が残っていたことに着目し、大気中の放射性ヨウ素131の濃度を算出した論文が存在していることを指摘した上で、その時間ごとの濃度をもとに、1歳の子どもの吸引による被曝線量を推計。その結果、最も放射線量が高かった3月15日から16日の数時間にかぎっても、約60ミリシーベルトの内部被曝をしたと主張しました。UNSCEAR(国連科学委員会)の報告書をもとに、原告らは10ミリシーベルト以下の被曝しかしていないとする被告の主張は、あまりに過小評価であり、信頼性が低いと指摘しました。

このあと原告2人が証言台に立ち、意見陳述をしました。事故当時、中通りで生活していた 20代の男女ひとりずつで、男性はこれまでに4回の手術を経験。7時間におよぶ2回目の手術では、「死んだ方がましだ」とさえ考えた苦しみを、涙声で訴えました。

もう一人の女性は、1年前の裁判提訴の新聞記事を見て原告団に加わった経緯に触れ、自分と同じような境遇の患者による裁判の存在により、心が救われた思いを吐露。女性は、「坂本三郎さん、野口晶寛さん、原健志さん。」と裁判官の名前を一人ひとり呼び、「私たちは今、匿名で闘っていますが、一人ひとり名前があります。私の名前はわかりますか。」と問いかけ、「かつての私のように、裁判官の皆さんにとっては、ひとごとかもしれません。私がそうだったから、痛いほどわかります。でも、私たちがなぜこのように立たざるを得なかったのか。それだけでも理解してほしいです。」と声を振り絞って訴えました。

報告集会には、抽選に漏れてしまい裁判を傍聴できなかった多くの方が参加し、意見陳述の音声と準備書面の説明動画が流され、また弁護団ひとりひとりから報告がありました。

報告集会の様子(日比谷コンベンションホール)

京都から駆け付けたアイリーン・美緒子・スミスさんもマイクを取られ、「原告の方たちの生の声を、日本中の人に聞いてもらいたい。今日、ここに参加の皆さんは、このことを誰に伝えるかを、今、決めてほしい。そして集会が終わったら発信しましょう。みんなでがんばりましょう」と話されました。

アイリーン・美緒子・スミスさん

担当弁護士が原告の意見陳述の様子を報告されました。

原告4担当・北村弁護士

井戸弁護団長からは「被告の主張は、UNSCEAR報告に全面的に依拠している。UNSCEARは必ずしも中立的な機関ではない。推測値に基づいて10mSv以下だからがんにはならないと主張しているが、実は、福島市のモニタリングポストに大量被ばくの実証データがあった。呼吸だけで60mSvになる。この被告の主張の根幹を崩すことが重要」とし、

さらに、「この裁判についてはメディアの扱いは小さく、ほとんど報道もされない。知らない人の方が多い。多くの人に知ってもらうという法廷の外での戦いも必要だ」と訴えられました。

報告集会で話す井戸弁護団長

次回の第5回口頭弁論期日は3月15日(水)14時から東京地裁103号法廷で開かれます。第6回期日は6月14日、7回期日は9月13日に決まりました。

また、署名活動を受けてこれまでの法廷から大法廷(一般傍聴人席はこれまでの26席から75席へ)で審理が行われることとなったそうです。

原告の皆さんの「何が起こったかを知りたい」との思いで開始された裁判の行方を、今後も注目していきたいと思います。

最後に筆者自身も福島県からの自主避難者で、子どもたちは県民健康調査を受けています。 傍聴して感じたことをここに記載させていただきます。

裁判を傍聴して感じたこと

 

2023年もよろしくお願いいたします

平和と民主主義、人権、労働者の生活と権利を守るために

2023年、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年1年間は、2年間にわたるコロナ禍により、非正規雇用労働者や女性、ひとり親家庭、在日外国人労働者など、社会的に弱い立場の人々の生活や仕事へのダメージが長く続き、生活に困窮する人たちがさらに増加しました。一方で、コロナ下でも大企業や富裕層は富を蓄え、社会的・経済的な格差はさらに広がったというのが実感です。

また、岸田文雄政権は、ハト派の宏池会に所属し、被爆地・広島の出身を前面に押し出し、「聞く力」を強調してきましたが、その反動的な本性が明らかになった1年でもありました。法的根拠のない安倍元首相の「国葬」の強行、戦後日本の専守防衛を基本とする防衛政策を大転換させる「敵基地攻撃能力」の保有や防衛費の倍増方針の策定、3・11以降、政府がエネルギー基本計画に掲げた「原発依存度の低減」を空文化する原発政策の大転換による原発再稼働の推進、老朽原発の運転延長、新増設と建て替えの推進などを決めてしまいました。このような重要政策の転換が、国会でも十分議論されす、主権者たる国民に問いかけもしない手法で強行されました。とても容認できるものではありません。岸田政権は、もはや「ハト派」の仮面をかぶった超タカ派政権と断定せざるをえません。

私たち県労組会議は、このような岸田政権と対峙し、この1年間、労働者・市民とともに運動を進めていく決意です。

県労働会館入居団体が一堂に会し新年会

県労組会議も入居する長野県労働会館に専従する役職員が一堂に会する恒例の新年会が1月4日、行われました。

多くの来賓の方にもご出席いただき、2023年年頭にお互いが元気に活動を進めていくことを誓い合いました。

出席いただいた来賓のみなさまは以下の通りです(敬称略/順不同)。

◇篠原孝(衆議院議員/立憲民主党)、◇杉尾秀哉(参議院議員/立憲民主党)、◇埋橋茂人(県議会議員/立憲民主党)、◇望月義寿(県議会議員/立憲民主党)、◇池田清(県議会議員/立憲民主党)、◇布目裕喜雄(長野市議会議員/社会民主党)、◇中山千弘(県労福協理事長)、◇小池政和(県労働金庫理事長)、◇村山智彦(こくみん共済coop長野推進本部本部長)、◇浅田道憲(県住宅生協専務理事)