21世紀のキーワード―平和・人権・環境

長野県平和・人権・環境労働組合会議

信州安保法制違憲訴訟 第13回口頭弁論を傍聴して

原告団長である又坂常人信州大学名誉教授、戦争体験者・新海 寛さん、新潟大学学生・大橋直紀さん、母としての立場から金井奈津子さん、元国鉄・JR職員の後藤正次さん、教員としての立場から竹内忍さんの6名の方が証人として立ち、証人尋問が行われた。

裁判の傍聴なんてほぼ未経験に近い私にとって、見るもの一つ一つがテレビの世界。こんな風に裁判て行われているんだ・・・と、まずはそこからだった。

この貴重な機会をいただくことになったのは、女性裁判官の評判を聞いたことからだった。多くの裁判官が国よりの判決を下す中、珍しく原告側に配慮した裁判をすすめているとのこと。そんな裁判官に率直に興味を抱いたし、裁判なんて遠い世界のものと感じていた私が、身近に思えた瞬間だった。「私も見たいです。もし傍聴できるならさせてください。」と願い出た。

それぞれの証言は、当事者性が強く、ひとりひとりの言葉が胸に響いた。中でも、新海さんの戦争体験の生の声は、衝撃的だった。戦争体験者の話を直接聴いたのは初めてだったが、今後あらためて当時の話をきちんと聴いておかなければと思った。そして、大学生の大橋さんのお話。「生きづらい人の助けになる」という夢を叶えるために法学部に入り、勉強していた彼が、憲法がこんな簡単に解釈によって捻じ曲げられてしまうことにショックを受け、勉強に身が入らなくなってしまったという。これからの若者が未来に希望を持てない国なんて、この国は終わってしまう・・・。この判決一つで、希望を抱いて歩いていけるか、絶望で前に進めなくなるかがかかっているのだ。最後の竹内さんの証言では、大人である私達ができることはなんだろうと考えさせられた。立場とか職業とかそんなもの一切超えて、一人の人間として、向き合わなければいけない時期に入ってきている、本当にそう思う。

新型コロナに翻弄される今、全世界の誰もが他人事ではなくなってきている。それぞれが自分事として真剣に立ち向かう時期に来ているということなのだろうか。

9月18日に始まった15年間の戦争

1931年の今日、9月18日の深夜、中国の奉天(現在の瀋陽)駅の近くの柳条湖で日本の国策会社南満州鉄道の線路が爆破されました。「自衛」を名目として日本が配備していた関東軍は、この爆破は中国の仕業として攻撃を始め、長春などを占領しました。経済の行き詰まりを石炭や鉱石など資源の豊富な満蒙を武力で支配することで解決しようとした関東軍の謀略でした。日本政府は閣議で不拡大方針を決定し関東軍へ制止命令を出しますが、関東軍は独断で戦線を拡大し、それを政府は追認、国民も労働組合も巻き込まれていきました。1945年の敗戦にいたるまでの15年間の泥沼の侵略戦争のはじまりでした。

日本だけでなく東アジアの国々の多くの人の暮らしや財産、尊厳と生命が奪われました。中国では、9月18日はファシズムによる侵略を許した日として、忘れてはならない日とされています。この悲惨な戦争の反省から、国際的には世界人権宣言が採択され、日本では平和憲法がつくられました。

退陣した安倍首相が2015年9月19日に法制化した「集団的自衛権の行使」により、すでに自衛隊員が海外に派兵されてしまいました。去り際には、国民の生命と財産を守るために「敵基地攻撃能力の保有」の検討を言い残していきました。

今日は、長野地裁で信州安保法制違憲訴訟の原告6人の口頭弁論が行われました。戦争にさせない、と声をあげる人たちがいることが過去の過ちを繰り返さないことにつながります。

九・一八歴史博物館(瀋陽市)

元内閣法制局長官の宮崎礼壹氏が長野地裁で 「集団的自衛権は憲法9条に明白に違反」と証言 信州安保法制違憲訴訟第12回口頭弁論

市民や学者・弁護士などつくる「信州安保法制違憲訴訟の会」は2016年7月26日、長野地方裁判所に新安保法制が違憲であるという判断を求める訴訟(国家賠償訴訟)を提訴しました。原告は長野県内居住者で第1次・第2次合わせて362名です。

8月28日、第12回口頭弁論が開かれ、この裁判で初めて3人の証人が採用され、2人の原告を含めて5人の尋問が行われました。

証人は、元内閣法制局長官の宮﨑礼壹さん、ジャーナリストで元東京新聞論説委員の半田滋さん、原告の成澤孝人さん(信州大学教授)、原告の佐藤芳嗣さん(弁護団長/弁護士)の5人です。

宮崎礼壹さんは「集団的自衛権は国際紛争に乗り出すことにほかならず、憲法9条に明白に違反している」と証言、武力攻撃から国民を守る最小限度の「実力」であれば、自衛隊は9条2項にある「戦力」に当たらないと解釈されてきたが、集団的自衛権は国際間の武力紛争に介入することになるため「戦力」になると強調しました。

また、半田滋さんは、2004年1月から2006年7月まで2年半にわたり、陸上自衛隊600人がPKO(国連平和維持活動)でイラクに派遣された点について証言。政府は派遣先が「非戦闘地域」としていましたが、派遣期間中に、13回22発のロケット弾が陸上自衛隊サマワ宿営地に向けて発射され、うち3発は宿営地内に打ち込まれた事実を述べました。イラクは、米軍と武装勢力が戦闘を続ける「戦地」だったことを強調しました。

長野地裁での新安保法制違憲訴訟は大きなヤマ場を迎えています。9月18日にも6人の原告尋問が予定されています。

 

信州市民アクションが長野市で4野党と意見交換会

県内の約40の市民団体でつくる信州市民アクションは8月23日、長野市・県教育会館で4野党の県組織幹事長などと意見交換会を開きました。

4野党からは、立憲民主党から埋橋茂人幹事長、国民民主党から倉田竜彦幹事長代行、服部昭事務局長、日本共産党から石坂千穂常任委員、社民党から中川博司代表が参加しました。

まず政党を代表して倉田竜彦・国民民主党県連幹事長代行が「総選挙は5選挙区すべてで野党統一候補を擁立し、市民団体と連携して取り組みをすすめたい。新型コロナの問題では政府は後手後手に回っている。国民本位の政策に変えていくためのチャンスでもある。また、野党と信州市民アクションが合意できる政策の問題もあるので議論をいただきたい」とあいさつ。

意見交換会では、◇県内において、市民団体と野党で共通の政策に関する協定を結ぶこと、◇選挙区ごとに野党統一候補と連携できる市民運動を活発化し、ネットワーク組織をつくっていくこと、◇9月20日に長野市・県教育会館で13時30分から「~コロナ禍を克服するために~ 市民と野党の政策フォーラム」を開くことなどを確認しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

市民と野党の政策フォーラムチラシ

 

加害と侵略の歴史を心に刻むため。 松代大本営工事の朝鮮人犠牲者を追悼する式典開く

8月10日、松代大本営地下壕工事で犠牲となった朝鮮人労働者を追悼する平和祈念の集いが象山地下壕前広場を開きました。松代大本営朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑を守る会(略称=松代大本営追悼碑を守る会)が開いたもので、追悼碑建立から25年目の節目の集いとなりました。

守る会の会員をはじめ、在日韓国・朝鮮人の団体など60人余りが参加し黙とうをささげ、追悼の花を手向けました。

松代大本営地下壕跡は、太平洋戦争の末期、本土決戦遂行と国体護持のために天皇や軍部、政府機関を移転するために、松代の山中に掘削された地下坑道です。

この地下壕工事には、地域の労務報国隊や勤労報国隊、学徒・児童まで動員されましたが、その主力は植民地支配下にあった朝鮮半島から強制連行された朝鮮人、既に日本に渡航し各地のダム建設工事などに強制労働させられていた朝鮮人労働者でした。

工事の犠牲者は100~300名ほどと推定されますが、特定できているのは4名にとどまります。真相の全容はいまだ解明されていません。

 

戦後50年の節目の1995年に、超党派の追悼碑建立運動により追悼碑が建立され、25年を迎えます。

集いには、駐新潟の大韓民国総領事館から鄭美愛(ジョン・ミエ)総領事が初めて参加し、「歴史の現場を保存し、事実を知らせることはとても重要なこと。松代大本営と追悼碑がアジアの平和と共生のための歴史を学ぶ教育の場として、さらに活用されることを期待する」と挨拶しました。

松代大本営追悼碑を守る会の塩入隆会長は、「追悼碑の建立から25年がたったが、朝鮮半島との関係はますます難しくなってきた。加害の歴史に真摯に向き合う活動を続けるとともに、もっと市民レベルで交流していくことが必要だ」と話しました。

また、塩入会長に代わり新しく会長に就任する表秀孝さん(長野大学名誉教授)は「現在両国の政治関係が最悪となっている時こそ過去の歴史を正視し、そこから学びながら、私たちはどう行動するべきか問われている」と呼びかけました。

追悼碑前での祈念の集いに続いて開いた追悼碑を守る会第26回総会で、事業計画等を決めるとともに、塩入隆会長が名誉会長となり、新会長に表秀孝氏が就く新たな役員体制を確認しました。

碑の建立から25周年を迎えた式典

駐新潟大韓民国総領事館総領事の鄭美愛(ジョン・ミエ)さんがあいさつ

あいさつする塩入隆・前会長

新会長に就任した表秀孝さん

「核のゴミ」最終処分場はいらない! 北海道知事あての緊急署名にご協力を

8月12日に北海道寿都町が、原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場の選定に向けて、第1段階にあたる「文献調査」への応募を検討していることが明らかとなりました。巨額の交付金と引き替えに、一度調査を受け入れれば途中で後戻りできないことは明白です。

北海道幌延の「深地層研究計画」の経緯を見ると、北海道、幌延町、日本原子力研究開発機構の三者で「20年程度の研究期間」「放射性物質は持ち込まない」「研究後は施設を解体し埋め戻す」と協定を結んだにもかかわらず、2019年、9年間の延長が申し入れられ、知事は延長受け入れを表明しました。幌延での深地層研究計画が続く限り、幌延町を含め道内が最終処分場になることに対する強い危機感はぬぐえません。

このような状況を受けて北海道平和運動フォーラムと、北海道内の市民団体が呼びかけ団体となり、北海道の鈴木直道知事あてに「北海道を核のゴミ捨て場にしないことを強く求める署名」を緊急で行うことになりました。

みなさんの署名へのご協力をお願いします。

 

●署名集約日  一次集約 9月30日(水) 最終集約10月31日(土)

●送 付 先    〒380-0838 長野市県町532-3 長野県原水禁 電話026-234-2116

●署 名 用 紙   署名用紙はコピーしてお使いください。

北海道寿都町核のゴミ最終処分場反対署名

 

「平和の灯」

広島の平和記念公園から分火した、「平和の灯」が松本市役所の庁舎前に灯されています。

戦後70年にあたる2015年に、「一人ひとりが命を大切にし、永久に平和であることを願い、平和を創る取り組みを広げるための市民の平和のシンボル」として置かれました。

松本市には「平和推進課」という部署もできました。

戦後75年の8月25日、反核平和の火・リレーが出発しました。1982年にはじまり、毎年広島で採火していましたが、今年は松本市の「平和の灯」からの採火となりました。県内の多くの青年、女性がトーチをもって走り77市町村に要請行動を行ってきましたが、今年はやむなく要請行動のみです。

「核兵器禁止条約」に批准した国は44か国になり、発効にはあと6か国が必要です。

日本が批准して、世界の平和を願う人々とつながることが、永久の平和を創ります。

平和の灯

2019年の反核平和の火リレーで走るランナー

県原水禁大会は約60人の参加者を集めて「ヒロシマの日」に開く

8月6日、被爆75周年の「ヒロシマ原爆投下の日」を迎えました。

午前8時から開かれた原水爆禁止長野県大会では、原爆投下の8時15分、広島市で開かれている「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」を中継でつなぎ、現地の「平和の鐘」の響きが会場を包む中、約60人の参加者が広島現地と合わせて黙とうを捧げました。

その後、県大会では、75年前に広島市で1歳の時に被爆した県原爆被害者の会の藤森俊希会長の被爆体験を映像にまとめたDVD『藤森俊希の伝言~きのこ雲の下、僕は1歳だった~』が上映されました。また、藤森会長が「核兵器を巡る状況と私たちの課題」と題して講演しました。藤森会長は昨年10月、国連総会に出席し、国連総会第1委員会のヨレンティ議長(ボリビア国連大使)に1051万7872筆の署名を提出しました。ヨレンティ議長は「この場所で藤森さんと出会えたことにとても嬉しい。ボリビアは今年の8月6日に核兵器禁止条約に批准したことから、自分の国に誇りを持っている。核兵器は人類の存亡に関わるものであるから、廃絶を目指しこれからも行動していく」「この国連を藤森さんにとっての家だと思って、署名提出でもそうでなくてもいつでも頼ってきてほしい」などと話しました。

県大会は最後に、「原水禁運動の原点のスローガンである『核と人類は共存できない』を改めて確認し、21世紀には核兵器も原発も存在しない、安心で平和な社会をつくるため行動し続けることを、75回目のヒロシマの日に決意します」とする大会アピールを採択しました。

8時15分を期して黙とうをささげる参加者。

講演する藤森俊希・県原爆被害者の会会長。

☞ 原水禁県大会アピール全文はここをクリック

原水禁世界大会はオンライン配信大会に。現在もYoutubeで視聴が可能

毎年8月に開かれている広島、長崎、福島での原水禁世界大会は数千人の大規模集会であり、全国各地から集まるため、新型コロナの状況にかんがみ参加者を集める方法では中止となりました。代わりに大会当日、オンラインで配信されました。開会総会や分科会などは、インターネットのYoutubeで配信されました。現在も視聴が可能です。

長野県原水禁としては、毎年、広島・長崎・福島へ代表団を派遣してきましたが、今年は、「こども代表団」も含めて派遣しませんでした。来年は、通常の形での開催を実現したいものです。

Youtubeで現在も公開されている被爆75周年原水禁世界大会

長野駅前で核兵器廃絶求める「ヒバクシャ国際署名」の街頭アピール

被爆者自身が核兵器廃絶を求めて、国連あての署名活動をすすめています。県内では、被爆者団体や県原水禁、県原水協、県生協連、県教組などでヒバクシャ国際署名県推進連絡会が結成され、署名活動をすすめてきました。

県連絡会は8月2日、長野駅前で街頭署名行動を行いました。行動には22人の参加があり、藤森俊希さんをはじめ5人がアピールをしました。新型コロナ感染予防のため、署名板を持っての署名やチラシ配布は行わず、机を2カ所設けて立ち寄っていただくというやり方での署名集めでしたが、45分間で19人の署名を集めることができました。

2017年7月7日に国連で「核兵器禁止条約」が採択され、3年が経過しました。核兵器禁止条約は、50カ国以上の批准で発効することになっています。現在、条約を批准した国は44カ国となり、条約発効まであと6か国となりました。