21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

被爆78周年原水禁世界大会(広島)~長野県代表団報告~

8月4日から6日にかけて広島市で開催された原水爆禁止世界大会・広島大会に、長野県原水禁代表団として22人が参加しました。

今年はコロナ禍で中断されていた子ども代表団が復活し、県内在住の小学生から高校生の参加者6人(保護者同伴)が、子ども慰霊祭や、平和公園の慰霊碑フィールドワーク、広島で学んだことを新聞や劇で表現するワークショップに参加しました。

式典の準備がすすむ平和記念公園

いくつもの川が流れる広島の街

今も広島市内を走る「被爆電車」

8月4日(1日目)

初日、長野県代表団のメンバーは原爆資料館(広島平和記念資料館)の南側に集合して、大人参加者は折鶴平和行進・開会総会に参加し、親子参加者は原爆資料館を見学しました。広島市に滞在した3日間は連日天候にめぐまれましたが、高い気温と湿度が続くため熱中症にならないように気をつけながらの滞在になりました。

炎天下での折鶴平和行進

原爆資料館に入館するまでには長い行列ができ、各国から訪れた方々で混雑していました。14万人という数字ではなく、ひとりひとりの犠牲者がどんな人生を歩み、どんな最期を迎えたのかがクローズアップされた展示となっていました。さまざまな角度から「あの日、広島で起きたこと」を伝える展示となっており、滞在した一時間半では到底回り切れない内容でした。展示物の前に立ち止まり涙を流している方もいらっしゃいました。

夜の交流会では、自己紹介の際に、それぞれどんな思いで参加したか、今日の感想などを述べ合いました。子どもたちは大勢の大人の前で緊張しながらもがんばって話しました。若い世代の参加者からは「正直、観光目的で参加したところもあったけど、今日、被爆者の方からお話を伺えて来てよかったと思いました」と正直な感想がきかれ、実際に広島を訪れることの大切さが共有されました。

8月5日(2日目)

二日目は、大人参加者は希望する分科会に参加しました。親子参加者は、早朝から子ども慰霊祭に参列しました。全国各地から集まった子どもたちと一緒に黙祷を捧げました。各県の子ども代表団が順番にそれぞれ献花し折鶴を納めました。長野の子どもたちも持参した折鶴を納め献花し、子ども代表団の高橋さんが献詩を捧げました。

【長野原水禁子ども代表団・髙橋樹貴亜さんの献詩】

八月六日 八時十五分
たった一発の原子爆弾が十四万人の尊い命を奪いました。

私と同じ十代の若者の犠牲者も一万五千人以上にのぼりました。
亡くなられた若い皆様は、未来という夢と希望に満ちあふれ、胸を膨らませ青春を謳歌していたことでしょう。

夢を果たせなかったことを、同じ若者として、大変、胸が痛みます。
皆様が負った大きな大きな傷を和らげる唯一の方策は、悲惨な戦争を二度と引き起こしてはならないことです。

しかしながら、世界では、核使用をちらつかせ、自国主義、軍拡といった風潮になりつつあり、既に、悲惨な戦争が引き起こされていることは、誠に、残念で仕方がありません。

ただ、我々ができることは、唯一の被爆国として先人達が訴え続けた平和の尊さ、戦争の悲惨さを、しっかり受け継ぎ、平和に感謝し平和を守り、次の世代へ引き継いでいくことだと思います。

平和は、もたらされるものではなく、自ら作り上げるものだと思います。
どうか、皆様、私達を、天国から見守っていてください。

長野県代表団の子どもたち

 

平和公園内の慰霊碑を巡るフィールドワーク

慰霊祭終了後は、平和公園内に建立されている慰霊碑を被爆2世の上野さんに案内していただきながら、それぞれの慰霊碑やモニュメントの背景や歴史について伺いました。

公園内にはたくさんの慰霊碑がありました

平和公園がある場所には、もともとはいくつかの町があったそうで原爆の投下によって、壊滅し大勢の方々が亡くなったそうです。その方々の日々の営みがあった土地をそのまま踏むことはできないと、盛り土をして公園が造られたと教えていただきました。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑では、日本人だけでなく多くの朝鮮人の方が原爆で亡くなったこと、名前もわからない方も大勢いることを学びました。

韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で

平和の鐘の周囲には火傷の傷を癒すという蓮が茂っていました

原爆の子の像の周囲には世界中から集まった折鶴が

佐々木禎子さんの同級生らによる募金運動により作られた原爆の子の像

禎子さんが折鶴を折った薬包紙を知らない子どもたちに説明

平和の灯

広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)

一年に一度、死没者名簿を守るため天日干しされるという

国立広島原爆死没者追悼平和祈念舘

 

ダイ・イン

フィールドワークの終盤、原爆ドームに集合した子どもたちがダイ・インを行いました。 ※ダイ・イン(die in)参加者が死者になりきることで行われる抗議の一形式。

 

被爆2世の方のおはなし

午前の部の最後には、ご家族を原爆で亡くした被爆2世の女性の方からお話を伺いました。原爆投下によって、コミュニティが丸ごと破壊され、身近な家族が突然いなくなってしまったこと、年月が経過しても大切な家族を亡くした悲しみは癒えないことをお話くださいました。子どもたちは静かに耳を傾けていました。

被爆2世の方のおはなし

 

大学生企画ワークショップ

午後の部では、子どもたちは高校生平和大使を経験した大学生が中心になって企画されたワークショップに参加しました。それぞれが見て感じたことを劇や新聞や絵で表現するという内容でした。

大学生たちからそれぞれの企画の魅力についてアピール

子どもたち悩みながら決めました

長野県から参加した子どもたちは新聞作りとうちわに絵を描くワークショップを選びました。長崎県から参加している高校生のスタッフさんのサポートを受けながら、原爆ドームや慰霊碑や折鶴などを描いていました。普段、関わることの少ない大学生や高校生とのやりとりも子どもたちにはいい経験になったようでした。

夜の交流会では、子どもたちも打ち解けてきて、大人たちに質問したり、おしゃべりしたりして楽しい時間を過ごしていました。

ライトアップされる京橋

8月6日(3日目)

日程の最終日は、代表団全員で、朝から原爆ドームに向かいました。一年で最も広島市が混雑する日でもあり、路面電車での移動が心配されましたが、無事に8時前に原爆ドームにたどり着けました。

原爆投下時刻に黙とうする長野県代表団

原爆ドーム周辺は、前日、前々日と打って変わってデモ隊や機動隊が並んで喧騒に包まれていました。子どもたちも緊張した面持ちでしたが、原爆ドーム前のスペースに、長野県代表団全員が集まることができました。原爆投下の時刻にあわせて黙祷を捧げました。地元のテレビ局にも取材され、子どもたちはしっかりと受け答えしていました。

広島市立こども文化科学館

その後、大人参加者は閉会集会に参加しているあいだ、親子参加者は「こども文化科学館」を見学しました。子どもたちは、長野と異なる湿度の高い広島の気候にぐったりする日々が続いていましたが、科学館では思い思いに展示物に触れて遊んだり、走り回ったりして楽しんでいました。

最後に、原爆ドームに再度集合して相生橋から集合写真を撮って解散しました。
酷暑の広島での日程でしたが、ひとりも体調不良等になることなく終えられました。

来年度以降も実施予定です。
ぜひご参加ください。

 

【参加者の感想】

・7年前、小学校4年生の頃、原爆資料館や原爆ドームを訪問しましたが、まだ、小学生であったことと、年数も経過し、記憶が薄らいでいたことから、今回、改めて、原爆投下日に広島を訪問し、原爆、戦争を考えたいと思い、参加させていただきました。本当に密度の濃い3日間で、言葉では表せられないような気持になって、長野県に戻ってきました。(高校生)

・原爆ドームの前でのダイ・インでは、ここに78年前、原爆が投下されたんだ。自分は今、被爆された方と同じ場所に倒れている。何とも言えない気持ちにかられました。水を求めて、原爆ドーム前の川は人であふれかえり、多くの死体が転がり、服は燃え、目はたれ落ち、そこに自分は今、いる。なぜ、何の罪もない一般市民までも、そんな仕打ちにあわなければならないのかと。。
改めて、平和の尊さ、戦争の愚かさを感じ、こんな戦争、2度と繰り返してはならないと、強く、心に刻まれました。(高校生)

・広島平和記念資料館にいって原爆が落とされた町の風景や亡くなった人たちの物や原爆がどのくらいデカいのかとかも知れたし亡くなった人の名前や顔とかもあって小さい子から大人まで皆亡くなってしまったということが分かりました。やっぱり原爆は怖いなと思いました。(小学生)

・いつか平和記念公園・原爆ドームは行かないといけないと思っていましたが、大事な日に広島に行けたことはとても貴重な経験となりました。とても勉強になりました。(20代)

・原爆の投下された地で、その恐ろしさや悲惨さを目の当たりにしました。とても貴重な機会で多くのことを学ぶことができ、有意義な時間でした。(20代)

・3日間、大会に参加し、核について少しばかり自分には無関係と思っていましたが、それが身近な脅威であると感じました。そういった危機感を感じることができ、本大会は私にとって充実したものとなりました。(20代)

・漠然としていた「戦争・原爆」への印象が覆されました。今までに、戦争や原爆、平和について学ぶ機会は多々ありましたが、実際に当時の物を見て体感するのは高校生の時に訪問した沖縄県への修学旅行以来でした。改めて、学び・体感したからこそ、二度とこのような出来事を起こしてはいけない、忘れてはいけないと強く感じました。現在、世界で起こっている戦争。自分の置かれている環境が恵まれており、同じ時代の出来事ではないのではと錯覚してしまいます。「戦争」について、別世界の話だと目を背けるのではなく自分も学び体験したからこそ、何かできることはないのかともどかしさを感じました。(20代)

・当時の様子を聴く中で「本当は思い出したくないし、話したくないが、このような出来事があったことを知ってもらうために今ここにいる。」と言う話があり、当時を振り返り「戦争・平和」を世界へ発信しなければいけないと感じる反面、訴えることへの苦悩に何とも言えない感情を抱きました。(20代)

・とっても良かったという表現が間違いかもしれませんが良い経験になりました。(40代)

・原爆が落とされた日と同じような暑さだったこと、8月6日という日の中心に自分たちがいたこと、その日に広島に行っていないと感じられない感情を感じることができました。(50代)

・子供たちと参加させていただきありがとうございました。資料館など見学をして子供たちも原爆がいかに危険なものか学ぶことができました。(40代)

・真夏の太陽が照りつける中、原爆資料館を始め、被爆2世の方々によるフィールドワーク、子供慰霊祭、グループワーク等、大変密度の濃い3日間でした。改めて、戦争の怖さ、原爆の恐ろしさを感じました。(50代)

【参加したことがない方へのメッセージ】

・普段はあまり原爆等について考えないかもしれませんが、そういう人にこそ是非参加していただきたいと思います。(20代)

・良い経験になるのでぜひ行ってみてもらいたい。8月6日に行くことの意味を体感してほしい。(40代)

・一度、広島に来てみてください。そして、今の平和の有難さ尊さを実感しましょう!(50代)

・広島に行くことで何かを感じることができます。その何かは人それぞれですが、広島に行くことで何かを感じることは、私が約束します。(松田元伸代表団団長)

 

国・東電による『放射能汚染水』海洋放出反対8.27全国行動

福島県いわき市小名浜で反対集会が開催されました

ここ数週間のうちに、汚染水の海洋放出が強行に進められ、とうとう8月24日に放出が開始されました。連日、そのニュースが流れ、全国的にも注目が集まっているようです。

小名浜港とアクアマリンふくしま

準備の様子 ぞくぞくと集まってくる参加者

8月27日(日)、地元、福島県いわき市で海洋放出反対全国集会が行われると聞き、長野県原水禁の代表として参加してきました。

集会は、10数団体からのリレートークが行われ、地元の漁業者の訴えをメインに韓国の国会議員や県内外の参加団体、最後は、立憲民主党・社民党・共産党の議員さん達が話されました。

漁業者の方のお話は、ろくに話し合いも説明もないまま強行する政府と東電に憤り、安全というならなぜ東京湾に流さないのか、漁民としての子ども・孫の将来はどうなるのかと訴えました。

私(草野)もリレートークに参加し、311子ども甲状腺がん裁判の情報を伝えることができました。トーク後、元保育士の方に詳しく知りたいと声をかけられ、311子ども甲状腺がん支援ネットワークのことを話しました。未来ある次世代のことを考えると、居ても立っても居られないという感じでした。

実行委員会本部受付

社民党党首福島みずほさんも参加

小雨がそぼ降る中、すぐそこに広がる美しい海を見ながら、500人を超える参加者が熱い想いを共有しました。

 
 
 
 
 

 

 

日本は労働者・労働組合にとって戦後経験したことのない政治・経済・軍事的に極めて危険な状況

「21世紀の労働運動研究会」で棗一郎・弁護士が強調

棗一郎・弁護士

県労組会議は17年目となる「21世紀の労働運動研究会」の年4講座を開催中です。7月22日には、日本労働弁護団常任幹事の棗一郎・弁護士が松本市で講演しました。テーマは、「今後の労働法制改悪と非正規・非雇用化政策に対抗する社会的労働運動を」。

棗一郎・弁護士は、講演の冒頭、日本が現在置かれている経済的・政治的な状況について言及。「世界から見てこの30年間で日本はもはや経済の面でも“二流国”になった」「軍事費を倍増させ、閣議決定でだけで『敵基地攻撃能力の保有』や、中国・台湾有事に備えると称して、沖縄本島を含む南西諸島に自衛隊基地や攻撃能力を急激に増強している」と強調。

「今こそ、すべての労働運動と平和運動、市民運動の連帯と結合、団結が必要不可欠だ」と訴えました。

以下、棗一郎弁護士の冒頭の発言を掲載します。

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「オールジャパン・デモクラシー」の運動が必要不可欠だ

日本労働弁護団常任幹事  棗  一 郎

政治の闇、経済の没落

現在の労働者・労働組合を取り巻く日本社会の現状は、世界(OECD諸国)と比較してどのような社会・経済・政治状況なのか?

昨年明らかになった政治の闇は、自民党と反社会的カルト教団との歴史的な癒着関係(反共の砦)と法律上の根拠もなく、財政民主主義にもよらない「安倍国葬」の強行により、内閣(政府)の独裁とも呼ぶべき、もはや‟法治国家“ですらなくなった3流の後進国の政治状況となった。日本の国民も労働運動も結果としてそれを容認しているのが現状である。

その反面で、これまで「日本は政治は二流だが、経済は一流」との幻想を抱いてきたが、もはやOECD諸国で最低の賃金(過去20年以上にわたって実質賃金-購買力平価による換算値‐が上がらない国)、最低賃金も最低の国、世界から優秀な人材を集めることができず、逆に日本の若い労働者は海外に出稼ぎに行くような状況である。さらに、世界一の速さで高齢化が進み、労働力が慢性的に不足している状況であるにもかかわらず、人権侵害・奴隷労働を強いている外国人「技能実習生」制度すら廃止できず、日本に来なくなることが予想される。

日本経済は、“日本病”と称される暗礁に乗り上げていて、もはや“経済大国”でさえない、2流・3流の経済国家になってしまった。昨年の世界大学ランキングで、東京大学は39位、京都大学は68位に大きく後退し、もはや往年の見る影もない。人材においても2流の国家になっている。

現在、ロシアのウクライナ侵略戦争の長期化とエネルギー自給・食料自給ができていないことなどを要因として急激な円安と物価上昇を招いて、庶民・経済的弱者層を直撃し苦しめている経済状況、その一方で富裕層と大企業はびくともしない決定的な貧富の格差構造は、変わる兆候もない。もはや日本は2流の経済国というのが世界経済の見方である。

軍事大国化と戦時体制の整備

そして、国家予算では軍事費(戦時体制の強化)を5兆円にまで増大させ、ロシアのウクライナに対する侵略戦争の長期化、中国共産党の独裁体制の確立と北朝鮮の核開発、台湾・東アジア有事をあおる自公政権による軍事費の著しい膨張と軍拡政策、戦争有事体制に備えるかのような警察国家・監視国家への着々とした法整備と予算の執行などが続いている。岸田内閣は、これまで戦後一貫して保持していたはずの日本の軍事的基本戦略である『専守防衛』政策を明確に転換して、「敵基地攻撃能力を持つ」軍隊へと安全保障政策を大転換させた。こんなにも重要な国の基本政策の大転換を行うには、国民的な大きな議論が必要であり、解散総選挙を行って国民に信を問うべきである。にもかかわらず、国会での慎重な議論や決議もなく、国民的な議論を経ることなく、一内閣の閣議決定だけで決めてしまった。主権者たる国民の意思を問うことなく、それを無視して一方的に政策を進めていくのは、まさに“亡国の内閣”であり、この国を誤った方向に導くものである。

沖縄は今年で米国統治下(アメリカ世)から日本への復帰51年を迎える。国内の米軍機基地の7割が沖縄に集中する極めていびつな軍事態勢に加えて、近年、中国・台湾有事に備えると称して、中国に対抗するための「南西シフト」(言葉のごまかしで実は「琉球・沖縄シフト」)を組み、自衛隊の増強が急速に進んでいる。これまで沖縄本島を含む南西諸島は、自衛隊・防衛の「空白地帯」をされてきたが、与那国島、宮古島、奄美大島、石垣島に陸上自衛隊の駐屯地を開設、ミサイル防衛基地を作って、中国と向き合う最前線の島々で防衛拠点の構築を急いでいる。

社民党の福島瑞穂議員が、日本労働弁護団主催『安部自民党改憲案に断固として反対する労働組合の集会』の時に発言されていた。「気づいたら、“戦争”が廊下の奥に立っていた・・・!」

今の日本は労働者・労働組合にとって戦後経験したことのない政治・経済・軍事的に極めて危険な状況にある中で、日本の労働組合と労働弁護士は何をすればよいのか?どこへ向かえばよいのか?それが今、私たち一人ひとりに厳しく問われている。

今、何が必要か?

以上のように、今の日本は政治・経済・軍事、そして雇用社会と労働政策・労働法制は危機的状況にある。このままでは、日本は再び暗黒の時代を迎え、体制翼賛化、ファシズム、軍事国家への道を突き進んでいくことになる。

これを止めるためには、“オールジャパン・ユニオン”だけでなく、“オールジャパン・デモクラシー”で対処し、行動し、運動を作り上げていかなければならない。つまり、今こそ、すべての労働運動と平和運動と市民運動の連帯と結合と団結が必要不可欠なとき!

気骨の労働弁護士・宮里邦雄さんの逝去を悼んで

長野県の「21世紀の労働運動研究会」の専任講師として16年

国鉄闘争など数々の労働争議で労働者を激励、弁護活動を展開

7月1日 東京で開いた偲ぶ会に500人が参列し追悼

労働運動研究会で講演する宮里邦雄弁護士

弁護士で日本労働弁護団の元会長、宮里邦雄さんが今年2月5日、83歳で亡くなられました。

宮里さんは、弁護士になって以来、労働者のさまざまな活動を支援し、一貫して「労働弁護士」として活動されてきました。国鉄闘争をはじめとする数々の労働争議にも関わり、虐げられた労働者、解雇された労働者などに寄り添って活動された弁護士でした。

県労組会議は、2007年から「21世紀の労働運動研究会」を発足させ労働問題に関する様々なテーマで講座を開いています。今年で17年目となる労働運動研究会ですが、宮里さんには、1回目からご病気になられて体調を崩される前の2020年まで毎年欠かさず講師を務めていただきました。

宮里邦雄さんのご逝去をに改めてお悔やみ申し上げるとともに、心から追悼の意を表します。安らかにお眠りください。

7月1日は84歳の「誕生日」 宮里さんへの思いがあふれた偲ぶ会

7月1日には、東京都内で「宮里邦雄弁護士を偲ぶ会」が開かれ、5百人を超える関係者が参列しました。以下は、東京共同法律事務所のホームページに掲載された偲ぶ会の様子を伝える記事です。

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7月1日、宮里さんが存命であれば84才の誕生日でした。
会場には400人を越える宮里さんを偲ぶ方々が参加され、宮里さんがいつも提唱していた「労働組合は、団結なくして勝利なし」の信念を確認しあう熱気あふれる2時間になりました。そして、宮里さんの温厚で決して怒らず、情熱と信念をもって相手方を説得するまねのできない人格のすばらしさを確認しあいました。
この偲ぶ会は、東京共同法律事務所と日本労働弁護団の共同主催でした。労働弁護団の先生方の宮里さんの思いと活動を是非若手弁護士に伝えたいという願い、そして東京共同の弁護士と事務局メンバーにとって恩師であり、慈愛あふれる父親であり、いつも心の支えであった宮里さんを偲ぶ思いがあふれる感動的な会でした。
冒頭の中川亮弁護士が沖縄に2度、大阪に1度出張して作った宮里さんを偲ぶ10分間余のビデオ上映、そして宮里さんがこよなく愛したモーツァルトのレクイエムの音楽家ユニオンによる演奏と、宮里さんのお孫さん宮里夏生さんのテナーサックスとの合奏。つづいて、主催者代表の山口広、徳住堅治両弁護士とのあいさつあたりで会場は宮里さんを偲ぶ雰囲気につつまれました。労働法の大家菅野和夫さんの宮里さんを偲ぶお話、国労組合員の国鉄民営化を口実とした大量解雇を宮里さんと10年余ともにたたかった元委員長高橋伸二さんの話。どの話も本当に感動的でした。しばしの食事休憩のあと、東京共同で1年実務経験して沖縄で活躍している金高望弁護士と、関西生コン労組の不当刑事弾圧を支援してきた宮里さんを思う小谷野毅さん、日本労働弁護団を宮里さんと引っ張ってきた棗一郎弁護士、宮里さんのたくさんの原稿と生の声からひろった発言集「宮里邦雄かく語りき」を中心でまとめた海渡雄一弁護士の各あいさつ。
そして最後に宮里さんの息子さん、宮里邦哉さんの父を思うウィットあふれるごあいさつと、娘さんの菅純子さんのあいさつで終幕。
海渡雄一、新村響子両弁護士のあたたかい司会で熱気一杯の会は終了しました。
この会にご協力いただいた皆様に心から感謝申し上げます。
なお、前述した2023年7月1日刊「宮里邦雄かく語りき」(旬報社)を、著者特別価格割引1600円(定価1800円)にて販売いたしております。東京共同に電話でもメールでもいただければ郵送しますので是非手にとって読んで下さい。

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宮里邦雄さんの弁護士活動50周年を記念して出版

『労働者の権利 軌跡-展望』への寄稿文(2015年5月)

宮里先生の労働者への深い愛情を感じる講座

―長野県の「21世紀の労働運動研究会」主任講師を務めていただいて

長野県平和・人権・環境労働組合会議事務局長 喜 多 英 之

1.二つ返事で引き受けていただいた「21世紀の労働運動研究会」の主任講師

「今の労働運動に取って必要な企画ですね。引き受けます」―2006年一1月、東京共同法律事務所を訪ねたときの宮里邦雄先生の言葉だ。

長野県平和・人権・環境労働組合会議(県労組会議)では、若い世代や現場の労働組合活動家に学習と交流の機会をつくるため、「21世紀の労働運動研究会」を発足させて、年間を通して定期的に講座を開き、社会的労働運動の復権につなげたいと構想を練っていた。

その構想の最も重要なポイントとなる主任講師。「何とか宮里先生にお願いできないかな」とみんなで相談していた。ただ、宮里先生は東京を拠点に活動しておられるし、全国的なネームバリューもあり、講演料なども多額になるだろうから、難しいだろうと感じていた。

「当たって砕けよ」と2006年11月のとある日、新宿の東京共同法律事務所を訪ねて宮里先生に直談判。「研究会」の構想をお話しさせていただいた。そして冒頭のご返事をいただいたのだった。講演料も格安で、忙しい合間を縫って長野県に来ていただけるという。さらに日本労働弁護団の弁護士を中心にそうそうたる講師陣も紹介していただいた。「産別や企業の壁を乗り越えて、労働運動の再生に向けて学習したいという、あなたたちの設立趣旨に賛同したからね。私の知識と経験が少しでも役に立てば」と宮里先生は快諾の理由を述べられた。

2.労働運動が企業主義的傾向を強める状況への宮里先生の危機感

宮里先生が「21世紀の労働運動研究会」の主任講師を引き受けていただいた背景には、先生自身の現在の労働運動に対する危機感があるのだからと思う。

労働運動が「冬の時代」と称されて久しくなる。労働組合への組織率は2割を切り、春闘をはじめとする社会的公正労働基準の確立のための労働運動の波及力も弱くなり、パート・派遣などの非正規雇用労働者の増大により、正規労働者との賃金・労働条件格差は広がるばかりだ。また、所得や資産、雇用、社会的地位など社会のあらゆる分野で格差が拡大し、新たな「階級社会」が日本に出現している。

特に現在、安倍政権の下で新たな装いを羽織っての「新自由主義政策」が進められ、労働分野でも財界の意向を全面的に受け、労働法制の大改悪が強行されようとしている。戦後の労働運動によって闘い取ってきた労働判例や、労働法制の規制が一挙に改悪されるきわめて重大な局面に立たされている。

まさに今、労働運動が社会的な影響力を発揮するときだ。労働運動が正規・非正規を問わずすべての労働者の生活と権利を守る社会的責任を果たさなければならない。

しかし残念ながら、現在の労働組合運動の主流は、企業主義的な傾向をますます強めていると言わざるをえない。労働者・労働組合が企業ごとに分断され、企業経営者への対抗力を失うだけでなく、企業間競争に勝ち抜き、企業利益をいかに実現するかという発想に陥っている労働組合幹部も少なくない。労働組合を担う役員や活動家が、企業の動向や企業利益に敏感になり、内向きの発想になっている現状は否定しがたい事実である。

宮里先生は、このような傾向を強める労働運動に対して強い危機感を感じておられるのだろう。私たちの「研究会」が「社会的労働運動の復権」という目的を掲げたことに共感をしていただいたと思っている。

3.受講者の共感を呼ぶ宮里先生の講演―労働者・労働運動への温かい激励・期待

「21世紀の労働運動研究会」の記念すべき第1回講座は2007年1月、長野市内に約80人の参加者を集めて開いた。講座は、宮里先生をメイン講師としたパネルディスカッションだった。

宮里先生には講座の冒頭で「労働組合の役割」というテーマで講演していただいた。

宮里先生はまず「1965年に弁護士になって以来、一番力を入れて生きがいを感じてきたのは労働問題だった。労働裁判、労働委員会、労働運動に携わってきて、多くの解雇された労働者や労働組合と付き合い、そのなかで労働組合のあり方とか役割などについて、労働者と伴走しながら考えてきた」と前置きし、「解雇・雇い止め、退職勧奨、配転や出向、転籍、偽装派遣など、労働者の雇用の質が、これほど悪くなった時代はない」と指摘。これらの劣化する雇用、労働条件などの問題解決のために労働組合が果たすべき役割がかつてなく大きいと強調された。そして、宮里先生は、労働組合は「対使用者という企業内の役割と社会的な役割」と二つの役割を背負っていると述べ、「雇用における非対等な関係」を改善し、労働者同士の競争を、連帯・絆によって規制する企業内における労働組合の役割、そして「労働者の団結を通じて、未組織労働者を含めた全体的な労働条件の向上、水準の引き上げ、標準化という労働条件に対する社会的な規制という役割」を果たすことが求められ、「労働組合は単に組合員のため、労働者だけのための存在ではなく、広い意味での社会的な運動の担い手である事が期待されている」と強調された。現在の「労働組合の危機」を乗り越えるために、地域合同労組などの地域労働運動と産業別労組がお互いを補っていく運動、さらに非正規雇用の増大に対応し、正社員との格差、分断化、差別化の是正に真正面から取り組むことが重要だと指摘された。宮里先生は最後に「労働者の団結にとって今日的なキーワードは『自立と連帯』だ」と述べ、「労働者一人ひとりが権利意識を磨き、企業内の連帯から企業の枠を越えた連帯へ」広げていこうと締めくくられた。

この講座での宮里先生の講演は、これからの労働組合の役割―「社会的労働運動」をめざす意義をわかりやすく説明していただき、参加者には深い共感の輪が広がった。

4.温泉とお酒が好きな気さくな人柄

宮里先生には2007年以降、毎年「21世紀の労働運動研究会」の主任講師を務めていただいている。今年で8期目を迎えた研究会は、宮里先生の人柄と人脈に支えられてきた面が大きい。棗一郎弁護士(旬報法律事務所)や小川英郎弁護士(ウェール法律事務所)も毎年講演に来ていただいているが、宮里先生に紹介いただいたことが縁だった。

せっかく信州・長野県まで来ていただいているので、宮里先生には毎年講座の終了後に、温泉場でゆっくりしてもらうのが慣例となっている。信州には様々な泉質の温泉地があり、山の幸も含めて宮里先生と杯を酌み交わし、労働運動について語り合う機会を与えられて、大変光栄に思っている。

宮里先生の人柄をあらわすエピソードを一つだけ紹介する。宮里先生が結婚して間もない頃に、「夫婦で長野県の浅間山を見てゆっくり温泉につかりたい」と思い立ち、松本市の「浅間温泉」の旅館に来てみたものの、肝心の浅間山は見えない。よく調べてみると浅間温泉と浅間山は直線距離で約50㎞も離れていた。同じ名前だからさぞ近くに浅間山が見えるだろうという早とちりで浅間温泉に来てしまったというエピソードだ。

講演の際でも酒席でも、宮里先生からは気さくな人柄と合わせて、労働者への深い愛情と、強き者の不条理・横暴は許さないという信念をひしひしと感じる。労働弁護士一筋に半生を生きてきた人だからこそ、言葉にも説得力と重みがある。

宮里先生なくして「21世紀の労働運動研究会」は生まれなかったし、8年も継続できなかったであろう。労働組合が「冬の時代」から脱却し、労働者や社会から信頼される社会的労働運動の再構築をめざして、今後も宮里先生を研究会に招き続けたいと思う。

研究会第1回講座でのパネルディスカッション(2007年1月)

宮里邦雄さんの弁護士活動50周年お祝い会(2015年11月)

安曇野市・穂高温泉郷で(2014年11月)

上高地・河童橋で(2019年11月)

偲ぶ会を報道する毎日新聞

あたたかい古着をミャンマーに送ろう!

「ミャンマーを忘れていない」というメッセージを届けよう

長野市の「アジア子ども交流支援センター」が呼びかけ

ミャンマー国軍クーデターから2年半が経過しましたが、ミャンマー国内では民主化を求める人々への国軍による苛烈な弾圧が続いています。国軍の市民への弾圧の中止と民主派の指導者や逮捕者の即時解放、民政への移管を求めて、国際社会は役割を果たすべきです。しかし、日本政府は世界で一番のミャンマーへの投資国としての責任を果たそうとせず、政府開発援助に関する事業の継続など国軍政治に対する甘い対応がまかり通っています。

クーデター直後と比較してミャンマーへの関心が薄くなっている現状があり、私たちは日々、「ミャンマーを忘れない」活動を継続していく必要があります。

長野市に本部を置く市民団体、アジア子ども交流支援センターは、ミャンマーに向けて古着を送ろうと、市民に呼びかけています。日本から温かい古着を送って、ミャンマーの民主化を求める人々を支援し続けているという日本人の心も現地に届けましょう。

取り組みの詳細は、下記のチラシを参照してください。

なお、8月1日付の信濃毎日新聞・社会面にこの活動が紹介されています。

◆古着のご支援を考えてくださっている皆様へのお願い◆

ミャンマーの冬は寒いと言っても、最高気温25~37℃、最低気温は18~20℃と温暖な気候です。一番涼しいのは10月下旬から2月です。しかし、山沿いとなると昼夜の寒暖差が激しく、昼夜の寒暖差が激しく、夜は10℃を下回ることがあります。そのため、秋口に着るようなTシャツ、ポロシャツの長袖、薄手のウィンドブレーカーのような上着を必要としています。以下の例を参考に、ご支援をお考えいただけると幸いです。

【欲しいもの(動きやすいもの)】

・Tシャツ、ポロシャツ、トレーナー(長袖)

・上着(ヤッケ、ウィンドブレーカーのような薄手のもの)

・長ズボン

【いらないもの(動きにくいもの、冬物)】

・劣化が一著しいもの。選択をしてないもの。匂いが発生しているもの。

・下着、靴下

・背広

・冬物のセーター、ジャンパー、コートなど

★古着のご支援をいただいた皆様には、送料のご寄付もお願いしております。

例…買い物袋1袋につき、1000円~2000円の送料負担をお願いします。

送料振込先

八十二銀行浅川若槻支店

店番号 225

口座番号 367551

口座名 アジア子ども交流支援センター

[問い合せ]

〒381-0084 長野市若槻東条515-3

アジア子ども交流支援センター

電話 026-295-9815

アジア子ども交流支援センターが呼びかけ

活動を紹介する信濃毎日新聞(2023年8月1日)の記事