東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第4回口頭弁論が1月25日、東京地裁で開かれました。
昨年11月に開催された脱原発2022 in信州でOurPlanet-TV代表・白石草さんに講演していただいた内容の裁判になります。
市民集会・脱原発2022 in 信州「誰にも言えず、苦しんできた~福島甲状腺がん患者の現実~」白石草(OurPlanet-TV)講演会
原告側が提出したのは、黒川眞一高エネルギー加速器研究機構(KEK)名誉教授の意見書。福島第一原発事故当時の放射性物質の詳細なデータはあまり残っていないものの、KEKの平山英夫教授(当時)ら、研究グループが、原発から60キロ地点にあった福島市紅葉山のモニタリングポストに1時間ごとの核種別の線量が残っていたことに着目し、大気中の放射性ヨウ素131の濃度を算出した論文が存在していることを指摘した上で、その時間ごとの濃度をもとに、1歳の子どもの吸引による被曝線量を推計。その結果、最も放射線量が高かった3月15日から16日の数時間にかぎっても、約60ミリシーベルトの内部被曝をしたと主張しました。UNSCEAR(国連科学委員会)の報告書をもとに、原告らは10ミリシーベルト以下の被曝しかしていないとする被告の主張は、あまりに過小評価であり、信頼性が低いと指摘しました。
このあと原告2人が証言台に立ち、意見陳述をしました。事故当時、中通りで生活していた 20代の男女ひとりずつで、男性はこれまでに4回の手術を経験。7時間におよぶ2回目の手術では、「死んだ方がましだ」とさえ考えた苦しみを、涙声で訴えました。
もう一人の女性は、1年前の裁判提訴の新聞記事を見て原告団に加わった経緯に触れ、自分と同じような境遇の患者による裁判の存在により、心が救われた思いを吐露。女性は、「坂本三郎さん、野口晶寛さん、原健志さん。」と裁判官の名前を一人ひとり呼び、「私たちは今、匿名で闘っていますが、一人ひとり名前があります。私の名前はわかりますか。」と問いかけ、「かつての私のように、裁判官の皆さんにとっては、ひとごとかもしれません。私がそうだったから、痛いほどわかります。でも、私たちがなぜこのように立たざるを得なかったのか。それだけでも理解してほしいです。」と声を振り絞って訴えました。
報告集会には、抽選に漏れてしまい裁判を傍聴できなかった多くの方が参加し、意見陳述の音声と準備書面の説明動画が流され、また弁護団ひとりひとりから報告がありました。
京都から駆け付けたアイリーン・美緒子・スミスさんもマイクを取られ、「原告の方たちの生の声を、日本中の人に聞いてもらいたい。今日、ここに参加の皆さんは、このことを誰に伝えるかを、今、決めてほしい。そして集会が終わったら発信しましょう。みんなでがんばりましょう」と話されました。
担当弁護士が原告の意見陳述の様子を報告されました。
井戸弁護団長からは「被告の主張は、UNSCEAR報告に全面的に依拠している。UNSCEARは必ずしも中立的な機関ではない。推測値に基づいて10mSv以下だからがんにはならないと主張しているが、実は、福島市のモニタリングポストに大量被ばくの実証データがあった。呼吸だけで60mSvになる。この被告の主張の根幹を崩すことが重要」とし、
さらに、「この裁判についてはメディアの扱いは小さく、ほとんど報道もされない。知らない人の方が多い。多くの人に知ってもらうという法廷の外での戦いも必要だ」と訴えられました。
次回の第5回口頭弁論期日は3月15日(水)14時から東京地裁103号法廷で開かれます。第6回期日は6月14日、7回期日は9月13日に決まりました。
また、署名活動を受けてこれまでの法廷から大法廷(一般傍聴人席はこれまでの26席から75席へ)で審理が行われることとなったそうです。
原告の皆さんの「何が起こったかを知りたい」との思いで開始された裁判の行方を、今後も注目していきたいと思います。
最後に筆者自身も福島県からの自主避難者で、子どもたちは県民健康調査を受けています。 傍聴して感じたことをここに記載させていただきます。