21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

4年ぶりに地区労組会議対抗のソフトボール大会を開く

9チーム130人が参加 塩尻地区労組会議が優勝

終了後には、焼肉交流会で地区を越えて親睦を深める

県労組会議は8月19日、松本市・あずさ運動公園で19回目となる地区労組会議対抗親善ソフトボール大会を開きました。コロナ禍のため3年間中止が続き、4年ぶりに実施し、9チーム約130人が参加して熱戦を繰り広げました。トーナメント方式で行われた大会は、塩尻地区労組会議チームが優勝、準優勝は松本地区労組会議チームでした。

大会の終了後には、炎天下の中、テントを張って焼肉交流会を開きました。各地区労組会議から大会の感想などについてアピールがあり、参加者は地区を越えて交流を深めました。

塩尻地区労組会議がトーナメント戦勝ち抜き優勝

青空の下、朝7時30分から開会式

開会式で選手宣誓する松本地区労組会議の代表

親善だけど真剣に試合を実施

20点以上の大差がつく試合も

大橋孝宏・県労組会議副議長から優勝した塩尻地区労組会議チームにトロフィーを手渡す

大会後には炎天下でテントを張って焼肉交流会

焼きそばを上手に焼く小林誠・県労組会議幹事

松代大本営工事での朝鮮人犠牲者を追悼して

追悼碑を守る会が建碑28周年を記念する式典

松代大本営追悼碑を守る会は8月10日、長野市松代に建立している「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」の前で、大本営工事の際に犠牲となった朝鮮人労働者への追悼の意を表すための式典を開きました。日本人や朝鮮総聯、民団などの関係者約50人が参列しました。

冒頭、あいさつに立った追悼碑を守る会の表秀孝会長は、「追悼碑の裏面には私たちの決意が刻み込まれている。亡くなられた朝鮮人犠牲者を追悼し『過去の戦争、侵略。加害を深く反省し、友好親善、恒久平和を祈念してこの日を建立する』と記されている。過酷な労働を強いられ無念と望郷の中で亡くなられた朝鮮半島出身のみなさまに哀悼の意を捧げる。石板に書かれた私たちの決意は28年たっても実現していない。戦える国に傾斜していく政府の姿勢がますます強まるなか、このような動きを止めることができない悔しさを心に刻んでいる。国家権力の暴力がむき出しになる戦争には正義はない。力による平和は存在しないことを私たちは先の大戦から学び取ったはずだ。このような時だからこそ、歴史を直視し、歴史に学び、再び誤まることのないように決意したい。今こそ人と人との結びつきを強めるときだ。民衆の連帯の力を信じたい。善隣友好と平和創造に向けて皆さまとともに取り組みたい」とあいさつしました。

来賓として、駐新潟大韓民国総領事の権相熙(クォン・サンヒ)氏が「過去の誤った歴史を正しく認識し、真に反省し、過ちを繰り返さないようにすることが私たちの責務。しかし、過去のことだけにこだわっていると前に進めない。韓日両国は正しい歴史認識の下、未来に向かって手を取り合って進むべき」などとあいさつしました。

長野市長の荻原健司氏、衆参国会議員の若林健太氏、篠原孝氏、杉尾秀哉氏、羽田次郎氏からメッセージが寄せられたことが紹介されました。

日朝県民会議の中山良一・会長代行、朝鮮総聯県本部の李明宏(リ・ミョンガン)・委員長、民団県地方本部の金秀男(キム・スーナン)・副団長がそれぞれ追悼の言葉を述べました。

式典の最後には、参列者全員で菊の花を献花しました。

表秀孝・追悼碑を守る会会長

駐新潟大韓民国総領事の権相熙(クォン・サンヒ)氏

式典の冒頭で犠牲者を追悼する黙とうを行った

参加者全員で献花

被爆体験の継承が今こそ求められている

原水禁県大会で広島で被爆した今井和子さんが体験談

被爆78周年の今年、広島へ原爆が投下された8月6日、長野市・県労働会館にZoom参加者も含めて約40人を集め、原水爆禁止長野県大会を開きました。

大会の冒頭、宇佐美正信・県原水禁代表委員があいさつ。岸田政権の原発回帰政策、核兵器禁止条約を批准せずアメリカの「核の傘」にとどまる対応を厳しく批判しました。

大会では、広島市が主催する平和記念式典をテレビ中継、原爆が投下された8時15分に黙とうをささげました。

アメリカ軍が原爆投下直後の広島や長崎の様子を撮影した映画フィルムを、今から約40年前、「10フィート運動」によってカンパを集めて買い取り、『にんげんをかえせ』という20分程度のドキュメンタリー映画が完成しました。原爆詩人・峠三吉の詩集のタイトルを冠したこの映画を県大会で上映しました。被爆直後の傷付いた人々の姿も映し出され、改めて原爆投下への怒りが会場にまん延しました。

その後、5歳前に広島市で被爆した長野市に住む今井和子さんが被爆体験を証言しました。

今井さんは「広島に原爆が投下された8月6日の8時ちょっと過ぎ、空襲警報があり防空壕に入ろうとしたら解除になったので、一安心していました。ところが、突然激しいピカッという閃光、それから下から突き上げるようなドーンという地響きと共に、グラグラ家が揺れて、物がバアーンと飛び散り、シャリシャリシャリとガラスの破片が飛んでいきました。まさにピカッドーンという衝撃で、今でも体の感覚として残っています。向かいの家の娘さんが下敷きになっているお父さんを『助けて、助けて』と叫んでいましたが、皆はもう自分のことで精一杯でした。その『助けて!』という悲鳴は今でも耳に残っています。その後避難場所に行くとき、背中が焼けただれた人とかが折り重なるように馬車に乗っていました。一番後ろにいた人の背中が真っ赤に焼けただれていて、その人の虚ろな目が強く記憶に残っています」と、原爆投下直後の様子を生々しく証言されました。また、今井さんは「被爆者の苦悩は2つある。一つは生涯続く健康不安。自分だけでなく子どもや孫、ひ孫にも影響が出るのではないかという不安。もう一つは生きていることの罪悪感。周りに助けを求めている人がたくさんいたにもかかわらず、助けてあげられなかったこと」と語りました。

原爆投下の8時15分に黙とう

被爆体験を語る今井和子さん

被爆二世の前座明司さんもあいさつ

広島市平和公園内にある原爆詩人・峠三吉の詩を彫った石碑

長野朝鮮初中級学校の生徒が松代大本営象山地下壕を見学

追悼碑を守る会が案内 - 追悼碑前で自らの学習発表も

長野朝鮮初中級学校(松本市)中級部(中学校)の1年生から3年生までの生徒11人は7月20日、松代大本営象山地下壕の見学と学習発表を行いました。

生徒たちは、地下壕見学の前に、市民団体が運営する「もうひとつの歴史館・松代展示室」を訪問。なぜ松代に大本営の移転が計画されたのか、朝鮮人労働者の労働・生活の実態はどうだったのか、スタッフの説明をメモを取りながら熱心に聞いていました。

追悼碑の前では、地下壕工事の犠牲者を慰霊し、加害・侵略の歴史の真相を明らかにする目的で追悼碑がつくられた経過を、守る会役員が説明しました。また、長野市が朝鮮人強制連行の歴史的事実をあいまいにした説明看板の問題についても報告されました。その後、実際に地下壕内に入り、過酷な掘削工事の実態を見学しました。

見学が終了後、生徒たちが事前に松代大本営について学んできたことを模造紙に書いて、追悼碑の前で学習発表を行いました。

もうひとつの歴史館でスタッフの説明を受ける

象山地下壕の中で

事前学習の成果を追悼碑前で発表

みんなで記念撮影

被爆78周年原水禁世界大会(長崎)~長野県代表団報告~

原水爆禁止長野県協議会は、今年も各単産・各地区へ呼びかけ、8月7日(月)・8日(火)・9日(水)に開催される「被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」に参加することになりました。

飛行機の機内から撮影

長崎空港からリムジンバスで会場へ。海が綺麗。

開会行事会場へ到着

長野県からは、自治労、国労、上伊那地区、松本地区、長野地区、長野県原水禁から8人が代表で参加しました。残念なことに、大会会場に到着するなり、台風6号の接近により3日目の行事の全てが中止となったと告げられました。それを受け、2日目で帰る決定をした団も多くありました。我が団もどうするべきか団長と事務局で相談しました。ちょうど少し前に、沖縄を直撃した台風の影響で観光客がしばらくホテルに缶詰めになったという報道もあり、帰れなくなったら大変と、さまざまなことを考えました。帰りの飛行機が欠航になることを想定し、航空券を頼んでいた旅行会社と連絡を密に取り、結果、欠航となっていないけれどキャンセル料が発生しない災害認定となったことで、大会の開会行事が開催中にも関わらず、長崎駅に走りました。JRのみどりの窓口は、まだそれ程混んでいる様子はなく、なんとか8人分の新幹線の切符が取れました。それにより、長野県代表団は2日目の行事はしっかりと参加し、3日目の朝8:44の新幹線で帰郷することに決まりました。新幹線での長時間の移動で大変だろうという心配もありましたが、帰れなくなることを考えれば、それも致し方ないことでした。

 

8月7日(1日目)

高校生平和大使の皆さん

真剣なまなざしの参加者たち

長崎市・ブリックホールにおいて「被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会」開会行事が行われ、約800人が参加しました。開会行事では、高校生たちがオンラインでとりくんだメッセージ動画「高校生平和アクション2020」が上映されました。全国から集まった第26代高校生平和大使・高校生1万人署名活動のメンバーのみなさんが登壇、活動報告を行いました。コロナ禍で中断していた海外派遣について、8月下旬に予定されていることも報告。あわせて合唱が披露されました。高校生平和大使の「微力だけど無力じゃない」が耳の残り、大人の私たちも見習わなければと思いました。

行事終了後、全員で路面電車でホテルへ移動し、夕食会場であらためて、それぞれの自己紹介をし、帰りの予定が変更になったことを共有しました。

路面電車から見た街の様子

 

8月8日(2日目)

2日目は、それぞれの希望する分科会へ参加し、午後は唯一の自由時間だったので、思い思いに過ごしました。夕食で参加者の感想や報告を聴いたところ、ほとんどが原爆資料館と平和公園を訪れていました。台風の影響で湿気を含んだ風が強かったのですが、夕方になって少し雨に降られたくらいで、かろうじて天候に恵まれました。

第1分科会の様子

第4分科会の様子

第5、第6分科会会場

第6分科会の様子

 

 
 

昼食に入ったお店で、同じ第4分科会に参加していた女性お二人と出くわしました。そのうちのお一人が長崎市在住の被ばく2世の方で、「現在、長崎原爆資料館の展示に関して歴史修正主義者たちから横やりが入り、資料館の加害の展示を変えようとする動きがみられます。長崎になぜ原爆が投下されるようになったのか、それまでの戦争の加害の部分を含めて展示していかないと、世界中から訪れる、特にアジアの人々に共感や相互理解を得るのは厳しいと思っています。加害展示を含めて資料館の展示をするように市民の会が発足したのでそちらの活動に今、力を入れています。」とのことでした。本当に、そう思います。当事者の方がそう、加害の責任についてきちんと語っているのに、国は一体何をやっているのかと個人的に強い憤りを覚えました。他にも、当事者としての貴重なお話を聴くことができ、たまたま巡り合わせただけなのに、気さくに接していただいてとてもありがたく感じました。

長崎原爆資料館前

松本水道労組の皆さんで折った折り鶴を鳥羽さんが持参しました

 

 

8月9日(3日目)

朝8:00前に集合し早々に長崎を離れたため、8月9日11:02の原爆が投下された時間は、新幹線の中で、それぞれがスマホで平和記念式典のLIVE中継を見て、黙とうしました。やはり行進ができなかったのは少し心残りとなりましたが、何よりも無事に8人全員で熱中症もケガもなく長野に帰り着くことができたことが一番でした。とてもいい仲間と長崎の学びの旅に参加できたことに感謝です。3日間あらためてありがとうございました。

~参加者の感想~

・原水爆禁止世界大会に参加させていただき、核の恐ろしさと、その廃絶の必要性を改めて深く感じました。この会で、多くの方々が平和と非核のための熱意を持って一堂に集まっている様子にはとても感動しました。被爆された方の証言や、核とその影響に関する講演では多くの新しい学びを得ることができ、今まで自分が考えていなかったような範囲にまでその影響が及んでいる事を知りました。そして、私が特に心を打たれたのが、高校生平和大使による発表です。大使の皆さんは「ビリョクだけどムリョクじゃない」をスローガンに全国で署名活動をされています。高校生が平和のために真剣に活動する姿はとても頼もしく勇気をもらいました。私はこの大会に参加し核の問題に対して無関心でいることの危険性を改めて感じました。しかし、一人一人がどれだけの力を持っているのかも再認識できました。全国から集まった参加者のみなさんと共有した核廃絶への思いを胸にたとえ微力だとしても平和のための活動に参加し周囲の方々にもこの問題の重要性を伝えていきたいと思います。

・大会を通じて、改めて戦争の悲惨さ、核兵器の恐ろしさを痛感しました。分科会で学んだ「被爆体験を、体感する」ことが、二度と核兵器を使用しないために大切なことだと思いました。大会を通じて沢山の人の思いに触れ、とても勉強になった2日間でした。

・団長はじめ、ご一緒した皆様大変お世話になり、ありがとうございました。熱量が一番高い今の気持ちを大切にアウトプットしていきたいと思います。

・いよいよ明日8/24汚染水海洋放出ですね。長崎大会に参加しなければ、ほとんど関心がなかったと思います。参加できてほんとうによかったと思います。この思いを少しでも多くの組合員等につなげていきたい、つなげる責任があると思います。

・初めて大会へ参加しましたが、改めて戦争や核の恐ろしさを痛感し、政府の原発推進へ向けた様々な施策にも改めて疑問を感じました。今大会で学んだこと感じたことは職場の仲間たちへ伝え、特に後輩たちへはこういった機会があれば積極的に参加してもらえるよう伝えていきたいと思います。私も今後、平和のための活動へは出来る限り参加していきたいと思います。

・「被爆体験者」ということばを初めて知り、行政の理不尽な対応に憤りを感じました。長野県で高校生平和大使活動がなぜ行われていないのか不思議に感じるとともに、残念に感じました。国は処理水(汚染水)の海洋放出を始め、事業遂行のためには都合よく法律を解釈、改正していることを学びました。そして、国民の声に耳を傾けない国の施策に対して、常に関心をもって対応していかなければいけないと感じました。

・長崎県のように子供の頃から核廃絶について学ぶ機会を作る必要性を感じました。長崎県から長野県まで鉄路で帰るという二度と経験できない機会をいただき感謝しています。