21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

被爆80周年原水禁世界大会(長崎)~長野県代表団報告~

今年も長野県原水禁は、8月7日(木)8日(金)9日(土)開催の「被爆80周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加した。

 

8月7日(1日目)

長野県からは、自治労、森林労連、国労長野、松本地区、上伊那地区、県原水禁と、それぞれの団体から総勢8人が参加。今年は3日間とも天候に恵まれず、まず行きのフライトが福岡空港に着陸か、羽田へ戻ってくるかの条件付きで出発した。なんとか長崎空港に着陸したものの雷と大雨で地上業務がストップしてしまい、機内で待機。1時間後、ようやく降りることができた。

ようやく降りられたと思ったら、空港から長崎市内へ向かう高速バスに並ぶ列がすさまじく、残念ながら結局一日目の開会式には間に合わなかった。ギリギリ受付だけ済ませて、全員で路面電車に乗りホテルへチェックイン後、懇親会の会場へ向かった。懇親会では、林野労組出身の大橋団長からあいさつをいただき、それぞれ自己紹介をした。また翌日の分科会をどこに参加するかなど相談し、長崎名物を囲んで交流を深めた。

 

 

8月8日(2日目)

 2日目も天候はあまりよくなく、午前中はおのおの選択した分科会へ参加した。

今年は午後から民間の軍艦島ツアーに参加予定の参加者もいたので、事務局は朝から、ツアー会社への問合せなどに追われた。11:30時点で上陸か周遊かなどが確定すると聞き、参加希望者に事情を説明する。キャンセル料は発生しないとのことなので、6人のうち2人はキャンセルを申し出た。

その後、島への上陸はしけが強いので難しく、周遊コースに変更になった。4人のツアー参加者は、それぞれの分科会を少し早めに退室して港へ向かった。思ったより混んでる様子もなく、すんなりと乗船できた。 

しばらく船に揺られていると、明らかに存在感のある島が見えてくる。遠くから見ても迫力ある島の様子に息をのんだ。廃墟となった炭鉱の島は、静かにそこに立っていた。上陸できない分、いろんな方向から見れるように島の周りを旋回する。当時は、かなり賑やかな最先端の場所だったのだろう。この島だけでひとつの社会が形成されていたそうだ。ツアーでは触れなかったが、ここでも朝鮮人労働者や中国人捕虜の強制労働が行われていたと知り、また一つ歴史を知る貴重な機会となった。

『端島 (長崎県)』ウィキペディア(Wikipedia)より

端島(はしま)は、長崎県長崎市(旧:西彼杵郡高島町)にある島。通称は軍艦島(ぐんかんじま)。明治時代から昭和時代にかけて海底炭鉱によって栄え、日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅も建造されるなど、1960年代には東京以上の人口密度を有していた。1974年(昭和49年)の閉山にともない、島民が島を離れてからは無人島である。島は三菱の所有地であり、島民の多くは三菱の社員で、家賃の心配がなく、島の生活を管理する強固な社会システムが築かれており、当時の日本の平均賃金よりも高い給料が支払われていたため、島民は経済的に豊かだった。テレビや冷蔵庫、洗濯機などの「新・三種の神器」の普及率が、1950年代には全国平均をはるかに上回る100%近くに達していて、小中学校、共同販売所、映画館、病院など、当時の最先端の都市機能が備わっていた。1939年(昭和14年)からは朝鮮人労働者の集団移入が本格化し、最重労働の採鉱夫のほとんどが朝鮮人に置き換えられたほか、1943年(昭和18年)から中国人捕虜の強制労働が開始された。朝鮮人労働者は納屋、中国人捕虜は端島の南端の囲いの中にそれぞれ収容されたという。

戻ってからは、翌日予定していた松本水労さん寄贈の折り鶴を奉納するため、平和公園へ向かった。式典の準備も大詰めという感じで、なかなか見れない光景を見ることができた。報道でよく目にする平和祈念像を目の前で堪能することができた。

夜の夕食交流会では、地元民に人気の居酒屋へ。おいしい料理に団員の話にも花が咲いた。

 

 

8月9日(3日目)

3日目は、早めに集合して慰霊碑参拝へ。この日は朝から大雨で、とても歩いて行ける状況ではなかったため、タクシーで向かった。到着したのは、竹の久保、梁川(やながわ)公園。昨年同様、慰霊碑を参拝した。

普段なら、近くの小学校の児童が手作りした灯籠がズラーっと並んでいてとても華やかなのだが、今年は雨のため撤去されていて残念。お線香をあげてお参りするにとどまった。その後、長野県団として、団長があいさつをして地元の方達と歓談して解散した。

参拝を終えて、雨の中バスで閉会式会場へ向かう。例年は、閉会式終了後、参加者全員で爆心地公園まで行進する予定だが、これもギリギリまで中止にするか検討するとのことだった。長野県団は、初日の空港の高速バスの混み具合を経験していたため、とにかくフライト時間に余裕を持って行動することを念頭に置いて、団長はじめみんなの判断で早めに空港に向かうことにした。

閉会式の終了間際で早めに退席し、原爆資料館を見学後、爆心地公園に向かった。

前日の爆心地公園は中央に花が供えられていたり折り鶴が奉納してあったが、当日は雨で水が溜まっている状況で、献花などはだいぶ撤去されていた。そして、11:02、原爆が投下されたその時間、全員で黙とうをして当時のすさまじい状況に思いを馳せた。

帰りは、フライトも順調で遅れもなく、全員が無事に羽田空港に到着して安堵した。事務局としては、せっかく参加してくれた皆さんが天候不良で全行程を満喫できなかったことは残念でならなかったが、それでも戦後80年という節目の年に、ここ長崎でこの日を迎えたことの意味を噛みしめていただけたことと思う。これも団長はじめ参加者の皆さんのご協力のおかげと感謝申し上げます。ありがとうございました。

~参加者の感想~

・大会に参加してまず感じたことは、「核兵器をなくすことの難しさ」です。同時に、それでも小さな取り組みを地道に積み重ねていくことの大切さも感じました。世界では今も戦争が絶えず、核兵器の脅威は決して過去のものではありません。「長崎を最後の地とする」という被爆者の願いは、むしろ年月を重ねるごとに強まっていると感じました。私自身の力は小さいものかもしれませんが、平和を願う気持ちを持ち続け、それを行動につなげていきたいと思います。核廃絶に向けた運動はすぐに結果が出るものではありませんが、あきらめずに続けることが大切であり、この事実を次の世代にも伝えていくことが重要だと強く思います。

・改めて思うのは私たちが戦争しない、戦争に巻き込まれたくない想いを強く持ち、武力兵力を有する組織を政治が完全にコントロールすることだと思います。他の国の人を殺したくないし殺されたくもない。私の力はわずかですが戦争回避の道に奔走した先人にならいたいと感じました。

・8月9日の朝には、長崎市の竹二自治会の碑を参拝し、自治会の皆さんにもお会いしました。ナガサキの中には、そのようにして当たり前に平和を願う姿があって、この80年の日本の平和を繋いできているのだと思いました。そう考えると、まだたった80年前の出来事であって、一人ひとりの平和を願う気持ちを世界の平和に繋げていかなければならないと思います。

・今回80周年原水爆禁止世界大会に参加して、改めて原爆、原発はなくさなくてはいけない。共存は出来ない。以前よりまして強く思いました。戦争はしてはいけない。一度始まるとだれも止められない。一緒に行動した仲間が言っていたように、一人一人が平和を願う大切さを、そして未来を切り開く子供達に間違った教育をしないようにしなければいけないとも思いました。

・今年は終戦から80年という節目の年であり、特に記念式典等の関心が大きかったと思います。今もなお世界各地で戦争が起こっています。戦争や核の使用は、決して他人事ではなく自分事として考えていきたいと感じました。

・手記には、「学校のグランドで同級生や彼の母親が原爆の犠牲になり、その場で荼毘に付され、この記憶がグランドに出るたびに思い出され、なつかしく、悲しい。」と綴られていました。爆心地から700mの距離にあった彼の通っていた小学校では1581人のうち約1300人もの児童が原爆の犠牲となりました。
私自身、子を持つ親として彼がどんなにつらい思いであったかと考えると言葉もありません。このような悲劇を二度と繰り返さないためにも、核兵器の廃絶と一人一人が平和を守る努力をすることで、平和を次世代の子供たちに繋いでいかなければならないと強く感じました。

・原爆がもたらした破壊は、単に物理的なものだけでなく、人々の心や社会にも深い傷を残したことを学んだ。このような悲劇を二度と繰り返さないためには、核兵器の廃絶と平和を守る努力が必要だと強く感じた。大会を通じて、私たち一人ひとりが平和のためにできることを考え、行動することが大切だと気づかされた。未来の世代に平和な世界を残すために、核兵器のない社会を目指していきたいと思う。

 

311 子ども甲状腺がん裁判第15回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第15回口頭弁論が9月17日、東京地裁で開かれた。

原告側は、東電が主張する「100ミリシーベルト以下では健康影響はない」との考え方を「科学的に否定されている」と批判し、被告側の根拠とする調査の問題点を指摘した。6月に追加提訴した原告の一人は法廷で、「私にとって福島で育つということは、国や社会は守ってくれないということを肌で感じることだった」と涙ながらに語った。弁論後の支援集会でも「支えてくれる人の存在に救われた」と話し、会場から温かな拍手が送られた。

裁判の報告と、弁護団のプレゼン動画、原告8ひとみさんの意見陳述の音声のURLを載せておきますので、ぜひ聴いてください。

                   

 

 

        

311 子ども甲状腺がん裁判第14回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女6人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第14回口頭弁論が6月25日、東京地裁で開かれた。

また、 6月3日、新たな原告が追加提訴した。提訴したのは、高校3年生の時に甲状腺がん手術を受けた20代の女性。女性は長年、自身の甲状腺がんについて、「事故前からあったもの」という医師の言葉を信じ、「原発事故との因果関係はない」と考えていた。しかし、重い心的外傷ストレス障害を負い、原発事故と甲状腺がんの問題に向き合わざるを得ない中で、本訴訟を知るに至り、提訴の意思を固めたもの。以下の媒体からもどうぞ。

https://www.ourplanet-tv.org/50989/

https://note.com/masanoatsuko/n/n8025237dc255?sub_rt=share_pb

https://www.sankei.com/article/20250603-RPXNYF5V3JMI3KXTFKTXQ2QRZA/

立憲野党の統一候補 羽田次郎さんが圧勝

国民生活の立て直しと共生・平和・民主主義の政治実現を

7月20日に投開票された参議院選挙長野県選挙区では、現職の羽田次郎さんが42万票を超える得票で再選を果たしました。

一方で、「日本人ファースト」を強調し、民族排外主義や封建的な家族観を前面に押し出す参政党も議席を急増させました。特に、若い世代で参政党の支持が多く、今後の政治のあり方が問われています。

県労組会議は羽田次郎さんを推薦して参院選を戦いました。今後も、右傾化の傾向を強める政治の動向を注視し、平和・人権・環境や共生、民主主義の価値観を広げていく運動に取り組んでいきます。

20日夜の開票報告会で勝利を祝う万歳

あいさつする羽田次郎氏

杉尾秀哉・参議院議員が立憲民主党県連を代表してあいさつ

信州市民連合から松澤佳子・共同代表があいさつ

参院選が公示 羽田次郎氏が長野駅前で第一声

与党を過半数割れに追い込み、新しい政治の風景をつくろう

7月3日公示、20日投票の参議院議員選挙が始まりました。羽田次郎氏は長野市内のホテルで出陣式を行った後、長野駅前で第一声演説を行いました。

労働者・国民の暮らしといのち、平和を守り抜くために何としても負けられない選挙です。自公政治はもはや行き詰っています。政治の風景を劇的に変えて、国民に寄り添う政治を取り戻しましょう。

◆羽田次郎氏の第一声 「国民の生活が第一の政治を」

国民の手に政治を取り戻す

いよいよ今日が参議院選挙の公示です。参議院選挙であるけれども政権選択の選挙であります。

父の孜は、国会は法律をつくる、その条文の向こうには国民生活があるんだ、政治は国民生活を豊かにするためにあるんだと申しておりました。53歳で新型コロナで妻と3人の子供を残して亡くなってしまった兄、雄一郎は、子どもたちの未来がそのまんま日本の未来になる、子どもたちの未来のための政治を行わなければならないと最後まで言い続けておりました。私自身も、4年前の補欠選挙で、小さな声に光を当てるのが政治の役割であると訴え、皆様から国政へ送り出してただきました。

昨年10月の衆議院選挙によって、少し国民の生活に寄り添う政治が進んだと思います。しかし、いまだに物価が高くて国民が苦しんでいる、賃金がなかなか上がらなくて苦しんでいる、子どもの食事をどうするか悩んでいるお父さん、お母さんがいる、その一方で、政治家は裏金を作り、パーティーをやり、そして追及されても責任を取らず証拠まで隠滅していく。こんな政治をもうこれ以上続けていてはいけません。

私は、政治を国民の手に取り戻すために今回出馬することを決意いたしました。

暮らしに安心、地方に活力を取り戻す

国民のための政治、私は3つのことを訴えていきます。

まず1つは、暮らしに安心を取り戻す。食料品の消費税をゼロにする、ガソリンの暫定税率を廃止する、年金を安定させる、医療や教育、介護を充実させていく、

2つ目は、地方に活力を取り戻す。信州長野県では、農業や林業、観光業、そしてものづくり産業と、力は十分にあります。でも、それが生かしきれていません。自分たちで頑張るけど、その上でやはり国が後押しをしていくことがどうしても必要てす。交通インフラ、デジタルインフラも整備をしていかなければいけません。

そうしなければ若い人たちが戻ってきません。新しい人たちも住み続けることはない、人が戻ってくる故郷信州を作り上げていかなければなりません。

そして3つ目は、やはり政治に信頼を取り戻すことです。政治が国民の視線から逃げ続ける、政治が国民と向き合わない、そんなことを続けていたら日本の民主主義は本当に終わってしまいます。

この選挙で国民の生活が第一の政策、そして私たち立憲民主党が野党第1党としてしっかりと野党の力を結集し、自民党政治からまっとうな政治を再び取り戻します。

今一度、みなさまのお力を私、羽田次郎にお貸しいただけるようにお願いして第一声とします。

◆又坂常人氏(信州市民連合共同代表)あいさつ

チェンジが参院選の最大の目標

今回の選挙のキャッチフレーズは「チェンジ」です。これが選挙の最大目標であると思っております。

選挙の争点は3つあると思います。

1つは、国民の生活の問題です。

安倍晋三さんが政権を取ったが2012年。それから国民の生活はどんどん悪くなっています。実質GDPは全く上がっていない、実質賃金はむしろ下がっています。そして、2度の消費税の増税によってどんどん国民の手取りが減っています。

今、マクロの国民負担率は48パーセントです。公租公課で収入の半分が持っていかれている。取った税金をどうやって使ってるのか。皆さんが満足できるような使い方にはなっていない。まずは手取りを増やす、消費税を減税する。で、大胆な財政出動をして経済を立て直す。この道を選ぶかどうか。これが第一の焦点です。

2つ目の争点は、日本の社会、国の在り方をどうするのかという点です。

今、一部の政党が国を全体主義的な価値観でまとめようという主張をしています。外国人は全部排斥しようとか、夫婦別姓になったら日本の伝統を壊すとか。一人ひとりの人間が一人ひとりの個性を発揮して、そして力を十分に出すことによってこの国が活性化されていきます。そういった多様性を認めてみんなが生き生きと働ける社会をつくる、これが2つ目の争点です。

戦争の道か、平和への道か

3つ目の争点は、戦争と平和の問題です。今、世界中で戦争の火種が広がっています。ウクライナ、パレスチナ、イラクなどで戦火が上がっています。トランプ大統領は、防衛費をGDP5%にしろとヨーロッパに要求しました。日本のGDPは今、600兆円です、5%ならば30兆円と現在の3倍となります。こんなことは絶対に許してはなりません。日本の平和に全くつながらない。戦争の道を選ぶのか、平和の道を選ぶのか、3つ目の争点です。
国民の利益にかない、勤労者の生活のために、立憲野党の躍進が不可欠です。市民と野党の共闘によって立憲野党を躍進させて「チェンジ」を実現することがこの選挙です。

相手候補はキラキラしていますが、いくらキラキラしていても所詮は自民党の候補者です。信濃毎日新聞に相手の政策が出ましたけど、独自の政策なんか全くない、すべて自民党のテンプレートに沿った政策です。

羽田次郎と名前を書くことでこの国のチェンジにつながる、そして政権交代につながるんだと思います。何としても羽田次郎の勝利を勝ち取りましょう。

県労組会議が羽田次郎・参議院議員を推薦

羽田次郎・参議院議員に推薦決定通知書・政策要望書を手渡す宇佐美正信・県労組会議議長

昨年10月の総選挙で自民・公明でつくる連立与党は衆議院で過半数を割り込みました。政治とカネの問題で国民の批判が高まっていたことはもちろんですが、物価高騰のなかで生活支援策が無策であったことや、「敵基地攻撃能力」保有を宣言し、防衛費の倍増をめざす政策など、自公政権の対応が国民の厳しい判断を招いた結果でした。今年1月から始まった通常国会では与野党伯仲状況を反映し、政府提出の予算案が修正されたり、与野党の合意がない法案は強行突破できなくなるなど、安倍政権以降の「一強多弱」の政治状況が様変わりしました。

7月3日公示、20日投票で参議院議員選挙が行われます。衆議院で与党の過半数割れとなっているなか、参議院でも与野党逆転を実現し、政権交代への道筋をつけていくための重要な選挙となります。

参議院長野県選挙区が定数2人から1人区となった2016年の選挙以降、長野県では2016年・杉尾秀哉氏、2019年・羽田雄一郎氏、2020年補選・羽田次郎氏、2022年・杉尾秀哉氏を野党統一候補として、市民・労働者、野党が一体となって闘い、いずれも自民党候補に勝利してきました。この市民と野党の共闘は「長野モデル」と全国的にも評価されてきました。7月に行われる参議院議員選挙でも野党の候補者を一本化して闘うことを信州市民連合と立憲野党(立憲民主党、日本共産党、社会民主党)が合意しました。

県労組会議は、羽田次郎氏(現職/立憲民主党公認)の推薦を決定し、6月14日に推薦決定通知書と政策要望書を手渡しました。

 

 

暮らしといのち、平和のために-信じられる未来へ!6・15県民の集い

6月15日に長野市・表参道セントラルスクゥエアで開催

◇国民生活の負担軽減のため、食料品ゼロパーセントや一律5%への引き下げなど緊急の消費税減税を!

◇選択的夫婦別姓制度を実現し、男女の賃金格差の是正などジェンダー平等社会へ!

◇安保法制の違憲部分は廃止、専守防衛に徹し、軍拡のための大増税ストップを!

食料品などの物価高騰、実質賃金の減少、年金の支給水準の低下など、日本では暮らしの破壊がすすんでいます。石破内閣は、生活に苦しむ庶民に対し何ら有効な対策を打てていません。今こそ、庶民の暮らしを支援する緊急対策を行う必要があります。

また、石破内閣は、国民の過半が望む選択的夫婦別姓制度の導入や同性婚制、男女の雇用・賃金格差の是正などジェンダー平等の実現に極めて消極的であり、世界の潮流に背を向け続けています。

一方、アメリカのトランプ政権は自国第一主義を掲げ、理不尽で道理のない関税政策を強行しています。また、ウクライナ、ガザなどでも強引な外交方針により混乱が生じています。世界の状況は混とんとし、経済危機、平和の危機がすすんでいます。

日本国内においても、5年間で43兆円もの巨額の防衛費の計上、「敵基地攻撃能力」の保有や、中国との軍事的緊張を高める沖縄・南西諸島での自衛隊基地の増強、米軍と自衛隊との軍事的一体化など、「新しい戦前」ともいえる戦時体制づくりにつながる軍備拡大が急速に進んでいます。

昨年秋の衆議院選挙で与野党伯仲の政治状況が生まれ、予算案が2度にわたり修正されるなど、国会運営や政策・法案に野党の意見が反映されるようになってきました。

この流れをさらに加速させ、自民党政治からの決別、政権交代の道筋をつけるため、7月の参議院選挙は大変重要な選挙戦となります。

2015年6月、ジャーナリストのむのたけじさんをゲストに、長野市で開いた戦争法反対の大規模県民集会には2700人もの市民・労働者が参加し、立憲主義を掲げる3野党がそろい踏みしました。翌年の2016年の参議院選挙では、初めて市民と野党の統一候補を擁立、1人区の議席で自民党候補に競り勝った意義を今、再確認する必要があります。その後の国政選挙での立憲野党と市民との共闘は「長野モデル」と言われ、地方から政治を変える大きな力となっています。

今年の参議院選挙でも市民と野党が力を合わせ、国民に背を向ける自民党政治からの転換を図り、新しい政治をつくっていくことが求められています。

呼びかけ人や信州市民連合、北信市民連合などでつくる実行委員会は6月15日、長野市で「暮らしといのち、平和のために-信じられる未来へ!6・15県民の集い」を開き、多くの市民・労働者が参加する集会・パレードを計画しています。多くの方のご参加をお待ちしています。

1.日  時  6月15日(日) 13時30分 (雨天決行)

2.場  所  長野市 表参道セントラルスクゥエア

3.主  催  長野県民の集い実行委員会  共催:信州市民連合、北信市民連合

4.名  称 暮らしといのち、平和のために-信じられる未来へ!6・15長野県民の集い

5.ゲスト  特別ゲスト 菱山南帆子さん(市民運動家)

ひしやま・なほこ 市民運動家、市民連合運営委員、許すな!憲法改悪市民連絡会事務局長。1989年八王子生まれ。戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会。単著:『嵐を呼ぶ少女とよばれて〜市民運動という生きかた〜』はるか書房。メールマガジン「猫とトラメガ」配信中

7.集会内容

◆オープニング企画:長沼こまち太鼓(長野市)

◆政党代表あいさつ(立憲民主党/日本共産党/社会民主党)

◆羽田次郎・参議院議員の音声メッセージ(録音)

◇終了後、市街地を長野駅前までパレード

311 子ども甲状腺がん裁判第13回口頭弁論を傍聴して

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女6人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第13回口頭弁論が3月5日、東京地裁で開かれた。

 

 

 

さようなら原発全国集会に3千人が参加

「3.11福島原発事故を忘れない」をメインテーマに、さようなら原発3.8全国集会が、3月8日東京の代々木公園で開かれました。数日前までの暖かい日から一転、真冬並みの天気の中で、3千人が集まりました。集会は、野外音楽堂でのメインステージのほか、ミニステージが開催されました。集会後は、渋谷コース(代々木公園~宮下公園前)と原宿コース(代々木公園~神宮外苑駅前)に分かれて、パレードが行われました。

メインステージでのアピールの概要は以下の通りです。

3月15日「2025原発のない福島を!県民大集会」、16日フィールドワークに参加

長野県原水禁では、「2025原発のない福島を!県民大集会」&被災地フィールドワークについて公募したところ、集会は6名、フィールドワークは5名が参加した。

当日は、各自で新幹線などで福島駅まで集合し、私鉄に乗り換え飯坂温泉駅に向かった。会場へ到着すると、ちょうどオープニングアトラクション、帰還困難地域における「伝統芸能の継承」はどのようにあるべきかという問題提起のもと、浪江町の南会津郷土芸術保存会の皆さんによる「南会津の田植え踊り」が披露されていた。

 

会場には全国から約1000人が参加。開会にあたり、東日本大震災の犠牲者に黙とうがささげられ、実行委員会を代表して福島県平和フォーラムの角田政志さんが挨拶された。福島の現状報告と、「原発事故当時の状況に立ち返り、福島原発事故の教訓とは何だったのか、改めて確認するとともに、福島原発の過酷事故の実情、人々の苦悩、原発事故から得た教訓を、若い世代にも継承していくことも、私達の使命だというふうに思います」と参加者へ訴えた。

続いて福島大学食農学類教授の小山良太さんから「原発事故の教訓をどう生かすか~震災14年目の福島県の課題~」と題した講演を受けた。小山さんは「14年たっても、被災地では数%の住民しか帰還できていない。このような災害は自然災害にはない。こうした事故後長期化することの損害やその間に市場構造が変化してしまうことも損害である」と指摘した。

次に福島の発信として、「生活再建の状況」、「再生可能エネルギー」をメインテーマに報告がなされ、二本松営農ソーラーの近藤恵さんが「営農ソーラー」の取り組みについて報告。生業(なりわい)訴訟原告団長の中島隆さんが「汚染水」の海洋放出と除染土の活用問題について発言した。

若者からの訴えとして第27代高校生平和大使の長澤華咲さん半谷優亜さんが、国際連合事務局のあるジュネーブに派遣されたときの活動や小学生に戦争や核兵器の被害を伝える取り組みを報告した。

集会アピールを採択したのち、「原発事故は終わっていない」「福島の悲劇を繰り返すな」と書かれたプラカードを掲げ、参加者全員でアピールをおこない、集会を終えた。

悪天候の中の被災地フィールドワーク

翌日は、原水禁主催のフィールドワークに5人で参加した。当初の予定は、飯舘村長泥地区の視察~浪江町大平山霊園~浪江町請戸港・震災遺構請戸小学校~東日本大震災・原子力災害伝承館視察だったが、想定外の雨、風、雪の影響で、残念ながら、行けないところが多かった。飯舘村長泥地区という地域は、福島第一原発から離れていたことから、放射線量が高いとは認識されず、あとになってかなりの高い数値が分かった場所だ。そのため、国が避難指示を出したのは2011年の4月半ば。翌年2012年7月に帰還困難区域に指定された。
現在、この地区で、国による飯舘村内の放射能汚染土壌を再生資源化するための実証試験を行う事業が進められている。フィールドワークでは、環境省から「除去土壌の再生利用」について説明を聞き、事業が行われている田畑を雪のため、バス車内から見学した。


 

環境省の説明では、除去土壌を基盤にしてその上に盛り土をしたうえで、野菜や米を栽培し、収穫した作物の放射性物質の濃度を検査するなどして、営農できる農地の回復をめざす事業とのこと。
参加者からは、環境省からの説明を聞くという内容に主旨は何なのかという質問や、そもそも汚染された土壌を再利用するということの問題、除染されていない山から流れてくる地下水の問題など質問が投げかけられた。
また、中間貯蔵施設にため置かれている福島県内で除染によって出た土壌をどうするのかという問題も非常に難しい課題であることも指摘された。法律では2045年3月までに県外最終処分することが決まっているが、「外に持って行ってほしい」という福島県民の願いと、福島県外の自治体や市民の思いに、簡単には結論を出せない難しさを感じる。なによりも事故を起こしてばら撒いてしまった放射性物質の所有者である東京電力の責任があまりにも希薄ではないか。

 

悪天候のため、移動に時間がかかり、浪江町の大平山や震災遺構はバス車内からとのことだったが、時間の関係でほぼ見ることはできなかった。東日本大震災・原子力災害伝承館の見学も十分な時間がなかったのが残念。伝承館は、うのみにせず、少し客観的に見学するようにアドバイスを受けた。それを踏まえて、見学。長野県参加者の感想は、「初めて現地を見て、津波により全く何もなくなった請戸地域は衝撃だった。」「原発を誘致した当時の町の人に話を聞いてみたい。止めることは考えなかったのか」などの意見があった。