21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

311 子ども甲状腺がん裁判第11回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第11回口頭弁論が9月11日、東京地裁で開かれた。

この日は、大法廷の一般傍聴席が85席に対し、207人が傍聴券の抽選に並んだ。傍聴希望者が200人を超えたのは、第5回期日ぶりとのこと。裁判は、進むにつれて傍聴者が減るのが一般的だが、この裁判においては少しずつ傍聴希望者が増えているそう。その後の報告集会もほぼ満席。原告はもちろん、弁護団や支援者たちのたゆまぬ努力の賜物なのだろう。

         

今回は傍聴抽選に当たり、法廷内に入ることができたのだが、珍しく協議が長引き、10分ほど開廷が遅れた。資料も揃わず裁判所側がモタモタしている様子だった。ようやく原告意見陳述が始まったころは14:30頃で、原告は「自分の住む町が福島第一原発から西に100キロの場所にあり、まさか被ばくする環境とは知らず、30~40分かけて自転車で通学や買い物に出かけた。自宅の目の前の道路を自動車が通るたび、地面から粉じんが巻き上げられていた。手術後は、再発、転移のことを考えないようにして自分の精神状態を保った」などと緊張しながらもしっかりとした口調で話した。

裁判所から、全ての主張を出し尽くすよう求められていた原告は全部で15本の準備書面を提出した。一方、東京電力は2本の反論書面を提出した。

UNSCEAR報告書の過小評価の原因特定か

原告の主張のうちの1つは、被告の主張する「過剰診断」論を否定するもの。福島県の甲状腺がんの手術症例などに基づき、福島県で見つかっている甲状腺がんは、被告の指摘するような「潜在がん」とは言えないと主張した。また、原告一人ひとりについても、病気の推移を詳細に示し、短期間で腫瘍が増大している実情や、多数のリンパ節転移が見つかっていることを指摘した。

              

大気中浮遊物測定局内で「霧箱」効果?

また、UNSCEARの報告書の被ばく線量評価については、黒川眞一高エネルギー加速器研究機構名誉教授の5通目となる意見書を提出した。UNSCEAR報告書はデータ解析の際、大気汚染を監視するために設置されているSPM局で採取された放射性セシウムの値を利用しているが、意見書では、その値が、大幅に少なくなっている原因を特定。最も高濃度の放射性プルームが福島県内を覆っていた3月15日から16日にかけて、福島市内では気温が低く、かつ湿度の高い飽和状態に近い気象条件にあったとした上で、SPM局の中に取り込まれた大気が、高濃度の放射性物質の影響でイオン化し、液滴となる「霧箱」のような状態に陥っていた可能性があると指摘した。原発事故と甲状腺がんとの関係を証明する意見書を東京地裁に提出した黒川眞一・高エネルギー加速器研究機構名誉教授に対し、東京電力が「放射線の専門家ではない」と主張していることについて、只野弁護士は「黒川名誉教授は高度の学識を持っており、専門家である。東京電力側の主張は黒川さんに対する侮辱であり、今後、このような侮辱は金輪際、やめていただきたい」と語気を強めて抗議する場面もあった。

さらに、当時の福島市内で計測された大気中浮遊物(SPM)のデータが、放射性プルームの到来時間に、数値がゼロになっている事実を提示。この時間に、SPM局内では霧箱状態となり、SPMや放射性セシウムは、粒径が大きくなって排除され、濾紙に付着する量が極端に少なくなっていた可能性が高いと主張した。

「誰ひとり泣き寝入りさせない」〜原賠法の立法時

このほか、原子力損害賠償法の立法当時に遡り、立法趣旨を解説する書面も提出。法廷のプレゼンでは、原賠法立法当時、原子力事故が起きたい際に、被害者が重い立証責任を負うことは想定されていなかったことを解説した上で、国会でも「誰一人泣き寝入りさせない」という答弁が繰り返されていたことを裁判所に訴えた。

         

第12回口頭弁論期日は12月11日(水)に予定されている。

次回期日には、地区労組会議を介して購入いただいているレーメンの販売利益分を3団体(3・11甲状腺がん子ども基金、311甲状腺がん子ども支援ネットワーク、日本チェルノブイリ連帯基金)にそれぞれ寄付する予定。組合員のみなさまの善意がここにも届いている。

次回以降は証人尋問が始まり、裁判も新たなフェーズを迎える。今後もより一層の支援をしていきたい。

 

脱原発・核兵器廃絶を求める活動を報告します(6月~10月)

◆各地域で被爆79周年非核平和行進を実施

日本被団協がノーベル平和賞を受賞し、改めて被爆者の存在と被爆体験を伝える活動、核兵器廃絶に向けた課題がクローズアップされています。

県原水禁、各地区原水禁・地区労組会議は今年6月7日から17日まで県内各地で核兵器の廃絶と脱原発を訴える「被爆79周年非核平和行進」を実施しました。6月7日に飯山市での集会、デモ行進をスタートに、17日の大北地区での自治体申し入れ活動まで県内各地で地域の平和世論を盛り上げようと取り組みが行われました。

7月1日、2日には、原水協系の国民平和大行進実行委員会の集会と行進にも参加しエール交換を行いました。

長野地区での非核平和行進

国民平和大行進の集会であいさつする大橋孝宏・県労組会議副議長

 

◆柏崎刈羽原発の再稼働は許さない-集会・デモが柏崎市で開かれる

7月15日、新潟県柏崎市の産業文化会館において、原発からいのちとふるさとを守る県民の会主催で「中越沖地震17年 福島を忘れない! 原発ハイロ全国集会」が280人が参加し開催されました。

これまで県民集会として開催されることが多かった柏崎での集会でしたが、政府によって原発回帰路線への転換がなされている今、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働反対の声を広く集めるため、全国集会という形で開催されました。

集会では、環境経済研究所代表・元新潟県原子力災害時の避難方法に関する検証委員の上岡直美さんが講演し、「新潟県の花角知事は40数回開いた委員会の総括もないままに消滅させてしまった。原子力業界は、旧日本軍のようだ。福島の被害を低く見積もり、原子力政策を続けようとしている」と指摘しました。また、福島原発事故当時の気象条件などを当てはめて、放射性物質の放出・拡散がどのようになされるか、具体的なシミュレーションを示すなど、専門家ならではの視点でわかりやすく解説しました。

集会後には、柏崎駅周辺をパレードし、柏崎刈羽原発再稼働反対の声を上げました。パレードコースは、柏崎市の中心街とはいえあまり通行人が多くありませんでしたが、店先から手を振って、「脱原発」の思いに共感してくれる姿も見られました。

長野県原水禁からは3人が参加しました。

集会には280人が参加

柏崎市内をデモ行進して原発再稼働反対をアピール

 

 

◆反核平和の火リレーに青年女性528人が参加

県内の77市町村・県に平和行政推進の要請を行う第37回反核平和の火リレーが、7月9日から8月6日まで取り組まれ、ランナー総数528人が参加しました。各自治体の要請行動には多くの理事者や応援者が出席し、77自治体中64自治体で市町村長(もしくは副市町村長)が参加いただき、「戦争を知らない人世代が増えている中、若い皆さんが取り組みを続けていくことに意義がある」、「平和の思いを地域につなぎ、次世代へとつないでほしい」など激励を受けました。

5月25日に開いた事前学習会では、新潟県平和運動センターの有田純也事務局長から「柏崎刈羽原発の再稼働が意味すること」と題し講演をいただき、地震や災害による危険性や事故のリスク、コスト高や世界で広がる再生可能エネルギーへの転換などあらゆる視点で原発に反対する理由を学びました。参加者からは「今回のような学習会にもっと参加して学ぶ機会が大事だ」という頼もしい意見も出され、反核・平和運動を押し付けられてやらされる運動にせず、なぜ取り組まれてきたのか、どうして反核が必要なのかということを考え機会をさらに増やしていこうと確認しました。

リレーは7月9日に飯田市役所を出発

ゴールの県庁に向けて走る青年組合員

 

◆広島への原発投下の時刻に黙とう-県原水禁大会

8月6日午前8時15分、広島に原爆が投下された時刻に合わせ、広島市平和祈念式典をTV中継でつなぎながら被爆79周年原水爆禁止県大会で参加者は黙とうをささげました。オンラインを含め約50人の仲間が参加しました。

県大会では「核と人類は共存できな」という思いを胸に被爆79周年活動方針を確認し、被爆直後の広島・長崎の実写フィルムを編集したDVD「にんげんををかえせ」を上映しました。県原爆被害者の会の前座明司副会長(被爆2世)、5歳の時に広島市内で被爆した今井和子さん(83歳)の被爆体験の語りを傾聴しました。

今井和子さんは、「すごい閃光でした。地の底から突き上げるようなドンっという振動、そして、体がふわっと浮いた感じがしました。(原爆が投下され)真っ暗になって、(その後)明るくなって見えたものは歪んだ家。隣の家は火を噴いて燃えていて向かいの家はぺちゃんこでした」と体験を語り、「政府は速やかに核兵器禁止条約に参加し世界の先頭に立ってもらいたい」と訴えました。

原爆投下の8時15分に合わせて参加者が黙とう

広島での被爆体験を語る今井和子さん

 

◆東京のど真ん中で脱原発をアピール 全国集会に5千人

「命をつなぐ地球環境を」をテーマに、さようなら原発全国集会が9月16日、東京・代々木公園で開かれ、脱原発や気候危機の問題に関心を寄せる労働組合や生活協同組合、市民ら約5千人が集まりました。雷雨の予報をよそに集会中は天気にも恵まれ、脱原発や気候問題などをテーマにした模擬店や各地の産直物産、キッチンカーなども出店し賑わいを見せていました。

ステージでは、各地の原発の再稼働の動きや核燃料サイクルの問題、地元漁民らの意向をないがしろにして海洋放出を続けるALPSS処理水(放射能汚染水)の課題などの報告や訴えがあり、また地球温暖化の解決策を原発に求めようとする動きに対して警鐘を鳴らす若者の発言に集会参加者は熱心に耳を傾けました。

集会後、渋谷コースと原宿コースの二手に分かれてデモ行進に移り、賑わう街並みにさようなら原発、原発は気候危機の解決にならないと訴えかけました。

長野県からは8人が参加しました。

集会の最後にみんなでプラカードパフォーマンス

手作りのプラカードを掲げてパレード

 

◆原発は民主主義と相いれない-市民集会・脱原発2024㏌信州

柏崎刈羽原発7号機(新潟県柏崎市)は、原子炉への核燃料の装塡に伴う検査が6月に全て終了し、技術的には再稼働できる準備が整ったとして、東京電力が再稼働について地元同意を求めています。しかし、福島第一原発の大事故を引き起こした東京電力に、原発を運転する資格はありません。

長野県境の栄村、野沢温泉村から柏崎刈羽原発まで50kmもありません。万が一、大事故が起きた時、長野県の北信地方が放射能被害を受けてしまうことは、福島原発事故の被害状況からみても、現実のものとなってしまいます。

市民集会・脱原発2024in信州が10月20日、長野市・県労働会館で開かれ、会場とオンライン合わせて約60人が参加しました。新潟県の柏崎刈羽原発に関する検証委員会の委員を務めた佐々木寛さん(新潟国際情報大学教授)が「原発と民主主義~柏崎刈羽原子力発電所の再稼働問題を考える」と題して講演しました。佐々木さんは「原発建設が民主主義や地方自治、人権を侵害し続けている」と強調。新潟県で県民の意思に反してすすむ柏崎刈羽原発の再稼働の準備について厳しく批判しました。また、新潟県平和運動センターの有田純也さんも集会に参加し発言。11月から柏崎刈羽原発の再稼働問題について県民投票の実施を求める直接請求署名を始めると報告しました。

集会には約60人の市民が参加

講師の佐々木寛さん

 

総選挙 与党が過半数割れ - 政権交代へ道筋つける

県労組会議の推薦候補4氏が当選果たす

国民・労働者の生活向上、平和を守る政治へ大転換を

10月27日に投開票された総選挙は、自民・公明の与党が過半数を大きく割り込み、立憲民主党などの野党が躍進する結果となりました。「一強多弱」の政治状況が一変し、与野党伯仲状態が生まれました。裏金や旧統一教会問題、絶対多数を背景にした強権的な国会運営など、自民党政治のおごりに国民の怒りが吹き上がりました。

県労組会議は1区、2区、3区、5区の4人の候補者を推薦しましたが、全員が当選を果たすことができました。みなさまのご支援に心から感謝申し上げます。

当選した衆議院議員

長野1区 篠原 孝

長野2区 下条みつ

長野3区 神津 健

長野5区 福田淳太

裏金・統一教会に頼り、国民生活と平和を壊す自公政権は退場を

立憲野党の躍進で国民・労働者のための政治、政権交代を実現しよう

総選挙投票日は10月27日(日) 期日前投票の活用も

石破政権が発足しましたが、国会で十分な議論も行わず、10月9日解散、15日公示、27日投開票の総選挙を強行しました。

石破首相は自民党総裁選の中で掲げた「裏金議員の選挙での厳しい処遇」「日米地位協定の改定」「選択的夫婦別姓制の導入」などは、首相就任後に態度を一変させ、発言を修正したり封印したり、発言と行動が一致しないブレた対応に終始しています。また、衆議院の解散についても総裁選では、国会で十分に議論してからなどと発言したにもかかわらず、早期解散を強行するなど、すでに国民からの信頼感を失いつつあります。

投票日は10月27日(日)。国民生活と平和、民主主義の将来のために何としても自公政権の過半数割れ、政権交代への道すじをつけましょう。

県労組会議総選挙推薦候補

長野1区 しのはら孝  長野2区 下条みつ

長野3区 神津たけし   長野5区 福田じゅんた

県労組会議が4候補に「政策要望書」を提出

県労組会議は各選挙区の推薦候補者あてに「政策要望書」を提出し、その内容を尊重して国政にのぞむように求めました。

公示日の15日、16日に4人の候補者事務所を訪問して要望しました。政策要望書の内容は下記の通りです。

政 策 要 望 書

 第50回衆議院総選挙に向け、長野県平和・人権・労働組合会議、各地区労組会議は、下記の通りの政策要望を提出します。貴殿におかれては、私たちの政策要望を尊重していただき、当選後の国会活動に反映していただけるように要請いたします。

1.立憲主義に基づき、憲法9条の改悪に反対し、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権を掲げる日本国憲法の原則を徹底して守ります。

2.核兵器禁止条約を批准し、脱原発と再生可能エネルギーへの転換を積極的に進めます。

3.沖縄県の米軍辺野古基地建設に反対し、日米地位協定の改定を求めます。

4.勤労者の生活を直撃している物価高に対し、家計への直接的補助の拡充、中小零細事業者の雇用と事業を守るための支援策を拡充します。

5.労働基本権を擁護し、労働者全体の賃金引き上げと解雇規制の自由化に反対するなど労働者保護ルールの堅持、官民の非正規雇用の待遇改善を図り、正規雇用化をめざします。

6.男女の賃金格差、雇用格差をなくし、女性が安心して働き続けられる権利確立に取り組みます。また、LGBTsなどすべての差別の解消に取り組みます。

7.真の地方自治を実現するための財政を確立し、人員確保を進めます。病院、保健所、保育所、水道など市民の健康と生命にかかわる公共部門の充実をはかります。

8.中小零細企業、地場企業への支援を拡充し、下請け企業の価格転嫁や適正価格での雇用保障、労働条件の維持・向上に取り組みます。

9.公共交通の人手不足への対策を徹底し、ライドシェアなどタクシーの規制自由化に反対し、地域公共交通の維持、活性化対策を強化します。

10.国有林は「国民の共有財産」であり、地球温暖化防止の観点からも十分な予算を投入します。

11.食料自給率の向上や食の安全を確保し、地域における農林水産業を再建します。

柏崎刈羽原発の再稼働を許さない0925

毎月一回第4水曜日長野駅前で、脱原発共同学習会に参加しているメンバーがスタンディングを行っています。

皆さん、こんばんは。私たちは新潟県にあります東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を止めようと立ち上がった市民有志です。

9月24日、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働を新潟県に求めている経済産業省資源エネルギー庁の村瀬佳史(よしふみ)長官が新潟県議会で自民党県議団と面談し、村瀬長官は政府が9月6日に原子力関係閣僚会議で示した避難道路などの整備方針を説明し、再稼働への理解を求めたという報道がありました。

 

また、自民党新潟県連が政府に避難道路の整備などに加え、事故リスクを負う新潟県が経済的メリットを感じられる取り組みなどを求めているそうです。メリットさえあれば県民が同意すると考えているところがなんだか国民をバカにしているような気がします。岸田首相が、退陣前に柏崎刈羽原発の避難道路整備を関係閣僚会議で指示したり、ここにきて原発をどうしても再稼働させたい思惑が伝わってきます。

柏崎刈羽原発は、ここ長野市から93.4キロの場所にあり、長野県民にとってもひとごとではありません。 

私は、2011年の福島原発事故の時に長野市に自主避難してきました。当時、子どもたちの健康が心配で思い切って故郷を離れました。その経験から、自分なりに伝えたいことがあります。

今、福島の原発事故から、13年が経ち、福島県の子どもたちに甲状腺がんが急増しています。

2011年当時の福島県内の子ども38万人のうち、今年の2月現在370人が小児甲状腺がんと診断されています。通常、小児甲状腺がんの発生率は100万人に1人から2人ということですから、単純計算すると100万人に973人、通常と比べると、480倍から970倍の発生率ということになります。

私の子どもたちも、福島県が行う県民健康調査で数年に一度、検査を行っているので、この現実はひとごとではありません。自分たちが不安に思った状況や、実際に健康影響を受けている子どもがいる、そのことを知ってもらいたいのです。

今、世界では、原発はリスクが高く、また決して安価なエネルギーではないため、再生可能エネルギーにシフトしていっています。日本がどうしてこんなにも原発に固執するのか、一部の人の強大な利益のために国民が利用されているのではないか、そんな視点でひとりひとりが考えてみること、小さくてもみんなでつながれば、大きな力になるのでは・・・そんな風にお話させていただきました。

台風、河川の氾濫、地震、土砂災害などなど、災害が後を絶たない昨今、今一度、ご家族や身の回りの方たちとこれからの日本を担う、子どもや孫世代のために、エネルギーの未来について話してみるのはいかがでしょうか。

次回のスタンディングは、10月30日(水)17:30~長野駅前(東急レイホテル前)です。どなたでもご参加大歓迎です。一緒にスタンディングで再稼働反対を訴えましょう!

市民集会・脱原発2024in信州のお知らせ

 

 

被爆79周年原水禁世界大会(長崎)~長野県代表団報告~

今年も長野県原水禁は、8月7日(水)8日(木)9日(金)開催の「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加した。

長野県からは、自治労、レゾナック労組大町支部、上伊那地区、長野地区、県原水禁と、それぞれの団体から総勢9人が参加。今回は小学生が1名参加するということで、若い人に被ばくの実相を見てもらうことはとてもいいことだとあらためて感じた。昨年の台風とは打って変わって天気にも恵まれ、三日間の行事が無事に滞りなく行われるようにと祈りながら出発した。

長崎空港→開会式会場へはリムジンバスで移動

開会式会場到着。全員で記念撮影

 

8月7日(1日目)

長崎市・ブリックホールにおいて「被爆79周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」開会行事が行われ、約1000人が結集した。開会行事では、主催者を代表し川野浩一・共同実行委員長があいさつ。5歳で被爆し、現在84歳。自身の体験を振り返りつつ、被爆の記憶も意図的に消されようとしているとしか思えない日本の状況があり、戦争への反省やそれに基づく憲法もないがしろにされているとした。核兵器禁止条約(TPNW)の締約国会議には日本政府はオブザーバー参加すらしていない。そのうえで「橋渡し役」などと自称する岸田首相を批判した。日本こそが核廃絶の最先頭に立つべきであり、そのために政治を変えよう、ともにがんばろうと訴えた。

今年も高校生平和大使の皆さんに大きなパワーをいただいた。

「原爆許すまじ」を斉唱し、閉会

 

行事終了後、昨年同様、全員で路面電車に乗り宿泊先へ移動した。

今年は、宿泊先が2カ所に分かれてしまったが、参加者の皆さんのホテル(長期滞在型マンションタイプ)の感想は思いのほか、よかったので事務局としてはホッと一安心した。夕食会場は賑やかな宴となり、明日の分散会に備えて一次会でお開きとなった。

一日目の夕食懇親会

 

8月8日(2日目)

2日目は、分科会やフィールドワークが中心になるので、各自が希望する会へ参加した。

第1分科会 平和と核廃絶Ⅰ-世界の核軍縮

第3、4分科会会場

第3分科会講師 原子力資料情報室 松久保肇さん

第3分科会 真剣に聞き入る参加者の様子

第3分科会講師 アワープラネットTV 白石草(はじめ)さん

第3分科会 福島原発事故の当時の報道について話す白石さん

フィールドワーク:佐世保港内クルージング

フィールドワーク:子どものひろば

子どものひろばに参加した小学生の参加者

午後は唯一の自由時間のため、思い思いに過ごした。

めがね橋

港に停泊していた豪華客船

夜の長野県団の夕食交流会の際に、日本被団協・事務局長の木戸季市さん(84)さんとフォトジャーナリストの安田菜津紀さんをお見掛けし、勇気を出してお声がけしたところ、気さくにお話していただいた。その中で、当時の被ばく体験について詳細に語ってくださった。五歳のころ、爆心地から2キロのところで被ばくし、顔にやけどし爆風に飛ばされ、翌日逃げて爆心地の近くを通ったら死体がゴロゴロしていたこと。毎年ニューヨークで行われる核兵器禁止条約の会議に参加し被ばく者として訴えていることなど。また、なぜ被ばく者の方が10年経って初めて自分が被ばく者だと認識したのかについて質問したところ、当時、原爆がなんなのか分からなかった。アメリカ政府の隠蔽・弾圧、日本政府の遺棄、見捨てたことにより、分からないまま10年間が過ぎた。少しずつ分かるようになったのは、ビキニ事件からでそれまではなぜ具合が悪いのか、なぜ死んでいく人がいるのか、何が何だかわからなかった。この話は、当時を知り経験した人のリアルな証言だと感じた。木戸さんは、いま、あと10年生きれるか分からない84歳になった人生の仕上げとして、世界から核兵器をなくすために活動をしている。そう熱く語ってくれた。福島原発事故を経験した自分には、すべて繋がっていると感じた瞬間だった。私自身、高校生平和大使とともに、「微力だけど無力ではない」活動に邁進していこうと思った。

2日目の夕食交流会で、なんと日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の木戸季市事務局長とフォトジャーナリストの安田菜津紀さんとばったり

木戸さんから貴重な被爆体験のお話を聞くことができた。

夜景を見に出かけた参加者から。美しすぎる。

サンデーモーニングのコメンテーターでも有名な安田菜津紀さん。とても気さくで笑顔が素敵な方という印象。

8月9日(3日目)

3日目は、朝7:30に集合して慰霊碑参拝へ。路面電車に乗りみんなで向かったのは、竹の久保、梁川(やながわ)公園。朝から暑いと感じる。79年前の原爆が落とされた朝も、こんな風に暑かったのか・・・そんなことを想像しながら歩いた。公園に到着後、参拝して集合写真を撮った。恒例のリンゴジュースを持参して地域の方へお渡しした。

    

参拝を終えて、バスで閉会式会場へ向かう。土地勘がないため、慣れない路線バスにちょっと不安だったが、地元の方に聞きながら会場へ無事に到着。閉会式終了後、爆心地公園まで行進した。途中、長い行進の様子に圧倒される。爆心地公園隣の平和公園で祈念行事が行われていたが、残念ながら当日の自由参加は不可で立ち入ることはできなかった。爆心地公園に戻り、11:02に黙とうをして当時に思いを馳せた。

              

帰りの集合時間までは、それぞれ原爆資料館を見学したり、昼食を摂るなどして自由行動。

    

空港では、短い時間だったがお土産を購入したり、飛行機の離陸する様子を見たり。帰りの飛行機が世界に一台のレアだったのも、嬉しかった参加者たち。

    

最終日は九州で大きな地震があり南海トラフなど一時期不安になったが、無事に羽田空港に到着して安堵した。振り返るとあらためて実りある長崎となった。これも参加者の皆さんのご協力のもと、特に大きなトラブルもなく帰り着くことができた。感謝申し上げます。ありがとうございました。

※解散後、東京駅は地震の影響で東海道新幹線がとまり、お盆休み前とでごった返していた。また、上伊那組は予約していたバスが運休となり、急遽新宿で後泊せざるを得ず、翌日まで足止めをくらった。

 

~参加者の感想~

・未来の子どもたちに平和をつくる想像力を…
戦後80 年 を迎えようとしています。この 年月の中でどれだけのことを知り得て、どれだけのことを後世に伝えることができたのか。 そして、 戦争を知らない私たちが、戦争という過去の愚かさ、悲惨さを 次世代へ どう伝えていくか。ずっと平和な日本を、そして平和な世界を築き上げるためには、過去の歴史をしっかりと学び、 戦争を知ることが大切だと思います。原爆が落とされた広島と長崎、激しい地上戦があった沖縄、日本が侵略した中国…。何があったのかを知り、そこで私たちと同じ「人」がどれだけ惨い 思い をさせられたのか想像できる材料を提供していくことが、 未来を担う子どもたちのために 、今を生きる我々の使命、 大人が 負うべき 責任ではないでしょうか。戦後 、築き上げてきた日本の平和も今大きな曲り角にあるといえます。だからこそ、次の時代を生きる、子どもたちの 平和で幸せな 未来のために、自分に何ができ 、やるべきことを考え行動することでき るのかを考えて 行かなければならないと 思います。今私たちが享受する平和は、過去の戦争により家族や仲間、自分の今私たちが享受する平和は、過去の戦争により家族や仲間、自分の人生を失った 多くの人の哀しみや 痛みのうえに維持されてきたということ 。そして平和は、その時その時を生きる「人」がつくり出さなければ維持できないということ 。 あらためて考える機会に 、そして多くの世代に伝えていきたいと思います。戦後100年も平和である日本を願って。

・<平和の大切さを思う>
空襲警報が鳴り響いて原爆は多くの人々の尊い命をうばい、町を破壊しました。かろうじて生き残った人々も原爆症などの身体的な障がいのほか、家族や大切な人を亡くした深い心の傷を持って生いきています。原爆投下・終戦から79 年が経って、被爆者の年齢も平均年齢は 85.58 歳ということです。少しずつお話することが難しくなっています。直接話を聞くことができる 時間も残りわずかです。 体験談を聞き、戦争の悲惨さと平和の大切さを感じました。未来を生きていくぼくたちが、 2 度とこのようなおそろしい戦争をおこさないようにするために 、 みんなで考えることが大事だと思います 。 そして、平和な毎日が送れる ことに感謝しないといけないと思いました。大会を通じて、改めて戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを痛感しました。分科会で学んだ「被爆体験を、体感する」ことが、二度と核兵器を使用しないために大切なことだと思いました。大会を通じて沢山の人の思いに触れ、とても勉強になった2日間でした。

・世界に目を向けると決して平和とは言えません 。平和の祭典と言われるオリンピックがパリで開催される中でも、 戦争が続き、今この時も罪のない多くの命が失われています。来年は、 被爆80周年を迎え、終戦から80年 が経とうとしています 。もう一度 、 命の大切さや、 本当の安全や安心、平和について立ち返るときだと考えます。被爆者の平均年齢は8 5 歳を超え 、 生の被爆証言を聞けなくなる時代が現実的になってきました が、 高校生平和大使などの活動で次世代継承が行われ 、 力強い未来を感じることができました。今後も廃絶に向け 原水禁運動に 取り組み 、 声を上げ 、更なる運動の進展に向け多くの声で、必ず日本政府を、国際社会を動かすことを目指していきたい です 。

・一番印象に残ったのは、30年前には無かった、高校生平和大使の皆さんの活動に触れたことで、高校生達の「この活動は微力だけど無力じゃない」という言葉でした。平和を願う思いが高校生達にしっかりと引き継がれ、地道ではあるけれど草の根運動が着実に継続されていることを実感しました。これは、平和運動に限らず組合運動全般に通じることだと思っており、今回経験したことを地区や職場の仲間に広げていく事の大切さをあらためて感じ、自分を見つめ直す機会にもなりました。

・佐世保の街を歩いて感じたのは、原爆投下の前日でありながら、悲痛な重い空気が漂う長崎市の雰囲気とはあまりに違うこと。それは、1時間足らずしか見れなかった為にわからなかっただけかもしれないし、戦後も米海軍の基地と共に生きて来ざるを得なかった佐世保だからなのかもしれない。

・実際に現地に赴き、話を聞いたり、その地を見たりすることで 戦争の悲惨さをより現実的として捉えることにより、絶対に繰り返してはならないことだと 痛感しました。私は昨年、沖縄平和行進に参加させていただきましたが、その際も同様に感じました。 戦争、核のない平和な世界を願います。また、こうした経験を上伊那地区労組会議、出身単組に持ち帰り、伝えていきたいと思います。

・個人的に行政として、市民に寄り添わずに国の判断に従う形で物事を進めている事に非常に違和感を感じた。(何らかの圧力や政治的背景、経過等がすごく気になる)単純に一番身近な市が味方でなければ、誰が味方になり得るのだろうか、客観的に見て非常に違和感。

・今回、原水爆禁止世界大会に参加させていただき核兵器の恐ろしさ戦争の破壊力を身近に感じ、廃絶の必要性を改めて感じました。この会に参加することで世界中の人々が核の廃絶、平和を求めて連帯している姿を目の当たりにし、希望を感じることができました。核兵器廃絶の取り組みは決して容易な道ではないですが、大使の方々のスローガンのように「ビリョクだけどムリョクじゃない」という想いを胸に一人一人が声を上げることが重要だと改めて認識しました。原水爆禁止世界大会への参加は、自分の考えを深め平和への思いを新たにする貴重な経験になりました。ありがとうございました。

 

柏崎刈羽原発の再稼働を許さない

毎月一回第4水曜日長野駅前で、脱原発共同学習会に参加しているメンバーがスタンディングを行っています。

先日の新聞に、岸田首相が柏崎刈羽原発の再稼働について閣僚会議を来週開くことを決めたとありました。地元の同意が欠かせない柏崎刈羽原発の再稼働を、地元が求めている避難路の整備や地域振興策の中身を詰めて、なんとか退陣前に再稼働への道筋をつけたいそうです。

「残された任期の間に、GX、グリーン・トランスフォーメーションを一歩でも前進するために尽力する。その一つが原発の再稼働の準備だ」と言及しました。

この方は、本当に・・・国民ではなく、いったい何に向かって動いているんだろう。

2011年に福島原発事故が起きたことによって、原発はいったん事故が起きたら、とてつもない大惨事となる。原発は人間に制御できないものであり、いつもそこには命の危険がついて回る、そういうエネルギーであるということ。そして、あまり考えたこともなかったけれど、東日本大震災の発生前、日本には54基の原発があり、日本で使う電力の30%前後を原子力で賄っていたこと。ここにも、そうここにも原発があることを知りました。これだけの危険がはらんでいるエネルギーが思いのほか、自分たちのすぐ近くにあったのか、そう思った人も少なくはないと思います。

そして、今年3月(16、17日)実施の毎日新聞世論調査で原発再稼働への賛否を聞いたところ、「反対」が45%で「賛成」の36%を上回りました。2022年5月と23年3月に同じ質問をした時には賛成の方が多かったが今回、賛否が逆転したとのことです。元日の能登半島地震で原発のリスクが再認識された可能性がある、と報じていました。この報道に、国民世論は、やはり原発は危険なものであり、できるのなら違うエネルギーで賄いたい、そう感じているように思いました。

にもかかわらず、岸田首相のやっていることは、まったく真逆のことのように思います。日本政府がドイツのように国を挙げて、再生可能エネルギーに舵を切れば、自ずと経済も企業も変化していくはずです。すでに原発は「斜陽」と位置付けて、再エネへ進みだしている企業や自治体もあります。

ここ長野市から100キロも離れていない新潟県の柏崎刈羽原発は、総出力が821万2千kWで1つの発電所としては世界最大級の原発です。また、新潟県は積雪量が多い地域。元日の能登半島地震で、避難計画は絵にかいた餅であることが露呈しました。このことから柏崎刈羽原発の再稼働は、私たち長野県民にとっても、決して他人ごとではないのです。

台風、河川の氾濫、地震、土砂災害などなど、災害が後を絶たない昨今、今一度、ご家族や身の回りの方たちとこれからの日本を担う、子どもや孫世代のために、エネルギーの未来について話してみるのはいかがでしょうか。

 

次回のスタンディングは、9月25日(水)17:30~長野駅前(東急レイホテル前)です。どなたでもご参加大歓迎です。一緒にスタンディングで再稼働反対を訴えましょう!

 

 

311 子ども甲状腺がん裁判第10回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第10回口頭弁論が6月12日、東京地裁で開かれた。 

弁護団長の井戸弁護士

この日は、大法廷の一般傍聴席が86席に対し、191人が傍聴券の抽選に並んだ。地裁前の裁判前集会には平日であるにも関わらず160人が集まった。この裁判の注目の高さがうかがえる。

今回も多くの支援者が東京地裁前に集まった。

裁判の行方について話す副弁護団長の杉浦ひとみ弁護士

京都訴訟で闘う若き原告

前回の期日前から、順次提出する予定だった原告一人ひとりの陳述書と精神科医による意見書。その提出が再び留保となった。理由は、原告本人が法廷でこの主張の内容を説明することを求めていたが、裁判所が認めなかったとのこと。

弁護団によると、原告側は、口頭弁論に先駆けて開かれた進行協議で、原告の弁論を認めない裁判所の対応は法律に反すると指摘。原告本人による陳述を認めない理由を、法廷の場で説明するよう裁判所に求めたところ、裁判所が態度を軟化させ、書面内容から逸脱しないことを前提条件に、次回期日以降、原告による陳述を認める可能性を示したという。このことから、弁護団は原告の個別の書面提出を次回に延期し、次回の期日で原告による意見陳述を行なっていきたい考え。

原告側は今回、UNSCEAR(国連科学委員会)を批判する書面4つを提出。一方、東電は反論の書面1つを提出した。裁判所の方針で、原告は次回の期日で、因果関係などに関する主張は全て出し切る予定だという。なお、原告の一人が提訴を取り下げ、原告は6人となった。

ずっと縁の下の力持ちでこの集会を支えてくれている笠原さん。原告とは同世代。

女優の斉藤とも子さんも応援にかけつけた。

環境広告サステナ代表のマエキタミヤコさん

 

次回の第11回口頭弁論期日は9月11日(水)に予定されている。今後も311子ども甲状腺がん裁判を引き続き注目し、応援していきたい。

最後に、長野県国労家族会さんからのカンパ金をお預かりし、お渡ししてきた。井戸弁護団長のお父様がなんと国労組合員だったとのことで、「私自身が国労家族会のメンバーみたいなもの。大阪の宮原電車区で、当時の国労の集会で講演をしたことがある。父親のこともあり懐かしく話をした。こうしてご縁がつながり、とても嬉しく思う。大切に使わせていただきます。」という御礼の言葉をいただいた。

不思議な巡り合わせに、また勇気をもらった。団結してガンバロウ!

国労家族会さんからのカンパ金を井戸弁護団長にお渡ししてきた。

 

 

 

 

信州市民連合と立憲・共産・社民の県内3野党が政策合意

自公過半数割れめざし総選挙で共同して戦う方針も確認

候補者調整・一本化に向けて努力する方向性も打ち出す

共同のテーブルには約40人の関係者が参加した

記者会見の最後に4人が固く握手

違憲の安保法制の廃止や岸田政権の軍拡政策に反対する活動を進めている信州市民連合は7月31日、長野市生涯学習センターで約40人の参加者を集めて、「信州市民連合と3野党との『共同のテーブル』」を開きました。

信州市民連合は昨年夏以降、立憲民主党、日本共産党、社会民主党の県内3野党と総選挙において市民と野党が共同で掲げる政策について意見交換を重ねてきました。政策内容について3野党と合意ができて「共同のテーブル」を開く運びとなりました。

「共同のテーブル」には、立憲民主党県連代表の杉尾秀哉氏(参議院議員)、日本共産党県委員会委員長の鮎沢聡氏、社会民主党県連合代表の中川博司氏(県議会議員)が参加しました。

まず、主催者を代表して又坂常人・信州市民連合共同代表(信州大学名誉教授)があいさつ。又坂氏は「岸田政権は、米軍と自衛隊の一体化、自衛隊の米軍の下請け化をいっそう進めている。この国会では、地方自治体への国の指示権を認める地方自治法の改悪を強行した。中央集権的な国家の介入を容認する改悪法だ。ダッチロール状態の岸田政権に一刻も早く終止符を打ち、本当に国民の意思を代表し 新しい未来をひらく政権をつくろう」と強調しました。そして又坂氏は「そのために総選挙で与党の議席を1つでも2つでも3つでも減らす必要がある。少なくとも与野党が拮抗する状態に持っていって、最終的には政権交代をするという戦略的な考えをぜひ野党には持ってもらいたい。そして、手始めとして小選挙区で候補者の一本化を図っていただきたい」と市民と野党の共闘で戦う方向性を求めました。さらに又坂氏は「候補者調整と同時に、政策の一致が求められる。今日の共同のテーブルで3野党に手渡す政策要望書を尊重して活動してもらいたい」と述べました。

その後、3野党にそれぞれ信州市民連合の「政策要望書」と「基本政策」が手渡されました。

杉尾秀哉・立憲民主党県連代表

あいさつに立った杉尾秀哉・立憲民主党県連代表は、「信州市民連合より受け取った政策要望書については、最大限私たちの要望も聞いていただき、納得できる内容にまとめてもらって感謝する。これからの解散総選挙、国政での活動ではこの政策要望書の内容を尊重して行動していく。長野県では、私も2016年に最初に市民と野党の共闘で一本化をしていただき国政に送り出していただいた。それから参議院では4回の選挙で連勝をした。『長野モデル』の勝利だった。残念ながら衆議院の2021年の総選挙では、長野モデルが県民に十分な理解を得られず勝利することはできなかった。その反省の上に立って、今回、 政策要望書で次の解散総選挙で立憲野党の候補者一本化と市民と野党の共同を進めて当選を目指すことを要望されている。候補の調整、一本化を心から期待したい」などと述べました。

鮎沢聡・日本共産党県委員会委員長

日本共産党県委員会の鮎沢聡委員長は「信州市民連合の皆さんが、市民と野党の共闘で政治を変えるために、 共闘の旗印となる政策要望書にまとめていただき敬意を表する。裏金問題はじめ政治腐敗、国民の暮らしの破壊と平和の破壊が一体で進められている自民党政治はもう完全に行き詰まっている。国民は自民党政治を見限り、政権に退場を突きつけている。今声を上げれば自民党政治を変えられる歴史的なチャンスだ。今回の政策要望書は、その希望の方向を示している。市民と野党の共闘を本気の共闘にしていこう」などとあいさつしました。

中川博司・社民党県連合代表

社会民主党県連合の中川博司代表は「今日の政策要望書を社民党も全力を挙げて実現に向けて努力をしていく決意だ。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻を目の前にして、私たちは 無力感を感じざるを得ない。今起きている戦争を私たちが止められない。本当に毎日幼い命が奪われていくことに心が痛む。しかし、私たちには力も金も名前もないが、手を繋ぎ声を出していくことはできるはずだ。今の自民党政治を一刻も早く変えるために全力を尽くしてまいりたい。信州市民連合が作ってくれたこの共同のテーブルを前に動かして、一刻も早く候補者の一本化、戦う体制を作っていこう」と強調しました。

共同のテーブルではこのあと参加者と意見交換を行いました。また、多くのマスコミ関係者が取材していましたので、共同のテーブル終了後には、信州市民連合と3野党が共同記者会見を開きました。

信州市民連合が3野党に提出した「政策要望書」「基本政策」/信濃毎日新聞記事(2024年8月1日)

311のキャンドルナイト報告会

共同代表 アイリーン・美緒子(みおこ)・スミスさん、白石草(しらいし・はじめ)さん、マエキタミヤコさんらと他数十人の呼びかけ人により、今年初めて立ち上げられた癒しのイベント「311のキャンドルナイト」。長野市でも約40人が長野駅前でのスタンディングに参加し、静かに心を寄せた。また、3月11日当日は全国で、それぞれ思い思いの形で執り行われた。

6月11日、zoomとリアルで報告がされた。

 

アイリーンさん:きぼうみらいミナマタ、相思社他6人で水俣で開催。福島原発事故のあと、何度も福島へ行っているので、繋がっていたいという気持ちがある。

京都:木津川の皆さんはカフェで開催したところ、新聞報道がされた。

日光:原発反対栃木の会。会場をどこにするか悩んだ末、キャンドルを使うので消防に届けを出し、ウッドデッキで行った。とてもよかった。

長野(伊那市):古民家で5人でキャンドルを灯して、いろいろなことを語り合った。

名古屋:原発ゼロ名古屋アクション。2023年も独自で開催。栄の公園にて、地面に311とキャンドルを並べて語り合った。19:03にホイッスルを鳴らした。参加者はいろんな世代で、都会中心の避難者など20~30人。

 

東京:東電前に300人。いつもの東電前のデモだと、アピールがメインなので、静かに訴える今回は好評だった。

東京:ママデモで活躍した方。

三鷹:上野千鶴子さんが参加してくれた。毎年、駅前で311キャンドルやってる。歌ったりしている。40~50人立ち止まってポストイットにメッセージを書いてもらったりした。

新潟:2家族でこじんまり。中学生と小学生の子どもたちと。自宅のリビングでキャンドルのみの灯りで、人生が変わったことなどを話した。避難してよかったのか・・・など。

FOEジャパン:福島は今野寿美雄さんのツアーに参加。双葉屋旅館、俺たちの伝承館の皆さんとキャンドルナイト。「ワタシのミライ」では、気候変動対策について9/22.23国連未来サミットが行われる。

徳島:コープ自然派しこく。脱原発を掲げて活動している。

青森:実家に小学生を集めて学習会。保護者も来てくれて語り合った。忘れてはいけないと確認した夜だった。

東京:放射線測定室アスナロ、通称「ラボ・アスナロ」。原発事故後、現在も福島の子どもたちの保養を行っている。

マエキタさん:中目黒デモプラTVで心を寄せるキャンドルナイトを行った。

白石さん:東京駅の駅前で若者中心にキャンドルで311を作って行った。

長野(長野市):長野駅前で約40人がスタンディング。癒しのイベントなので、いつものように声高に訴えるのではなく、優しいBGMとキャンドルに見立てた「311を忘れない」灯りを持って静かに訴えた。男子高校生5人のグループや20代前後の女性2人組などの一般人の飛び入り参加もあり、それぞれ「あの時のことは決して忘れない」「がんばってください」とマイクで発言してくれたのが印象的だった。地元のテレビ局の生放送や新聞報道もされ、少しでも知ってもらえる機会になったなら嬉しい。

他にも、来年に向けてのアイディアとして、各地域のシンボリックの前で行うのもいいのでは?とか、来年は海外にも広めよう!時差があるので、19:03が繋がっていく感じはどうか、などの意見が出た。

また長野市の報告に対して、若者の飛び入り参加や地元テレビ局の放送に、「すごいですね」「参考にしたい」や驚いている様子の感想もありとても反応がよかった。