朝鮮半島情勢の変化を受け県民会議定期総会で確認
日朝長野県民会議は昨年12月14日、長野市の県労働会館で第47回定期総会を開きました。会場とZoom参加で会員など約40人が参加しました。
日朝県民会議は従来、組織の正式名称を「朝鮮の自主的平和統一を支持する長野県民会議」としてきましたが、朝鮮半島情勢、南北朝鮮の関係の変化によって、組織名称を「日朝長野県民会議」として活動することを確認しました。
1978年2月に結成した「朝鮮の自主的平和統一を支持する長野県民会議」は、結成から46年いう長い歴史を持っています。2023年暮れから朝鮮民主主義人民共和国が対韓国政策を転換させ、大韓民国を民族統一の対象国家として認めないという方針へ転換しました。関係方面からの要請もあり、「自主的平和統一」を名称に掲げる日朝県民会議が新たな情勢にどう対応するか、1年間議論を重ねてきました。その結果、基本的には名称を変えることはないが、対外的には「日朝長野県民会議」を前面に出して行くことで関係者の合意を見ました。
一方で、私たちの運動の原点は再度確認し、今後とも堅持していく方針も合わせて確認しました。私たちがすすめる日朝連帯運動の原点は次の4点にまとめられます。①戦前・戦後の朝鮮半島に対する加害・侵略の歴史をしっかりと認識し、朝鮮民主主義人民共和国に対して、いまだ戦後処理のなかでの不正常な状態を清算すること、②朝鮮民族が分断国家の状態にあることは、日本の植民地支配の結果であり、南北統一を支持する運動が不可欠なこと、③戦争時の強制連行のために派生した在日朝鮮・韓国人の民族的な諸権利さえ認めず、「同化と敵視」政策を続ける日本政府に対しての運動が必要なこと、④世界で唯一国交のない共和国との関係を正常化し、朝鮮人民との真の友好親善活動が求められることです。この運動の原点を守りながら今後の活動をすすめます。
民族教育問題について長野朝鮮初中級学校の河舜昊校長が講演
日朝県民会議定期総会では「朝鮮民族として日本で生きる~民族教育の歴史と現状 ウリハッキョ・長野朝鮮初中級学校の果たす役割」と題して、長野朝鮮初中級学校の河舜昊(ハ・スノ)校長が講演しました。
河校長は、戦後の日本で在日朝鮮・韓国人が民族のアイデンティティーを守ろうと、国語教習所から始まり、日本の小学校、中学校にあたる学校を開設していった歴史、1970年代までに幼稚園から大学校まで全国に154校の学校を開設した歴史を説明しました。現在、朝鮮学校を選択する在日朝鮮人・韓国人は「マイノリティ中のマイノリティ」ではあるが、朝鮮学校が在日同胞のコミュニティーの拠点としての役割を果たしていると強調しました。
続いて河校長は、長野県における民族教育の歴史を紹介しました。現在の長野朝鮮初中級学校の生徒、児童、園児数は幼稚班5名、初級部17名、中級部14名の計38名であり、国籍は朝鮮籍約5割、韓国籍約5割の割合で県内唯一の朝鮮学校です。松本市を中心に安曇野市、上田市から通学していると報告。
歴史としては、1969年に麻績村の廃ホテルを借りて開校し、1971年には 松本市蟻ケ崎に在日同胞たちが協力して建てた新校舎へ移転、1999年に現在の島内の校舎へ移転したこと、延べの卒業生は680名です。朝鮮学校、民族教育の目的は、朝鮮の子どもたちが日本で生まれ日本で生活していても、朝鮮人としてのしっかりした民族的自覚をもち、祖国と民族の将来を担って立つ真の朝鮮人に育成することだと、河校長は強調しました。
河校長は最後に差別の問題について話しました。高校無償化制度から朝鮮高校が除外されていること、幼保無償化からも朝鮮幼稚園や外国人幼稚園が除外されていること、「コロナ緊急給付金」から朝鮮大学校が除外されたことなど、日本政府がまったく民族教育への支援を行っていない差別の実態が報告されました。また、2022年10月には、長野朝鮮初中級学校ロータリーにカッターナイフの刃53枚が投げ込まれた事件が発生、2023年10月にも長野朝鮮初中級学校校門前に草刈り機の刃4枚が投棄されるなどの差別的な嫌がらせも起きています。
河校長は「在日朝鮮人社会にも少子化の波は押し寄せているが、民族のアイデンティティーの象徴としての朝鮮学校を守り抜きたい」と強調しました。