21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

将来の平和運動を担う若い世代が2泊3日で学習・交流

4回目の平和フォーラム・ピーススクールを開催

11月17日から19日まで、二泊三日の日程で「平和フォーラム2023ピーススクール」が開催されました。

ピーススクールは、平和運動を担う若い世代を育成することを主な目的として、さまざまな課題を丁寧に伝え、共に考える場として開催されてきました。講演やグループワーク、フィールドワークを通して、平和運動や原水禁運動、人権課題などの現状や課題を学ぶ機会とするものです。

今年は、全国各地から32団体の41人が参加し、職種や世代も異なる6~7人でグループをつくり、課題ごとに意見交換をおこない、同世代の仲間と問題意識を共有しました。

公務職場や公共交通などそれぞれの職場の厳しい状況についても知る機会にもなりました。

辻本清美参議院議員、市田真理氏ら充実の講師陣

一日目の辻本清美議員の講演では、学生時代のピースボートの取組みから政治に至った経験から、運動から政治へのコミットメントの重要性、運動と政治の両輪が必要だと訴えられました。二日目の第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さんからは、第五福竜丸を保存するために多くの方々が尽力した経過、被害者たちのその後、第五福竜丸事件を巡って日本政府とアメリカやソ連・中国とのせめぎ合い、見落とされがちなマーシャル諸島の住民たちの存在、さまざまな書式で全国から集まった原水爆禁止署名の運動と多岐にわたる視点からこの問題を考えるヒントを頂けました。午後からは在留外国人の置かれた困難な状況、LGBTQの差別問題についての講演が続き、朝鮮大学学生の李さんの差別に立ち向かう民族教育の意義についての訴えに参加者一同圧倒されました。

憲法から第五福竜丸、LGBTQ、在留外国人の差別問題と多岐に渡る課題を学ぶ

密度の濃い熱量の高い講義がつづきファシリテーターの方が記録してくれたホワイトボードがどんどん埋まっていきました。

フィールドワークで訪れた第五福竜丸展示館

市田さんのお話を伺ったあとは、夢の島公園内の林のなかにひっそりとある第五福竜丸展示館を見学しました。実際に目の前にする第五福竜丸の大きさに参加者の多くが驚いていました。当事者が亡くなっていくなかで、どうやって次世代に伝えていくかという問題があることを考えたあとに、実際にモノとして残っているものをしっかりと保存継承していくとりくみも大切な運動なのだと理解することができました。そして当事者ではない市田さんの伝える力についても改めて学ぶことがあると思いました。

最終日のディベートでの葛藤

最終日には、グループワークの総集編として、「安全保障に関する防衛力の強化」「原発推進政策」「労働組合の政治活動・平和運動積極参加」をテーマに、賛成・反対に分かれ、ディベートを行いました。本来の自分の考えと違う立場で主張を展開することの難しさがありましたが、双方の立場からどう伝えたらいいのか考える時間は貴重な経験になりました。防衛力の強化をテーマにしたディベートでは、全港湾出身の参加者から「海外から武器に変わる原料や資材を港で運ぶのは自分たち。運びたくない」と

また、一部参加者はピーススクール終了後に開催された「19日行動」にも参加し、より実践的に学びを深めました。

衆議院議員会館前に並んでスタンディングアピール

ピーススクール終了後に永田町へ

三日間の密度の濃い日程から「難しそう」「大変そう」「ついていけるだろうか」といったイメージを抱えて参加した方がほとんどでしたが、「学びが多かった」「貴重な経験になった」「参加できてよかった」などと最後のあいさつで発言している方が多くありました。

コロナ禍を経て、全国各地から集った参加者同士で交流を深められたことで、実際に会って交流する大切さも確認することができました。

今回得た経験を活かし、これからの活動に活かしていきたいと思います。

駐イスラエル大使館付近ではガザへの攻撃の中止を求めるデモが行われていた

イスラエル大使館周辺には警察の警備車両が停まる

ミャンマーにあたたかい古着を送る活動に220人が協力

アジア子ども交流支援センターがミャンマー現地に送付

長野市に本部を置く「アジア子ども交流支援センター」(ミャンマー民主化を支援する信州の会加盟団体)は、今年7月から9月までの間、ミャンマーの人びとにあたたかい古着を送ろう市民に呼びかけてきました。これに対し220人の市民が古着を寄付してくれました。古着は、船便でタイ経由でミャンマー現地に届けられました。ミャンマー現地からはお礼の手紙や写真、動画が届きました。

アジア子ども交流支援センターはこのたび会報「ピース・ウェーブ」を発行し、古着送付活動と、10月29日に開いたミャンマー交流フェスタin信州の報告を掲載しました。

12月6日から10日まで伊藤孝司写真展「平壌の人びと」松本展を開催

朝鮮民主主義人民共和国に対する政府やマスコミなどによる「反北朝鮮キャンペーン」により、「悪の帝国」「独裁国家」などという負のイメージが広がっています。しかし、朝鮮国内では普通の人々が普通の暮らしをしているという当たり前の事実が後景に置き去りにされています。

フォトジャーナリストの伊藤孝司さんは、約200回にものぼる海外取材を重ねています。その中で 「空白」 となっている国、朝鮮民主主義人民共和国を初めて訪れたのは1992年でした。実際に見たこの国が、 日本で伝えられている姿とあまりにも異なることに疑問をもち、日本と関わるテーマを精力的に取材しました。2019年10月までに43回にわたり朝鮮を訪問されました。訪問時に撮った膨大な写真から選択した写真展が全国各地で開かれています。写真は朝鮮の人びとをテーマに、約4割は地方都市で撮影されたものです。

日朝県民会議は、日朝松本市民会議などとともに伊藤孝司さんの写真展を12月6日から10日まで松本市美術館市民ギャラリーBで開く計画です。写真展の開催中に伊藤孝司さんの記念講演会も企画いたしました。お誘い合ってご参加いただけるようにお願いします。

労働者・国民に共感が広がる運動を地域からつくろう

約60人参加した県労組会議定期総会で今年度の運動方針を確認

長野県平和・人権・環境労働組合会議(県労組会議)は10月20日、代議員・傍聴者、来賓など約60人を集め、長野市内で第28回定期総会を開きました。

主催者あいさつで、宇佐美正信議長は「暴走する岸田政権を許さない闘いはまだまだ続く状況。多くの政治課題に対して声を上げていく地道な運動が必ず変えていくことができる力になる」(あいさつ別掲)などと強調しました。

討論では「反核平和の火リレーは7月11日から8月4日まで実施し、ランナー総数635人が参加した。要請した77自治体中64自治体で市町村長(もしくは副市町村長)が直接参加してくれた。この運動が組織強化につながっている」(自治労・中村代議員)、「蔦友印刷が会社破産し、全員解雇された事件では、多大なカンパをいただき心から感謝申し上げる。組合員の半数が就職した状況」(印刷フォーラムながの・原田代議員)、「公共交通を維持していくうえで、人員不足、低賃金から抜け出せず、私鉄は厳しい状況におかれている。ライドシェア導入問題には反対運動の取り組みをお願いする」(私鉄県連・飯川代議員)、「上小地区労組会議の地域組織の『依田窪連絡協議会』『東御市連絡協議会』が様々な議論を経て合併した。連協組織を残して、地域運動を大切にしていきたい」(上小地区労組会議・竹内代議員)などの発言がありました。

特別決議として「国民の切実な願いに背を向け、軍拡・改憲をすすめる岸田政権と対峙し総選挙に勝利する決議」が採択されました。最後に「新自由主義政策を転換し、所得の再分配や富裕層・高収益大企業への課税を強化し、自助よりも公助、自己責任より共生、労働者・国民の暮らしを優先する政策へ転換を」「組合員はもちろんだが、組織されていない労働者・国民にも共感が広がる労働運動、平和運動が必要とされている」などとする「総会宣言」を採択しました。

あいさつする宇佐美正信議長

来賓、役員、代議員など約60人が参加

蔦友印刷の破産事件を報告する原田代議員

総会の最後には団結ガンバローを三唱

 

仲間との信頼関係を深め運動を広げていこう

県労組会議議長 宇佐美正信

昨年10月に行われた県労組会議の大会から早くも一年が経過をしました。少しこの一年間を振り返りたいと思います。

新型コロナは5月に2類から5類へと移行になりました。4年目を数える「コロナ禍」で8月19日に県労組会議として4年ぶりにソフトボール大会を開催しました。大変暑い中、各地区労組会議の精鋭たちが集まり、熱戦が繰り広げられ塩尻地区が優勝しました。終了後、団結会が開催され大変盛り上がりました。未だコロナが終息したわけではありませんが久々の開催ということもあり、一堂に会して話ができたことが大変有意義であったと思っています。普段話ができないことや初めて会う仲間がテーブルを挟み、膝を交えて話すことができたこと、コロナで制限されていたことが少し晴れたのではないかと思っています。各地区、単産の皆さんと会ってお話しすることが改めて重要だと感じました。

私たちを取り巻く情勢は今さら言うまでもありませんが生活も組合活動も労働実態も厳しい状態が続いています。詳しい情勢については後ほど、方針案の提起によりますので割愛させていただきますが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻の他、全世界では現在、武力紛争が50以上あります。最近ではイスラエルがハマスを壊滅させようとガザ地区に侵攻を始めています。こうした武力戦争によって民間人、特に女性、子どもが犠牲になっています。人の命を奪ってまで得たい物っていったい何なのでしょうか。「話し合いをしよう」「外交によって解決をしよう」とはならないのでしょうか。

戦争の影響でエネルギー、食糧、原材料上昇によって円安、物価高など、日本国内外ともに不穏・不安定な状況下にあります。

そうした中、岸田内閣は昨年12月安保三文書の改訂によって敵基地攻撃能力を保有することや、先の国会では防衛費増額の財源を確保するための特別措置法や、原発の再稼働、運転延長、東日本大震災から12年たった現在、被災者に寄り添うことなく支援の打ち切りや子供甲状腺がんの発症に対する補償は何もなく、福島原発で発生したトリチウムを含む汚染水を「関係者の理解なしには放出しない」と約束していたことを反故にし、海洋放出を強行してきました。

さらにはマスコミにこぞって放射能を含む汚染水を処理水というように誘導し、まさに戦争に突き進む道、国民生活の安全・安心を脅かす道を突き進んでいます。

武力で解決する平和などは絶対あり得ない、核と人類は共存できないことは多くの犠牲を払ってきた先人たちが教えてくれています。

こうした政治情勢ですから、岸田政権には辞めていただくしかありません。県労組会議としては政治情勢を見極めながら私たちの掲げる運動課題、政策要求に方向性が合致する立憲民主党、社会民主党と連携して運動を展開していきたいと思います。

暴走する岸田政権を許さない闘いはまだまだ続く状況ですが、多くの政治課題に対して声を上げていく地道な運動が必ず変えていくことができる力になると思います。

もう一つ、県内で大変大きな事件が起きました。県労組会議に加盟する印刷フォーラムの蔦友印刷が3月に破産手続きを申し立て、倒産しました。従業員である組合員が解雇されました。解雇によって給与及び退職金が支払われないことから、当面の生活費の補助として長野地区労組会議とで組合員に対する支援カンパを取り組んできました。仲間を助ける支援活動として多くのカンパを取り組んでいただきました。ありがとうございました。支援する側でさえ厳しいにもかかわらず大変多くのカンパをいただきました。取組みにご協力いただいた皆さんに改めてお礼を言いたいと思います。また関西生コンやJAL闘争団などこうした仲間が困っているときに支援をする、各地区や単産、単組の皆さんにまで声をかけられる労働運動ができるのは労組会議だけだと思います。皆さん自身も大変かと思いますがもっと大変な状況で助けを求めている人、労働者がいます。引き続きそうした人たちに寄り添い支援をしていきたいと思います。

最後になりますが、今年4月の統一自治体選挙では私たちが推薦する議員が当選することができました。本当にご協力ありがとうございました。

私たちはこれまで学習や交流によって仲間との信頼関係を築いてきました。その知識を生かし幅広く仲間に危険性や重要性を訴え、今まで以上に反戦、護憲、反核、脱原発を軸に平和と民主主義を守る闘いの運動を進め、労働者の雇用、平和・人権・環境に関わる運動課題について、労働者の立場に立って引き続き運動を進めていきたいと思います。

以上で県労組会議を代表してのあいさつに代えさせていただきたいと思います。

特別決議全文

総会宣言全文

 

横須賀で米軍空母母港化50年に抗議する全国集会に750人

横浜港のど真ん中にある米陸軍基地ノースドックの現地視察も

平和フォーラム全国責任者会議で集会とフィールドワークに参加

平和フォーラムは10月5日~6日、神奈川県横須賀市で約120人を集めて全国責任者会議を開きました。会議の後の夕刻には、会場近くのヴェルニー公園で「米空母母港化50周年抗議!原子力空母ロナルド・レーガンの配備撤回を求める10.5全国集会」を開き、約750人が参加しました。1973年10月に米海軍空母ミッドウェイが横須賀に配備され母校化されて以来、危険な原子力空母も配備され続けて50年。米国の「国益」を守るために配備が継続されている横須賀の実態が集会やデモ行進のなかで改めて告発されました。

集会では、平和フォーラムの藤本泰成代表が、この夏アメリカのキャンプデービッドで行われた日米韓首脳会議で、日米安保を越えて日米韓の軍事同盟ともいえる連携強化が打ち出されたことを批判し、東北アジアでの戦争回避のために憲法9条の平和主義を守り、自民党、日本維新の会などの改憲勢力に台頭を許さない取り組みの強化が必要だと訴えました。平和フォーラム関東ブロック連絡会議の中條貴仁代表(東京平和運動センター議長)は、全国の米軍基地から漏出した有機フッ素化合物の問題に触れ、飲料水の汚染は国が責任を持って早急に対応するように求めました。全国基地問題ネットワークからは代表委員の米村豊さん(長崎県平和運動センター議長)があいさつを行い、G7広島サミットにあわせて長崎県佐世保に入港した原子力空母ニミッツに抗議するとりくみを行ったことを紹介するとともに、九州および南西諸島での日米軍事強化の実態を報告しました。

市民団体からの連帯あいさつでは、非核市民運動ヨコスカの新倉裕史さんが、米空母の母港化に至った過程と湾岸戦争やイラク戦争などで米軍の出撃拠点となった横須賀基地の歴史を振り返りつつ、横須賀の米軍が自衛隊を戦う軍隊へと育て上げた日米軍事一体化の現状に警鐘を鳴らしました。在日米軍の動きを追跡している市民団体リムピースの星野潔さんは、米海兵隊が新たに進めている「海兵沿岸連隊」の輸送拠点として横浜ノースドックの基地機能強化が進められていることを説明し、横浜を戦争の拠点にさせない行動が必要だと訴えました。最後に反核平和の灯リレーに取り組む青年労働者からの決意表明を受け、集会アピールを採択しました。

その後750人の参加者は、デモ行進に移り、在日米海軍司令部前では抗議のシュプレヒコールを行いました。

強風の中約750人が集会に参加

全国からの参加者が横須賀米軍基地に抗議の声を上げた

米軍の空母はアメリカの国益のために配備されている

 

在日米海軍横須賀司令部前で抗議のシュプレヒコール

大都会の横浜市のみなとみらい地区に米陸軍基地が

米陸軍の補給・輸送の拠点、軍事訓練にも使用

米陸軍の横浜ノース・ドックは、米軍の物資の補給、輸送の拠点として大都市・横浜市のみなとみらい地区の真正面にあります。米陸軍の装甲車や戦闘ヘリコプターの陸揚げ・輸送や、米海兵隊の行動の拠点にもなっています。「有事」の際には、米軍部隊を展開させるための拠点となり、そのため真っ先に攻撃対象とみなされる危険性があり、まさに横浜に戦火を呼び込むものです。近隣には100万人を超す住民が生活し働き、横浜港に隣接して神奈川県庁・横浜市役所など県・市の中枢機能が集中しています。また、横浜の貿易や隣接する京浜地帯の工業にも多大な影響を与えることは明らかです。長年、横浜市民、横浜市、横浜市議会は党派を超えて早期全面返還を求め続けています。

今年春ごろからは、米陸軍の小型揚陸艇部隊が新たに配備されました。配備される部隊の役割も台湾有事や南西諸島を念頭に置いた揚陸を任務とするなど、極めて対中戦を意識した実践的な部隊であり、今まで補給・兵站・中継の仕事を中心としていたノース・ドックの役割を大きく変質させるものです。

平和フォーラム全国責任者会議では2日目の10月6日、船をチャーターし横浜港の海上から米陸軍ノースドックを視察しました。参加者は、大都市のど真ん中に米軍基地が存在する違和感を感じながら基地を監視しました。

米軍の音響測定艦が3隻停泊

音響測定艦はソナーシステムを展開して潜水艦の音を収拾する

軍用車両は海岸から見えないように建物の陰に

大都市・横浜みなとみらい地区に米軍基地が存在

ミャンマーニュース第5号発行しました!

第2回総会での新町智哉氏と井本勝幸氏の報告を特集

7月8日、長野市内で、ミャンマー民主化を支援する信州の会の第2回総会が開催されました。オンライン・会場参加をあわせて約40人が参加しました。これまでの取り組みを総括し、ひきつづきミャンマーへの支援を継続していくことが確認されました。

総会では記念講演として、これまでも現地ミャンマーからオンラインで報告していただいていた新町智哉氏に長野市までお越しいただき直接お話を伺うことができました。またミャンマーと接するタイの国境地帯で避難民への支援活動を続けている日本経済大学特命教授の井本勝幸氏にタイからオンラインで報告いただきました。

お二人の報告から、現在のヤンゴンの日常や若者の様子、国境付近の避難民の置かれている状況やタイ政府の姿勢などについて詳しく知る貴重な機会となりました。

ミャンマー世論調査、支援募金の寄付報告、衣料支援についても掲載

第5号表紙写真は新町智哉氏の撮影。 新町氏の写真にはヤンゴンの日常のなかにいる子どもたちが生き生きと写し取られています。

ミャンマーニュース第5号では、第2回総会での報告を特集しています。また新町智哉氏が取り組んだ「ミャンマー世論調査の結果」、支援募金・チャリティーカレー売り上げの寄付報告、アジア子ども交流支援センターが取り組んだ「ミャンマー衣料支援」、ミャンマーフェスタについても掲載されています。ぜひご一読ください。

【PDFダウンロード】

ミャンマーニュース第5号(カラー)

ミャンマーニュース第5号(白黒・印刷用)

長野県内で初開催10/29「ミャンマー交流フェスタin信州」

長野県内外のミャンマー人も多数参加

10月29日、長野市のながの表参道セントラルスクゥエアで、ミャンマーと日本の文化交流とミャンマー民主化問題をテーマにしたイベント「ミャンマー交流フェスタin信州」が開催されました。曇天で少し肌寒い一日でしたが、多くの市民の方々にミャンマーについて知っていただけるきっかけになるイベントとなりました。

モン族の王朝時代のダンスなどミャンマーの伝統芸能が披露された

最後にみんなで記念写真。SBC取材班の姿も

【SBC信越放送】「クーデターの実情を知って」100人以上のミャンマー人が平和祈る 長野市で交流イベント

軍事クーデター後の現状を知る機会にも

ミャンマーでの軍事クーデター後、東京等で開催が続くミャンマー支援イベントが、長野県内で初めて開催されました。県内在住のミャンマー人、支援団体の他、東京からもミャンマー人グループが応援にかけつけ、約3000人の参加者がミャンマー文化に触れ交流を深めました。ステージでのダンスや歌やチンロン(ミャンマーのけまり)の合間には、母国の窮状を訴えるスピーチがあり、また会場内のブースではクーデター後のミャンマーの現状を知るための写真・パネル展示が行われ、報道の少なくなっているミャンマー情勢について知る機会にもなりました。

司会を担当したミャンマー出身者のふたり

ミャンマーの多様性。様々な民族の伝統芸能が披露された

県内に在住するミャンマー出身者もステージでアピール

モヒンガーなどミャンマー料理のブース

カメラマンの亀山仁さんの写真展示ブース

ミャンマーの多様な文化に触れた一日

イベントではミャンマー料理やドリンク、ミャンマーの服飾や雑貨などのチャリティ販売ブースなどが出店して賑わいました。ミャンマー民主化を支援する信州の会も実行委員会に関わり、メンバーは当日スタッフとして参加しました。初めての取り組みでもあり、準備期間も含め大変でしたが、フェスタ当日には多くの方にご来場いただけ、ミャンマーの文化や現状について知っていただくことができ本当によかったです。また長野県内でも、クーデター前と比較して500人以上と倍増しているミャンマー出身者が一堂に集う機会にもなりました。

日本のソーメンを使用したモヒンガー

多くのミャンマー出身者がスタッフとして参加

ミャンマーの天然化粧品「タナカ」体験ブース

東京から駆けつけてくれたヒロスケさんのチェッターヒンチャリティ販売

ミャンマー交流フェスタ御祝いの木遣り

荻原長野市長から開会あいさつ

オープニングステージでは、善光寺木遣り保存会の皆様から、ミャンマー交流フェスタ御祝いの木遣りを頂戴いたしました。善光寺木遣り保存会会長の荻原健司長野市長からは、ウクライナやイスラエル・ガザなどと共に争いがつづくミャンマーにも早く平和が訪れてほしいとごあいさつを頂きました。その後、ミャンマーのモン族の王朝時代の舞踏や、ミャンマーにルーツを持つ姉妹の弾き語り、長野県内在住のミャンマー出身者の歌などが披露され、歌と共に平和への願い、ミャンマーへの思いを語っていただきました。
地元長野からは、国際色豊かなメンバーによる和太鼓「七福太鼓」の迫力ある演奏が披露されました。ダンススタジオブロードウェイの子どもたちの元気なダンスの合間には、東京外大院生の石川航さんからミャンマー情勢やミャンマーを知るための「ヤンゴンかるた」についてお話いただきました。楽しい時間を過ごしながら、ミャンマーとの交流の深めることができました。

オープニングは善光寺木遣り保存会の皆様、保存会会長の荻原市長も一緒に会場を練り歩く

元気にダンスを披露して会場を盛り上げてくれたダンススタジオブロードウェイの子どもたち

響き渡る和太鼓と多様なパートで楽しませてくれた七福太鼓の皆様

ミャンマー民主化を支援する信州の会の若麻績会長の閉会のあいさつ

県内外のミャンマー人の方々と支援団体が協力して開催

ミャンマー支援募金箱には、119,240円のご寄付が集まりました

今回、ミャンマーをテーマに県内外の団体と協力してミャンマー交流フェスタin信州を開催できたことは大きな意義をもちます。遠く離れた故国を思うミャンマーの方々のステージでの訴えは、県内外で活動する団体のメンバーやミャンマー出身者自身を勇気づけました。ミャンマー民主化を支援する信州の会は、今後もこの経験をいかしてとりくみを進めていきます。

ご来場いただいた皆様、準備・運営に携わっていただいた皆様に感謝申し上げます。

会場の各ブースに設置したミャンマー支援募金箱には、119,240円のご寄付を皆様からいただきました。全額ミャンマー避難民への支援に寄付させていただきます。

ありがとうございました。

撤収が終わり最後に準備に奔走したモウさんからひとこと

司会を担当した日緬の3人で記念撮影

ミャンマーを忘れない! 交流フェスタを初開催

10月29日(日)は長野市・セントラルスクゥエアへ集まろう

ステージではミャンマーの歌や踊り、広場ではミャンマー料理の提供も

クーデター直後と比べてミャンマーへの関心が薄くなっている現状があります。私たちは「ミャンマーを忘れない」を合言葉に活動を続けてきました。「ミャンマー民主化を支援する信州の会」の活動の一環として、多くの市民の方々がミャンマー問題について考えてもらうきっかけにしたいと、誰でもが気軽に参加できるフェスティバルを企画しました。

家族連れでのご来場をお待ちしています。

松代大本営工事での朝鮮人犠牲者を追悼して

追悼碑を守る会が建碑28周年を記念する式典

松代大本営追悼碑を守る会は8月10日、長野市松代に建立している「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」の前で、大本営工事の際に犠牲となった朝鮮人労働者への追悼の意を表すための式典を開きました。日本人や朝鮮総聯、民団などの関係者約50人が参列しました。

冒頭、あいさつに立った追悼碑を守る会の表秀孝会長は、「追悼碑の裏面には私たちの決意が刻み込まれている。亡くなられた朝鮮人犠牲者を追悼し『過去の戦争、侵略。加害を深く反省し、友好親善、恒久平和を祈念してこの日を建立する』と記されている。過酷な労働を強いられ無念と望郷の中で亡くなられた朝鮮半島出身のみなさまに哀悼の意を捧げる。石板に書かれた私たちの決意は28年たっても実現していない。戦える国に傾斜していく政府の姿勢がますます強まるなか、このような動きを止めることができない悔しさを心に刻んでいる。国家権力の暴力がむき出しになる戦争には正義はない。力による平和は存在しないことを私たちは先の大戦から学び取ったはずだ。このような時だからこそ、歴史を直視し、歴史に学び、再び誤まることのないように決意したい。今こそ人と人との結びつきを強めるときだ。民衆の連帯の力を信じたい。善隣友好と平和創造に向けて皆さまとともに取り組みたい」とあいさつしました。

来賓として、駐新潟大韓民国総領事の権相熙(クォン・サンヒ)氏が「過去の誤った歴史を正しく認識し、真に反省し、過ちを繰り返さないようにすることが私たちの責務。しかし、過去のことだけにこだわっていると前に進めない。韓日両国は正しい歴史認識の下、未来に向かって手を取り合って進むべき」などとあいさつしました。

長野市長の荻原健司氏、衆参国会議員の若林健太氏、篠原孝氏、杉尾秀哉氏、羽田次郎氏からメッセージが寄せられたことが紹介されました。

日朝県民会議の中山良一・会長代行、朝鮮総聯県本部の李明宏(リ・ミョンガン)・委員長、民団県地方本部の金秀男(キム・スーナン)・副団長がそれぞれ追悼の言葉を述べました。

式典の最後には、参列者全員で菊の花を献花しました。

表秀孝・追悼碑を守る会会長

駐新潟大韓民国総領事の権相熙(クォン・サンヒ)氏

式典の冒頭で犠牲者を追悼する黙とうを行った

参加者全員で献花

被爆体験の継承が今こそ求められている

原水禁県大会で広島で被爆した今井和子さんが体験談

被爆78周年の今年、広島へ原爆が投下された8月6日、長野市・県労働会館にZoom参加者も含めて約40人を集め、原水爆禁止長野県大会を開きました。

大会の冒頭、宇佐美正信・県原水禁代表委員があいさつ。岸田政権の原発回帰政策、核兵器禁止条約を批准せずアメリカの「核の傘」にとどまる対応を厳しく批判しました。

大会では、広島市が主催する平和記念式典をテレビ中継、原爆が投下された8時15分に黙とうをささげました。

アメリカ軍が原爆投下直後の広島や長崎の様子を撮影した映画フィルムを、今から約40年前、「10フィート運動」によってカンパを集めて買い取り、『にんげんをかえせ』という20分程度のドキュメンタリー映画が完成しました。原爆詩人・峠三吉の詩集のタイトルを冠したこの映画を県大会で上映しました。被爆直後の傷付いた人々の姿も映し出され、改めて原爆投下への怒りが会場にまん延しました。

その後、5歳前に広島市で被爆した長野市に住む今井和子さんが被爆体験を証言しました。

今井さんは「広島に原爆が投下された8月6日の8時ちょっと過ぎ、空襲警報があり防空壕に入ろうとしたら解除になったので、一安心していました。ところが、突然激しいピカッという閃光、それから下から突き上げるようなドーンという地響きと共に、グラグラ家が揺れて、物がバアーンと飛び散り、シャリシャリシャリとガラスの破片が飛んでいきました。まさにピカッドーンという衝撃で、今でも体の感覚として残っています。向かいの家の娘さんが下敷きになっているお父さんを『助けて、助けて』と叫んでいましたが、皆はもう自分のことで精一杯でした。その『助けて!』という悲鳴は今でも耳に残っています。その後避難場所に行くとき、背中が焼けただれた人とかが折り重なるように馬車に乗っていました。一番後ろにいた人の背中が真っ赤に焼けただれていて、その人の虚ろな目が強く記憶に残っています」と、原爆投下直後の様子を生々しく証言されました。また、今井さんは「被爆者の苦悩は2つある。一つは生涯続く健康不安。自分だけでなく子どもや孫、ひ孫にも影響が出るのではないかという不安。もう一つは生きていることの罪悪感。周りに助けを求めている人がたくさんいたにもかかわらず、助けてあげられなかったこと」と語りました。

原爆投下の8時15分に黙とう

被爆体験を語る今井和子さん

被爆二世の前座明司さんもあいさつ

広島市平和公園内にある原爆詩人・峠三吉の詩を彫った石碑