ミャンマー軍事クーデターから3年
報告集会「ミャンマーに平和と自由を」開催
「ミャンマー民主化を支援する信州の会」は、1月27日、長野市内でミャンマーでの軍事クーデターから3年になるのを前に報告集会「ミャンマーに平和と自由を」を開催しました。オンラインを含め約40人が参加しました。寒さの厳しい一日でしたが、大勢の市民の方に現在のミャンマーの状況について知っていただけるイベントになりました。当日は会場にSBC信越放送の取材がありました。
【SBC信越放送】2月1日のスタンディング&マティダさんへのインタビュー
ミャンマークーデター3年を受けて2月1日に長野駅前で開催されたスタンディングの模様が報道されました。また1月27日の集会でもミャンマー情勢について報告してくれたマティダさんへのインタヴューが掲載されています。ぜひご覧ください。
【SBC信越放送】
「ミャンマーの人々に思いを馳せて」国軍クーデターから2月1日で3年 平和と自由を呼びかける街頭活動
2024年2月2日(金) 12:21配信
【SBC信越放送】
「ミャンマーを忘れないで…」クーデターから間もなく3年…メディアでの露出や関心薄れ「空爆で島を燃やしている…」日本で暮らすミャンマー人夫妻が悲惨な現状を訴え、2月1日には街頭活動も
2024年1月29日(月) 14:23配信
2021年のクーデター後の死者4500人、現在も拘束者2万人
2021年2月1日の軍事クーデターから3年が経過しようとしていますが、ミャンマー情勢は混迷を深めています。避難民のキャンプや学校や図書館への空爆など自国民への暴力はエスカレートし、軍事クーデター以降、軍・警察の弾圧による死者は約4500人に上り、約2万人もの市民の拘束が続いています。
ミャンマー支援に取り組む3人から報告
報告集会では東京在住のミャンマー人民主化活動家のウィン チョウさんとマティダさんご夫妻、ミャンマーを研究する東京外国語大学院生の石川航さん、地元長野の市民企業と協力してミャンマーへ衣料支援などをおこなうアジア子ども交流支援センターの青木正彦さんらから、現在のミャンマーの状況や支援のとりくみについて報告していただきました。
【報告1】80年代から民主化運動に参加してきたウィン チョウ・マティダ夫妻
ウィン チョウさんからは、避難民のキャンプの様子や昨年10月以降の国軍と少数民族勢力との大規模衝突などについて報告されました。信州の会も取り組んでいる支援金が、現地の避難民キャンプの食材や子どもたちの学習のための本などにあてられていることが伝えられ、食材を川を渡って運ぶ様子や本を手に取る子どもたちの様子が写真スライドを使って共有されました。
途中、現地の避難民キャンプとビデオ通話で繋ぎ、現地の学校長を介して、避難している少数民族の子どもたちの声が伝えられました。インタヴューに応えてくれた小学生の女の子は「ここは楽しくない」「早く家に帰りたい」と素直な心情を口にしてくれました。避難民のキャンプに対しても国軍による空爆の危険が常にあり、現地の状況は緊迫しています。国軍は支配できないなら焼き払うという残虐な作戦を続けており避難民が増加の一途を辿っているとウィン チョウさんは訴えました。
会場ではミャンマー問題を追った書籍とミャンマーカレーをチャリティ販売
会場では、ウィン チョウさん、マティダさんを取材したNHKのミャンマープロジェクトチームの『ミャンマープロジェクト取材班、デジタルハンターになる』(講談社現代新書)もチャリティ販売されました。
■『ミャンマープロジェクト取材班、デジタルハンターになる』(講談社現代新書)
■NHK「ミャンマーで何が起きているのかーWhat’s Happening In Myanmar?」
※デジタル空間から削除された現地ミャンマーの動画アーカイブ
お馴染みのミャンマーカレーのチャリティ販売も
【報告2】ミャンマーのために学生としてできること(石川航さん・東京外大院生)
石川さんは、国際協力に関わりたいという思いを抱き、大学入学後はミャンマー地域研究とビルマ語を専攻し、クーデター前の2018年には、ミャンマーのヤンゴン大学への留学を経験して、その後、環境NGOや子ども支援NGOの活動にも関わってきたそうです。
2021年2月1日のミャンマーのクーデター後は、日本人としてどう向き合えばいいのか、支援すればいいのか当初は悩んでいたそうですが、ミャンマーにいる友人たちの行動を知って、ミャンマーに関わる者として行動する責任があるのではないかと考えるようになったそうです。そして日本に住むミャンマーの人びとの存在、ウィン チョウさんやマティダさんをはじめ1988年から民主化の運動をつづけて来られた方を知り、署名活動や募金活動をはじめたそうです。
さまざまなミャンマー支援の活動がおこなわれている
日本で働く若いミャンマー人を中心に行われている毎週末の募金活動、利益がミャンマー支援にあてられるレストラン、クラウドファウンディングや、チャリティイベントなどの支援活動、
外務省前ではミャンマーへの積極的な支援を求める要請行動や、ミャンマー大使館前での抗議活動が紹介されました。
石川さんがウィンチョウさんたちと取り組んだクラウドファウンディング
昨年夏にタイ=ミャンマー国境を訪問
石川さんは、クラファンのプロジェクトの一環として、タイとミャンマーの国境を訪問して、去年8月に渡航した際に見た現地の様子についても報告してくれました。
タイ・チェンマイのクリニックでは、10代、20代の負傷した若い人たちが療養していたそうです。ニュースなどで目にするだけでは遠く離れた出来事に感じてしまうことも多いが、彼らの気取らない姿、笑ったり遊んだりして過ごしている姿を見て自分たちと変わらないと実感したそうです。しかし彼らの多くは、武器をとって軍と闘うことを選んだ人や、両親が殺され命からがら逃げてきた人などとても苦しい思いをしてきていることがわかったそうです。それでも外国人の石川さんに対して「タイの暮らしはどうだ?」とか気にかけてくれたり、食べものをくれたりなどあたたかさをもらったそうです。
実際に現地に足を運んでわかることがあった
夫がミャンマーに残り国軍と闘っているという妊婦の女性との出会いからは、この状況のなかでも新しい命が芽生えようとしていて、毎日を頑張っているのだなと実際に足を運んでみないとわからないことがあると感じたそうです。
石川さんの活動の原動力は現地の友人の存在が大きいそうです。彼らは、不服従運動やPDFに参加して、殆どが大学に行っておらず、大学を辞めて、新しくビジネスをはじめたひとや、家に籠って自分のできることをしようとしているひと、また拘束されてしまった友人や、音信不通の友人、PDFに入った友人もいるそうです。
武器を取ってたたかうPDFの若者とも交流
昨年8月に渡航した際には、ミャンマー側にも入り、PDFの若者とも交流したそうです。彼らは武器をとってたたかっているだけでなく、子どもたちに勉強を教えたり、食糧を運んだりなどの人道支援も並行して行っていたそうです。石川さんは、彼らが武器を取らざるをえないことは悲しいことで、はやく平和になってほしいという思いや、そのような状況をつくっている国際社会の一員としての責任も感じたそうです。
小中高の子どもたちにミャンマーのことを伝えている
石川さんは、小中高に出張して、ウィン チョウ、マティダ夫妻の協力を得ながら、子どもたちにミャンマーのことを伝えているそうです。ミャンマーの文化などを知ってもらい、支援の輪をひろげたいという思いで取り組んでいるそうです。また子どもたちに伝えることは未来への種まきにつながり、ミャンマーに目を向けたり、国際社会に関心をもったりすることで、それが世界の平和、文化理解に繋がっていくと話してくれました。
ミャンマーへの関心が薄れているけれど
街頭での募金活動をずっと続けていることで、顔を覚えてもらえて「頑張ってるね」と声かけをしてもらえたり、学校で交流した中学生や高校生の子どもたちが、自分の財布からお金を出して募金してくれたり、イベントに参加してくれたりしていて、地道なとりくみが大事で、種まきが実っているなと感じるそうです。
「当事者でない人々が理解したとき、社会は動く」
最後に石川さんは「当事者でない人々が理解したとき、社会は動く」と訴え、ミャンマーとの繋がりの中で沢山の事を学ばせてもらってきたので、恩返しの気持ちでこれからも頑張っていきたいと話しました。
【石川さんの他のとりくみ】
石川さんは、信州の会でも何度も報告していただいている新町智哉さんと一緒にネットラジオでの発信も続けています。
【報告3】ミャンマーへの衣料支援のとりくみ(青木正彦さん・アジア子ども交流支援センター)
クーデター以前から20年以上つづけてきたミャンマーの子ども支援
青木さんからは、ミャンマーの避難民への古着を贈るキャンペーンが報告されました。
2001年からミャンマー現地を訪れ、コロナ禍が始まるまでは20年間以上、毎年訪問して、主に僧院学校(僧侶が地域の子どもたちに勉強を教えている)の生徒さんに文房具を届けたり、井戸を掘ったりする活動をつづけてきてこられたそうです。
クーデターのあと、現地の支援関係者から助けてほしいと連絡があり、私たちのやれることをやろうと、ミャンマーカレーのチャリティ販売にとりくみ、それらの販売利益と多くの方から寄せられた寄付を支援金として定期的にミャンマーに送っているそうです。
ミャンマーの避難民に日本から古着を送る
その後、現地から着の身着のままで避難しているひとも多いと聞き、昨年夏に古着支援の呼び掛けをして2トンを集め、1.6トンの古着をミャンマーに贈ったそうです。だれでも気持ちがあれば参加しやすい(お金はハードルが高い)という理由で古着を集めることにしたそうです。ただ輸送の資金がなければ送れないことから、あわせて送料の寄付もお願いすることと、いくら戦争状態であっても、失礼にならないような状態のものを差し上げたいということを大事にしてきたそうです。
信濃毎日新聞の記事から予想以上の反響に
信濃毎日新聞(8/1)の記事が掲載されてからはとりくみに対して、予想以上の反響があり、1ヶ月間は問合せの電話がひっきりなしに続いたそうです。青木さんは「お電話を頂いた方には、できるだけ話をさせていただこうと、どうして支援しているのかなど長話になってしまい、次から次とかかってくる電話の応対が大変だった」と当時の大変さを語りました。
結果的に、220人以上の方が支援してくれ、2,3人の方以外は全員送料も寄付してくれ、集まった2トンの古着を分別して最終的に1.6トンをミャンマーに送ることができたそうです。
ミャンマー支援に協力的な須坂市の会社が輸送を安く引き受けてくれ、軽ワゴン5台分で港に向かい、タイまでは船便で、タイ到着後は陸路で避難民のもとへ届けられたそうです。
個人だけでなく企業として支援してくれた会社もあった
AC長野パルセイロを運営する企業から、選手の練習着200着を寄贈され、サッカーが大好きな現地の子どもたちは非常に喜んでくれたそうです。
青木さんは「早く平和になって安心してみんなでサッカーができるようになったらいいな」と平和への思いを語りました。
また「支援者の方からは、活動を理解してねぎらいの言葉をお手紙で下さる方も大勢いて、心ある方はいっぱいいるんだな」と感じたそうです。
紛争が終結したあとも子どもたちへの支援を続けていく
青木さんは最後に「長野というより日本から支援してくれるひとがいること、送ってくれて励ましてくれているんだということが一番の力になるんだと思います。もちろんお金も大事ですが、眼に見えるものとしての支援には力があります。ミャンマーの支援はずっと続けてきたので、この紛争が終結したあとも、ミャンマーの子どもたちが育つために支援を続けていこうと思っています」と話されました。
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今回、クーデターから3年を迎えるミャンマー情勢をテーマに、ミャンマー問題報告集会を開催できたことは大きな意義をもちます。ビルマ(ミャンマー)の民主化のために学生時代からたたかってきたウィン チョウさんやマティダさんの訴え、ミャンマー支援にとりくむ石川さんや青木さんの報告から、県内外で活動する団体のメンバーの日々のとりくみが支援につながり、ミャンマー出身者に勇気を与えていることを改めて知ることができました。報告集会の詳報は、次回のニュースレターに掲載予定です。
2月1日に長野市・松本市でスタンディング
また2月1日には、長野市と松本市でミャンマー問題を訴える街頭行動、スタンディングを実施しました。
みぞれまじれの冷たい風が吹き付けるなかでしたが約30人が長野駅前に集まりました。
ミャンマーに一刻も早く平和が訪れることを願います。今後もミャンマー市民と連帯して活動していきます。