21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

原発事故における国の責任をただす「ノーモア原発公害市民連絡会」が発足しました

原発事故の被災住民らが国に損害賠償を求めた4件の集団訴訟で、最高裁は昨年6月、国の賠償責任を認めない判決を言い渡しました。

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この判決を受けて、11月17日(金)、あの原発事故は防ぐことができた!国の責任を認めさせるため最高裁6・17判決をただそうと、学者や弁護士らが「ノーモア原発公害市民連絡会」を発足しました。今まさに無責任極まりない「原発回帰」政策を強行する国に対して、原発事故による様々な被害の全面救済や、これからの世代が原発公害などの恐怖にさらされないための社会を目指します。東京・永田町の議員会館での発足総会には、オンラインを含めると約70人が参加しました。

議員会館の国際会議室にて

代表世話人は寺西俊一・一橋大名誉教授(環境経済学)や元TBSのジャーナリスト金平茂紀さん、弁護士の小野寺利孝さんら。発足総会では、最高裁判決について「巨大津波が原発を襲う可能性を知りながら何もしなかった国を免責した判断は誤りだ」として、新たな判決を勝ち取る方針を確認しました。

講演で分かりやすく話す樋口英明さん

4人の裁判官について話す樋口さん。うち三浦守判事は、「国が規制権限を行使しなかったことは、法令の趣旨などに照らし、著しく合理性を欠くものであって違法である」という反対意見をつけた。

記念シンポジウムでは、元福井地裁裁判長・樋口英明さんによる「原発事故と国の責任 6・17判決をどうただすか」と題した講演後、3人の原発被害者がこれまでの経験を伝えるとともに、裁判の勝利に向けて固い決意を表しました。

決意を語る原発事故避難者の森松明希子さん

<主な活動>
① 福島原発事故を引き起こした国の責任を認めない最高裁の不当判決をただす。
② 被害者への人権侵害や環境破壊がいまなお深刻であり、その全面救済と原状回復を求める。
③ 新たな「原発公害」を広げるALPS処理汚染水海洋放出の中止や、老朽原発再稼働の即時停止を求める。

シンポジウムや学習会の開催、判決の是正を求める署名運動を始め、多くの人にこの「ノーモア原発市民連」による取り組みを知ってもらい、活動が全国各地に広がることを呼びかけています。

 

 

 

労働者・国民に共感が広がる運動を地域からつくろう

約60人参加した県労組会議定期総会で今年度の運動方針を確認

長野県平和・人権・環境労働組合会議(県労組会議)は10月20日、代議員・傍聴者、来賓など約60人を集め、長野市内で第28回定期総会を開きました。

主催者あいさつで、宇佐美正信議長は「暴走する岸田政権を許さない闘いはまだまだ続く状況。多くの政治課題に対して声を上げていく地道な運動が必ず変えていくことができる力になる」(あいさつ別掲)などと強調しました。

討論では「反核平和の火リレーは7月11日から8月4日まで実施し、ランナー総数635人が参加した。要請した77自治体中64自治体で市町村長(もしくは副市町村長)が直接参加してくれた。この運動が組織強化につながっている」(自治労・中村代議員)、「蔦友印刷が会社破産し、全員解雇された事件では、多大なカンパをいただき心から感謝申し上げる。組合員の半数が就職した状況」(印刷フォーラムながの・原田代議員)、「公共交通を維持していくうえで、人員不足、低賃金から抜け出せず、私鉄は厳しい状況におかれている。ライドシェア導入問題には反対運動の取り組みをお願いする」(私鉄県連・飯川代議員)、「上小地区労組会議の地域組織の『依田窪連絡協議会』『東御市連絡協議会』が様々な議論を経て合併した。連協組織を残して、地域運動を大切にしていきたい」(上小地区労組会議・竹内代議員)などの発言がありました。

特別決議として「国民の切実な願いに背を向け、軍拡・改憲をすすめる岸田政権と対峙し総選挙に勝利する決議」が採択されました。最後に「新自由主義政策を転換し、所得の再分配や富裕層・高収益大企業への課税を強化し、自助よりも公助、自己責任より共生、労働者・国民の暮らしを優先する政策へ転換を」「組合員はもちろんだが、組織されていない労働者・国民にも共感が広がる労働運動、平和運動が必要とされている」などとする「総会宣言」を採択しました。

あいさつする宇佐美正信議長

来賓、役員、代議員など約60人が参加

蔦友印刷の破産事件を報告する原田代議員

総会の最後には団結ガンバローを三唱

 

仲間との信頼関係を深め運動を広げていこう

県労組会議議長 宇佐美正信

昨年10月に行われた県労組会議の大会から早くも一年が経過をしました。少しこの一年間を振り返りたいと思います。

新型コロナは5月に2類から5類へと移行になりました。4年目を数える「コロナ禍」で8月19日に県労組会議として4年ぶりにソフトボール大会を開催しました。大変暑い中、各地区労組会議の精鋭たちが集まり、熱戦が繰り広げられ塩尻地区が優勝しました。終了後、団結会が開催され大変盛り上がりました。未だコロナが終息したわけではありませんが久々の開催ということもあり、一堂に会して話ができたことが大変有意義であったと思っています。普段話ができないことや初めて会う仲間がテーブルを挟み、膝を交えて話すことができたこと、コロナで制限されていたことが少し晴れたのではないかと思っています。各地区、単産の皆さんと会ってお話しすることが改めて重要だと感じました。

私たちを取り巻く情勢は今さら言うまでもありませんが生活も組合活動も労働実態も厳しい状態が続いています。詳しい情勢については後ほど、方針案の提起によりますので割愛させていただきますが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の他、全世界では現在、武力紛争が50以上あります。最近ではイスラエルがハマスを壊滅させようとガザ地区に侵攻を始めています。こうした武力戦争によって民間人、特に女性、子どもが犠牲になっています。人の命を奪ってまで得たい物っていったい何なのでしょうか。「話し合いをしよう」「外交によって解決をしよう」とはならないのでしょうか。

戦争の影響でエネルギー、食糧、原材料上昇によって円安、物価高など、日本国内外ともに不穏・不安定な状況下にあります。

そうした中、岸田内閣は昨年12月安保三文書の改訂によって敵基地攻撃能力を保有することや、先の国会では防衛費増額の財源を確保するための特別措置法や、原発の再稼働、運転延長、東日本大震災から12年たった現在、被災者に寄り添うことなく支援の打ち切りや子供甲状腺がんの発症に対する補償は何もなく、福島原発で発生したトリチウムを含む汚染水を「関係者の理解なしには放出しない」と約束していたことを反故にし、海洋放出を強行してきました。

さらにはマスコミにこぞって放射能を含む汚染水を処理水というように誘導し、まさに戦争に突き進む道、国民生活の安全・安心を脅かす道を突き進んでいます。

武力で解決する平和などは絶対あり得ない、核と人類は共存できないことは多くの犠牲を払ってきた先人たちが教えてくれています。

こうした政治情勢ですから、岸田政権には辞めていただくしかありません。県労組会議としては政治情勢を見極めながら私たちの掲げる運動課題、政策要求に方向性が合致する立憲民主党、社会民主党と連携して運動を展開していきたいと思います。

暴走する岸田政権を許さない闘いはまだまだ続く状況ですが、多くの政治課題に対して声を上げていく地道な運動が必ず変えていくことができる力になると思います。

もう一つ、県内で大変大きな事件が起きました。県労組会議に加盟する印刷フォーラムの蔦友印刷が3月に破産手続きを申し立て、倒産しました。従業員である組合員が解雇されました。解雇によって給与及び退職金が支払われないことから、当面の生活費の補助として長野地区労組会議とで組合員に対する支援カンパを取り組んできました。仲間を助ける支援活動として多くのカンパを取り組んでいただきました。ありがとうございました。支援する側でさえ厳しいにもかかわらず大変多くのカンパをいただきました。取組みにご協力いただいた皆さんに改めてお礼を言いたいと思います。また関西生コンやJAL闘争団などこうした仲間が困っているときに支援をする、各地区や単産、単組の皆さんにまで声をかけられる労働運動ができるのは労組会議だけだと思います。皆さん自身も大変かと思いますがもっと大変な状況で助けを求めている人、労働者がいます。引き続きそうした人たちに寄り添い支援をしていきたいと思います。

最後になりますが、今年4月の統一自治体選挙では私たちが推薦する議員が当選することができました。本当にご協力ありがとうございました。

私たちはこれまで学習や交流によって仲間との信頼関係を築いてきました。その知識を生かし幅広く仲間に危険性や重要性を訴え、今まで以上に反戦、護憲、反核、脱原発を軸に平和と民主主義を守る闘いの運動を進め、労働者の雇用、平和・人権・環境に関わる運動課題について、労働者の立場に立って引き続き運動を進めていきたいと思います。

以上で県労組会議を代表してのあいさつに代えさせていただきたいと思います。

特別決議全文

総会宣言全文

 

「市民集会・脱原発2023in信州」と「脱原発集会・ワタシのミライ」

原発に未来はあるか 

10月15日、長野市で開かれた「市民集会・脱原発2023in信州」で、龍谷大学の大島堅一教授(環境経済学・環境政策学/原子力市民委員会座長)が講演されました。「原発に未来はあるか? 無責任の構造を超えて原発ゼロ社会へ」と題し、岸田政権が推し進める原発温存政策について、「原発は高コスト」「責任が問われない体質」と批判し、原発に頼らないエネルギー政策の転換を訴えました。

笑いも交えながら、難しい原発の内容を分かりやすく話す大島教授

岸田首相は、原発の再稼働や60年を超える運転延長、新増設を進める指示を8月のGX(グリーントランスフォーメーション)実行会議で示しました。脱炭素化を主な理由としているが、これに対し大島教授は、原発と再エネのCO2排出削減の関係を調べた国際調査で、原発の多さがCO2削減に影響を与えないこと、さらに、原発に熱心な国は再エネ導入率が低いという結果を説明し、「原発に頼る限りCO2削減は実現しない」と強調。さらに、電力供給に占める割合は4%程度にすぎず、現在約20%を占める再生可能エネルギーと逆転することは難しく、「原発は大きく衰退している」とし、国内・外で原子力事業から撤退する企業が増加していることからも、すでに斜陽化していると言え、原発推進に異を唱えました。

また、原発の高コスト体質についても言及。福島原発事故後、原発にかかる費用は、発電費・国費投入・事故対策費あわせて33兆円に上り、国民一人あたりに換算すると27万円の負担が電気料・税金にかかっています。「原子力は電気料金の底上げにつながっている」とし、多大なコストがかかる上、事故のリスクや廃棄物処理問題などを抱える原発を「国民生活にとって、不良債権」と厳しく指摘しました。

zoom含めて、約80人が参加した

さらに、原発事業の性質が、事故の責任を回避していることなど「無責任」であり、数々の隠蔽や情報公開の不足により「不可視」の構造と特徴づけ、国民の関心を高める必要を説きました。

ワタシのミライ

天気にも恵まれ、あらゆる年代が参加した集会となった。

思いが込められている歌は、聴いている参加者の心に響く。

9月18日、東京・代々木公園で行われた脱原発集会は、今回より気候変動問題を盛り込み、集会名も変更して開かれました。気候変動対策のための啓蒙活動や再生エネルギーへの転換を求める若者・市民らの運動とコラボし、環境団体のブースやビーガン料理などのキッチンカーの出店もありました。メインステージでは、福島原発事故以降、現地支援に取り組みながら活動するロックバンド、自然派ラッパーらのメッセージ性の高いパフォーマンスがあるなど、さながら「フェス」のような様相でした。司会も環境問題に取り組む20代の青年が務めるなど、若者たちの存在が目立ち、新たな運動の展開と若者世代への継承を感じる集会となりました。参加者はおよそ8千人。「ワタシのミライ」を希望あるものにするためのエネルギーのあり方は、原発に頼らず、再生可能エネルギーの普及によることを求め、公正な社会の実現に向け、声を上げました。

デモ行進は、おしゃれな表参道を闊歩。

(機関紙「じちろう長野」11月1日号より転載)

 

311 子ども甲状腺がん裁判第7回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第7回口頭弁論が9月13日、東京地裁で開かれました。

 

【第7回口頭弁論の傍聴報告資料】

 

 

 

                             

10月15日に長野市で「市民集会・脱原発2023㏌信州」を開きます

大島堅一さん(龍谷大学教授)が京都から来場して講演

「原発に未来はあるか?『無責任の構造』を超えて原発ゼロ社会へ」

福島第一原発事故から12年以上が経過しました。いまだに「原子力緊急事態宣言」は解除できない状態が続いています。廃炉の目途も明確になっていません。しかし、政府は原発推進方針に明確に舵を切り、重大事故を起こした福島第一原発と同型の原発再稼働をすすめ、「原則40年最長60年」ルールを撤廃し、世界でも前例のない60年超への運転期間延長を可能とする法改定を強行しました。さらに原子力基本法を改定し、原子力産業基盤の維持・強化、原子力投資環境の整備、使用済み核燃料の再処理・貯蔵の推進などを国の責務としています。ウクライナ危機を契機に、エネルギー不足により電力需要が逼迫するかの如く原発回帰の必要性を喧伝しています。

福島第一原発事故の反省もなく、原発回帰政策を突き進む岸田政権のエネルギー政策に、明確なNO!を突き付けていかなくてはなりません。

市民団体や県原水禁などでつくる実行委員会は、市民集会・脱原発2023in信州を開きます。集会には、「原子力市民委員会」の座長であり、龍谷大学教授の大島堅一さんを講師にお招きします。大島さんは、原発のコスト問題の調査・研究が特に有名で、経済面、コスト面からもエネルギー政策において原発を選択する余地はないと強調されています。原発回帰政策に突き進む政府の政策の問題点、ドイツでの脱原発社会の実現などの点について講演で話していただきます。

どなたでも参加できます。Zoomでの視聴も可能です。お誘い合ってご参加ください。

◆講演「原発に未来はあるか?『無責任の構造』を超えて原発ゼロ社会へ」

講師 大島堅一氏(原子力市民委員会座長/龍谷大学教授)

おおしま・けんいち 1967年生まれ。専門は、環境経済学・環境政策学。立命館大学国際関係学部教授を経て、2017年から龍谷大学政策学部教授。2018年から原子力市民委員会座長。この他、大阪府特別参与、日本環境会議代表理事なども歴任。主著に『炭素排出ゼロ時代の地域分散型エネルギー』(日本評論社、2021年)、『原発のコスト』(岩波書店、2011年、大佛次郎論壇賞受賞)など。

◆市民運動の現場から活動報告

①柏崎刈羽原発運転差し止め裁判の現状

②311福島・子ども甲状腺がん裁判の現状

 

被爆体験の継承が今こそ求められている

原水禁県大会で広島で被爆した今井和子さんが体験談

被爆78周年の今年、広島へ原爆が投下された8月6日、長野市・県労働会館にZoom参加者も含めて約40人を集め、原水爆禁止長野県大会を開きました。

大会の冒頭、宇佐美正信・県原水禁代表委員があいさつ。岸田政権の原発回帰政策、核兵器禁止条約を批准せずアメリカの「核の傘」にとどまる対応を厳しく批判しました。

大会では、広島市が主催する平和記念式典をテレビ中継、原爆が投下された8時15分に黙とうをささげました。

アメリカ軍が原爆投下直後の広島や長崎の様子を撮影した映画フィルムを、今から約40年前、「10フィート運動」によってカンパを集めて買い取り、『にんげんをかえせ』という20分程度のドキュメンタリー映画が完成しました。原爆詩人・峠三吉の詩集のタイトルを冠したこの映画を県大会で上映しました。被爆直後の傷付いた人々の姿も映し出され、改めて原爆投下への怒りが会場にまん延しました。

その後、5歳前に広島市で被爆した長野市に住む今井和子さんが被爆体験を証言しました。

今井さんは「広島に原爆が投下された8月6日の8時ちょっと過ぎ、空襲警報があり防空壕に入ろうとしたら解除になったので、一安心していました。ところが、突然激しいピカッという閃光、それから下から突き上げるようなドーンという地響きと共に、グラグラ家が揺れて、物がバアーンと飛び散り、シャリシャリシャリとガラスの破片が飛んでいきました。まさにピカッドーンという衝撃で、今でも体の感覚として残っています。向かいの家の娘さんが下敷きになっているお父さんを『助けて、助けて』と叫んでいましたが、皆はもう自分のことで精一杯でした。その『助けて!』という悲鳴は今でも耳に残っています。その後避難場所に行くとき、背中が焼けただれた人とかが折り重なるように馬車に乗っていました。一番後ろにいた人の背中が真っ赤に焼けただれていて、その人の虚ろな目が強く記憶に残っています」と、原爆投下直後の様子を生々しく証言されました。また、今井さんは「被爆者の苦悩は2つある。一つは生涯続く健康不安。自分だけでなく子どもや孫、ひ孫にも影響が出るのではないかという不安。もう一つは生きていることの罪悪感。周りに助けを求めている人がたくさんいたにもかかわらず、助けてあげられなかったこと」と語りました。

原爆投下の8時15分に黙とう

被爆体験を語る今井和子さん

被爆二世の前座明司さんもあいさつ

広島市平和公園内にある原爆詩人・峠三吉の詩を彫った石碑

被爆78周年原水禁世界大会(長崎)~長野県代表団報告~

原水爆禁止長野県協議会は、今年も各単産・各地区へ呼びかけ、8月7日(月)・8日(火)・9日(水)に開催される「被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加することになりました。

飛行機の機内から撮影

長崎空港からリムジンバスで会場へ。海が綺麗。

開会行事会場へ到着

長野県からは、自治労、国労、上伊那地区、松本地区、長野地区、長野県原水禁から8人が代表で参加しました。残念なことに、大会会場に到着するなり、台風6号の接近により3日目の行事の全てが中止となったと告げられました。それを受け、2日目で帰る決定をした団も多くありました。我が団もどうするべきか団長と事務局で相談しました。ちょうど少し前に、沖縄を直撃した台風の影響で観光客がしばらくホテルに缶詰めになったという報道もあり、帰れなくなったら大変と、さまざまなことを考えました。帰りの飛行機が欠航になることを想定し、航空券を頼んでいた旅行会社と連絡を密に取り、結果、欠航となっていないけれどキャンセル料が発生しない災害認定となったことで、大会の開会行事が開催中にも関わらず、長崎駅に走りました。JRのみどりの窓口は、まだそれ程混んでいる様子はなく、なんとか8人分の新幹線の切符が取れました。それにより、長野県代表団は2日目の行事はしっかりと参加し、3日目の朝8:44の新幹線で帰郷することに決まりました。新幹線での長時間の移動で大変だろうという心配もありましたが、帰れなくなることを考えれば、それも致し方ないことでした。

 

8月7日(1日目)

高校生平和大使の皆さん

真剣なまなざしの参加者たち

長崎市・ブリックホールにおいて「被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」開会行事が行われ、約800人が参加しました。開会行事では、高校生たちがオンラインでとりくんだメッセージ動画「高校生平和アクション2020」が上映されました。全国から集まった第26代高校生平和大使・高校生1万人署名活動のメンバーのみなさんが登壇、活動報告を行いました。コロナ禍で中断していた海外派遣について、8月下旬に予定されていることも報告。あわせて合唱が披露されました。高校生平和大使の「微力だけど無力じゃない」が耳の残り、大人の私たちも見習わなければと思いました。

行事終了後、全員で路面電車でホテルへ移動し、夕食会場であらためて、それぞれの自己紹介をし、帰りの予定が変更になったことを共有しました。

路面電車から見た街の様子

 

8月8日(2日目)

2日目は、それぞれの希望する分科会へ参加し、午後は唯一の自由時間だったので、思い思いに過ごしました。夕食で参加者の感想や報告を聴いたところ、ほとんどが原爆資料館と平和公園を訪れていました。台風の影響で湿気を含んだ風が強かったのですが、夕方になって少し雨に降られたくらいで、かろうじて天候に恵まれました。

第1分科会の様子

第4分科会の様子

第5、第6分科会会場

第6分科会の様子

 

 
 

昼食に入ったお店で、同じ第4分科会に参加していた女性お二人と出くわしました。そのうちのお一人が長崎市在住の被ばく2世の方で、「現在、長崎原爆資料館の展示に関して歴史修正主義者たちから横やりが入り、資料館の加害の展示を変えようとする動きがみられます。長崎になぜ原爆が投下されるようになったのか、それまでの戦争の加害の部分を含めて展示していかないと、世界中から訪れる、特にアジアの人々に共感や相互理解を得るのは厳しいと思っています。加害展示を含めて資料館の展示をするように市民の会が発足したのでそちらの活動に今、力を入れています。」とのことでした。本当に、そう思います。当事者の方がそう、加害の責任についてきちんと語っているのに、国は一体何をやっているのかと個人的に強い憤りを覚えました。他にも、当事者としての貴重なお話を聴くことができ、たまたま巡り合わせただけなのに、気さくに接していただいてとてもありがたく感じました。

長崎原爆資料館前

松本水道労組の皆さんで折った折り鶴を鳥羽さんが持参しました

 

 

8月9日(3日目)

朝8:00前に集合し早々に長崎を離れたため、8月9日11:02の原爆が投下された時間は、新幹線の中で、それぞれがスマホで平和記念式典のLIVE中継を見て、黙とうしました。やはり行進ができなかったのは少し心残りとなりましたが、何よりも無事に8人全員で熱中症もケガもなく長野に帰り着くことができたことが一番でした。とてもいい仲間と長崎の学びの旅に参加できたことに感謝です。3日間あらためてありがとうございました。

~参加者の感想~

・原水爆禁止世界大会に参加させていただき、核の恐ろしさと、その廃絶の必要性を改めて深く感じました。この会で、多くの方々が平和と非核のための熱意を持って一堂に集まっている様子にはとても感動しました。被爆された方の証言や、核とその影響に関する講演では多くの新しい学びを得ることができ、今まで自分が考えていなかったような範囲にまでその影響が及んでいる事を知りました。そして、私が特に心を打たれたのが、高校生平和大使による発表です。大使の皆さんは「ビリョクだけどムリョクじゃない」をスローガンに全国で署名活動をされています。高校生が平和のために真剣に活動する姿はとても頼もしく勇気をもらいました。私はこの大会に参加し核の問題に対して無関心でいることの危険性を改めて感じました。しかし、一人一人がどれだけの力を持っているのかも再認識できました。全国から集まった参加者のみなさんと共有した核廃絶への思いを胸にたとえ微力だとしても平和のための活動に参加し周囲の方々にもこの問題の重要性を伝えていきたいと思います。

・大会を通じて、改めて戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを痛感しました。分科会で学んだ「被爆体験を、体感する」ことが、二度と核兵器を使用しないために大切なことだと思いました。大会を通じて沢山の人の思いに触れ、とても勉強になった2日間でした。

・団長はじめ、ご一緒した皆様大変お世話になり、ありがとうございました。熱量が一番高い今の気持ちを大切にアウトプットしていきたいと思います。

・いよいよ明日8/24汚染水海洋放出ですね。長崎大会に参加しなければ、ほとんど関心がなかったと思います。参加できてほんとうによかったと思います。この思いを少しでも多くの組合員等につなげていきたい、つなげる責任があると思います。

・初めて大会へ参加しましたが、改めて戦争や核の恐ろしさを痛感し、政府の原発推進へ向けた様々な施策にも改めて疑問を感じました。今大会で学んだこと感じたことは職場の仲間たちへ伝え、特に後輩たちへはこういった機会があれば積極的に参加してもらえるよう伝えていきたいと思います。私も今後、平和のための活動へは出来る限り参加していきたいと思います。

・「被爆体験者」ということばを初めて知り、行政の理不尽な対応に憤りを感じました。長野県で高校生平和大使活動がなぜ行われていないのか不思議に感じるとともに、残念に感じました。国は処理水(汚染水)の海洋放出を始め、事業遂行のためには都合よく法律を解釈、改正していることを学びました。そして、国民の声に耳を傾けない国の施策に対して、常に関心をもって対応していかなければいけないと感じました。

・長崎県のように子供の頃から核廃絶について学ぶ機会を作る必要性を感じました。長崎県から長野県まで鉄路で帰るという二度と経験できない機会をいただき感謝しています。

 

被爆78周年原水禁世界大会(広島)~長野県代表団報告~

8月4日から6日にかけて広島市で開催された原水爆禁止世界大会・広島大会に、長野県原水禁代表団として22人が参加しました。

今年はコロナ禍で中断されていた子ども代表団が復活し、県内在住の小学生から高校生の参加者6人(保護者同伴)が、子ども慰霊祭や、平和公園の慰霊碑フィールドワーク、広島で学んだことを新聞や劇で表現するワークショップに参加しました。

式典の準備がすすむ平和記念公園

いくつもの川が流れる広島の街

今も広島市内を走る「被爆電車」

8月4日(1日目)

初日、長野県代表団のメンバーは原爆資料館(広島平和記念資料館)の南側に集合して、大人参加者は折鶴平和行進・開会総会に参加し、親子参加者は原爆資料館を見学しました。広島市に滞在した3日間は連日天候にめぐまれましたが、高い気温と湿度が続くため熱中症にならないように気をつけながらの滞在になりました。

炎天下での折鶴平和行進

原爆資料館に入館するまでには長い行列ができ、各国から訪れた方々で混雑していました。14万人という数字ではなく、ひとりひとりの犠牲者がどんな人生を歩み、どんな最期を迎えたのかがクローズアップされた展示となっていました。さまざまな角度から「あの日、広島で起きたこと」を伝える展示となっており、滞在した一時間半では到底回り切れない内容でした。展示物の前に立ち止まり涙を流している方もいらっしゃいました。

夜の交流会では、自己紹介の際に、それぞれどんな思いで参加したか、今日の感想などを述べ合いました。子どもたちは大勢の大人の前で緊張しながらもがんばって話しました。若い世代の参加者からは「正直、観光目的で参加したところもあったけど、今日、被爆者の方からお話を伺えて来てよかったと思いました」と正直な感想がきかれ、実際に広島を訪れることの大切さが共有されました。

8月5日(2日目)

二日目は、大人参加者は希望する分科会に参加しました。親子参加者は、早朝から子ども慰霊祭に参列しました。全国各地から集まった子どもたちと一緒に黙祷を捧げました。各県の子ども代表団が順番にそれぞれ献花し折鶴を納めました。長野の子どもたちも持参した折鶴を納め献花し、子ども代表団の高橋さんが献詩を捧げました。

【長野原水禁子ども代表団・髙橋樹貴亜さんの献詩】

八月六日 八時十五分
たった一発の原子爆弾が十四万人の尊い命を奪いました。

私と同じ十代の若者の犠牲者も一万五千人以上にのぼりました。
亡くなられた若い皆様は、未来という夢と希望に満ちあふれ、胸を膨らませ青春を謳歌していたことでしょう。

夢を果たせなかったことを、同じ若者として、大変、胸が痛みます。
皆様が負った大きな大きな傷を和らげる唯一の方策は、悲惨な戦争を二度と引き起こしてはならないことです。

しかしながら、世界では、核使用をちらつかせ、自国主義、軍拡といった風潮になりつつあり、既に、悲惨な戦争が引き起こされていることは、誠に、残念で仕方がありません。

ただ、我々ができることは、唯一の被爆国として先人達が訴え続けた平和の尊さ、戦争の悲惨さを、しっかり受け継ぎ、平和に感謝し平和を守り、次の世代へ引き継いでいくことだと思います。

平和は、もたらされるものではなく、自ら作り上げるものだと思います。
どうか、皆様、私達を、天国から見守っていてください。

長野県代表団の子どもたち

 

平和公園内の慰霊碑を巡るフィールドワーク

慰霊祭終了後は、平和公園内に建立されている慰霊碑を被爆2世の上野さんに案内していただきながら、それぞれの慰霊碑やモニュメントの背景や歴史について伺いました。

公園内にはたくさんの慰霊碑がありました

平和公園がある場所には、もともとはいくつかの町があったそうで原爆の投下によって、壊滅し大勢の方々が亡くなったそうです。その方々の日々の営みがあった土地をそのまま踏むことはできないと、盛り土をして公園が造られたと教えていただきました。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑では、日本人だけでなく多くの朝鮮人の方が原爆で亡くなったこと、名前もわからない方も大勢いることを学びました。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で

平和の鐘の周囲には火傷の傷を癒すという蓮が茂っていました

原爆の子の像の周囲には世界中から集まった折鶴が

佐々木禎子さんの同級生らによる募金運動により作られた原爆の子の像

禎子さんが折鶴を折った薬包紙を知らない子どもたちに説明

平和の灯

広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)

一年に一度、死没者名簿を守るため天日干しされるという

国立広島原爆死没者追悼平和祈念舘

 

ダイ・イン

フィールドワークの終盤、原爆ドームに集合した子どもたちがダイ・インを行いました。 ※ダイ・イン(die in)参加者が死者になりきることで行われる抗議の一形式。

 

被爆2世の方のおはなし

午前の部の最後には、ご家族を原爆で亡くした被爆2世の女性の方からお話を伺いました。原爆投下によって、コミュニティが丸ごと破壊され、身近な家族が突然いなくなってしまったこと、年月が経過しても大切な家族を亡くした悲しみは癒えないことをお話くださいました。子どもたちは静かに耳を傾けていました。

被爆2世の方のおはなし

 

大学生企画ワークショップ

午後の部では、子どもたちは高校生平和大使を経験した大学生が中心になって企画されたワークショップに参加しました。それぞれが見て感じたことを劇や新聞や絵で表現するという内容でした。

大学生たちからそれぞれの企画の魅力についてアピール

子どもたち悩みながら決めました

長野県から参加した子どもたちは新聞作りとうちわに絵を描くワークショップを選びました。長崎県から参加している高校生のスタッフさんのサポートを受けながら、原爆ドームや慰霊碑や折鶴などを描いていました。普段、関わることの少ない大学生や高校生とのやりとりも子どもたちにはいい経験になったようでした。

夜の交流会では、子どもたちも打ち解けてきて、大人たちに質問したり、おしゃべりしたりして楽しい時間を過ごしていました。

ライトアップされる京橋

8月6日(3日目)

日程の最終日は、代表団全員で、朝から原爆ドームに向かいました。一年で最も広島市が混雑する日でもあり、路面電車での移動が心配されましたが、無事に8時前に原爆ドームにたどり着けました。

原爆投下時刻に黙とうする長野県代表団

原爆ドーム周辺は、前日、前々日と打って変わってデモ隊や機動隊が並んで喧騒に包まれていました。子どもたちも緊張した面持ちでしたが、原爆ドーム前のスペースに、長野県代表団全員が集まることができました。原爆投下の時刻にあわせて黙祷を捧げました。地元のテレビ局にも取材され、子どもたちはしっかりと受け答えしていました。

広島市立こども文化科学館

その後、大人参加者は閉会集会に参加しているあいだ、親子参加者は「こども文化科学館」を見学しました。子どもたちは、長野と異なる湿度の高い広島の気候にぐったりする日々が続いていましたが、科学館では思い思いに展示物に触れて遊んだり、走り回ったりして楽しんでいました。

最後に、原爆ドームに再度集合して相生橋から集合写真を撮って解散しました。
酷暑の広島での日程でしたが、ひとりも体調不良等になることなく終えられました。

来年度以降も実施予定です。
ぜひご参加ください。

 

【参加者の感想】

・7年前、小学校4年生の頃、原爆資料館や原爆ドームを訪問しましたが、まだ、小学生であったことと、年数も経過し、記憶が薄らいでいたことから、今回、改めて、原爆投下日に広島を訪問し、原爆、戦争を考えたいと思い、参加させていただきました。本当に密度の濃い3日間で、言葉では表せられないような気持になって、長野県に戻ってきました。(高校生)

・原爆ドームの前でのダイ・インでは、ここに78年前、原爆が投下されたんだ。自分は今、被爆された方と同じ場所に倒れている。何とも言えない気持ちにかられました。水を求めて、原爆ドーム前の川は人であふれかえり、多くの死体が転がり、服は燃え、目はたれ落ち、そこに自分は今、いる。なぜ、何の罪もない一般市民までも、そんな仕打ちにあわなければならないのかと。。
改めて、平和の尊さ、戦争の愚かさを感じ、こんな戦争、2度と繰り返してはならないと、強く、心に刻まれました。(高校生)

・広島平和記念資料館にいって原爆が落とされた町の風景や亡くなった人たちの物や原爆がどのくらいデカいのかとかも知れたし亡くなった人の名前や顔とかもあって小さい子から大人まで皆亡くなってしまったということが分かりました。やっぱり原爆は怖いなと思いました。(小学生)

・いつか平和記念公園・原爆ドームは行かないといけないと思っていましたが、大事な日に広島に行けたことはとても貴重な経験となりました。とても勉強になりました。(20代)

・原爆の投下された地で、その恐ろしさや悲惨さを目の当たりにしました。とても貴重な機会で多くのことを学ぶことができ、有意義な時間でした。(20代)

・3日間、大会に参加し、核について少しばかり自分には無関係と思っていましたが、それが身近な脅威であると感じました。そういった危機感を感じることができ、本大会は私にとって充実したものとなりました。(20代)

・漠然としていた「戦争・原爆」への印象が覆されました。今までに、戦争や原爆、平和について学ぶ機会は多々ありましたが、実際に当時の物を見て体感するのは高校生の時に訪問した沖縄県への修学旅行以来でした。改めて、学び・体感したからこそ、二度とこのような出来事を起こしてはいけない、忘れてはいけないと強く感じました。現在、世界で起こっている戦争。自分の置かれている環境が恵まれており、同じ時代の出来事ではないのではと錯覚してしまいます。「戦争」について、別世界の話だと目を背けるのではなく自分も学び体験したからこそ、何かできることはないのかともどかしさを感じました。(20代)

・当時の様子を聴く中で「本当は思い出したくないし、話したくないが、このような出来事があったことを知ってもらうために今ここにいる。」と言う話があり、当時を振り返り「戦争・平和」を世界へ発信しなければいけないと感じる反面、訴えることへの苦悩に何とも言えない感情を抱きました。(20代)

・とっても良かったという表現が間違いかもしれませんが良い経験になりました。(40代)

・原爆が落とされた日と同じような暑さだったこと、8月6日という日の中心に自分たちがいたこと、その日に広島に行っていないと感じられない感情を感じることができました。(50代)

・子供たちと参加させていただきありがとうございました。資料館など見学をして子供たちも原爆がいかに危険なものか学ぶことができました。(40代)

・真夏の太陽が照りつける中、原爆資料館を始め、被爆2世の方々によるフィールドワーク、子供慰霊祭、グループワーク等、大変密度の濃い3日間でした。改めて、戦争の怖さ、原爆の恐ろしさを感じました。(50代)

【参加したことがない方へのメッセージ】

・普段はあまり原爆等について考えないかもしれませんが、そういう人にこそ是非参加していただきたいと思います。(20代)

・良い経験になるのでぜひ行ってみてもらいたい。8月6日に行くことの意味を体感してほしい。(40代)

・一度、広島に来てみてください。そして、今の平和の有難さ尊さを実感しましょう!(50代)

・広島に行くことで何かを感じることができます。その何かは人それぞれですが、広島に行くことで何かを感じることは、私が約束します。(松田元伸代表団団長)

 

国・東電による『放射能汚染水』海洋放出反対8.27全国行動

福島県いわき市小名浜で反対集会が開催されました

ここ数週間のうちに、汚染水の海洋放出が強行に進められ、とうとう8月24日に放出が開始されました。連日、そのニュースが流れ、全国的にも注目が集まっているようです。

小名浜港とアクアマリンふくしま

準備の様子 ぞくぞくと集まってくる参加者

8月27日(日)、地元、福島県いわき市で海洋放出反対全国集会が行われると聞き、長野県原水禁の代表として参加してきました。

集会は、10数団体からのリレートークが行われ、地元の漁業者の訴えをメインに韓国の国会議員や県内外の参加団体、最後は、立憲民主党・社民党・共産党の議員さん達が話されました。

漁業者の方のお話は、ろくに話し合いも説明もないまま強行する政府と東電に憤り、安全というならなぜ東京湾に流さないのか、漁民としての子ども・孫の将来はどうなるのかと訴えました。

私(草野)もリレートークに参加し、311子ども甲状腺がん裁判の情報を伝えることができました。トーク後、元保育士の方に詳しく知りたいと声をかけられ、311子ども甲状腺がん支援ネットワークのことを話しました。未来ある次世代のことを考えると、居ても立っても居られないという感じでした。

実行委員会本部受付

社民党党首福島みずほさんも参加

小雨がそぼ降る中、すぐそこに広がる美しい海を見ながら、500人を超える参加者が熱い想いを共有しました。

 
 
 
 
 

 

 

311 子ども甲状腺がん裁判第6回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第6回口頭弁論が6月14日、東京地裁で開かれました。

小雨の降る中、74席の傍聴席に対して190人が抽選に並びました。この日の東京地裁前アピールには、大阪から路上ライブアーティスト(東耕大さん)がオリジナル曲「甲状腺がんの歌」を披露してくれたり、集まっている支援者も若い世代の方が増えてきたように感じました。また、日比谷コンベンションホールでの支援者集会では弁護団のお知り合いのシンガソングライター・矢野絢子さんに、この裁判を広く知ってもらうために作ってもらったテーマソング『BlueBlueBird』という曲が会場に流されました。♬これは戦いではなく ただ知ってくださいと・・・怒りの狼煙ではなく 忘れないで下さいと・・・とても素敵な曲です。(以下のyou tubeで聴くことができます。)

 

【第5回、第6回口頭弁論の傍聴報告資料】